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空飛ぶサンタより、兵士たちへ

 ニコラ=デュシェーヌは飛行機屋だ。


 最初からそうだったわけではない。きっかけは家業を継いで家具職人として働き始めて十年が経った、三十五歳のときだった。忘れもしない1908年8月8日、二コラはルマンの競馬場でライトフライヤーの飛行実験を目撃した。空飛ぶ乗り物と言えば熱気球だと信じていた二コラは、空気より重い乗り物が動力によって飛行する姿はそれまでの常識をひっくり返されたのだ。


「決めたぜ。俺は飛行機乗りになる」


 帰宅するなり妻子に宣言し、翌日にはライト兄弟の泊まるホテルへ押しかけた。そこで各国に飛行協がの存在することを知り、その足でフランス飛行協会へ向かって飛行免許を取りたいと申し出た。有り金をはたいて入手した中古の複葉機を相棒として飛行免許を取得したのは翌年のことだ。


「雇ってくれる先が見つかったぜ」


 夕食の場でそう切り出した二コラに、ようやく空を飛んで食っていくなどという馬鹿な夢から覚めて真面目に働いてくれる気になったかと嬉し涙を流した妻は、就職先での仕事というのがサーカス団の宣伝塔を兼ねた曲芸飛行だと知ると悲嘆の涙に頬を濡らしたものだ。


「父ちゃん、飛行機乗りになったの?」


「おうよ。ラ・マネージュ団の曲芸飛行機乗り『フランス親爺』二コラ・デュシェーヌとは俺のことよ」


「父ちゃん、かっこいい!」


「はっは、そうかよ」


 それから五年。型通りの決まりきったサーカスの演目に飽き飽きしていたところに、一発の銃弾がオーストリア皇太子の命を奪ったというニュースが飛び込んできたのだ。後は知っての通り、オーストリアとセルビアの間で始まった二国間戦争はそれぞれを支援あるいは同盟を結んだ各国を巻き込んだ大戦争へとあっという間に発展した。飛行機は偵察に連絡にとすぐさま活用され始め、徐々にではあるが戦争の道具としての重要性を増していった。ニコルが志願して軍に入ったのは、その矢先だった。


「ったくよ、空にまで戦争を持ち込むんじゃねぇってんだ!」


 すれ違うドイツの飛行機とのんきに敬礼を交わしていられたのは最初だけ。


 放置すれば自軍の位置を知らされ、敵が攻め寄せ砲弾が降り注ぎ、味方が死ぬ。そんな単純な事実が認識された時点で、飛行機は地上から狙い撃たれるようになった。それでも飛行機同士なら、なんて幻想も誰かが機上でピストルをぶっ放した時点でお終いだった。石やらレンガやら投げつけ合い、ピストルでやり合ってるうちはかわいいもので、無理矢理に据え付けた機銃で弾をばら撒いて敵を火だるまにするアホが現れるまでいくらもかからなかった。最近じゃいちいち狙いをつけて撃つんじゃ遅いってんで、機首に機関銃を組み込むなんて話も出ている。


「プロペラを通して撃つだあ? 技術屋の遊びに付き合って死ぬのは御免だぜ!」


 そんなことはない、同調装置を組み込むから絶対安全だ、などと言い募る技術屋に騙されて愛機に機関銃を取り付けた同僚もいたが、地上で試射したところ、機銃弾は見事にプロペラと同調して全ての羽根を吹っ飛ばした。技術者の一人などは回転しながら飛んでくるプロペラに巻き込まれて大怪我を負っていた。あれを見てなお自分の機体に機銃を付けようなんてバカは、少なくともうちの中隊にはいなかった。


