第十話 ラブレターの差出人2
クリストファー王子が快復したことは、すぐに宮殿の端々まで伝わった。そして、ドロップ宮殿ではお祭り騒ぎになっていた。
芽々は、楽しそうに走っていく侍女たちとすれ違って笑顔になった。
芽々は、ドロップ宮殿のラボラトリーにやってきたブランダ先生に代役をすっかり任せたのだ。勿論、芽々が解毒剤を作ったことは内緒にしてもらっている。
「良かった、うまく行ったみたい!」
『ですね……!』
烏羽玉先生はお疲れ気味だ。
医師としての仕事と、この異世界の創造主……! 半端なく疲れるだろうな……!
「そろそろ帰ろうかな……! エルヴィンも心配していると思うし~」
芽々は、烏羽玉先生が疲れているので、早々に切り上げるつもりだった。
しかし、間の悪いことに向こうから侍女が走ってきた。
「失礼ですが、芽々さん……ですよね?」
「え、あ、はい」
「クルーエル大臣がお呼びです」
芽々は、素直に答えてしまったことを後悔した。
クルーエル大臣が一体何の用だろう……って、ことは!
ええっ!? もしかして、もうバレたの!?
芽々は、ハラハラしながら侍女の後をついて行った。
クルーエル大臣の部屋は知っていると断ったのだが、それでも案内すると言い張って、侍女は聞かなかった。おそらく、クルーエル大臣に逃がさないように連れて来いと命令を受けているのだろう。遁走しても良いが、この侍女が罰を受けると考えてしまうと寝覚めが悪い。しぶしぶ、芽々は侍女の後に付き従った。
侍女が扉を開けて、芽々を中に促した。金色の絨毯をもったいなく踏みながら、芽々は中に進んでいく。
顔を上げると、部屋の中ほどでクルーエル大臣が突っ立っていた。そして、悠々と金色のカップに口をつけていた。カップの中の香ばしい香りはコーヒーのような嗜好品だろうか。
「芽々さん、ようこそ。お元気でしたか?」
慮るようなセリフは、とても芽々を殺そうとしていたセリフには思えない。
この扱い――私の事を舐め腐っているんだろうか!
だんだんと怒りがこみあげてきた。
「クルーエル大臣! 言いたいことがあります!」
気がつくと、理性よりも先に芽々の口が動いていた。
クルーエル大臣は、余裕綽々でフッと笑った。
「……なにかな?」
「私に嘘をつきましたよね!」
「……何のことかな?」
すっとぼけるのは、分かっていたけど! でも、言わなきゃ気が済まない!
「あの虹色の長命薬をクリストファー様がお飲みになったら、大変なことになるところだったそうじゃないですか!」
クルーエル大臣は長いため息を吐きながら、テーブルの上に置かれたソーサーにカップを戻した。
「そのようだな。本当のところを言うと、あんなことを芽々さんに言ったことを後悔していてね。クリストファー様が倒れたのを芽々さんのせいにして貴方を始末してしまおうと思ったんだが、上手くいかなかったようだ」
「ッ!」
やっぱりか! やっぱり、私を始末するつもりだったのか!
「それに、何故かクリストファー様はご快復なさったそうだしな……何故かな?」
悔しいことに虚を衝かれて、芽々は容易く狼狽えてしまう。
「わ、私は何もしてませんよ! ご快復したのはクリストファー様に人徳があるからです!」
上手く誤魔化せたわけではなかった。
だが、クルーエル大臣はそれを問題視しなかった。
「……まあ、いいだろう。今回の事で、私は芽々さんの事を非常に見直した。こんなにできる女性だったのかとね」
殺されかかったのに手のひらを返されたって、そうですかって誰が言うか!
