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JJのイカレたプレゼント交換

――イカレているのか、あのパイロットは。


 戦場を舞う飛行機を見上げるジャン=ジャック=ジュラルダンが最初に抱いた感想は、その一言に尽きた。土台、空を飛ぼうなんて人間はどこかしらイカレているものだが、あれは今まで見てきた中でも飛び抜けていた。バカみたいに目立つ真っ赤な飛行機の尻尾だけを緑に塗って、翼には敵国の言葉でメリークリスマスと大書し、どちらから撃たれてもおかしくない無人地帯のど真ん中を悠然と低空飛行。


「おい、なんか落としたぞ」


「こっちに降ってくるぞ!」


 戦友たちの叫びがどこか遠い。ぼんやりとそのことを意識し、JJは自分が飛行機に見惚れていたことに、ようやく気付く。はっとしたその瞬間には、一抱えもある麻袋が目の前にあった。思わず受け止めるが、一瞬遅れて頭に覆いかぶさってきた分厚い布に驚いてよろめいてしまった。


「おわっ、なんだこりゃ」


「安心しろ、パラシュートだ。待ってろ、いまどけてやる」


 ヴァンサンの声。分厚く重たい布がばさりと取り払われる。周囲にはいつの間にか兵隊たちが集まってきている。どうやら、皆があの真っ赤な飛行機から落下する袋を見てプレゼントを想起したらしい。興味と期待の視線が突き刺さり、袋へ目を落とす。そこには、なぜかドイツ語らしき言葉が記されていた。空を見上げると、飛行機は旋回してドイツ側へと飛び去ろうとしていた。向こうにもプレゼントを落としてくるつもりだろうか。


「こりゃドイツ語か? おい、読めるかヴァンサン」


「どれ、見せてみろ。ええと、『今日この日だけは愛すべき、ドイツの兵士たちへ』だとさ」


「はあ? ドイツ? 俺たちじゃなくて」


「ああ、間違いない」


「じゃあなんだ、この……」中を覗きこめば、そこには酒が入っているらしきスキットルや煙草、チョコレートなどが詰め込まれている。「プレゼントは、ドイツ兵にやれってか?」


「ううむ……そう、なのだろうか……」


「それ以外にどう解釈しろってんだよ」


「だが、なぜ? ドイツ兵へのプレゼントなら直接渡せばいいだろうに」


「知るかよ、セント・ニコラス本人に聞け」


「もう行っちまったよ」


 見上げれば、のんきに翼を振りながら基地へと戻っていく飛行機の姿があった。


「わけわかんないことしやがって……ちくしょう、のこのこと無人地帯を横切って渡しに行こうもんなら狙い撃たれるのがオチだぜ」


 飛行機のエンジン音が遠くなるにつれ、戦場には静寂が満ちる。そのとき、もしかしたら、と思いついた。その考えを確かめるべく、JJはヴァンサンの制止を振り切って塹壕のふちからそっと頭を出す。すると、数百メートル先のドイツ兵と目が合った。おそらく、こいつだ。根拠はないがそう感じて、JJは右手に持った麻袋を上に掲げた。すると、相手も同じように麻袋を掲げて見せる。


「やっぱりだ」


 塹壕の中に滑り降りて、JJは呟く。


「どうした? なにが見えた?」


「ああ、ドイツ兵だよ。向こうもやっぱり麻袋を持ってた。俺の考えだが、おそらく、向こうの袋には『フランス兵へ』って書いてあるんじゃないかな」


「つまり?」


「はは、笑えてくるぜ! 交換しろってことだよ、戦友!」


 なんとも頓狂な趣向だ、とJJは笑う。戦場で、つい今しがたまで命の取り合いをしていた相手とクリスマスのプレゼント交換をしろと言うのだ、あのイカレた飛行機乗りは。しかし空を飛べないJJたちが相手へプレゼントを届けるには、無人地帯を抜けて歩くほかない。全員で攻勢をかけるわけでもないのに出ていけば、それは自殺行為以外の何物でもなかった。少なくとも、今までは。


「けど、なあ?」あえて口元に余裕を張り付けて、ぐるりと周囲を見渡す。「ドイツ兵へ、なんて書いてあるものを俺たちが分けちまったら、そいつは泥棒ってもんだ。そいつは立派な人間、誇りあるフランスの軍人がやることじゃない。そうは思わないか、戦友たち?」