 いつだったか、リュカとこんな話をしたのを覚えている。


「いいかリュカ。俺は飛行機を飛ばすために兵隊になったんだ。銃を撃つためじゃねえ」


「けどドイツ野郎に勝たなきゃ飛行機にだって乗れなくなるんですよ、おやっさん!」


「んなこたねえ。飛ぶ気がありゃいくらだって飛べるさ、若いの」


「どうやってです?」


「この戦争で優秀な飛行機乗りがバカスカ死んでる。試験飛行に曲芸飛行、郵便飛行に観覧飛行。優秀な飛行機乗りは引く手あまたよ」


「じゃあ、おやっさんはフランスが負けてドイツの属国になってもいいってのかい?」


「バカ野郎んなわけあるか! ……だがそうだな、そんときゃそんときだ。俺はなリュカ、飛行機が飛ばせりゃそれでいいのさ。見損なったか?」


「……俺は、ラ・マネージュで飛ぶおやっさんが好きだったんだよ」


「そうか、そりゃ悪かったな。だが俺は、飛びたいところで飛びたいように飛ぶ」


 子供なのだ、お互いに。飛行機という機械には、人を子供にしてしまう力がある。操縦する当人だけではない。飛行機を作る人間、整備する人間、地上から眺める人間、みんなそうだ。機上から眺めればよくわかる。大人は、ぽかんと口を開けた間抜けな表情で空を見上げたりしないものだ。基地から二十分余り、ニコラの機体は西部戦線の最前線へと到達していた。


「さあお待ちかね! 二コラおじさんによる華麗な曲技飛行を御目にかけよう!」


 戦場の空で、二コラは快哉を上げる。それが聞こえているのかいないのか、両軍の間に広がる無人地帯を舞台に見立てた曲技飛行に対して銃弾が放たれることはなかった。最悪、不審な機体として両軍から攻撃される可能性も考えていたが、まずは成功と言っていい。景気づけの宙返り。茶色の地面と灰色の空に、鮮やかな赤と緑がよく映えただろう。


「まずはご挨拶! 我が飛行隊の優秀なるメカニック、リュカの仕事ぶりをご覧あれ!」


 最初の宙返りで注目は集めた。いったん北へ抜けて旋回、操縦桿を右へ倒す。翼の上面はフランス軍へ、下面はドイツ軍へ向けて、無人地帯を横切るように翼を立てて飛ぶ。頭を上げてフランス軍の塹壕を見れば、頭を突き出して翼をじっと見つめる兵士たちの姿が見える。彼らがドイツの狙撃兵に頭を撃ち抜かれていないところを見ると、ドイツ兵たちも主翼下の文字に目を奪われているのだろう。


――Joyeux Noël!

――Frohe Weihnachten!


 両軍の兵士へ向けたメリークリスマス。主翼に記されたその言葉は確かに届いたはずだと二コラは信じる。読まれやすいよう、あえてゆっくりと戦場を横断したのに一発の銃弾も飛んでこなかったのがその証拠。戦場の誰もが愛機を注目する、この感覚。こそこそ飛ぶのが仕事の偵察飛行では長らく得られなかった興奮を覚える。


「そうだ、それでいい! 迫撃砲に怯えて見上げるんじゃねえ、俺様が美しく舞う空を観ろ!」


 軽く旋回、水平に戻すや操縦桿を引いて急上昇。すうっと上がったところで、スロットルを絞ってラダーを踏み込む。たちまち失速し、機首をふらりと倒してスピンに入る。そんなモラーヌ・ソルニエの姿に地上から悲鳴が上がる。フランス側の塹壕はもちろん、ドイツ側の塹壕からも、だ。


「サーカスにスリルはつきものだ」


 ぐるぐると回る視界の中、二コラは呟く。あと一秒待ったら引き起こせず、そのまま地面に激突する。そう確信した瞬間、ニコルは行動を開始する。操縦桿を、スロットルを、ラダーを細かく操作して機体を立て直す。


「しかし悲劇は必要ない。サーカスが求めるのは喜劇であり、英雄の生還なのだ――ってね!」


 高度10メートルで水平に戻す。並のパイロットならぎりぎりでも、二コラにとってはまだ少しだけ余裕がある。そんな高度だ。無事を示すために翼を振って見せると、地上からは喝采が沸き起こった。もう二コラを撃とうなどと思う兵士はこの場にいない。サーカスでも滅多になかった一人舞台を、その場の誰もが固唾を飲んで見つめている。


