二人は降り立った!!
少し遅くなってしまいましたが、2話目です。
ここから主人公達の話が本格的に始まります。
「わぁ……」
「ここから先は人間の領分だ。
いいか、くれぐれも粗相のないようにだな……」
20XX年の春の某日。
都内と都内近郊の島を結ぶフェリー乗り場では、まだ営業時間前であるはずだが、船と人影があった。
フェリーから降りたばっかりらしい少女は、天井を見上げたり、床を足でトントンと音を鳴らして突いたりしている。
着物をアレンジしたような少し変わった洋服を着た彼女の目には、どうやら床のコンクリート材も、天井の無機質な金属の配管も、相当もの珍しく映っているらしい。
その少女の隣には、窘めるような口調で大人しくさせようとしている青年がいた。
「わかってるってば!
あたしだって、もう鬼としては成人の歳なんだからねっ」
「わかっているのならば、もう少し大人らしい振る舞いをしてくれ」
ぷんすかと反論してくる少女へ、頭をポリポリと搔きながら要求する青年。
一見、少し反抗的な少女と保護者の青年のように見えなくもないが、よく見ると二人とも普通の人間ではないことが容易にわかる。
一番特徴的であり、どうやっても人目を引いてしまうと想像できるのは、少女の頭に生えた大きな二つの角である。
長い黒髪を搔き分けて生えだしている少し黄色みを帯びた明るい色の角は、鋭く尖ってしなやかなカーブを描いており、典型的な鬼の角に見える。
飾りにしてはリアルな質感のそれは、決して飾りなどではなく。
そう、彼女は正真正銘の鬼であるのだ。
「そーんーなーこーとーよーりっ!
なんか、とってもお腹すいたんだけど、ご飯ってどうするの?」
少女は、言葉と同時に手でお腹をポンポンしながら、キラキラとした目で青年の顔を見上げてみる。
「あのなぁ、サグメ…………。
まあいい、とりあえずタクシーを待機させているから、電車を利用できる駅まではタクシーで移動する。
その後、拠点として手配済みのアパート周辺で外食する予定だ」
振る舞いに関する注意から、少し話を逸らすことに成功した少女ことサグメは、外食と聞いてテンションが爆上がりした。
彼女にとって、人間が作った料理を食べられるというのは、それほどずっと憧れていたことなのだ。
「外食って、人間が作った料理を食べられるんだねっ!
楽しみすぎて、今から涎が垂れてきそう……」
サグメは、他の鬼よりも人一倍、人間の生活へのあこがれが強かった。
思い返せば、彼女は生まれてからずっと鬼の里がある鬼ヶ島から出ることを許されず、限られた乏しい材料で作られた質素な料理しか食べることしかできなかった。
時たま、政府をはじめとした人間の上層部と鬼を繋ぐ任務に当たっている仲間がお土産として持ち帰ってくる人間達の料理やお菓子は、それこそ幼い頃からサグメをはじめとした多くの鬼達の心を鷲掴みにしていた。
最近は特に地球温暖化等の影響で激化する気象条件によって、今まで以上に贅沢などできるほどの余裕もなく、生きていくのさえ厳しくなりつつある。
そんな状況でも、人間達の開発した生活を豊かにする物品の恩恵は一切受けられず、未だに、大昔の貧しい農村のような、貧相な暮らしを強要されている。
そうした暮らしの中で、特に炊事だけでなく将来的には幼子の養育担当になるために勉強をしているサグメにとって、一口でも口にした人間達の料理やお菓子は、たったのひとかけらであったとしても、それだけで世界が広がり、生きる活力をもらった気がしたのだ。
そんな、まるで魔法のような料理を作り出せる人間達の暮らしを想像して、小さな頃から憧れを抱いてきたのであった。
「とりあえず、こちらで長期にわたって任務に当たっている鬼の協力の元、鬼も問題なく乗車させてくれるタクシーを手配したが、どういう反応をされてもおかしくない。
基本、やり取りは俺がするから、お前は静かにしててくれ」
「まあ、それは仕方ないし、静かにしてるよ……。
あたし、シキみたいに頭もよくないし、難しいことはよくわかんないし」
少し、しょんぼりとしたサグメに、青年もといシキは少し不憫だ、という感想を抱いた。
サグメは、普通の鬼よりも特に角が大きい。
常態化している差別によって、鬼を恐怖の対象としか見ることができない人間から特に負の感情を抱かれやすい容姿をしている、と言える。
一方、シキの角はかなり小型化しており、帽子さえ被ってしまえば容易に隠せる。
そうした身体的特徴から、サグメは一生を鬼ヶ島に縛り付けられる運命であり、逆にシキは人間と鬼の間を行ったり来たりする仕事を任されていく人生になるはずだった。
しかし、運命とは面妖なもので、人生とは一体何が起こるかわからないものだった。
******
「サグメよ。お前に、人間社会に出てアイドルとして活動することを命ずる」
「──っ!?」
「はいっ!
