80.迷宮の罠
いよいよ俺たちが7層の守護者に挑む時が来た。
この迷宮都市に来てすでに1年4ヶ月経つが、あの頃には思いも付かなかった壮挙だ。
いつものメンバーで守護者部屋の前まで来ると、準備を整えて部屋へ侵入した。
守護者部屋にしては少し大きめの空間に入り、魔物の登場を待ったのだが、一向に現れる気配がしない。
宝石部屋ではサイクロプス2匹だったので、それにミノタウロスを組み合わせて出てくると思っていたのだが。
異常事態に警戒を強めていると、不意に部屋の中央がゆらめき、何かが現れた。
それは自称迷宮の管理者、ベビンだった。
「やあ、とうとう7層の守護者までたどり着いたんだね。予想よりもだいぶ早かったよ」
「おいおい、まだ守護者は倒してねーぞ。なのに、なんでお前が出てくんだよ?」
俺はひどく嫌な予感を抱きながら、奴に話しかけた。
するとベビンが実に楽しそうに喋る。
「ああ、それなんだけどね、君たちがあまりに面白いもんだから、少し趣向を変えることにしたんだ」
「趣向を変えるって、なんだよ? お前らは冒険者に不干渉なんだろうが」
「原則、不干渉ってだけさ。今回のような特例は許されている……神々を喜ばせるような場合はね」
奴がそう言って指を鳴らすと、俺たちの足元に光の魔法陣が現れた。
それはまるで、転移水晶で跳ぶ時の前兆のようだ。
「実はこの迷宮では現状、7層が最下層になるんだ。だからここをクリアすれば完全攻略なんだけど、君たちほどの強者にそれは失礼だと思ってね。それで、君たちには特別に造営中の8層守護者に挑んでもらう。頑張って倒してくれたまえ」
その説明が終わるや否や、俺たちは光に包まれ、どこかに転移しはじめた。
最後に奴のにやけ面を見ながら、俺は精一杯の怒りを込めて怒鳴った。
「ベビーン、てめえ、今度会ったら殺すぅぅーーーーー」
そのまま光に呑み込まれ、次の瞬間には別の所に跳ばされていた。
そこは今まで見たこともないほど広大な空間で、しかも明るかった。
そしてその中央には、巨大な何かが蹲っていた。
やがて俺たちの出現に気づいたそれが、ゆっくりと頭をもたげ、こちらを睨みつける。
そいつと目が合った瞬間、原初的な恐怖に襲われた。
その赤銅色の鱗に包まれた体は、トカゲのように見えなくもない。
しかしそれは、そんな生易しいものではない。
まさに地上最強の存在、伝説上の生物 ドラゴンだったのだ。
ドラゴン、それは理不尽な存在だ。
大抵の攻撃をはね返す強靭な防御力に、何者をも焼き尽くす火炎吐息を持つ。
そしてその知能はある面では人間を上回り、高度な魔法を使う個体もあると聞く。
さらには自由に空を飛ぶ翼を持っているときては、まともに戦うのが馬鹿らしくなる存在だ。
しかしその数は非常に少ないらしく、人前に姿を現すことはめったにない。
それこそ人跡未踏の魔境の奥とか、魔大陸の最深部にでも行かなきゃ、お目に掛かれないはずなのだ。
そんな伝説上の存在が今、俺たちの目の前にいる。
奴が立ち上がると、それがどれだけ大きいか改めて分かる。
立ち上がった時の頭の高さは俺の5、6倍で、肩の高さはその半分くらいか。
巨大な胴体からは強靭な4本の足が伸び、その後ろには長い尻尾が続く。
尻尾を含めた全長は、人間の30倍くらいはあるだろうか。
今までに見た最も大きな生物は極大野牛になるが、あれをもう少し大きくして長い首と尻尾を付けた、そんな感じだ。
トカゲのような口元にはズラリと牙が並び、目の後ろ辺りにゴツい角が2本生えている。
その背中から生えてる翼は体に比して小さいが、魔法の力かなんかで飛ぶんだろう。
強靭な四肢にはこれまた鋭い爪が生えており、軽く撫でられただけで死ねる。
そんな風にドラゴンを観察していたら、ふいに奴が頭を引いて、何かの動作に入った。
俺の頭に警報が鳴り響く。
「俺の周りに集まれっ!」
仲間の集結をギリギリまで待ってから、全力で魔盾の障壁を展開した途端、視界が真っ赤に染まった。
ドラゴンのブレスだ。
もの凄い高熱と威力に対抗するため、俺の魔力がガリガリ削られていくのを感じる。
障壁越しに伝わる熱気で倒れそうになった頃、ようやくブレスが治まった。
そんな、ギリギリで生き残った俺たちを見るドラゴンの口の端がつり上がる。
それはまるで、ニヤリと笑ったかのようだ。
どうやら奴のお眼鏡に適ったらしい。
「みんな、ドラゴン様がお相手してくれるらしいぞ。迎撃態勢を取れ」
カインとサンドラが前に出て、その周りをレミリア、リュート、シルヴァ、ドラゴが固める。
さらにその後ろに俺、リューナ、キョロ、バルカンが付いた。
それを見たドラゴンが、軽やかに飛びかかってきた。
