少女は気持ちを切り替える!!
3話目です。
それではどうぞ!
よくある黒い塗装をしたタクシーは、人間なら目にする機会も少なくないが、サグメにとっては初めて目にするものだった。
「すっごーい!!なにこれっ!!
車輪が四つもついてるから、これが自動車ってやつなのね!」
大きな声で言いながら、いろんなところに目を動かすサグメ。
彼女にとって自動車は未知の物体であり、塗装された金属を間近で見るのはこれがほぼ初めてだった。
ピッカピカでつるつるとしていて、自分の顔が移り込んでいる。
さすがにシキに怒られたくないので触りはしないが(フェリー乗り場でしゃがんで床を触ったら、彼にこっぴどく叱られたため)、本当はとっても触ってみたい衝動に駆られている。
「車輪は黒くて光沢のない素材でできているが、これがゴム、というものなのだろうか?」と、彼女は頭の中で限られた知識をフル回転させながら、未知との遭遇を楽しんでいた。
「……これはサグメの言う通り自動車の一種で、目的地まで客を乗せて運んでくれるタクシーと呼ばれてるものだ。
料金は降りるときに、運転手へ支払うことが多い」
サグメのテンションの上がり具合を見て、シキは少しあきれかけたが、それでも触ることは我慢できているようなので、仕方ないな、と思いながらタクシーについての簡単な解説をし始めた。
彼女は自動車を見るのも初めてだったので、この興奮具合も致し方のないことであるのは彼にもわかっていたのである。
******
タクシーを興味津々に見回していたサグメだったが、シキに引っ張られて、タクシーの客席へと押し込められる。
車内の装備にも興奮し始めた彼女を何とか落ち着かせ、ようやく一息ついたシキ。
彼もようやく、彼女が興奮していて言うことを聞かない場合には、強制的に次の行動へ移せば良いということを学び始めたらしい。
ブーブー文句は言いつつ、「今見逃しても、またみられる機会はいつでも作れる」とシキに宥められ、サグメはしばらく人間社会に滞在できる幸せを感じていた。
その横では、サグメの自由奔放さに対して既に頭を抱えたくなりつつ、何とか気を取り直してタクシーの運転手へと話しかけ始めたシキがいるが、彼女は憧れていた人間の作り出した初めて見るものに囲まれて舞い上がっており、隣の彼にそこまで気を配る余裕がなかったのだ。
「あー、あそこの駅ね、了解ですよ。
んじゃ、お客さん、シートベルトをしっかり締めてくださいね」
「ありがとうございます」
威勢のいいおっさん運転手は、二人が鬼であることを特に気にせず、運転を始めたのだった。
「そうかぁ、お客さん方は仕事で田舎から出てきたんか」
「はい」
「鬼も大変だねぇ。
俺は鬼についても世間一般と同じくよく知らないけど、鬼をよく知らずに毛嫌いしてる人も多いかんなぁ……」
おっさんは、普通の人間の客と同じようにいろんな雑談をしてくれた。
そのおかげか、自分の思考から現実に戻ってきたサグメはおっさんとシキの話す雑談を食い入るように聞き始めた。
「そうですね……。
ですが、それを何とかするのも私と彼女の仕事ですから」
「そうか……。
えらい大変な仕事なんだな……」
サグメとシキの行く先を案じるような調子で相槌を打つおっさん。
非常に残念だが、このおっさん運転手の言う通りだった。
元から隠れ住む傾向はあったが、明確に人と鬼が分けられたのは江戸時代からで、それ以降、完全に鬼は人間社会から隔離されてしまった。
それ故、人間の中には鬼が人と同じような姿をしているということさえ知らぬ者もいるし、実態をよくわからずに世間と伝統に従って毛嫌いしている者が大半というのが実情だった。
加えて、人間に比べれば鬼の方が身体能力も高いし、長命な傾向にある。
よくわからないものに恐怖を抱くというのは人間によくあることらしく、そういう面では、鬼は人間が恐れる条件にぴたりと該当してしまっているのだろう。
自分の能力より高いものを恐れるのは、人も鬼も同じだ。
人は身体的に勝る鬼を畏怖し、鬼は集団の力と数で勝る人に恐怖しているのだから。
それはシキだけでなく、人間に疎いサグメでさえもわかりきっていることだった。
ただ、中にはこうして普通に接してくれる人もいる、というのはせめてもの救いだ。
「そうかぁ、大変だと思うけど頑張れよ!