サグメ、この命に代えましても、おばば様のご期待に副えるよう頑張りますっ!!」
サグメは元気な声で、唐突な長老からの命令にも、二つ返事を返した。
何より彼女は、この機会を逃すと一生、島の外の地へ降り立つことを許されないと悟っていた。
それはもちろん、隣に立つシキにも容易に悟ることのできるものだったが。
それでもシキは、目の前の老婆からしわがれた声で命じられた内容を、すぐには飲み込むことができなかった。
それほど、シキにとっては予想外なものであったからだ。
鬼と人間の上層部との約定により、角の大きい者は一生を鬼の里で暮らすよう義務付けられている。
数少ない例外は、血が濃くなることを回避すべく他の島や山奥に存在する鬼の里へ嫁ぐための移動だけ。
他の例外に関しては、長老にでも選ばれない限りは縁のないこと。
故に、いくら人間の政府が許可を出したとしても、サグメが選ばれるはずはない、と彼は思っていたのだ。
サグメにとっても予想外であり、概ねシキと似たような考えだったが、それでもこの奇跡のようなチャンスを逃す、という考えは一切浮かばなかった。
ずっと憧れ続けた人間社会へ足を踏み入れる千載一遇のチャンスであり、これが一生の中で島外への外出を許される最後の機会かもしれないのだ。
彼女は自分の夢が叶うのであれば、たとえ偏見や迫害に晒されたとしても、初めてのことだらけで上手く行かない壁にぶつかるかもしれなくとも、どんなこともやれる気がしていたのだ。
「もうサグメは下がってよいぞ。
あとはナキメに準備を手伝ってもらうとよい」
長老に促され、深く一礼をしてから、サグメはどこか軽い足取りでその場を辞する。
長老の湯飲みへお茶を注いだり、甲斐甲斐しく身の回りの世話をしていたメイドも、長老に手のしぐさでサグメに続いて退出するよう指示を受け、すぐにその場から立ち去った。
後にこの部屋へ残されたのは、シキと長老のみ。
「シキよ、そう驚いた顔をするでない。
なに、簡単な話よ。
我ら鬼のイメージを良きものにするには、なおのことサグメが適任と考えたまでじゃよ。
角が大きく、ヒトにも典型的な『鬼』だと感じやすい容姿。
しかし、人懐っこく、ひたむきに努力できる根性もある。
実に、ヒトが感情移入をし、応援しやすい人物像を持っておる」
その理屈は、確かに筋も通っていて理解できるものだった。
だが、それでもシキは食い下がる。
「し、しかしおばば様……人間との約定は良いのですか?」
「それも、ヒトの政府に確認済みじゃ。
あの子は妾にとっても大事な姪である。
不利益はなるべく被らないよう、できる限り鬼全体でバックアップしていくぞよ」
老婆の言い分に、一応納得したシキだが、正直なところ、あまり賛成ではなかった。
────もし、あいつに何かあったらどうするんだ。
鬼の里にいれば、人間に危害を加えられることはあり得ないし、心配も必要ない。
その代わり、先程二つ返事で元気に返答していた様子からしても分かる通り、人間社会に憧れているサグメがその場へ出る機会は、これを逃せばもう訪れないこともわかっている。
サグメがどんな思いで先程即決していったのかくらい、幼い頃から一緒に行動することも多かったシキには百も承知であった。
だからこそ。
────彼女の安全を取るのか、それとも彼女の望みを取るのか。
その間で揺れていた。
まあ、この場で仮に自分が反対したところで、おそらくサグメが人間社会へ送り出されることはきっと覆らない。
でも、もしかしたらまだ少し交渉の余地はあるかもしれない。
そんな儚い希望を乗せて、シキは長老へあえて確認をする。
たとえそれが、彼女の逃げ道をなくすとわかっていても。
問いかけずに、その先の行動方針をきめられるわけがなかったのだ。
「……そう、ですか。
差し出がましい口出しをいたしますが、もうこれは決定事項なのですね?」
普段は冷静無比に命令を遂行し、礼儀や常識を人一倍気にして弁えているシキが、非礼にもなりかねない返答をしたことに少々驚いた長老であったが、その言葉に隠されたサグメに対する感情を察し、すぐに微笑みを浮かべた。
