調査員奮闘記 二
「フライングシザーだっ!」
ジャスティンさんが鋭い声で生物の名前を叫んだ。
同時に壁を飛び越えたモノが羽音を響かせ、空中で方向を変える。
こっちへ急降下してきたそれに、私は構えたバトンを下から上へ振り切った。
硬い木の実を叩いたような音がして、打ち返したモノが放物線を描きつつ地面へ落ちて転がる。
その正体は、体長二十センチ程の灰色の蟹に、羽が生えたみたいな甲虫だ。
飛行するハサミ。
その名前が示すように、体長と同じくらいあるおっかないハサミが打ち合わされて警戒音という音を出す。あのハサミ、掴めば薄い鉄板程度は引き裂くので洒落にならない。
普段、森の奥地に生息しているけど、夏の時期は攻撃的になり、集団で得物を襲ったりする危険な生物。毎年こいつに襲われた家畜や人間が命を落とす被害も出ている。森にあるミヤノ遺跡を調査中の私達も、これまでに何度か襲撃を受けていた。
羽音や警戒音で辺りが騒然となる中――。
私は姿勢を低くして、飛び回る甲虫をやり過ごす。
ハッとして、何時の間にかブーツへ取りついていた一匹にバトンで電撃を食らわせた。
動きを止め、離れたのを確認したけど、新たに耳触りな羽音が近づき、飛んできた一匹を横薙ぎで打つ。
周囲ではロゼとキッカさんもバトンで応戦して、ジャスティンさんは持ち替えた雑草を払う鉈を振るっていた。
けれど、数が多すぎる。
次々に現れる甲虫は、攻撃を受けても怯んだ様子を見せない。
「――ロゼ、左!」
私が叫んだ瞬間。
正面の甲虫をバトンで叩き落とした相手に、他の一匹が飛びついた。
金髪をなびかせて反応したロゼ。その長い足による蹴りを食らい、吹っ飛んだ甲虫が別のとぶつかって壁に叩きつけられた。
以前、格闘技を習っていたという相棒の動きは鮮やかの一言だ。
「煙玉を使うわよっ」
突然キッカさんの声がして、見れば屈んだ相手が、地面に置いた握り拳程の黒い玉に擦ったマッチの火を点けた。
勢いよく吹き出た虫よけ効果のある白煙が視界を覆う。
人体にも有害なので、吸わないように私が息を止めた時。甲虫の羽音が激しくなる中で「こっちだ」とジャスティンさんの声がした。
聞こえた声の方へ駆け出す私とロゼ。
先行するキッカさんとジャスティンさんに続き、何度か曲がり角を過ぎるうち、羽音や警戒音が聞こえなくなった。
煙が効いたらしく、追ってくる甲虫はいない。
どうやら、逃げ切れたか……。
「まったく、会話の途中だったのに。あれが本当のお邪魔虫だな」
「上手いこと言ったとか、つっこまないよ」
私は嘆息しながら、ロゼの言葉に応えた。
「ところで、私達がつき合っているというのは……」
「ああ、それ。キッカさん達、冗談なのに信じちゃってるね」
自業自得とはいえ説明がめんどい。
呻く私だが、それを見ていたロゼが溜息をついた。
「あによ?」
「いや、なんでもない」
訝しむ私に言って、ロゼが眉を寄せて笑う。
その時、先の角を曲がって姿の消えたキッカさんの悲鳴が聞こえた。
急いで自分たちも角を曲がる。
……と、地面にキッカさんが倒れていて、その傍に、鉈を手にしたジャスティンさんがしゃがんでいた。
「どうしたんですか?」
私は声をかけて、
「気をつけろ! バンパイアクリーパーの蔓があるぞっ」
警告にぎょっとした。
足元に視線を向けると、通路の端から端へ、立った人の足首くらいの高さに茶色のロープのような太い植物の蔓が張られている。
壁の割れ目から伸びた蔓は保護色になっていて、パッと見ただけじゃ気がつかない。あちこちにあるそれらを避けつつ、二人のところまで進む。
「何本かはまたいだんだけど、引っ掛かったわ。来た時はなかったのにっ」
舌打ちしたキッカさん。
そのつなぎの足首とブーツに、びっしり棘の生えた蔓が巻きついている。下手に動けば余計食い込むし、これが露出した肌へ刺さっていたら大変だ。
