14、文月7月 その2 恋と満と
暑い日の昼下がり。とある高級住宅街と呼ばれる地域のとある一角。そこに建てられている少し控えめ、だがとても美しい家のとある一部屋。そこで少女がうなだれていた。その脇に大量の書類を山積みにして。
「ねぇ、みっさん…」
恋は目の前のソファに座って読書をしている満に声をかける。
「もう終わってもいい気がするの…」
「それ終わらないと溜まっていく一方だぞ」
満は一言そう返すと、また本に視線を戻す。恋は頬を膨らませて、また書類と向き合う。そしてしばらくしてまた溜息。
「ねぇ、みっさん…」
「今度はなんだ」
「何の本読んでるの…?」
「アリストテレス」
「は…?」
満は一言返すとまた本に戻る。恋は呆然としつつ首をかしげる。
「はやく終わらせたらどうだ」
本から視線を上げないまま、恋を急かす満。恋は子どもっぽくむくれると、大きな机の上に突っ伏した。
「これ、今日のお休みなくなるじゃない…」
満は、そのつぶやきを聞かなかったことにして、また本のページをめくる。その時、扉をノックする控えめな音が聞こえた。満は本に栞を挟むと、本を置いて立ち上がる。そのまま扉を開けると、そこにいたのは恋によく似ているが少しだけ大人しめな印象の女性だった。
「あら、満君。恋ちゃんは、いる…わよね」
「あ、お姉ちゃん」
満の脇から部屋を覗き込んだ女性は、砂野琴。恋の姉だった。彼女は現在、服飾系の会社の社長兼主任デザイナーをしている。そんな彼女は、手に大量の紙束を持っていた。どうも来夏のデザインに関するものらしい。
「なんか…、忙しそうね…」
「テストとかで放っておいたらこうなっちゃったー…」
あきれたようにつぶやく琴に「えへへ」と語尾につけて返す恋。似ているようで似ていない姉妹だ。
「忙しいなら、頼むのやめとこうかしら」
「えっ、なになに?」
恋は琴の言葉に身を乗り出す。琴は、部屋に入るとソファに座った。満が、テーブルの上を片づけて、お茶を出した。恋も机からテーブルへ移動して、琴の向かいに座る。
「来年の浴衣の新作デザインのお話なのよ」
恋は興味深そうに聞いている。心なしか目がキラキラと輝いていた。そんな恋を見て、満は溜息をつく。
「恋ちゃんにお願いしようかと思っていたのだけど…ちょっと難しそうねぇ…」
「そんなことないよ! お姉ちゃんそれやりたい!」
そう言う恋を満が軽く小突く。そして溜息をついて一気にまくしたてる。
「お前これ、〆切がもう少しのものもあるのにまったく終わってないじゃないか。それなのにまた別の案件受けてちゃんと〆切に間に合うのかよ」
「もー…。そう言わないでよ…」
そんな二人のやりとりを見ながらニコニコしている琴。そんな琴に恋が気づいてまたむくれる。
「もう、お姉ちゃんもニコニコしてないで何か言ってよー」
「あら、お仕事サボったのは事実でしょ?」
琴の言葉に「うっ」とつまる恋。そんな恋にニコニコしながら琴は続ける。
「だから、お仕事ちゃんと終わらせて今週中にデザインもできたら、試作品くらいは来週中にでも出来上がるわ」
とそのタイミングで扉がノックされる。満が扉を開けると、そこに立っていたのは、長身の二人の男性だった。
「恋、今月末なんだが」
「祭りがあるらしいぞ」
「紫苑兄さん、津吹兄さん」
恋と琴の兄である紫苑と、恋の兄で琴の弟になる津吹だった。二人とも手に1枚の紙切れを持っていた。
「兄さんも津吹もちょうどいいタイミングでくるのねぇ」
そう言う琴の手にも同じような紙があった。おそらく、配られてくる祭のチラシだろう。
「せっかくだから、その試作品着てお友達と行ってきたらって」
言おうと思ってたのだけどねぇとのんびりと言う琴。
「え、行っていいの!?」
そう言う恋の目は輝いていた。まるでいたずらを思いついた子どものように。
「じゃあ、たくさん描いたらたくさん作ってもらえたりするの?」
「まあちゃんとお仕事こなして、〆切に間に合ったらね」
「じゃあ、頑張る!」
そう言っていそいそと机に戻る恋。そして、先ほどまではなかった集中力を発揮してサクサクと溜まった書類に目を通していく。
「琴、さすがにあの量はきついんじゃないか…?」
「もうちょっと恋に甘くてもいいと思うぞ…」
紫苑と津吹がいきなり張り切りだした妹に心配する。琴はニッコリと笑って言った。
「こうでもしないと恋ちゃんはやる気を出さないわよぅ」
その笑顔の迫力に紫苑も津吹も押される。そのまま3人は扉を開けて部屋を出て行った。満は溜息をついて、4人分の茶器を片し、また読書に戻る。
そうして、恋と満の1日は幕を下ろした。