キラーゼブラ
これは夢だ。絶対夢だ。オレは心の中で何度もつぶやいた。
目の前には地平線の先まで横断歩道が続いた。その幅も、とてつもなく広かった。そして、車道が大量に並んでいた。それは雲一つなく、どこか違和感のある青い色だった。
「さてさて皆さま!お集まりご参加いただき、ありがとうございます!」司会者っぽい、調子のいい声が頭上のどこからともなく聞こえてきた。「命を賭けた大横断歩道横断選手権大会。人呼んで、キラーゼブラ!!」
ふん。オレは鼻で笑った。何がキラーゼブラだ。ふざけているのか?オレはそんなことを思いつつ、その司会の声に耳を傾けた。
「この競技は早さが全てではありません。車とぶつかることなく横断歩道を渡りきることがもっとも重要な点なのです!ルールは簡単!車に轢かれずに渡りきる。たったそれだけでございます。もちろん車と衝突した方は即刻失格退場となりますのでご注意ください。また他者の妨害行為をした方も故意過失問わず同じ処遇となりますのでご留意ください。そして優勝者には生涯にわたって車に轢かれない特殊能力をプレゼントいたします!そしてなんと!今回だけの特別ルール、車と軽く接触しただけの場合はセーフといたします。ただしダメージを負った場合の補償はいたしません」
ルールはともかく、競技内容はとんでもないものであるというのはわかった。それから横を見ると参加者っぽい人達が並んでいた。姿恰好はさまざまだった。スーツ姿の会社員風のおじさんも居れば、シャツにジーパンといういラフなでたちの若者、いかにも選手ですといった風のスポーツウェアで整えた青年、買い物帰りといった主婦、子供もいれば老人もいた。ほんでもって自分の格好に目を落としてみた。Tシャツにジャージ、サンダルという恰好だった。これはいつもの部屋着だった。しかも履いているのはサンダルかよ!思わず自分で自分にツッコミを入れた。
「いよいよスタートの時間が迫ってまいりました!」
司会者の声とともに、どこからともなく車線に大量の車が現れて目の前をビュンビュンと凄まじいスピードで過ぎ去っていく。右からも左からもだった。おいおい、マジかよ。思ってるより、アレじゃねーかこれ。ぜってー轢かれるだろ、これ。そもそもこれをクリア出来るくらいなら車に轢かれない能力なんていらねーっつうの。俺は心の中でブツブツとつぶやいた。
「では皆さま、時間となりました。スタートです!」
オレの隣りにいた、やる気満々な風のスポーツウェアの青年は一歩目で車にぶつかって吹っ飛ばされた。ギャーっと叫び声をあげ、その姿のまま遠くに飛んでいき、見えなくなった。あれが退場の仕方かなのか。それから、案外に人はみかけによらずだ。オレの少し前を進んでいたのは杖をついて、ヨタヨタと進む腰の曲がったばあさんだった。とても前をちゃんと見てるとは思えないが、的確に進んでは止まってを繰り返して車をやし過ごしている。あれはいわゆる年の功ってやつなのか?ともかく、オレは何度も左右を確認しながら少しずつ前進していった。時折、ドンッという鈍い音とともに人の叫び声が聞こえた。エグイ…エグすぎるぞこの競技。俺は声に出さない呟きを心の中でした。なんだ?いったい何が目的なんだ。この人権ガン無視のエグイ競技は。あるいは途中棄権はできないのか。そんなことを考えたが、周りの人たちは黙々と前進していた。
車道が延々と並んでいるわけではなく、ところどころに車の流れがない島になっているようなとこがって休憩できるようになっていた。オレはそこへたどり着くとその場に座り込んでしばらく休んだ。参加者がお互いに会話を交わす様子はなかった。皆、自分のことだけを考えているような雰囲気だった。
オレは粘り強く進んでいった。時期に周囲の人もだんだんと減っていくのがわかった。
ふと見ると、斜め少し前のところに、自分と似たような恰好の若者がいた。ただし、スマホを手にしてイヤホンまでしている様子だった。そんなんでよくここまで来たな、あんた。オレは心の中でつぶやいた。それから、なぜかわからないが無性に彼のことが気なった。よし、追いつけつるかやってみようじゃないか。そう考えて進むペースを上げた。
もう少しで追いつくというとこだった。彼の横顔が見えたその時、自分に向かって車が近づいているのに気づいた。しまった!そう思った瞬間、視界が変わった。
気づくとオレは車に乗っていてハンドルを握っていた。フロントガラスを通して見える前方に先ほどの青年がいた。彼は驚いた様子でこちらに顔を向けていた。それを見た瞬間、オレの方も驚いた。自分そっくりではないか!ブレーキをかけようとしたが。足元にはペダルも何もなかった。
すると、また視界が変わった。オレは先ほどの車道に立っていて、こっち向かって車が迫っていた。運転手の姿はガラスの光の反射で見えなかった。身体は思うように動かなかった。そのとき気づいた。歩きスマホの青年は自分自身だったのだ!オレは思わず目をつぶった。自分の身体が倒れていくのを感じたが、不思議と衝撃や痛みは感じなかった。
「君!大丈夫か!」
呼びかけにオレはハッと気が付いた。目を開けると、見知らぬスーツ姿の男性がオレのことをぞき込んでいた。オレは地面に仰向けで寝そべるように倒れていた。あたりには他にも何人か立っていて、こちらを心配そうな表情で見ていた。オレはゆっくり起き上がってあたりを見渡した。見慣れた景色だった。家の近所の通りで、信号機のない横断歩道の脇だった。
「危ないじゃないか君、歩きスマホなんて、危うく車に轢かれるとこだったぞ」
声をかけてきた男性は、オレに向かってやや強い口調で責めるように言った。
「す、すいません…」オレは小さい声で答えた。
「まったく、それにしても車の方もどうかしてる。横断歩道のあるとこを猛スピードで走って、そのまま行ってしまうなんて」男性は遠くを見ながらぼやいた。それからオレの方に向き直ると「君、怪我はないようだけど、一応救急車を呼んだから病院で見てもらうといい」といった。
「あ、はい」そう答えたが、オレはさっきまでの、夢か幻か知らないが、あのキラーゼブラことばかり考えていた。視線を落とすと近くに画面のひび割れたオレのスマホが転がっていた。
遠くから救急車のサイレンの音が聞こえた。オレは頭や手足に少し痛みを感じ始めていた。