棘の先端には小さな穴が開いていて、蔓の絡んだ大型動物などから血液を吸い上げる、血を吸う蔓の名前は伊達じゃない。
確かに来た時はなかった。でも、こいつは地を這ってゆっくり移動できる。フライングシザーもそうだけど、これまでの調査で出くわしてきた難敵の一つ――。
「服やブーツを脱いで逃げるのは無理だ。蔓を切るから下がってくれ」
「手伝います」
私はジャスティンさんに言って、スタンバトンをしまったケースから細身のナイフを取り出す。鉈は一本しかないので、これで切るしかない。
ただ、ジャスティンさんは首を横へ振った。
「ありがたいが、そんなナイフじゃ無理だ」
「だけどっ」
「静かに!」
言いかけた瞬間、ロゼが叫んで、私は口をつぐんだ。
すると、遠くから、またも石を打ち鳴らすような音が聞こえて……。全員視線を交わし合い、フライングシザーが追ってきたことを理解した。
顔色を変えたジャスティンさんが鉈を蔓へ振り下ろす。
鈍い音がした。
けれど、刃の下の蔓は棘が数本折れただけで、ほぼ無傷。まるで鋼の鞭みたいな頑丈さだ。
必死の形相でジャスティンさんが鉈を振る間にも、警戒音が迫ってくる。
「落ち着くのよ」
そう繰り返すキッカさんだけど、表情に普段の余裕は感じられない。
私は覚悟を決めて、ナイフをバトンに持ち替えた。
「虫、なんとか食い止めますので、緊急用の発煙筒をたいてください」
私はジャスティンさん達に告げてから身を翻し、曲がり角まで戻る。
隣には、当たり前みたくロゼがいてくれた。
「し、しかしっ、君達!」
後ろから、焦ったようなジャスティンさんの声がした。
「早く蔓をッ、切れたら教えて!」
私は相手にそれだけ言って角を曲がり、通路を進む。
……仕方ない。ここで逃げるわけにはいかないし、動けない人を庇って応戦するよりは、自分達へ誘い寄せた方がマシだ。
そう考えつつザックから革製のヘッドギアを出し、ロゼと一緒にかぶると、飛んでくる甲虫の群れが目に入った。
「こちらは風下か、煙玉は使えないな」
「小細工なしで、やりあうしかないね」
なめた指で風向きを確認したロゼに答え、私はバトンを握り直した。
ロゼがハサミを広げて飛んできた甲虫をバトンで打つ。
流れるような動きで持ち上がったブーツの踵が、地面に落ちた甲虫を踏み砕いた。
それを見ながら、私は気合いを込めて、横合いからロゼに迫る一匹へバトンを突き出す。とらえた甲虫の腹部に電撃を加えて離れた後、額から流れる汗を拭った。
時間にして十数分も経ってないけど……。
周りの地面に転がった甲虫の数は、すでに二十近い。
「まだ、蔓は切れないようだな。助けもこないか」
「降参ですとか言ってみる?」
背中を合わせて息をついたロゼに、私は軽口を返した。
曲がり角の先から、緊急事態を知らせる発煙筒の赤い煙が上がっている。
ただ、あれも他の人に気づかれなきゃ意味がない。
私はそこから視線を下げ、壁の上や側面を移動し、隙あらば飛び掛かってきそうな甲虫を睨みつけた。
「く、痛ッ!」
声に振り返れば、ロゼの左腕に大型の甲虫がとまっていた。
灰色のハサミがつなぎの肩口へ食い込んでいて、布にじわりと血が滲む。
大人の顔程ある虫が身体へ取りつき、さらに攻撃され、平静でいられる人間はあまりいないだろう。
ロゼも僅かに動揺が見えて――。
反射的な動作で甲虫へ当てたバトンの先端部が、肌に近いと思った瞬間。バチッという電撃の音が鳴り、痙攣した虫が腕から落ちた。
しかし、本人もがくっと膝を曲げる。
「だ、大丈夫? 自分も食らったでしょ」
慌てて訊いた私に、「平気だ」とすぐ返事があった。
でも、歯を食いしばったロゼの表情は明らかにやせ我慢だ。
「クリス、後ろっ」
いきなりロゼが言って、後頭部に殴られたような衝撃を受けた。
首を巡らせると、足元にひっくり返ったままうごめく甲虫がいる。
この、痛いじゃない!
