第九話 鳥になる薬と烏羽玉先生の奥さんと狂言
芽々は、エルヴィンのラボラトリーに帰ってきていた。窓から見える王都ファンティアの街並みは夕日に染まっていた。
今日も一日が終わろうとしている。そして、芽々の気分も終わりかけていた。レジの隣の椅子に座って、ノーア社長と交わした契約書を手に途方に暮れていた。
千個の魔法薬を作ってノーア社長に期日までに納めなくてはならない。でないと、違約金を払わなくてはならなくなってしまった。
しかも、魔法薬の材料はドロップ宮殿でしか手に入らないような高価なモノだ。ノーア社長は言い値で魔法薬を買うと言ったが、そもそも材料が手に入らなければそれは作れない。
「どーすんだ、コレ!」
震えた手が契約書を丸めて捨てさせようとする。無論、そんなことできるはずもない。
ああっ、どうすればいいんだ!?
「芽々!」
予告なしに、エルヴィンの慌てたような大声が聞こえてきて、芽々は飛び上がった。
エルヴィンが店の方から足早に入ってきた。
「っ! エルヴィン、お、おおお、おかえりっ!」
吃驚したぁ! 口から心臓が飛び出すかと思った!
でも、いずれエルヴィンには事情を話さないといけないことだ。
「実は謝らなくちゃいけないことがあって!」
芽々がそう言うと、エルヴィンは見る見るうちに青ざめた。
「っ……! もしかして、クルーエル大臣の事か!?」
「えっ? クルーエル大臣……?」
なんで、そこでクルーエル大臣が出てくるんだろう?
訳が分からずに、芽々は目をぱちくりさせた。
「芽々は俺の為に、クルーエル大臣に身を売ったのか!?」
ええ~っ!? どこからそんな発想が出てくるんだぁ!?
驚きで芽々は目を瞬く。
「は、ハァ……? な、なんでそうなるの? 何が悲しゅうて、エルヴィンの為に私の大切な貞操を差し出さないといけないの?」
「……違うのか?」
「違うって~! 何を言ってるんだろうな、このエルヴィンさんはっ!」
芽々は手を腰に、笑い飛ばして見せた。
芽々の態度に安心したのか、エルヴィンの表情が緩んだ。
「なら良い。クルーエル大臣がこれからも芽々に世話になるって言ってたから、変な誤解をしてしまったようだな」
クッ……! そ、それは……!
クルーエル大臣のお世話するのは、本当ですがな……!
私は、クルーエル大臣の交換条件で、クリストファー王子を暗殺する毒薬を作らなくちゃならないからね! それをどうやって回避するか、思案に暮れているところだよ……!
でも、そんなことを馬鹿正直に言えない……!
「そ、それは、クルーエル大臣がエルヴィンにお世話になるから、私もってことじゃないかな~?」
「ふーん?」
あ、信用されてない。
目が海水浴の芽々を、エルヴィンが呆れたように笑っている。コイツ何か隠しているな、という探っている目だった。しかし、ひとまずエルヴィンは納得したようだ。
「まあ、いいか。話は変わるけどな、喜んでくれ! 俺は、王妃様に、国王様とクリストファー様の病気を治す魔法薬の研究を任されて、俺は王室付きの調合師になった!」
「えっ、クリストファー様の!?」
芽々の顔の筋肉が引きつった。
芽々はクリストファー王子を殺すための毒薬を作らなければならないというのに、エルヴィンはクリストファー王子の病気の特効薬を研究することになったのか。しかも、王室付きの調合師になったって……!
エルヴィンと芽々の立ち位置は見事に対立してしまった。
でも、それなら事情をエルヴィンに教えても、エルヴィンだけは処刑されずに助かるかも……!
いや、待てよ。
エルヴィンも特効薬製作を装って毒薬を作っていたと誤解されて処刑されるかも……!
やっぱり、相談できない!
芽々は、頭痛を覚えて頭を押さえた。
「芽々、どうした?」
「いや、なんでもないよ……!」
「……他にも任された調合師は沢山いるみたいだが、ドロップ宮殿でしか手に入らない材料で研究ができるのが嬉しいから、俺は喜んで引き受けた」
ん!? ドロップ宮殿でしか手に入らない材料で研究ができる!?
「それってホント!? なら、私も大丈夫かも!」
「何がだ?」
エルヴィンが半眼で笑っている。
何か隠していることがバレバレなのだろう。
芽々のアヤシイ百面相に呆れ返っている。
「実は、風邪薬の事で安くして利益がどうやったら出るかで悩んでいたんだけどね!」
「ほう?」
「一つ三〇〇ティア以下に材料費を抑えるとしたら、やっぱりタダで材料を手に入れるしかないないと思ったの。で、鳥になる薬を使って不磨の森に行けばいいかなって思ったんだけど、赤字になるからダメでしょ?」
「いや、良い考えだと思うぞ。鳥になる薬で材料を不磨の森から採ってくるのは妙案だな」
予想外の答えを返されて、芽々は驚いた。
「えっ!? で、でも、鳥になる薬は一ビン一億ティアもするんじゃ……!?」
「アレは、悪用されたくないから誰にも売りたくないんだ。だから、一億ティアって言う高額な値段を付けて誰にも売れないようにしているだけだ」
「えっ!? エルヴィンが『値段を付けた』!?」
「鳥になる薬は俺が特許を持っているって言わなかったか? つまり、俺が考案した魔法薬だ」
そういえば、出会ったばかりの頃にそんなことを言っていたような記憶が――!
「しかも、魔法薬のレシピは俺以外誰も知らない。だから、売りたい奴にだけ、俺が作って安く提供しているってわけだ。しかも、材料は不磨の森で採れる材料で賄えるから、タダみたいなもんだろ」
「え、ええ~!? だって、それを使ったら烏羽玉先生の奥さんが赤字になるからって……!」
「えっ……烏羽玉の奥さん?」
芽々は三度頷いた。
烏羽玉先生の奥さんは奥さんだ。彼女はそう名乗っていた。
『こんにちは! 芽々さん……!』
「あ、烏羽玉先生!」
急に声がしたと思ったら、正面にイケメンの上半身のホログラムが浮いていた。心療内科の烏羽玉先生だ。今日もこの創造主は元の世界から交信しているらしい。
『最近、多忙で異世界の方がおろそかになっていましてね!』
烏羽玉先生は、妙にせわしい。今日も多忙なんだろうか。
何故か、烏羽玉先生が妙に焦っている気がするのは私の気のせいか?
「また、お前か!」
エルヴィンは怒っている。
芽々はエルヴィンと烏羽玉が初対面ではないことに気づいた。
「エルヴィン、烏羽玉先生を知ってるの?」
「ああ、まあな」
『ところで、私の妻がどうとかって言ってませんでした?』
聴いてたのか! 悪趣味な!
芽々はジト目で頷いた。
「だから烏羽玉先生の奥さんは奥さんでしょ!」
『ちょっと待ってください? 私は、付き合っている人も居なければ、結婚もしてませんよ!』
ちょっと待て、このイケメン何って言った?
付き合っている人もいなくて、結婚もしてない?
ハァ!?
「ちょっと待てや! 最初と言ってることが違うよね! 奥さんと子供がいるって言ってたでしょ!」
『あれは、女避けのウソです』
ハァ!? う、ウソ~!?
あんなに笑顔でウソをつけるもんなの~!?
「じゃ、じゃあ……あの烏羽玉先生の奥さんを名乗っていた人は一体誰なの?」
もしかして、無関係の赤の他人に踊らされた……?
芽々は、めまいがしそうで、ふらりとよろけたのだった。