航路 七
私はオーブとベンチに座ったまま、船縁に立つウィリアムさんを見た。
ここに現れた理由はわからないけど、昼間と同様、またもや予期せぬ出会いだ。
ただ、私は然程動じずに立ち上がって、相手に話しかける。
「今晩は、バーンズさん」
「こ、こんばんは」
同じく立ったオーブが緊張気味に挨拶すると、ウィリアムさんは軽く頭を下げてきた。
「突然、申し訳ございません。一人で船内を見回っていたところ、お二人をお見かけしたので声をおかけしたのですが、お邪魔でしょうか?」
「あ、いえ、大丈夫です」
丁寧すぎて気が引ける問いに、私はすぐさまそう答えた。さらにオーブも同意し、お礼を言ったウィリアムさんに促されて、私達は再度ベンチに腰掛ける。
「バーンズさん。こんな遅くまで、お仕事をなさっていたのですか?」
すでに夜の九時近いこともあって質問した私に、ウィリアムさんは小さく頷いた。
「ええ。夜間、船で過ごされているお客様の様子を見ることも、視察の目的ですので」
「大変、なのですね」
私は呟いてから、自然な感じで服の乱れを直す。
この人に、だらしない格好は見せられないな。
「それほどでもありませんが……。クリスティア・ライトさん、オーブ・ライトさんも、よろしければ私のことは名前でお呼びください。お二人は我が社が運航する客船のお客様であると同時に、妹の大切な友人ですので、話し方も気軽なもので結構ですよ」
自分の胸に手を当てたウィリアムさんの言葉に、私はオーブと顔を見合わせる。
――どうしたらいいですか?
そう問い掛けてくる少女の視線を感じながら、私はウィリアムさんに笑いかけた。
「でしたら、バーンズさんも、かしこまらずに私達と話していただけませんか?」
「え? いえ、そういうわけにはまいりません」
私の提案を、ウィリアムさんはきっぱりと断ってきた。
相手の立場を考えれば、こうなるのも仕方ないが――。
「まだ初対面に近いですけれど、お互い知らない仲ではないですし。私としてはロゼと話すように接していただけた方が、気持ちも楽で嬉しいのですが、いかがでしょうか?」
自分の率直な考えを伝えると、ウィリアムさんは困ったように腕を組んだ。
でも、ややあって、その表情が笑顔に変わる。
「……それじゃ、遠慮なく普通に喋らせてもらうよ。ライトさん、ではどちらかわからないから、君達のことは名前で呼べばいいかな?」
「どうぞ。すみません、勝手なお願いをして」
砕けた口調に恐縮しつつ、私はウィリアムさんに謝る。それに「構わないさ」と応じた相手が、じっと成り行きを見ている少女に目をやった。
「オーブさんも、問題ないかい?」
「は、はいっ」
ぎこちないものの、しっかりと返事をしたオーブ。
親しみやすい雰囲気になったのは、この子も歓迎みたいね。
「了解だ。しかし、君達はここで何をしているんだ?」
「あぁ、私達、さっきまでバーにいたんですよ」
こっちが飲んでたことなど知らなかったらしい、怪訝な顔のウィリアムさんに、私は現状を説明していく。
それを興味深げに聞いていた相手が、一つ咳払いをした。
「ところで、俺と会った後、ロゼに変わった様子はなかったかな?」
「変わった様子?」
訊き返した私を、ウィリアムさんが見据えてくる。
「例えば、家庭の事情を語ったとかね」
「あー……」
私は曖昧に応じて、口を閉じた。
なるほど。ウィリアムさんはロゼが素性を隠していたのを知っていて、色々察しもついているようだ。私達に声をかけてきたのは、それら諸々のことを確認する為だろう。
別に口止めされたわけでもなし。また、いずれ本人が打ち明けるとも思えたので、私は悩んだ末に、昼間のロゼの告白をウィリアムさんに伝えた。もっとも、やはりお兄さんは妹の行動を予想していたそうで、特に驚くこともなかったが。
「――うん、良かった」
終始穏やかに進んだ会話が一段落して、ウィリアムさんは大きく息を吐いた。
その姿に、私は首を傾げる。
「なにが良かったんですか?」
「いや、ロゼのことさ。取り敢えず、俺としては頑固で変わり者の妹が、君以外の人とも親しく付き合えていて安心したんだ」
大雑把な結論を出されて、私は笑ってしまった。