 周囲の反応は芳しくない。言っていることは分かる、だがどうする? 俺は無人地帯を抜けてプレゼントを届けに行くなんて御免だぞ。そんな顔だ。わかっている。だからJJは言葉を継ぐ。理性はバカか止めろと叫び、足には震えがきていたが、口はなぜか普段以上に滑らかに動いた。


「なあ、思い出してみろよ戦友たち。俺たちはあの飛行機を撃たなかった。ま、友軍の機体なんだから当然っちゃ当然だ。けど、ジャガイモ野郎どもに取っちゃどうだ? 奴らにとっては敵機のはずなのに、撃たれなかっただろ? なぜだ? なぜ奴らは撃たなかった?」


「セント・ニコラスだったから、か?」ヴァンサンが答える。


「そうだ、セント・ニコラスだったからだ! やつがプレゼントを届けにきたからだ! 当たり前だ、酒に煙草にチョコレート、こんなもんを届けに来たやつを歓迎しないわけがねえ! ところがだ!」


 全員の注目が、JJの掲げた麻袋に集まる。


「こいつを見ろ。ヴァンサンによれば、ここには『今日この日だけは愛すべき、ドイツの兵士たちへ』とある! そう、今日は何の日だ?」


「クリスマスだ!」どこからか上がった兵隊の叫び。


「そうだクリスマスだ! こんな日に敵も味方もあるか? 向こうの塹壕にいるのは誰だ?」


「愛すべきジャガイモ野郎どもだ!」


また別の兵が拳を突き上げて叫ぶ。同時にさざなみめいた笑いも起きる。

いいぞ、その調子だ。JJは腕を振り回し、演説に力を込める。


「こいつはセント・ニコラスがドイツ兵へ贈ったプレゼントだ! こいつがなきゃジャガイモ野郎どもはかわいそうにプレゼントにはありつけず、真っ黒なカイザル髭を涙に濡らして眠る羽目になる! そりゃいくらなんでも酷ってもんだ、我らがセント・ニコラスはそんなこと望んじゃいねえ! なあ、そう思うだろう、戦友!」


「そうだ、そうだ!」


もうためらう者はいなかった。皆が拳を突き上げて叫ぶ。これで、後には退けなくなった。


「ってなわけで、いってくるぜ」


「JJ」


「止めるなよ、ヴァンサン」


「せめて、これを持っていけ」


 ヴァンサンが手渡してくれたのは、白いスカーフだった。白旗代わりにちょうどいい。


「行ってこい!」「帰ってこいよ」「プレゼント待ってるぜ!」


 兵たちは口々に言って、JJの肩や背中を叩く。それに押されて、JJは塹壕をよじのぼった。右手で麻袋を担ぎ、左手ではスカーフを振り回して非武装であることを示す。冷や汗の出るような一瞬。だが、弾はどこからも飛んでこなかった。そして、ちょうど図ったようにドイツ側の塹壕から姿を現した底抜けのバカ野郎がもう一人。そいつもまた、大きな麻袋と白いスカーフを手にしていた。向こうでも同じような話し合いが行われたのかと思うと、口元がにやつくのを止められなかった。


「あー、なんて言うんだったか」


 飛行機乗りが最後に叫んでいた言葉を思い出す。


「フローエ ヴァイナハテン!」


「ジョワイユ ノエル!」


 JJがうろ覚えのドイツ語で発するのと、立派なカイザル髭を生やして泥だらけのトレンチコートをその身にまとった相手が下手くそなフランス語で叫んだのはほぼ同時だった。そのあまりのタイミングの良さに、二人して吹き出してしまう。ともかく、お互いに敵意が無いことは確認されたわけだ。相手がゆっくりと歩き出すのを確認し、JJもまた歩を進めた。


「おっと危ねえ」


 足元に転がった不発弾を踏みそうになって、慌ててよける。無人地帯はクレーターだらけで歩きにくく、見れば相手もおっかなびっくり地面を見ながら歩いている。右に左にと迂回しながら少しずつ歩み寄る姿は、傍から見ればさぞかしこっけいなことだろう。しかし塹壕の向かいの壁に遮られないこの視界の広さはどうだ。多くの兵が長いこと味わえずにいるこの開放感を、自分とあのカイザル髭のドイツ兵だけが味わっているのだと思うと、なんとも快い。


