6 自己紹介とか引きこもりの天敵だと思うんだが
対魔勇者学園〈フローライト〉東棟三階、二年二組教室前。
キーン、コーン、カーン、コーン...。
廊下によく響き渡るチャイムが、壁に取り付けられたスピーカーから流れた。
そう、二時限目の始まりを告げるチャイムである。
同時に俺がクラスの連中と初めて顔を合わせる時間であり、それ即ち地獄の時間である。
...ついにこの時が来てしまった。もともと人と話すことが苦手だった俺がまともに自己紹介など出来るわけがない。加えて今の俺には、転入初日から遅刻という重すぎるデバフが付与済み(効果は初対面の相手から冷たい目で見られる、俺は死ぬ)である。いや逆に言えば、この自己紹介を潜在的に予期していたからこそ中々学園に入れなかったのかも知れないとも考えられるだろうが、だからといって遅刻という事実が変わることはない。
そんな中、ミラ先生は俺の心中の苦しみなど想像もしないように聞いてくる。
「どうしたイサミ君。顔が死んでいるが」
「...いえ、俺あんま人と喋るのとか得意じゃ無いんで、自己紹介とかちょっと...」
―なので先生から話してもらえませんかね?というニュアンスを少しイラっとしながら言外に含めた。心情を察するということをしない先生だが...頼む、気づいてくれ!
するとミラ先生は顎に手をやり、少し考えるようにしてから頷いた。
「ふむ、なるほど。分かった」
やった!どうやら伝わったらしい。
ふう、これで俺が自己紹介などというふざけたことをしなくてすんだ...。ってか俺どんだけ自己紹介嫌いなんだよ。
ミラ先生はもう一度俺を見て頷いてから、その二組二組の引き戸に手をかけ一気に引き開けた。
―途端に感じる空気。扉をたった一枚隔てただけなのに、廊下と教室内の空気はまるで違かった。けれどまだ中の様子はほとんど見えない。いつの間にか俺は教室から一番離れた反対側の壁付近にいたからだ。...ビビりすぎとか言ってはいけない。
こちらから見えるのは黒板と教卓のみ。角度がないため生徒たちの机は全く見えない。ひとまず呼吸を整える。
大丈夫、まだ焦る時じゃない。こちらから見えないならあちらからも見えないはずだ。冷静に、落ち着いて...。だからビビりすぎとか言ってはいけない。これは仕方ないことなのだから。
ミラ先生が教卓に着き、黒板の逆、つまり生徒の方を見た。その途端、
「起立!礼!」
ザッ!という綺麗に揃った礼の音が聞こえた。
...え、何今の。軍ですか?
だがどうやらこれが当たり前らしい。ガタガタと生徒が椅子に座る音がした後、ミラ先生は別段驚かずに話し始めた。
「では今日の授業を始めよう...と言っておいて何だが、今日からこのクラスに転入生が一人入る。本来なら朝のホームルームに紹介するのだが少し問題があったのでな、申し訳ないが今紹介しよう」
俺がさっきの衝撃を処理しきれない内にミラ先生は簡単な俺の説明をしていた。もちろんミラ先生の言葉は俺の脳には残らず、右から左へと抜けていく。
「対魔勇者学園に生徒が転入してくるというのは初めてのことになる。勿論彼も勇者でありその実力は確かだ。訳あって今までは対魔勇者学園には通っていなかったが、是非積極的に交流してほしい」
毎日あんなに真面目に過ごすとはさすが勇者。引きこもっていた俺とは違うという訳だ。先生が話している間に私語が聞こえることもないし、そもそも無駄な音が一切しない。...俺に出来るかなぁ...。
「では自己紹介をしてもらおう。―ただ彼は自己紹介が苦手らしい。絶対に笑わないように。」
大変そうだなぁ。しんどいだろうしやっぱりここに来たの間違いだっ......今何て言った?
脳が思考を止め、寸前の音声記録を再生する。結果、かなり欠落している部分もあったが、なんとか望んだところは再生できた。
『だが彼は自己紹介が苦手らしい。絶対に笑わないように』
あれ?これおかしくない?
脳内で何回もその不可思議な文を再生するが、どこも特に変化はない。一字一句違わずミラ先生はこう言ったようだ。...嘘だろ?
「来たまえ」
だがミラ先生はそんな俺の混乱を無視して教室に入るよう促す。おいおい何を言ってるんだ。行ける訳がないだろう?
―足が動かない。まるで地面に縫いつけられているように。
考えてみてほしい。自分が出来ないことを他人から「失敗してもいいからやってみて?笑わないから♪」なんて言われて、はいそうですかと気軽に出来るだろうか。断じて否だ。少なくとも俺は否だ。それはただの拷問に等しい。
例えば今の状態を例にしてみよう。確かに今の言葉で恐らく真面目であろう生徒たちは表面上は笑わないだろう。しかし心の裏で「あの人自己紹介も出来ないんだ~ぷっくすくす~」などという嘲笑が巻き起こっていることは想像に難くない。むしろ絶対そうなる(偏見)。
「?どうした、早く来い」
黙っている俺を見てミラ先生はきょとんと首をひねった。なまじ美女なだけにウツクシイ系とカワイイ系のギャップに普段なら萌えているところだが生憎そんな余裕はない。というか冷や汗と悪寒が止まらない。即ち風邪でこれはもう保健室に逃...行かなきゃね!
先程案内された保健室へのルートを検索。程なくして出たルートによると所要時間はさほどかからない。よし!一刻も早くここから脱...出発しよう!
とりあえず一番近い瞬間転移装置へとダッシュしようと足に力を込めた瞬間。
「どこに行く気だ?」
いつの間にか目の前に現れたミラ先生に頭を掴まれた。え、ちょ、何これビクともしないんですけど...。
いくら動いても頭から手は離れない。それどころか握力はどんどん強くなり頭が締めつけられる。痛い痛い痛い!
「す、すいません。ちょっと風邪っぽいので保健室に...」
この拘束から逃れることは不可能だろうと判断し即座に作戦を変更。事情を説明して納得してもらうことにした。なあにこの先生さっきも俺の話理解してくれたし!解決法は明後日のほうだったけど!さすがに今度は素直に行かせてくれるはずだ。
―と思ったのだが。
「風邪?ふむ、確かに顔色が悪いな。どれ」
そう言うとミラ先生は余った左手の人差し指を俺の額に当てた。
「奇跡の力を我が手に。〈治癒〉」
その人差し指に緑の光が宿った―と思った瞬間に光が額から俺の中に入った。
「あ......」
―温かい。
その光...恐らく魔法が俺を癒す。冷や汗は止まり、悪寒はいつしか温かい何かに変わった。
「どうだ?これで治ったはずだが」
「おお...すげえ」
いつの間にか俺の体はきれいさっぱりいつもの状態に戻っていた。人に魔法をかけてもらうのは初めてだが、ここまですごいものだとは。魔法ってすげえ。
けど......。
「治ったなら早く来い。皆がさっきから待っている」
ですよねー。俺の症状は治ったけど状況は何一つ変わってなかった。むしろ時間をかけたことで悪化していた。体だけじゃなく傷ついた心も魔法で癒せませんかね...。無理ですね、はい。
ついに言い訳も尽き、しぶしぶミラ先生の後についていく。
目指すは完全アウェイの敵地、二年二組教室―。
予想以上に長くなり中途半端になりました。翌日には次話出します!