3.チャッピー
この世にはいろいろな存在がいる。
俺たち人間の他に亜人もいれば、魔族や魔物もいるし、犬や猫といった動物もたくさん生きている。
亜人てのはエルフとかドワーフ、獣人、鬼人などと呼ばれる種族で、このリーランド王国王都でもたまに見掛ける。
魔族だけは遥か海の向こうの魔大陸にしか産まれず、この大陸にはめったに現れないって話だ。
その魔大陸には強力な魔物が多く住み、亜人の集落も多くあるらしい。
そしてこの世界には、それらのどれにも属さない妖精という存在もいた。
ひと口に妖精と言っても様々だが、有名なのは羽を生やしたフェアリー種だ。
こいつらは掌を広げたくらいの大きさの子供に、トンボの羽をくっつけたような存在だ。
それは魔物のようでもあるが、半ば霊的な存在でもあり、普通の人間の目には映らないらしい。
だから妖精の方が意識して姿を現さない限り、一般人がそれを見ることはない。
中にはよほど魔力が高いとか、相性のいい相手だけには見えることがあるそうだ。
そんな、普通には見えない妖精が目の前にいる。
当然、俺も見るのは初めてだ。
水色のショートヘアに緑色の瞳。
顔や体の造りはまるで10歳未満の幼児みたいで、衣服はいっさい着けていない。
こんなお人形が手元にあれば、女の子は喜ぶんだろうな。
そんなことを考えていたら、再び妖精が口を開いた。
「どうした? 儂が見えておるのじゃろう?」
「ああ、見えるはずのない妖精がいるんで、幻か何かじゃないかと思ってな」
「ふむ、冷静な分析じゃ。しかしおぬし、さっきの店でも儂が見えておったのではないか?」
「ん? さっきの店って魔法のテーブル? あのルガンの頭の上に何か見えた気がしたけど、お前だったのか?」
「あの距離で儂に気づいておったか。おぬし、変わっておるのう」
妖精がフワフワと宙を移動して、俺の顔の前まで来た。
「ところでおぬし、儂と契約するつもりはないか?」
「契約って、使役契約のことか?」
「話が早くて助かるわい。おぬし、使役師じゃろう?」
「ああ、そんなようなもんだけど、俺はちょっと違うかな。『契約』まではやらないテイマーだ」
そう言うと、妖精がひどく驚いていた。
「なんじゃと! おぬし、『結合』までで意志の疎通が可能になるのか?」
「良く知ってるな。街中の動物にしか試したことないけど、『結合』だけで使役してるぞ」
「なんじゃ、それは? おぬし、変と言うよりおかしいな」
おかしいとまで言われては、苦笑するしかない。
「失敬な奴だな、お前。それで、なんで俺と契約したいんだ?」
そう聞くと、妖精が牢屋の奥を指して言う。
「あそこの契約者と縁を切るためじゃ」
痛む体を動かして、無理矢理そっちを見ると、たしかにルガンが床の上で寝ていた。
「あいつと契約してんのか。でも契約者が死なない限り、契約の上書きはできないんじゃなかったっけ?」
「契約者の同意が無い場合はそうなるの。しかしあやつは再契約に同意しておるんじゃ」
「幸運を呼ぶ妖精を手放すような約束、するとは思えないけどな」
目の前のフェアリー種は古来、幸運の象徴とされ、万金を積んでも契約を望む者の絶えない存在だ。
もし契約が叶えば、そいつは並外れた幸運によって、巨万の富や名声を手に入れる可能性が高いと言われる。
そんな妖精を、あの嫌われルガンが手放すとはとても信じられない。
「あいつは本当に自堕落でダメな奴だから、よく耳元で騒いでやるんじゃ。すると、”うるせーからどっか行け、こんなのを引き取ってくれる物好きがいるんならな”とぬかしよった。これは見ようによっては、再契約を許可したと言えるのではないか? 契約者が見つかれば、じゃが」
なるほど、酔っぱらいの軽口を逆手に取ったか。
それにしても、そんな簡単に契約して大丈夫なのかね?
