第三話 茨姫病(いばらひめびょう)とノーア社長の災難
あれから、数日が経過した。
いつもと同じく朝食を食べ終えた芽々は、ラボラトリーと一繋がりになっている店内の方に歩いてきてカーテンを開ける。店のドアを開いて、『OPEN』の札をひっくり返す。
「芽々!」
「エルヴィン、何?」
エルヴィンは、新聞を片手に駆け込んできた。どうやら、今朝の朝刊らしい。
何かあったのかな?
芽々は目をぱちくりさせた。芽々の隣に立ったエルヴィンが、新聞を指で叩いた。
「王都ファンティアが大変なことになってるらしい!」
「大変なこと?」
こないだより大変なことってないと思うんだけどな……!
しかし、芽々は事件を侮っていた。
「新聞を見てくれ」
エルヴィンは、新聞を寄越してきた。芽々が記事を探していると、エルヴィンが新聞の一面の記事を指差した。芽々は読み上げる。
「ええと、何々……? 『先日から、『茨姫病』で王都ファンティアは大混乱になっている』……?』
なんだ? 茨姫って……? グリム童話か……?
芽々が読み上げた記事に、エルヴィンが相槌を打った。
「ああ、幸いなことに茨姫病が流行っているのはこっちの方じゃないらしいがな」
「確かにこっちの方だったら、お客さんが押し寄せて大変なことになっているよね……!」
芽々は頷いて、新聞の記事を続けて読む。
「……『最初に茨姫病にかかった荷馬車屋の従業員は、不磨の森で茨のトゲで怪我をしたのが感染の原因ようだったと関係者は語る』……って、荷馬車屋の従業員さんが!?」
荷馬車屋さんも災難だな……。
「茨姫病って言うのは、恐ろしい眠りの病なんだ」
真剣な顔をしてエルヴィンが喋り出したので、芽々は新聞を持ち上げていた手を降ろした。
「ふーん、眠りの病……? そんなに、ヒドイ病気に思えないような。眠るだけなら不眠症の人は助かるんじゃないのかな?」
「いや、そんな生易しいものじゃない。俺が生まれる大昔に流行って王都は大混乱になったらしい。なんでも――」
芽々は、喉をゴクリと鳴らした。怪談話をしているような怖さがある。
その時、店のドアチャイムが恐ろしいタイミングで鳴ったので、芽々は飛び上がった。
「いっ! いらっしゃいませ~って、ノーアさん!?」
噂をすれば影だ。ノーア社長が材料を抱えた従業員とともに入ってきた。
「ご苦労様です! いつも材料をありがとうございます!」
芽々の手にノーア社長の視線が留まった。
「芽々さんは新聞を持っておられるようだが、読まれたのかな?」
心配していたノーアは意外と元気そうだった。
「はい、読みました。ノーアさんのところが大変みたいですけど……」
「ああ! 大変なんだよ~! 荷馬車屋の存続の危機だあああ!」
ノーア社長が、ミュージカル調で芽々に迫ってきたので、エルヴィンが片手で肩を掴んで彼を止めた。
おおっ! エルヴィンって力が強い! 頼りになる~!
芽々は、エルヴィンを尊敬の目で見た。
「……どういうことです?」
エルヴィンが引きつった笑顔で訊いた。
「どうもこうもない! ご存じのとおり、荷馬車屋の従業員が最初に茨姫病にかかってしまったと新聞に出てしまっただろう? 感染を広げたと苦情の手紙が山ほど来るわ、苦情を言う者が荷馬車屋に押しかけて来るわ、しかも不磨の森は茨が生えているので材料を取る範囲が縮小されるわで、大変な状況なんだ!」
「は、はぁ。それは、大変そうですね……」と、気圧されながら芽々は返事した。
「芽々さんも他人事じゃないからね! 荷馬車屋が潰れたら、材料をタダで使えなくなるけど良いのかな?」
「そ、それは困ります……!」
「……それで、こんな大変な時にノーアさんは会社を抜け出してきて大丈夫なんですか?」と、エルヴィン。
「ああ。今日は君たちにお願いがあってね! 部下に言って、大昔に茨姫病が流行った時に活躍した調合レシピを探し出してもらった。二種類あるんだが、これを芽々さんとエルヴィン君にお願いしたい」
「あ、なんだ~。茨姫病には特効薬の調合レシピがあるんじゃないか~!」
心配して損した。
こないだみたいなことにはならなさそうだ。
良かった、良かった。
芽々は安堵して、ノーアの持ってきた二つの調合レシピを受け取った。
ふむふむ、なになに……?
「『茨姫病の特効薬の調合レシピA』と『茨姫病の特効薬の調合レシピB』かぁ、ふむふむ!」
「茨姫病にかかると、茨が地面から感染者を取り囲むように生えてきて、物語のお姫様のように眠りについてしまう。しかも、この特効薬を茨に散布しないと、茨は周りの者を襲い、皮膚に傷をつけて感染を広げて行くという恐ろしい病なんだ!」
「な、何なんだ!? そのモンスターみたいな病気は!? 可愛いのは名前だけなのか!?」
「そういうことだ。是非とも、この『茨姫病の特効薬の調合レシピA、B』を使って特効薬を作ってくれ!」
「あ、はい!」
「その材料は、たっぷりおいておくからね! 勿論、無料だ!」
おお! タダで材料ゲットォ!
従業員が、材料を運び込んでいるので芽々も手伝う。材料はラボラトリーの隅に山積みになった。
結構たくさんあるなぁ。
そうだ! ノーア社長の分を作って余ったらお店で売っちゃお! へっへっへ!
「じゃあ、頼んだよ!」
「はい! 任せてください!」
芽々はドンと胸を叩いて、しっかりと返事をした。
ノーア社長たちは、芽々の良い返事を気持ち良さそうに聞いて、安心したように帰って行った。
「コラ、芽々」
「……!?」
振り返って吃驚した。
エルヴィンが、ジト目でこちらを見ていた。いつの間にか彼の手には、ノーア社長が持ってきた調合レシピが二枚ある。
「……芽々、そんなに安請け合いして大丈夫なのか?」
「な、なんで?」
エルヴィンが、引きつった顔をしてこちらを見ている。
な、なんか、嫌な予感が――。
「この調合レシピ、どれも『成功率一パーセント』なんだが……」
「ええっ!?」
芽々は、目を皿のようにして調合レシピを見た。
確かに、二枚とも『成功率一パーセント』と書かれている。
し、しまったぁ……! そんな、カラクリが……!
ノーア社長にはめられた格好となってしまった。
道理で、材料を沢山おいていくわけだ。失敗しても良いようにってことだったのか!
芽々は、上目使いでエルヴィンを祈るように見た。
「て、天才調合師のエルヴィンさんでもどうにもなりませんか……?」
エルヴィンはにっこりと満面の微笑になった。
「ああ。成功率一パーセントなんて、俺でもめったにできない」
「そ、そんな……!?」
「この分だと荷馬車屋が潰れたら、確実に俺たちのせいになるな」
「はぁっ!? わ、私たちのせい!?」
そんな! 『成功率一パーセント』って、どうしたらいいんだぁ……!?