第十話 エルヴィンと烏羽玉先生の閑話休題2
『私が芽々さんを手助けしたのですよ』
そんなことをエルヴィンに教えてきたのは、初対面の若い男だった。短い黒髪に優しそうな黒い瞳。地味な異国風の服の上に白い衣をまとっている。この男の顔は整っているので女たちが群がりそうだと、自分の身に置き換えてエルヴィンは同情した。
しかし、目線を下げた後で、幽霊を見た時のようにエルヴィンはギョッとした。男の上半身だけが浮遊しているという異様な有様を目撃してしまったからだ。
ペイルアンテッドのような魔物だろうか。それが間違いだとすれば、魔法の類だろう。魔法だとすれば、珍しい特殊な部類に入る。
このエルヴィンがいる世界では、調合に魔力を使う。しかし、魔力というものは機械や武器を動かす原動力ぐらいにしかならない。魔法らしい力を使えた試しがないのだ。こんな高等魔法を機械や道具なしに使えるなら、ただ者じゃない。
危機感を覚えたエルヴィンは、自然と武術の構えを取っていた。転生の薬でなければ倒せないペイルアンテッドと、十時間に渡り延々と素手で戦い続けた経験がある。この男が奇怪な魔術を使用しなければ、勝てる自信はある。
しかし、この男は言葉を話せるのだ。
「何者だ、お前は!」
身構えて距離を取りながら、エルヴィンは尋ねた。
戦闘態勢のエルヴィンに対して、その男はあくまでも友好的に微笑んでいた。
『初めまして、エルヴィン。私は、この異世界を作った創造主の烏羽玉です。芽々さんを元の世界からこの異世界に連れてきた張本人です』
「は、はぁ……? 何だって!?」
とんでもない自己紹介に、エルヴィンは眉をひそめていた。
この男の台詞を反芻してみる。烏羽玉と名乗る男は、創造主だと自らを豪語したのか。しかも、芽々を異世界に連れてきた誘拐犯だと告白している。
変なのに関わってしまった。エルヴィンの頬を冷や汗が伝った。しかし烏羽玉は、エルヴィンの動揺をものともしてない。
『私と芽々さんは、この異世界でゲームをしているのです』
「は、はぁ? ゲームだって……?」
『そうです。私が創った『天才調合師の魔法薬!』と銘打った物語の中に、貴方たちは存在しているのです』
「なんだそれ……寝言を言っているのか……?」
エルヴィンは、精一杯馬鹿にした顔で笑い捨てようとした。しかし、うまくいかない。
それは、この男が断言していることに、妙に説得力があることをまざまざと感じ取っていたからだ。他の者がこれと同じセリフを吐いたとしても、嘘だと一笑に付すだろう。
しかし、この男が伝えていることが真実であると漠然と解ってしまった。何故かは分からない。万物の摂理がそうだと示しているような、妙な説得力があるのだ。本当にこの烏羽玉が神だというのか――?
『貴方は、馬鹿ではありません。私が創ったのですから。だから、本当の事が何か分かりますね』
烏羽玉に反抗できない苛立ちから緘黙を貫いていたが、エルヴィンはハッと我に返った。
この男がこの世界のすべてを知っているなら――。
「芽々は、どうしてあの魔法薬を持っているんだ? 簡単に手に入れられるもんじゃねぇだろ!」
『そうですね。芽々さんは、貴方を助けるために危険を冒しました。私の物語の主人公になってもらったのですよ』
「な、何だって!?」
烏羽玉の口には優越感が浮かんでいる。その笑みが烏羽玉の性格の全てを表しているようだった。
『エルヴィンにも、ゲームに参加してもらいますよ?』
「はぁ……? ゲームだって?」
『ええ、そうです』
エルヴィンは、眉間のしわを深くした。自分の人生をゲームなんかと一緒にしてほしくない。そう噛みつこうとしたが、何故か反論できない。
『問題です。芽々さんは貴方を助けるために、一つ危険を冒しました。それは一体なんだったでしょう? 貴方は、芽々さんを助けることができるでしょうか……?』
この男――! エルヴィンは歯噛みした。
やはり、芽々は危険を冒していた。しかも、自分を助けるために。
芽々を助けることができるかとこの男は自分に訊いた。それは、未だに芽々に危険が及んでいることを意味している。
「烏羽玉! お前、芽々の一体何なんだ!? 芽々をこんな危険な目に遭わすなんて!」
『芽々さんが望んだことですよ? 私は叶えて差し上げただけです』
「俺は、芽々が危険な目に遭うことは望んでいない!」
烏羽玉は、相も変わらない楽しそうな笑みを浮かべ続けている。
飄々としたこの男がいけ好かないと、エルヴィンは心の内で悪態をついた。
『だったら、芽々さんを一緒に助けてあげてくださいね? 芽々さんは調合師となってこの異世界で活躍することを望んでいるのですから』
「クッ……! ああ、分かってる! 言われなくても助けるさ……!」
ようやく烏羽玉は、にこやかに笑っていた両目をすうっと開いた。深くて呑みこまれそうな黒い眼が冷え冷えとしている。
『……あと、私は芽々さんの何かと仰っていましたね? 私は、芽々さんの心療内科の担当医ですよ』
「え? しんり……なんだって?」
エルヴィンは、聞き慣れない名前に戸惑っていた。
芽々と烏羽玉は、この世界に遊びに来た別の世界の住人なのだろうか。
本当に……?
『では、頑張って芽々さんを助けてくださいね!』
「待っ……!」
エルヴィンが声をかけて阻止しようとしたが、烏羽玉は忽然と姿を消してしまった。
「チッ! 逃げやがった!」
現実が戻ってきたような静かな気配が、部屋の中に広がっている。遮光カーテンの隙間から光が漏れ、朝を知らせる鳥たちのさえずりが聞こえる。
「もう、朝か……」
何も変哲もない普段の日常が、朝を迎えようとしていた。
部屋の照明のスイッチを切る。カーテンを開けようとしたが、ぐっすりと寝入っている人物の顔が脳裏をよぎり、思いとどまる。
エルヴィンはベッドの方を振り向いた。
掛け布団に丸まって、非日常の権化が猫のようにぬくぬくとしている。
先ほどまで話題に上っていた芽々は、何も気づかずにいきなり寝言で笑い出した。
「むふ……むふふふ……!」
今頃、ひとりで夢の中で芽々は幸せになっているのだろうか。
「幸せな奴……!」
今までの事を忘れて、エルヴィンは思わず吹き出してしまうのだった。
◆◇◆◇◆ 第一章完結! 第二章に続きます! ◆◇◆◇◆