きょとんとしたオーブは、ロゼが変わり者という印象が無いらしい。
しかし、昼間も思ったけど……。
「ウィリアムさん、私達やアヤさん達のことってロゼから聞いたんですか?」
「それもあるが、うちの親父が娘と同行者の関係を気にしてね」
ウィリアムさんは、私の疑問に苦笑しながら船縁に背中を預けた。
「君達のことは、ロングランドの遺跡管理機構や警察を通じて、情報を集めたりもしていたんだ。なんというか、すまないな」
続けられた話で、ようやく納得がいった。
ロゼから聞いたにしては、妙な感じがあったが……。様々な面で、遺跡管理機構や警察はおろか、ロングランド政府にさえ影響力を持つと言われるバーンズ家ならば、個人情報を収集するくらい簡単だったろう。
「でも、そうやって心配してくれる人がいるのは、ありがたいことだと思います」
私は、至極真面目な気持ちで言った。
……が、なにかまずかったのか。ウィリアムさんは、少し表情を強張らせた。
「君がロゼと親の和解を望むのは、自分のご両親を亡くしているからかい?」
「私の、両親?」
唐突な言葉に戸惑うと、ウィリアムさんはバツが悪そうに前髪をかきあげた。
「すまない、立ち入ったことを訊いた」
「い、いえっ」
暗い声で謝られて慌てたが、
「ウィリアムさんがおっしゃった通りです。ただ、私は、せっかく親がいるんだから仲良くすればいいのにって、軽く考えてるだけなんですよ」
「……そうか」
私の答えに、ウィリアムさんは柔らかく微笑した。こっちの言いたいことは、理解してもらえたようだ。そこに、無言だったオーブが、伏し目がちに口を開いた。
「クリスさんにとって、ご両親は、大切な存在なんでしょうか?」
「――どう、かな。正直、わからないわ」
私は悩んで、ふと真っ暗な大海原を眺めた。
普段はあまり気にも留めないが、時々、意外な場面で意識したりもする。
それが、私の中の親という存在だけど……。
「あんたは、最近、自分の家族とかにどんなことを思っているの?」
これまでも、何度か「家族がいるなら会いたい」と言ってきたオーブ。その現在の心境が気になって、さりげなく問い掛けた私に、紫色の瞳が向けられた。
「えっと、上手くは言えないんですが、会いたい気持ちは強くなっています」
絞り出すような声で告げられ、我知らず溜息がもれる。
「……そうなんだ。相手も、きっと心配してるよね」
「オーブさんの身元などは俺も不明としか聞いていないが、自分が何者かわからないのは、さぞや心細いことだろう。一体なぜ、記憶を失ってしまったのか」
眉根を寄せて言ったのは、ウィリアムさんだ。
その言葉に、私は思わず呻いたが、オーブは首を横に振った。
「いろいろ、不安はあります。でも、わたしは大丈夫なんです」
「それは、親身になってくれる、クリスティアさん達がいるからかな?」
「――はい」
ウィリアムさんの質問に、オーブは、はっきりと答えた。
「本当に助けてもらってばかりで、申し訳ないんですが……」
「そんなことないって、いつも言ってんでしょ」
もういたたまれなくて、私は多少強引に二人の話に割り込んだ。
ここは話題を変えよう。他に……そうだ。
「助けてるっていえば、どうしてウィリアムさんは、ロゼを応援しているんですか?」
前々からわからなかったことを口にすると、
「そのあたりは知らないのか」
そう呟いたウィリアムさんが、私達を見つめた。
「クリスティアさんは、よくご存知だろうが……。バーンズ家では親の命令が絶対で、三男の俺も兄達も、親父から家業に携わることを強く求められてきたんだ」
「ロゼから聞いています。それで、今、皆さんはご両親の意に沿う形で働いていると」
私は記憶を思い出して、ウィリアムさんに応じた。
「ああ。最早、投げ出そうにも投げ出せない、責任ある立場になってしまった。ただ、俺や兄達は、言われるまま親に従ってきたわけじゃなくてね。程度の差こそあれ、それぞれが自由に生きたいという意志を持って行動したこともあったんだ。だが、結局は家との関係を絶てず、現在に至っている」
「そうだったんですか……」
全く知らなかった話をウィリアムさんから語られて、私は一旦、頭の中を整理する。