すかさずカインが盾を地面に突き刺し、サンドラと俺が防御壁を重ね掛けする。
そこへドラゴンの前足が襲いかかり、強烈な圧力が襲いかかった。
奴の攻撃を複合障壁で辛うじて受け止めると、すぐに反撃に出た。
後衛から魔法を撃つと同時に、前衛が奴に斬りかかる。
俺もすかさず強魔弾を胸に撃ち込んでやったが、カチンとかいって弾かれた。
前衛もドラゴンの足を攻撃しているが、全く歯が立っていない。
それでも多少は鬱陶しかったのか、ドラゴンがふわりと舞い上がって距離を取る。
「リューナ、あれに水塊をぶっかけろ。キョロとシルヴァは全力で”暴風雷”だ!」
俺の指示から少し遅れて巨大な水塊が発生し、ドラゴンに降り注いだ。
さらにシルヴァの魔力が乗った遠吠えが聞こえてくると、頭上に雲が生じ始める。
先に水を出した分だけ、雲の生成スピードが速い。
そこにキョロが雷の属性を乗せていくと、膨大なエネルギーを持った雷雲が完成されていった。
ドラゴンの方は強者の余裕か、それを邪魔もせずに眺めていた。
完全に舐められてるのは悔しいが、そこに付け込ませてもらおうじゃねーか。
やがて飽和したエネルギーが、キョロの雷撃をきっかけに解き放たれた。
すかさず障壁を張って仲間を守ると、周辺が凄まじい轟音と土埃に包まれる。
永遠にも感じられるほどの破壊の嵐が治まると、目の前に蹲ったドラゴンが見えてきた。
ひょっとして倒せたのか、という淡い期待はしかし、すぐに打ち砕かれる。
所々の鱗が剥がれてブスブス燃えてはいるものの、奴はさっきとほとんど変わらない動きで立ち上がったのだ。
その目に怒りの炎を浮かべながら。
次の瞬間、身震いするほどの咆哮を上げ、奴が飛びかかってきた。
さすがに今度は受け止めずに逃げ出したが、バラバラになって逃げ回る俺たちを、ドラゴンが追い回す。
それでもくじけずに、俺たちは抵抗を続けた。
比較的硬いカインやサンドラが、盾で奴を足止めしようとする。
俺とリューナは逃げながら、強魔弾を奴の頭目がけて撃ちまくった。
ドラゴンの胴体下では、身軽なレミリアとリュートが一撃離脱を繰り返している。
しかしそんな攻撃ではドラゴンの鱗には傷ひとつ付けられず、俺たちはまるで羽虫のような存在だった。
そんな絶望的な抵抗を嘲笑うように、ドラゴンは俺たちをいたぶり続ける。
本気を出せば一瞬でけりがつくはずなのに、奴はとどめを刺さずに追い回していた。
そんな苦しい攻防を四半刻も続けた頃、ふいに奴の動きが変わった。
奴が立ち止まって俺の方を見たかと思うと、今までよりも大きなブレスのモーションを見せたのだ。
俺はとっさに右手でリューナを抱き寄せながら、全力で障壁を張った。
その直後に猛烈なブレスが押し寄せ、周辺が火炎に包まれる。
とうとう耐えきれずに障壁が壊れると、俺とリューナは吹っ飛ばされた。
しばらく宙を舞ってから地面に叩き付けられ、意識が遠のく。
しかしすぐに体中に走る激痛に目が覚め、のたうち回った。
やがて痛みが少し治まると、リューナの姿が目に入ってきた。
「グホッ、リューナ、大丈夫か?」
しかし彼女は、倒れたままピクリとも動かず、返事もない。
不安になって彼女ににじり寄ると、彼女は息をしていなかった。
心臓に耳を当てても、なんの音もしない。
美しかった彼女の顔はあちこち焼け焦げ、薄汚れていた。
なんてこった。
せっかくここまで来たのに、俺は最愛の女の1人を失ったのか?
かつてない後悔と悲しみに、胸が潰れそうになっていたら、駆け寄る仲間の声が聞こえた。
「立つのじゃ、我が君!」
その直後、再びドラゴンのブレスに見舞われた。
無防備な俺の前でサンドラとバルカン、ドラゴが盾となって防ごうとしたものの、あっさり吹き飛ばされる。
一瞬途切れた意識が戻ると、カインたちがドラゴンの相手をしてくれているのが見えた。
辺りを見回すとリューナ、サンドラ、バルカン、ドラゴが倒れている。
恐る恐るサンドラの顔に手を当てると、彼女は気を失ってはいるものの息をしていた。
逆にバルカンとドラゴは辛うじて意識があっても、ひどい状態だった。
おそらく俺を庇うために、ブレスを直接浴びたのだろう。
彼らに手を当てると、弱々しい意志が伝わってくる。
「救えてよかった、主……なんとか、生き延びてくれ」
「ヴモー……」
その瞬間、俺の中に天啓とも呼ぶべき閃きが起こった。
そして俺は何かに突き動かされるように炎の短剣を右手に持ち、そばに転がっていたサンドラの魔剣を左手に取る。
さらに炎の短剣をバルカンに、土の魔剣をドラゴに当てながら呪文を唱えた。
『我、デイルの名において命じる。汝の存在を解き放て、進化!』