「褒めても何も出ませんから! それから、私はもう、毒薬は作りません! 私の事を殺そうとした時点で交渉決裂です!」
けれど、クルーエル大臣はそれならと嗤った。
「なら仕方がない。けれども、私が『エルヴィン君を人質に取っている』と言ったらどうする?」
「ッ!」
芽々は、心臓が止まるかと思った。舐め腐っていたのは自分の方だったと芽々は自覚した。クルーエル大臣に命を救われたことがあるので、甘く見ていたのだ。
「エルヴィンを返してよ!」
「返すかどうかは、今すぐにラボラトリーに帰って確かめてみたらどうだ?」
すぐさま、クルーエル大臣の部屋を飛び出した。ドロップ宮殿の前に停まっていた馬車に飛び乗った。そして、芽々は祈るような気持ちで、漆黒の帰路を耐え抜いたのだった。
★ ★ ★
寝静まった街にフクロウの鳴き声が遠くで聞こえた。
エルヴィンラボラトリーに着いたのは、深夜に及んでいた。けれど、ラボラトリーには温かな薄黄色の明かりが煌々とついていた。
「エルヴィン!」
祈るような気持ちで、もどかしいドアを開けた。すると、奥からエルヴィンが飛んできた。
「芽々、大丈夫だったか!? 心配したんだぞ!」
思わず、芽々は泣きそうだった。暖かい安堵の息が、口から漏れた。
よ、よかった……。クルーエル大臣には驚かされただけだったんだ……。
「う、うん。人違いだったみたい。それに、クリストファー様はお元気になられたから」
「そうか! 良かったな!」
「でも、ホッとしたらお腹すいたかも……」
そう言えば、晩御飯は何も食べてなかった……!
それでも、エルヴィンは笑顔だった。
「ご飯用意するから待ってろ?」
「う、うん!」
今日のエルヴィンは優しいなぁ。
ラボラトリーの心地よい空気が、私の体に染み込むようだ。今日の疲れが眠りを誘って、だんだんとまどろんできそうだ。
その時、店の方の玄関先で、馬のひづめの音がして止まった。ドアがノックされたので、芽々はギョッと現実に引き戻された。
「芽々さんに、速達です!」
芽々は、どぎまぎしながらドアを開ける。普通の郵便屋さんだった。けれど、深夜に来ると恐怖する。というか、普通は深夜に配達しないと思うのだが――。これは、普通じゃないのだろうか。
「ご、ご苦労様です……!」
受け取って、即座にドアに鍵をかけた。心臓が駆け足になっている。
エルヴィンは気付いていないらしい。キッチンから鼻歌交じりに何かを炒めている音がしている。
芽々は、手の中の一通の手紙に目を落とした。
差出人の名前がない。ということは――!
芽々は、嫌な予感を隠せずに、慌てて封筒を開封した。
文章は達筆だった。けれど、文面に嫌な言葉が澄ましていた。
『エルヴィン君が無事で良かったな』
やはり、クルーエル大臣からの『ラブレター』だった。芽々は続きを目で追った。
『しかし、私を売るようなまねをしたら、その時はエルヴィン君に飲ませた毒が効き始めるだろう』
エルヴィンに飲ませた毒だって!?
「えっ!? ど、どういうこと!?」
いつ、エルヴィンが毒を飲んだんだ!?
キッチンに目を馳せても、エルヴィンから楽しそうに料理をしている気配が伝わってくるのに。エルヴィンはあんなに元気なのに!
『何時飲んだのか、知りたいだろう? 私が、エルヴィン君の魔法薬の材料を用意した時に、毒を混ぜておいたのだ。毒が発動するか、それともしないままか。それは、芽々さんが決めればいい。二年間の猶予をあげよう。それまでに、『解毒剤の効かない毒』を作って、私に提出することだ。そうしたら、その毒と『エルヴィン君を助ける解毒剤』とを交換してあげよう』
これって、本当なの……?
でも、クルーエル大臣はやりかねない。
「烏羽玉先生! 何とかならないかな!」
思わず、芽々は虚空に助けを求めていた。呼ばれた異世界の創造主は、すぐにホログラムで現れた。
『う~ん……。残念ですが、その毒がどんなものか私にも分からないので、対処のしようがありません……』
「くっそ~」
ということは、謎の女の仕業ということか。
でも、それが虚言だということも考えられる。けれども、それが嘘でなかった場合には、エルヴィンが倒れてからでは対処ができない。
けれど、芽々は気丈にフンと鼻を鳴らした。
「でも、私は私でエルヴィンを助ける解毒剤を作ればいい事でしょ! クルーエル大臣の言いなりになりたくないし!」
まだ、二年間猶予があるんだし。なんとかなるでしょ!
『芽々さん、その意気ですよ! 応援してます!』
「うん、ありがとう!」
エルヴィンを守ってみせると、芽々は決意を新たにした。
そして、クルーエル大臣からの手紙は、ビリビリに破って始末したのだった。