1、卯月4月 その1 編入
目の前に真っ白な4階建ての校舎。いかにも重厚そうに見える扉。そして周りには多くの桜の木。暖かい風が吹く。木々が揺れる。その中で一人立っている私。
「今日からここが…」
私の通う学校になるのだ。
私立晴光学院高等部。地域でも有数の名門学校。その校門の前に、私、清藤らいらは立っていた。まるでその真っ白い建物に圧倒されるように見上げているその姿は、周りから見ればまるで間が抜けているように見えるだろう。しかし、それも仕方のないことだった。何せ、ここに来るのは初めてのことだったから。
「いつまで呆けているのかい?」
すぐ目の前から声が聞こえてきた。驚いて目線を戻すと、そこには男の人がいた。事務の人かしら。それとも…。
「清藤さんだね。君の担任の海藤だ」
担任の先生だった。普通はこういうとき、迎えに出てくるものなのか。それともただ特別なのか。まあそれは相手方の都合であり、私には関係のないことだというのはわかっていた。
「遅くなってすまないね。会議が長引いてしまって。仕方ないが、学長への挨拶はあとにして教室に行こうか」
そして歩き出す海藤先生。私はその背中についていった。
目の前の教室は2‐Gと書かれていた。どうやら私のクラスとなるらしい。先生が扉に手をかけようとすると、いきなりガラッと扉が開いた。中から顔をのぞかせたのは、三つ編みにメガネの、いかにも真面目そうな子だった。
「あ、先生。遅かったので呼びに行こうと思ってたんですよ」
そしてふと視線をこちらに向ける。目が合うと軽く微笑まれた。それに答えるように会釈をする。
「編入生ですか? この珍しい時期に」
彼女は先生の目を見て話す。先生はいたたまれないように目線をそらす。
「私たち、なーんにも聞いてないですけど? やっぱりここの制度上仕方ないとあきらめた方がいいですか?」
「ああ、まあそういうことだ。作業はもう始めているのか?」
「そりゃあ時間がないので始めてますよ」
「ちょっとだけ紹介するから、みんなに指示出しておいてくれないか」
「はいはい、わかりましたよっと」
そして彼女は、先生から何かを受け取って教室の中に戻る。すぐに声が聞こえて、教室の中からバタバタと音がする。
しばらくするとシンと静まり返った。
「まあそういうことで自己紹介してもらうことになるのだが…」
私は頷いた。この時期の編入なのだから当たり前のことだ。先生は軽く笑うと、教室の中に入っていった。私もそれに続く。まるで好奇の目が私に向けられる。
「話が遅くなって悪いが、今日から編入生が来る。清藤らいらだ」
「清藤らいらと申します。よろしくお願いします」
礼とともに拍手が聞こえる。ふと教室を見渡すと、今までいた学校のクラスより明らかに人数が少ない。20人もいないのではというほどだった。
「しばらくは学級委員長の神崎にいろいろ教えてもらえ。あ、席はあそこな」
そこは廊下側の1番後ろだった。隣にはさっき見た眼鏡の子が手を振っていた。前の席は空席。
「よろしくね、らいらさん。私、神崎里羅」
ふわりと笑顔で話しかけられる。
「よろしくお願いします、神崎さん」
丁寧に頭を下げる私に、彼女は苦々しい顔をする。
「クラスメイトなんだから敬語なんて使わなくていいよー。あと里羅って呼んで里羅って」
「よ、よろしくね、里羅」
その時後ろからいきなり抱きつかれた。
「らいらちゃーん! 私、砂野恋。恋って呼んでー」
頭を撫でられつつ自己紹介される。とても背の高い美人さんな人。はつらつとした笑顔が印象的。
「恋ー、らいらちゃん困ってるよー」
私は突然のことに固まっていた。されるがままの状態で撫でられ続けている。
「あ…、ごめんねー。あまりにも可愛いものだからついー」
と言いつつも撫でるのをやめない恋。首を振られる状態になりながらも私は話す。
「よ、よろしくね恋。ところで、先生は…?」
「零ちゃんなら職員室戻ったよー。そもそも今日はまだ登校日じゃないしねー」
という初耳の事実。じゃあなんでみんなは教室にいるのだろう…?