怒りに任せて蹴り上げた途端、くらっとして、私はロゼの横に屈みこむ。
今のやつがぶつかってきたらしいけど、凄い衝撃。
ヘッドギアがなければ危なかった。そんなことが頭をよぎった時、壁の上にいた数匹の甲虫がこっちへ飛んだ。
――まずい。
そう思った直後、大きな音が響き、宙の甲虫が羽を散らして落ちた。
「伏せろ!」
誰かの叫び声が聞こえ、私とロゼは身を低くする。
そこへ乾いた音が連続し、頭上や壁の甲虫が弾かれたように吹っ飛んでいく。間違いない……これは銃撃だ。
急に銃声が止み、音の余韻が残る中――。
「今だっ、こっちに走れ!」と、再び声がして、私はロゼと駆け出す。
夕日が差した、通路の曲がり角。
そこに、鈍く輝く銀色のライフルを構えた、二人の男性の姿が見えた。
つなぎを着た格好は遺跡調査員と似ているけど、あれは危険な動物などから人や根拠地を守る為、今回の調査に加わっていた傭兵さん達だ。
「すみません、助かりましたっ」
私は感謝しながら、傭兵さん達の後ろに下がる。
すると、銃を下げて排莢し、薬室に新しい弾薬を装填した髭面のおじさんがニカッと笑った。
「いいってことよっ。そっちの蔓は切れたか?」
訊かれると同時に「貴方達、無事なのね?」と声がかかり、見ればキッカさんが蔓を除けて立ち上がるところだった。
「すまない、手間取った。傭兵の二人っ、逃げれるぞっ」
しゃがんだまま、こっちに叫んだジャスティンさんの手には煙玉がある。
二、三発の銃声が響き、「よし、退却だ」と傭兵さん達が応じて、私達も頷いた。
煙幕のような白煙を尻目に、遺跡の通路を入口へとひた走る。
蔓の存在を知らせてくれるジャスティンさんが先頭で、キッカさん、私とロゼ、傭兵さん達が後に続いた。
根拠地傍の樹上で見張っていたら、最初に使った煙玉の煙が見えて、様子を確かめに近くまできていた。
そう話す傭兵さん達へ皆でお礼を言うと、沈み顔のキッカさんが私とロゼに視線を向けた。
「貴方達も、ありがとう。私、先輩なのに助けられちゃったわね」
「いいってことですよ。私達、チームなんですから」
傭兵さんの真似をして、私は明るく答えた。
こっちだって、今までの調査で散々お世話になってきたのだ。先輩後輩関係なく、困った時はお互いさまで、気にすることじゃない。
「しかし、嬢ちゃん達。バトン一本で、あの数の虫と渡り合うたぁ大したもんだ。どうだい、遺跡調査員やめて傭兵にならねえか? 俺達と組もうぜ」
「お断りしますっ!」
冗談っぽく言った傭兵さん達の誘いに、私とロゼの返事が重なった。
その後、日が暮れる前に遺跡の入口へ着いたけど……。調査の為、長期滞在しているミヤノ町の宿泊施設に帰った頃には、私もロゼも、すっかりへろへろとなっていた。