(2) 冬雪と夏月
ああ、心地いい……。
ふかふかのベッドの上にいるみたいだ。
たしか僕は歩道橋から飛び下りたんだった。
だけど、ちっとも痛くも苦しくもない。
これが天国ってやつなのか?
この頬にあたるのは何だろう?
シルクのような肌触り。生温かくて、スベスベしてて……。
「あの……」
女の声がした。
僕はゆっくりと目を開いた。
天使がいた。いや天女だろうか。
少女の潤んだ瞳が、僕を見つめてる。
ブレザーを着た天使……ブレザー?
「あの、重たいんですけど。どいてもらってもいいですか?」
僕は彼女の体に覆い被さっていた。頬ずりしていたのは彼女の太腿だった。
「ご、ごめん!」
体を離して、彼女の顔を改めて見るとだんだんと記憶が鮮明になってきた。
そうだ、僕はこの子を助けようとして巻き込まれて落ちたのだ。
だけどさっきと印象が違う。飛び下りる前はヤンキーみたいに口が悪くて蹴りまでかましてきたのに、目の前の彼女は人が変わったようにおとなしい。
「私の顔に何かついてますか? さっきからジロジロ見てますけど」
「キミ、なんだか飛び下りる前とずいぶん違うなって」
落ちた拍子に、頭でも打って人格が入れ変わってしまったのだろうか。
「飛び下りる前?」
「あ、はい、僕達、歩道橋から飛び下りたんですよ」
「あちゃー、また夏月の仕業だ……」
「夏月?」
「はい、わたし二重人格なんです。わたし、飛び下りるとき、ヤンキーみたいな気の強い子じゃなかったですか?」
「え、はい」
「それが夏月です。わたしのもう一人の人格。わたしは冬雪、四方堂冬雪です」
「僕は、天神林ゆづるです」
「ゆづるさん、よろしくお願いします」
冬雪が手を差しだしたので僕は握手した。夏月と違って、お嬢様のような話し方の冬雪は素直に可愛い。
「だけど、いったいここはどこなんでしょうか?」
彼女は辺りを見回した。つられて僕も見回した。一面、真っ白で何も見えない。360°地平線が広がっている。地面は弾力のあるクッションみたいで雲の上にいるようだった。
「やっぱりここって天国……?」
「じゃあ、わたし達、死んじゃったんですか? もう夏月が余計なことするから。模試の結果が悪かったから、もう死にたいって言っただけなのに」
「え、飛び下りる動機はそれだけですか?」
「夏月っていつも過激なんです。わたしのこと心配して守ろうとしてくれるのはいいんですけど、思い込みが激しいっていうか」
「あはは……」
苦笑するしかなかった。その衝動的な飛び下りに俺は巻き込まれたわけだ。とはいえ、俺も死んでしまいたいと思っていたのは事実だ。類は友を呼ぶように、死を考えると死神を招くのかもしれない。
「ゆづるさん、これから一体どうしましょう?」
「どうって言っても、僕も死ぬの初めてだし……」
「そうですよね……」
その時、ある方角に白い米粒みたいな点が見えた。
「あれ、なんだろう?」
「え?」
冬雪も振り返る。
「なんでしょう? 近づいてきますね」
はじめは遠すぎて見えなかった点が、近づくにつれてその姿を認識できるようになってきた。
「人ですね! 女の人です」
「でも……空飛んでないか?」
桃色の着物の女性が薄い羽衣につかまって、ものすごいスピードで近づいてくる。やっぱり空を飛んでいる。
「おっとっと、ブレーキブレーキ」
僕達の目の前を通り過ぎてから引き返してきた。
「行きすぎてしまいました。羽衣の運転は苦手なもんで」
彼女は、僕達の前に降り立った。
「天神林ゆづるさん、四方堂冬雪さん。お迎えに上がりました。閻魔大王のところへお連れいたします」