第五話 倒れたエルヴィン
「う……? あれ? 私!?」
妙な明るさが目に染みて、芽々はまぶたを微かに開いた。
窓から太陽の光が入ってきている。いつの間にか、朝になっていたようだ。
ここは確か、不磨の森の出口にあるエルヴィンのラボラトリーだったか。
気がつくと、ベッドに布団をかけられて芽々は横たわっていた。慌てて起きると、妙に頭がすっきりしている。
「そうだ、私、気分が悪くて倒れたんだっけ……?」
昨日からしていた寒気が気のせいではなかったのだ。倒れたのは食事の最中だった。美味しそうな料理だったのにやけに味気ないと違和感を感じていたら、熱のせいで舌の感覚が鈍っていたようだ。あんなヒドい待遇でもてなしたエルヴィンだったが、芽々が倒れた時は大慌てだった。そして、慌ただしい一夜が過ぎた。
現在、何事もなかったようにエルヴィンは平然としている。そして、魔法薬の錠剤の入った小ビンを戸棚に戻しながらエルヴィンは話す。
「倒れたのは流感だったからだ」
「流感……? えっと、流感ってインフルエンザのことだっけ?」
「ああ、そうだ。高熱が出てヤバかったんで、俺が不磨の森に材料を取りに行って、お前の症状に合う魔法薬を作って飲ませた。流石、俺の作った薬、良く効くな」
エルヴィンは、ニヤリと芽々に笑みを向けた。
「っ!」
調合師の暴力男エルヴィンの印象が、芽々の中で一八〇度変わった瞬間だった。
「あ、ありがと! あの寒気はインフルエンザだったんだね。あんたが、ヤバい男とは思えないね!」
「……ヤバい男とは心外だ」
「良い人だったってことだよ!」
エルヴィンは振り向いて微笑んだ。エルヴィンの頬が赤い……? もしかして、柄にもなく照れてるのだろうか。
「そういえば、お前、名前なんだっけ?」
「芽々だよ」
エルヴィンの名前しか知らないので、芽々も自分の名前だけを教えた。
「メメか。羊の鳴き声みたいだな」
羊か。羊はまあ可愛いから良いけど?
「私の名前はね~、芽が出るようにって両親がつけてくれたのよ! それでも、芽が出なかったらいけないから、繰り返してダメ押しして、芽を無理にでも出そうという素晴らしい両親の執念が込められた名前だよ! 良い名前でしょ!」
芽々がふんぞり返ると、エルヴィンが「クックック」と、笑っていた。
「芽々……?」
気がつくとエルヴィンが、芽々の座っているベッドの近くまで来ていた。
「えっ……?」
「芽々……」
「うぇ!?」
なんだ? この、エルヴィンの熱視線は! 熱を帯びたまなざしは!?
「はっ!?」
そう言えば、このラボラトリーには私とエルヴィンの二人きり!?
しかも、私はベッドの上!?
「芽々……っ!」
「わ、私、そんな気は全然ないんで!」
芽々が腕でバツ印を作っているのに、エルヴィンは私の方に迫ってきた。
「っ!?」
「うぐぅ……!」
「あ、あれ……?」
「夜の不磨の森に入ったから……瘴気を吸い込みすぎて持病が悪化したみたいだ……」
エルヴィンは、ガクッと倒れてしまった。
「はぁ!? なんだ、さっきの無駄な熱視線は! ちょっとしっかりして!」
エルヴィンは真っ青な顔になっている。ついに、彼は何も答えなくなってしまった。
ちょっと待てよ……?
夜の不磨の森に入ったのは、私の薬の材料を取りに行ったから……!?
「ちょ、ちょっと! これって、もしかして私のせい!?」
薬棚の薬なんてどれなのか見当もつかないし、それどころか、魔法薬の作り方すら知らない。しかも、ここは辺鄙なところだから、助けを呼ぶにも呼べない。
「ちょっと待ってよ! これがゲームだったら、バッドエンドだよ……!」
芽々は、薬の棚を注視しながら見渡した。
そしてぼんやりと、昨日の事を思い出していた。
昨日、エルヴィンにヤバいの色々飲まされたっけなぁ……。フッ。
「こうなったら、薬棚の薬を全部試しにエルヴィンに飲ますかな! 全部飲ませたら、どれかに当たりがあるでしょ!」
エルヴィンの魔法薬の全部が健康に良かったら問題ないはずだ。芽々はベッドから降りて、薬棚の前に立った。薬棚に手を伸ばそうとすると、どこからともなく声がかかる。
『コラコラ、ダメですよ! そんなことをしても絶対に良くならないし、ガーディアンに捕まるだけですよ!』
芽々の怪しい笑みが驚愕で消えた。
敵襲かと思ったら、良く知った顔だった。
「烏羽玉先生!?」
上半身だけの烏羽玉先生のホログラムが、宙にぷかぷかと浮いていたのだ。
彼は、芽々を異世界に送り込んだ張本人、心療内科の烏羽玉先生だ。
『こんにちは、烏丸さん。異世界の居心地はどうですか~?』
「あんたね! 超最悪だよ!」
『おかしいですね……? 貴方の言う、強靭な肉体になる魔法薬を与えたのに?』
「どこが強靭な肉体だよ! エルヴィンに不意打ち食らって気絶したし、インフルエンザにも見事にかかったわ!」
『まあ、あれは試験薬ですからね』
「変な薬飲ませんな!」
烏羽玉先生は楽しそうにクスクスと笑っていた。
その笑みが怖いわ!
『実は、鳥丸さんが喜ぶと思って、異世界の物語である『天才調合師の魔法薬!』の中に送り込んだのですよ~。芽々さんはこの物語の主人公であり、プレイヤーです』
おお! 夢に見た展開だ!
「でも、聞いたことのない物語みたいだけど。『天才調合師の魔法薬?』なんかのゲームなの?」
『ゲームではありません。これは、調合系の小説を再現した異世界です』
「調合系の小説? ええと……? 調合系ゲームのノベライズかな?」
『全然違います!』
烏羽玉先生は、興奮している。事務的な笑みしか知らなかったから、芽々は意外な一面を発見したような新鮮な気分になっていた。
「私は全然知らないけど……?」
芽々は首を傾げた。
芽々は考えを巡らして、今度は反対側に首を傾げた。
「やっぱり、知らないなぁ? 誰が書いたの?」
『私です!』
「はい……?」
『私が、一年前に書き上げた小説です! 今度、作家になるために『小説家になろう』に投稿しようと思ってます!』
「分かるわけないよねッッッ!」
シメたろか!
「よッッッく分かった! あんたの『天才調合師の魔法薬!』っていう超厄介な異世界の中に、私を転生させたことが!」
『まあまあ、私が創造主だってことがよく分かったでしょう? 心療内科医の生業の傍らたまに患者さんを私の異世界に転生させて楽しんでいるのですよ』
「帰ったら覚えとけ」
『まあまあ、せっかくだから、遊んで行ってください。イケメンもいろいろご用意しておりますよ~!』
イケメンも……? いろいろご用意……?
芽々は気を取り直すように、コホン……と咳払いした。
「まあ、いいか。それで、私はエルヴィンを助けるためにどうすればいいの?」
芽々は、怒りをすっかり忘れて、烏羽玉先生に解決策を尋ねた。
にっこりと微笑んで烏羽玉先生はこう答えた。
『私が、異世界のこの物語を、ナビゲーションして差し上げますよ』
かくして、烏丸芽々が主人公の、異世界の『天才調合師の魔法薬!』の物語が始まりを告げたのだった。