「ふーん、でも会ったばかりの人間と契約して大丈夫なのか?」
「あいつには散々こき使われて、うんざりしておったんじゃ。どんな人間でも、あれよりはマシじゃよ」
聞けば、彼も昔はまともな主人と契約していたらしい。
1人目はエルフの冒険者で、80年ほど一緒に世界を回ったそうだ。
しかし彼が冒険者を引退すると言うので、その友人と再契約した。
その友人は人族だったがやはり気の良い奴で、これまた20年ほど一緒に旅をしたそうだ。
その後、彼も引退することになって彼の友人、つまりルガンと再契約することになった。
それが5年ほど前。
ところがこいつが想像以上にひどい人間だったらしく、妖精の幸せな旅はそこで終わる。
もう大のギャンブル狂いで、暇があると賭場に入り浸ってるそうだ。
多少は冒険者として稼いでも、すぐにギャンブルでスッてしまうので、万年金欠状態。
そのうち、とうとうイカサマや盗みなどの犯罪にまで手を出すようになった。
目の前の妖精はその不可視性ゆえに、相手の手札を覗いたり、盗みに入る前の偵察などに利用されていたそうな。
妖精はそんな荒んだ生活にほとほと嫌気が差し、脱出の機会を窺っていたらしい。
「そうか、そいつはずいぶんと辛い生活だったな。しかし本当にいいのか? 俺はデイルって言って、この街で冒険者をやってるんだが」
「冒険者か。しかしおぬしは悪党ではなさそうじゃし、見えるはずのない儂が見えるのは、よほど相性がいいからじゃ」
「相性がいいのか?……でも考えてみれば、幸運の象徴との契約を断る理由は無いよなぁ。よし、契約しよう。どうすればいい?」
「互いの契約条件を合意できたら、おぬしが使役術を行使すれば良い」
「契約条件って、どんな?」
「儂の方は簡単じゃ。儂をおぬしの眷属として敬い、魔力を分けてくれればそれで良い」
「そんなんでいいのか? それじゃあ、俺が魔力を与える替わりに、お前は知識と助言を与えてくれ。俺はもっと強くなって、世界のいろいろな物を見てみたいんだ。お前がいれば、いろいろとうまくやれそうだ」
「フハハハ、若者らしいが欲の無い願いじゃのう。良かろう、おぬしとはうまくやれそうじゃ。契約を頼む。ただし、ちゃんと『契約』までするんじゃぞ」
「りょーかい、『接触』……『結合』……『契約』」
立て続けに呪文を唱えると、たしかに俺と妖精の間で何かがつながり、そして互いの魂に何かが刻まれた感じがした。
これが真の『契約』というものか。
「そう言えば、名前は?」
「名前か? 昔は持っておったが、契約すると忘れるんじゃ。おぬしが付けてくれ」
「忘れるってなんだよ? でもそれなら…………チャッピーでどうだ?」
真面目に提案したのに、妖精があからさまに嫌そうな顔をした。
「なんじゃそれは! まるで犬みたいではないか。もっとマシな名前があるじゃろうに」
「いや、お前の見ため的に、ピッタリだと思うんだがな」
「むう、言われてみればそうか……よかろう、しょせん一時の名じゃ。これからよろしく頼む」
「こちらこそよろしく」
あまり嬉しくもなさそうだが、結局受け入れてくれた。
見た目は10歳くらいの幼児なのに、妙に老成してるんだよな。
まあ実際、100歳オーバーのお爺ちゃんだから当然か。
「ところでおぬし、さっきから寝たままじゃな」
「実はここに入れられる前にボコボコにされてさ、痛くて体が動かないんだ」
「なんじゃ、それなら治してやろう。こう見えても儂は治癒魔法が使えるんじゃぞ」
チャッピーがおもむろに俺の胸に手を当てると、そこから淡い光が発生した。
それはさざ波のように俺の体中に広がり、痛みを癒していく。
それまであまりの痛さで眠ることもできなかったのが、急に眠くなった。
急速に遠のく意識を留められず、俺は夢の世界へ旅立った。