お兄さん達がロゼと同じ行動をとっていたとは、驚きだ。しかし、言うまでもないが、恵まれた境遇に生まれたからといって、何でも思い通りにはならないのよね。
「じゃあ、ウィリアムさんにとって、ロゼは自分ができなかったことをやってのけた、憧れみたいな存在だったりするんですか?」
「まあ、そうだな。俺は、家を出て立派に生きるロゼを尊敬している。その想いは兄達も一緒で、皆、妹のことは君が言ったように応援しているんだよ」
私の推測は当たっていたらしいけど、ウィリアムさんは、どこか力なく笑った……。
ロゼとお兄さん達の立場は異なっていて、自分の意志を貫こうにも、どうにもならない事情があったのは容易に想像できる。誰にでも自由に生きる権利はあるが、それを実行するのって、本当に難しいんだな。
「クリスさん」
「ん、どうしたの?」
囁くような声で呼ばれて、私は隣のオーブを見た。
なんだろう、少女はかなり複雑な表情をしている。
「わたし、わからないんですが……。ロゼさんのご両親は、その、悪い人なんですか?」
「――いいえ、違うわよ」
いきなり、色んな意味で大胆なことを訊かれたが、私はオーブに即答した。
「あんたは、人を束縛する悪者みたく感じちゃったかもしれないけどさ。まず、親が子供の幸せを願うのは当然でしょ?」
「それは、そうですね」
訝しげながらも答えたオーブに、私は続ける。
「ロゼの親の干渉も、突き詰めれば、子供の為に純粋な愛情を持ってやった行為だと思うのよ。だから、よくない部分があるのは確かだけど、単なる悪い人ってことにはならないんじゃない?」
「あ――」
私の話に、オーブは小さく声をあげた。
そして、しゅんと肩を落とす。
「……わたし、間違っていました」
「うんにゃ、ロゼの親もね。小さいうちならともかく、子供が成長して自分の生き方を決められるようになった時は、その意志を最大限尊重するべきだったわ」
私がそう言うと、オーブは深々と首肯した。
一方、ウィリアムさんは黙ったまま、意図の読めない笑みを浮かべている。ここまで喋っておいてあれだけど、なにか相手の気に障ったりしてないかな。
「あの、すみません。知ったふうなことをペラペラと……」
「いや、いいさ。君の言葉は正しかったよ」
一応、謝った私に、ウィリアムさんは優しい声で応えてきた。
「しかし、近頃はうちの親もだいぶ丸くなってね。子供との接し方も変わってきて、ひとまず、俺や兄達とは良好な関係を築いている。加えて、ロゼとも和解を望んでいるんだが……」
「なかなか、うまくいかないわけですね」
私が呟くと、ウィリアムさんは肯定するように苦笑した。
親が歩み寄っているのは、思った通りだ。でも、昼間の告白の際、ロゼはまだそういうつもりにはなれないって話をしていたし、うーん……。
「――ただ、ロゼも良い方向に変化がみられる。それを起こしているクリスティアさんがいれば、時間はかかるだろうが、この問題は必ず解決するよ」
「っ、そうですか?」
ウィリアムさんに名指しされて、少し反応に困った。
この人もロゼも、なんか私を買い被り過ぎてないか。
「バーンズ家の問題以外でも、君には何かと迷惑をかけたりするだろう。だが、どうかこれからも、妹のことをよろしく頼む」
「あ、あはは。わかりました」
ウィリアムさんの真剣な表情に面食らいつつも、私は明るく返事をした。
すると、相手が破顔し、船縁を離れてベンチに近づいてきた。
「ついでと言ってはなんだが、クリスティアさん、俺の友人になってくれないか?」
「えっ!」
――これは、どういうことなのか。
ウィリアムさんの頼みに私も驚いたけど、大声を発したのはオーブだ。
「っと、もちろん、オーブさんも友人になってくれれば嬉しく思う」
ウィリアムさんは私の前で立ち止まり、目を見開いたまま固まっている少女に、フォローするような言葉をかけた。続けて、おどけた感じで片眉を上げる。
「ロゼのことはさておき、クリスティアさんみたいな物怖じしない女性は、話していてとても楽しい。個人的にも、ぜひ親しくなりたいんだが、どうかな?」
青い瞳を煌めかせるウィリアムさんに、私は一瞬考えて、言った。
「喜んで。こちらこそ、よろしくお願いします」