やはり、彼は自分の亡き妹の子を任せるに相応しい男に育ってくれた、と。
自分の見込みが大当たりだったと感じ、つい計算も何も関係なく自然な微笑みを浮かべてしまったのである。
「良い、妾は許そう。
そうじゃ、サグメ以外に良い年齢の者もおらぬ。
……これは、妾をはじめとした各地の鬼の長老達にとっても断腸の思いで下した人選。
許せ、シキ。お前の気持ちを知らぬではないが、我らの未来のため……」
長老として、サグメの伯母として。
可愛い姪を預けられるかどうか見定めるために、彼と一対一で対話していた。
だが、先程、あっさりと結論は出たため、早速、彼をサグメに同行させる方向へ論調をシフトすることにして、ふと思いついたかのように表情を変えて再びその口を開いた。
実際には、この計画の人選とともにすぐに決定していたことだったのだが。
長老は、さも今思いついたかのように振る舞う。
「そうじゃ、シキ。
お前をサグメの『まねーじゃー』として同行させればよかろう?」
「はい……?」
唐突な提案(だと思わされている)彼は、かなり面を食らっているが、しかし同時に瞳が輝いたようにも見えた。
その反応は彼自身が意識していたわけでもないかもしれないが、少なくとも、長老をはじめとした周囲の鬼は、皆して、彼の隠しているつもりの気持ちを知っていた。
「アイドルにはそのような付き人がいる、と人間から聞いたぞ」
「はぁ……。
では、自分は今までの任務から外れてもよいので……?」
唐突な提案だったが、長老の言う事は絶対。
人間の迫害から生き延びてきた鬼は、長老の決断を下に結束することの大切さを何より子孫へと教えて受け継いできた。
そして、現在の長老は齢250歳にも手が届きそうな年配者であり、様々な局面で鬼達を生き残らせるために決断してきた偉人。
生きている仙人とまで言われているほど、長生きした鬼の思いつきはベストな結果を手繰り寄せ、引き寄せる。
最も、シキ自体もこの提案は渡りに船であった。
危なくなれば、自分が彼女を守れば良いし、人間界の常識を教育されてこなかった彼女の教育とサポートをすることもできる。
だが、そこで仕事人間的気質のあるシキは、一つの懸念を抱いてしまった。
それは、幼少期よりシキも任されてきた人間の上層部と鬼を繋ぐ仕事を外れてもいいのか、という疑問。
その任に就けるのは角の小さい鬼だけであり、決して人員が揃っているとは言い難い。
「良い。
足りない分は、他の里より助っ人を呼ぶ用意をしておこう」
その返答に、長老がサグメと自分を一緒に送り出してくれるのが本気であり、穴埋めもしっかりと考えてくれるのだと感じたシキは素直に感謝した。
「御意。
誠心誠意、承った任務を遂行して見せましょう」
「うむ、よろしく頼むぞ。
サグメをしっかりとトップアイドルにするのじゃ!」
恭しく頭を下げたシキは、長老の御前から立ち去ったのだった。
******
少しの間、自分達がこの任務を言い渡された時を揃って思い返していたシキとサグメだったが、シキの携帯しているスマートフォンの着信音で現実に引き戻されたのだった。
タクシーが到着したという連絡だったため、二人はフェリー乗り場の建屋から外へ出てタクシーの元へ向かうことにした。
「ふんふんふーん、ふんふふーん」
サグメは、これが鬼ヶ島に常駐したり出入りする鬼慣れした人間以外の人間との初めての遭遇になるためか、かなりルンルン気分な足取りをしている。
もう少しでスキップになりそうなほど、上機嫌なステップで、感情を代弁するかのような鼻歌まで歌っている。
彼女の気分は、尋ねなくともその体全体と鼻歌からして丸わかりだった。
その楽しそうな様子に、あの時自分も同行することにしてよかった、とシキは思った。
そして、反対して彼女がここへ来る機会を奪わずに済んでよかった、とも。
自分の判断は正しかった。
そう自分へ言い聞かせた彼は、少し速足でいつの間にか前を歩いていたサグメに追いつき、隣を歩いたのだった。
次話は、明後日の夜までには投稿します!