第一話 烏羽玉先生と謎の女の口論
季節は冬だ。芽々はほのぼのした平和な日常を異世界で過ごしていた。最近は、流感や雪花麻疹の魔法薬が売れている。相変わらず何かしらの病は流行っているようだが、事件もなく、エルヴィンラボラトリーは客がたくさん来て繁盛していた。
ラボラトリーの薬棚から、芽々が在庫の魔法薬を出そうとしていたときだった。目の前に烏羽玉先生の上半身だけのホログラムが横切った。
「あ、烏羽玉先生。お久しぶり~!」
振り返って挨拶したが、烏羽玉先生はやけに周りを気にしてホログラムでうろうろしている。
「……? どうしたの?」
不審な動きをしている烏羽玉先生に声をかけた。すると、彼は考え込むように唸って、ふわりと芽々の前に舞い降りた。
『……芽々さん、最近、身辺に異常はありませんか?』
まるで、聞き込みをしている刑事さんのようだ。芽々は笑って答えた。
「えっ? 特にないけど~? 平和なもんだよ~?」
『なら良いんですけどね』
やけにあっさりと引き下がる。烏羽玉先生はこのまま帰りそうな雰囲気だったので、芽々は後ろ髪引かれて後姿に声をかけた。
「何かあったの?」
『いや、実は、謎の女がですね』
烏羽玉先生はあっさりと答えた。どうやら、あの謎の女と相見えたらしい。
それは、昨日の事だったという。
★ ★ ★
謎の女は、烏羽玉先生に未練があるらしかった。異世界をホログラムで見回りしていたところ、謎の女に鉢合わせしてしまったという。
『私の事、本当に覚えてないの?』
謎の女の台詞に、烏羽玉先生はため息を吐いた。
烏羽玉先生によると、知っている女性に謎の女はいなかったらしい。
だから、烏羽玉先生はキッパリとはねつけた。
『全然知りませんね。貴方のような陰湿な人は私の周辺に居ませんでしたし』
『……』
『いい加減、私の異世界を壊すのは止めて頂けませんか?』
流石にお願いする態度ではなかったようだ。謎の女は目を閉じたまま笑んだ口元から怒りを吐き出した。
『フッ……!』
そして、カッと開眼すると、烏羽玉に人差し指を突き付けた。
『烏羽玉! 私を思い出さなかったことを後悔させてやる!』
『ええっ!?』
『お前の異世界を十八禁にして、『小説家になろう』にアップできないようにしてやる! 覚えていろッッッ!』
『ええええっ!?』
子供の喧嘩か……!
芽々は、頭痛を覚えながら、烏羽玉先生の話を聞いていた。
『……というわけで、私の異世界は『ムーンライトノベルズ』行きになるかもしれませんねぇ……』
「ふーん……」
『まあ、私はそれでも一向に構わないんですけどねぇ……』
「良いならいいんじゃない?」
芽々は他人事のように返事をした。聞いている間も芽々は棚から魔法薬のビンを降ろしていた。
『……芽々さんも十八禁にならないように気を付けてくださいね?』
「は、ハァ!? 芽々さんも十八禁にならないようにって私も気をつけなきゃいけないの!?」
「はい! この異世界に来ているのは芽々さんだけですからね。おそらく、芽々さんがターゲットになるかも……」
芽々は、魔法薬のビンを滑って落としそうになった。
ま、まじか!
「気をつけろって、どうやって!?」
『男性キャラに襲われないようにしてくださいってことです。まあ、芽々さんの望みどおりでいいかもしれませんけどね~あはは!』
烏羽玉先生は暢気そうに笑っている。
確かに、異世界に来る前はイケメンと恋愛したいと言った。でも、異世界に来てからは例えイケメンでも襲ってほしいとは思っていない。異世界がゲームだとは思えなくなってきているからだ。
「私はそんなこと望んでないけど!?」
暢気な烏羽玉先生の台詞を追うように、芽々は慌てて付け足した。
けれど、烏羽玉先生は聞き上手な近所の奥さんのように手をパタパタさせた。
『またまた~! そんなこと言っちゃって~! では、また~!』
「ハァア!? ちょっと待っ……!」
追いすがる芽々を残して、烏羽玉先生のホログラムはパッと消えた。
絶望感だけが残っている。まるで、複数の野犬に囲まれている生肉のような気分だ。
「芽々~、ちょっといいか?」
芽々は普段通りのエルヴィンの声なのにビクッと飛び上がった。
「な、何、エルヴィン!?」
芽々は胸元で手を交差して後ずさった。結果的に棚にぶち当たって魔法薬のビンを倒しそうになり、慌てて抑える羽目になった。
エルヴィンが、ジト目で芽々に視線を注いでいる。
「な、なんだよ。その、変質者を見るような態度は……」
「いや、あの……」
慌てる芽々だったが、エルヴィンの態度は普段と全然変わらなかった。
「手が空いていたら調合を手伝ってくれ」
「う、うん、分かった!」
芽々はことのほか安堵して、普段通りのお薬の調合に励むのだった。