「それでは皆さまお待ちかね、プレゼントのお時間だ! 心配なさんな、セント・ニコラスはフランスの子供かドイツの子供かなんてちっせぇことは言わねぇさ!」


 操縦桿を引き付け、まずはフランス側の塹壕へと機首を巡らす。低空で向ってくる飛行機を見た兵士たちの反応は様々だ。ぽかんと見ている者、慌てて首をひっこめる者、先ほどのスピンのような余興の一つだろうと考えてはやし立てる者。二コラが目を付けたのは金髪碧眼、泥にまみれたパリジャンのなれの果てといった風情の若者だった。なんとなく、そいつが塹壕のムードメーカーなのだと思ったのだ。やつならきっと上手くやってくれる、そんな直感があった。


「ほうら、プレゼントだ! 受け取りな!」


 コクピットの足元、足と足の間に突っ込んであった大きな麻袋を引っ掴んで、機外に放り出す。リュカ手製の小さなパラシュートが開き、減速しつつ落下。狙いは過たず、若者は塹壕の中でたたらを踏みつつも麻袋を受け止める。中身は、ちょっとしたコネで手に入れた士官用の酒や煙草にチョコレートを、賭けと物々交換で倍ほどに増やしたものだ。全員にたっぷりとはいかずとも、百人の兵隊が今日を楽しく過ごせる程度の量は充分にある。


「みんなで仲良く分けろよ? 二コラおじさんとの約束だ、ホッホーウ!」


 投下したものの中身をなんとなく察したのだろう。上から見ていれば、落下地点に向かって兵たちがアリのように集まっていくのがよく分かる。かわいい奴らだ。さて、今度はドイツの子供たちにもプレゼントを届けに行かねばならない。フランス側にプレゼントが投下されるのを見て、彼らは心待ちにしているだろう。ひょっとしたら自分たちはもらえないのではないか、と不安に駆られているかも知れない。急いで届けてやらなければ。そう考えて、足元のプレゼントに目をやる。


「……ん?」


 違和感。それはあっという間に広がり、やっちまった、という後悔に変わる。二コラが目にしたのは、麻袋に記された『愛すべきフランスの兵士たちへ』という文字だった。だとすれば、と眼下に目を転じれば、そこには怪訝そうな顔で袋と飛行機を見比べるフランス兵の姿があった。そこにはこう記されているはずだった。


――今日この日だけは愛すべき、ドイツの兵士たちへ


 本来ならばドイツの塹壕に投下するはずだったプレゼント。それはもう二コラの手を離れ、フランス兵の手に渡ってしまった。もう取り返す術はない。砲弾の雨でクレーターだらけの地面からは再び飛び上れないからだ。かといって、こちらに残ったフランス兵用の麻袋まで投げてしまってはドイツ兵にやるものがなくなってしまう。


「ええい、ままよ!」


 操縦桿をぐっと倒して機首を翻す。無人地帯を抜けて向かう先はドイツ軍の塹壕だ。先にフランスの塹壕へ投下したのは爆弾かなにかと間違えられて撃たれないようにと思いついてのことだったが、最初はドイツの塹壕から先にプレゼントを落とすつもりで、そちらを上に置いて準備していたのをすっかり忘れていた。上から順番に投げる、とだけ頭にあったのが裏目に出てしまった。


「中身はどうせ同じだ! そうれ、フローエ ヴァイナハテン!」


 やけくそ気味にドイツ語でメリークリスマスを叫び、二コラは麻袋を投下する。流石にびくりとした様子のドイツ兵たちだったが、塹壕の側にふわりと落下したそれが爆発しないのを見て取ると、おそるおそる手を伸ばして塹壕の中に引きずり入れた。フランス語が読めなくても、中身を見ればクリスマスのプレゼントであるとの見当はつくだろう。


 さあ、帰投だ。おっと、その前に一言だけ。


「慈悲深きセント・ニコラスよ、全ての兵士たちに祝福を垂れたまえ! 老いも若きも、フランス人もドイツ人も、今日ばかりは楽しいクリスマスを楽しんでくれ! ジョワイユ ノエル! フローエ ヴァイナハテン! ホーホッホーゥ!」

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