おっちゃんも応援しとる」
「ありがとうございます。
このタクシーの運転手が貴方で本当によかった」
少し人間に対して斜に構えすぎていたかもしれない、と考えを改めた二人。
鬼にもいろいろな者がいるように、人間にもいろいろな者がいるのだろう。
それを示してくれたこの出会いは、これから人間社会で荒波に揉まれるであろうサグメにとって、自分の活動の軸の一つとなることは確実だった。
彼女が人間社会で初めて関わる人が、このおっさんでよかったと心から思うシキであった。
******
「タクシーすごかったね!
鬼の里だと荷車か、鬼車か、人間が融通してくれた自転車しかなかったし……」
最初はすごく弾んだ声のサグメだったが、鬼の里を思い出していた後半はトーンダウンしていった。
自動車ほどスピーディに、かつ快適に移動できる手段が鬼の里にはなかったらしい。
鬼車は鬼が曳く人力車みたいなもので、これは唯一自動車と同じくらいの速度を出せる。
しかし、鬼ヶ島は自然が豊かで道も整備されていないため、サスペンションの効かない鬼車の乗り心地はあまりよろしくなかったらしい。
自転車も基本的には中古車しか融通してもらえなかったため、あまり乗り心地がいいとは言えず、スピードを出すこともあまりできなかった。
しかし鬼の体は強いもので、16歳の少女でしかないサグメでさえも時速40キロくらいを維持して2時間走り回ることができる身体能力である。
「それならいっそのこと、自分の足で走った方が速いし快適だ」と思うものも、当然の帰結というわけだ。
「まあな。
鬼が暮らす土地だと必要なかったってのもあるが、やはり人間は身体的に弱い分、知恵で切り開くことに長けているからな」
「あたしも自動車を運転してみたいなぁ」
運転する未来を想像しているような顔をしていたサグメは、キラキラとした目でシキの方へ視線を向ける。
彼女は相当車がお気に召したらしい。
サグメにとって、ここまで快適さのある乗り物はここに来るまでに乗ったフェリーとこのタクシーだけなのだ。
フェリーは難しそうだと感じたから操縦したいとは思わない。
だが、自分でも手が届きそうな自動車なら運転してみたいと考えてしまうのは、似たような境遇に置かれた者なら誰しもが思い浮かべることだろう。
だが、彼女が車を運転するにはどうやっても立ちはだかる壁が存在する。
「運転には免許、というものが必要でな。
たぶん、鬼の俺らでは現状取得することはできないだろう」
「そっかー……」
そう、免許である。
人間なら、教習所や合宿へ通い、各地の免許センターで本免試験を受けて受かれば運転できる。
だが、鬼がそうした施設で受け入れてもらえるとは到底考えにくい。
ましてや、凶器になり得る自動車の運転技能を鬼へ与えることを政府が良しとするはずもなく、仮に良しとしても民意によって阻まれるだらう。
そうしたことも見越しているシキの淡々とした返答に、しょんぼりとする彼女だが、次の瞬間にはもうその萎れた顔は鳴りを潜めていた。
やる気に満ちた強い眼差しで、シキを見つめ直し、
「そういうのを取れるようになるためにも、鬼のイメージ改善を頑張らないとなんだね!!」
「そうだな」
そう、力強く宣言したサグメだった。
一方で、シキはというと。
切り替えが早いというのは彼女の美点だな、とぼんやり思いながら、手元のスマートフォンで駅への道を調べ始めた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
次話は月曜日の夜までには投稿します!