「零ちゃんがねー、学院行事のお花見の幹事引き受けちゃったのー。で、私たちが駆り出されてるわけー」
つまりこういうことだ。4月末に学院内交流として行われるお花見会の幹事もとい役員を担任の海藤先生が引き受け、その準備にこのクラスも追われているというわけだ。
「まあ、部活組は来てないけどね。一応春休み期間だから部活優先にしてもらってるの」
「だから人数も少ないんだよー。もともとこのクラスは人数少ないんだけどさー」
確かに並べられた机の数は、教室のサイズにしては少ないものだった。
「まあ“特別クラス”って言われてるからしょうがないよねー」
2年G組にはとにかくいわれがあるらしかった。なんとも不思議な話だ。それにしてもいつまでこう撫でられてるんだろう…?
「おい、恋。いい加減やめてやれ」
私の後ろ、恋のさらに後ろから低い声が聞こえた。後ろを振り向けないからよくわからないけど、たぶん男子だと思うんだけど…。
「えー、抱き心地いいよー? みっさんもどう?」
「お前、それ俺が男だって理解して言ってるんだよな?」
といいながら上の方でぱしっという音がした。どうも恋の頭をみっさんと呼ばれる人が軽く叩いたようだ。恋は渋々といった感じで私の上から退くとそのまま私の肩をつかんで後ろに向かせた。
「ほらみっさん、挨拶」
私の目の前にいる男子は、ふいと目線をそらすとぽつりと言った。
「宮東満」
「みっさんって呼んであげてね~」
私の肩口から恋が顔を出して言う。みっさんは苦々しげな顔をしながら頭をかく。
「無愛想だけど優しいのよー。怖がらなくていいからねー」
まるで子どもに言い聞かせるように言う恋。私は子どもじゃないんだけどなぁ…。
「おーい、恋さーん。そちらの御嬢さんが困っとるよー」
私の後ろからさらに声がする。恋がぱっと手を放したので後ろを向いてみると、これはまた男子がいた。いかにもお坊ちゃんそうな顔立ちの、どちらかといえばイケメンな。
「あら、柚樹。遅かったじゃない」
恋が腰に手を当てて牽制するように言う。これもまたさまになる。
「こっちもこっちでいろいろやることあるんだよ。そう言うなや」
そういう柚樹と呼ばれた人は、ふとこちらを振り向いた。
「里羅、その子転入生?」
「うん、そうそう。清藤らいらさん」
言われて慌てて頭をさげる。ふと目の前に手が差し出される。
「よろしゅうなー。俺、松宮柚樹。柚樹って呼んでや」
私が戸惑っていると。里羅が助け船を出す。
「まだ初めてだから緊張してるのよ。それにらいらちゃん、男子とは無縁の環境にいたでしょ?」
私はここに転入してくるまで、中学・高校と女子校に通っていた。しかし、とある事情からこの学校に転入することになったのだ。
「先生も私にこんなの預けなくてもいいのにねぇ…」
そう言った里羅の手には、私のものと思しき学歴書があった。おそらく前の学校から送られてきたものを先生が渡したのだろう。確か重要書類なはずなのだが…。
「あーこれは気にしなくていいと思うよー。零ちゃんの癖みたいなもの。里羅は零ちゃんに信頼されまくってるものね」
「だからって重要書類渡すことないと思うけどなぁ」
「まあそれなりに俺らにも知っておけってことやろ」
女子3人で私の学歴書を見ていると、後ろから声が聞こえた。
「あ…、ごめんなさい!」
「あーあー、気にせんでええ。俺ら女子にはかなわんからなぁ」
柚樹は笑って言う。その脇をつつきながら恋が言う。
「らいらちゃんがかわいいからってでれでれしないの」
「いやいや、男としては当然のことやろ」
「ほーう、じゃあ私にもでれでれしてみなさいよー」
そういって柚樹のネクタイを引っ張る恋。柚樹は慌てたようにしているが、里羅や満はいつものことのように傍観している。
「こっ恋、それ以上やると首締まっちゃうよっ」
「大丈夫よー。いつものことだからー」
笑顔で返してくる恋。その笑顔は意地が悪いようなそんな感じ。
「あー大丈夫やでらいらちゃん。いつものことやし、なんだかんだ手加減してるもんなぁ」
そのとき、恋がいきなり手を離す。柚樹は、一瞬よろけて、だが普通にネクタイを結びなおしている。
「いやしかし、ネクタイ結びなおさなきゃならんのがなんともめんどうやな」
「まあこんな感じで悪いやつではないのよ。そこまで怖がらなくていいわよ、らいらちゃん」
どうも、私が打ち解けやすいようにしてくれてたようだった。
私、こんなクラスで平穏に生活できるのかしら…?