「ジョワイユ ノエル!」


「フローエ ヴァイナハテン!」


 十歩の距離まできて、今度はお互いに自国語で言い合う。言葉を交わすのはもちろん、相手の表情もしっかり読み取れる距離だ。考えてみれば、生きたドイツ兵と対等な立場でじっくり向かい合うのは初めてだった。相手もきっとそうだろう。敵、なのだとは、不思議と思えなかった。よくよく観察すると、厳めしいカイザル髭が言葉を発する度にひょこひょこ動くのもユーモラスだった。


「プレゼントを届けに来たぜ」


 言葉は通じないだろうが、麻袋を掲げると意図するところは分かったらしい。相手も麻袋を掲げ、お前たちにだ、とでも言いたいのか麻袋の文字を指差した。そこには『愛すべきフランスの兵士たちへ』とある。思った通りだった。さらに歩み寄り、手を伸ばせば届きそうな位置まで近寄って、もう必要ないだろうとスカーフをポケットに突っ込む。


「フローエ ヴァイナハテン!」


「ジョワイユ ノエル!」


 お互いにそれしか知らないのだろう言葉を再び口にして、プレゼントを差し出す。相手のプレゼントも受け取って、ふと後ろを振り返ると、ヴァンサンを始めとしたフランス兵たちが固唾を飲んで見守っているのが見えた。手を振ってやると、ほっとした様子で振り返してくる。


「フランツマン?」


「なんだ、ドイツ野郎」


 後ろから声をかけられて振り返ると、そこには右手を差し出すドイツ兵の姿があった。


「握手か? ああ、いいだろうさ」


 応えて、ぐっと握手を交わす。にっと笑ってみせると、相手も笑った。紛れもない、そいつは人間だった。なんとなく嬉しくなり、そして無性に煙草が吸いたくなってポケットに手を突っ込んだところで、煙草を切らしていたことを思い出す。早速プレゼントから一箱出そうか。そう考えて視線を上げたところで、カイザル髭が差し出す煙草に気付いた。


「おお、すまねえな」


 受け取った煙草をくわえる。カイザル髭の方はすかさずマッチを取り出そうとするが、ポケットに手を突っ込んでごそごそやったかと思ったら、舌打ちしてなにやら毒づいている。どうやら奴の方はマッチを切らしているようだった。


「はは、じゃあおあいこだな」


 JJがマッチを取り出すと、相手はダンケ、と言って顔をほころばせる。これぐらいは知っている。ありがとう、だ。擦ったマッチをカイザル髭の加えた煙草に近づけ、残り火で自分の煙草にも火をつける。最初は軽く、次いで肺の奥まで煙を行き渡らせ、初めて吸うドイツの煙草をよく味わう。


「悪くないぜ」


 ドイツ人が何事か言う。似合わないウィンクから考えれば、そうだろう? とでも言っているのか。ああ、本当に、悪くない。塹壕の向かいの壁ではなく、遮るもの一つない空の下で風に吹かれながら吸う煙草が、こんなにも美味いものだったとは久しく忘れていた。考えてみればこの先こんなにも美味い煙草が吸える機会は滅多にあるものではない。この美味さを、カイザル髭と二人占めにするのはあまりにもったいない。そう思ったら、居ても立ってもいられなかった。


「おーい、戦友ども! セント・ニコラスからのプレゼントだぞ! 酒に煙草にチョコレート! 欲しいやつは銃の代わりに靴下持って出てきやがれ! 早く来ねえと全部配っちまうぞ!」


 袋を振り回し、JJは叫ぶ。効果はてきめんだった。顔を見合わせていた兵隊たちだったが、一人が恐る恐る姿を現せば、後は雪崩を打つような勢いで塹壕から這い出してくる。その顔はどれもがほころび、子供のように歓声を上げながら走ってくる者も多い。ちょうどそのとき、後ろでも同じくドイツ兵たちの歓声が沸き起こる。カイザル髭が仲間を呼んだのだろう。突撃のときに上げる喚声とは全く違う、平和で、そしてお互いに似たような歓声だった。




1914年12月25日、西部戦線の各地で局地的かつ自発的な停戦が成立した。後にクリスマス休戦と呼ばれるこの出来事は、数時間後に両軍の司令部から「敵軍との交流を中止せよ」との命令が届くまで続いたという。

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