「本当かい? ありがとう」
「いえいえ、そんな」
私は平静を装い、笑ったウィリアムさんに応じる。
要は、仲良くしようってだけの話だ。それならば、拒否する理由はないし、ちょっと褒められたりしたくらいでドギマギしないでよ、私。
「バーンズさん、こちらでしたか」
突然、声が聞こえて、私は反射的に顔を動かす。
見えたのは、照明に照らされた船縁の通路で……。私達から五メートルほど離れた場所に、船員の格好をした一人の若い男性が立っていた。
「私に、何かご用でしょうか?」
丁寧な口調に戻って言ったのは、船員の方に向き直ったウィリアムさんだ。その問いに「はい」と答えた相手が、素早く進み出てきた。
「お話し中、申し訳ございません。船長がお呼びなのですが、よろしいでしょうか?」
「――船長が?」
「急用で、お伝えしなければならないことがあると」
「わかりました。クリスティアさん、オーブさん」
船員と話すウィリアムさんに視線を向けられ、私達は揃って頷いた。
「こっちのことは、いいですよ」
「ど、どうぞ、お気になさらず」
「では、すまないが、これで失礼するよ。二人とも、良い夜を」
私とオーブにさっと一礼したウィリアムさんが、退き返す船員の後をついていく。二人は通路の途中にある扉を通り、すぐに船内へと入ってしまった。それを見届けて、私は頭をかく。
「……行っちゃったね」
「急用って、なんだったんでしょうか」
呟いたオーブに、私は「さあ」と返して、ベンチの背もたれに寄りかかる。
どことなく不穏な雰囲気だったが、ここで考えたって何もわからない。
「また、ウィリアムさんに会った時に聞いてみようか? もう友達だし、別にたいしたことじゃなかったら、教えてくれるかもよ」
私は冗談で言ったんだけど、オーブは気難しげに眉をひそめた。
「そのウィリアムさんですが、すごく素敵な人でしたね」
「え? あ、あぁ」
意外な方向に話を振られて、私は困惑した。でも、同感だわ。
「そうね、私もあんなお兄さんがいればよかったかな」
「……っ」
今度は、なんなのか。
私が何気なく思ったことを言った瞬間、オーブの表情が険しくなった。
「クリスさんは、ウィリアムさんを、好きになったりしていますか?」
「――は?」
オーブの突拍子もない言葉に、私は呆然とした。
いや、本当になんなのよ。
「……待った、待った」
私は片手を挙げて、オーブを見据える。
「もしや、あんたは、私がウィリアムさんを恋愛対象として見ているか聞きたいの?」
「そうですっ」
勢いよく答えられ、私は額を押さえた。
悪酔いはしてないはずなのに、心なしか頭痛がする。
「あのねぇ、そんなわけないでしょ。ウィリアムさんは今日会ったばっかりの相手よ」
「ですが、人が人を好きになるのに時間は関係ないって、アヤさんが言ってました」
真面目な顔で喋ったオーブ。頭痛が、確実にひどくなった。
いつの間に何を話してんのよ、あの人は。
「そういうのもあるかもしれないけど、私は誰も好きになってないから、いい?」
「そ、そうなんですか……」
疲労感まで覚えつつ訊いた私に、オーブはスッキリしない様子で頷いてきた。
しかし、この子はなんだってこんなことを――。
質問の背景を考えた時、スタンバトンの電撃を受けたような直感が走った。
ははあ、読めたぞ。まさかの展開だが、有り得なくはないことだ。
「私、わかったわ。オーブこそ、ウィリアムさんを好きになっちゃったんでしょ」
「な――」
私がにんまりと笑って言った途端、少女は驚愕の表情を見せた。
「んふふ、正解みたいね」
「ち、違います。わたし、そんなんじゃありません!」
叫ぶように否定したオーブだけど、ムキになっているあたりがますますアヤシイナー。
「えぇー? でも、自分でウィリアムさんのことを素敵だって言ってたし。気に入った相手を、他の人がどう思ってるか知りたかったんじゃないの?」
追及する私に、オーブはぶんぶんと首を振った。
「誤解ですっ。わたしは、クリスさんが……」
「私が、なによ?」
言い淀んだ言葉の先を促すと、数瞬の沈黙の後、オーブは憤然として立ち上がった。
「なんでもありません。とにかく、わたしは違うって言いましたからねッ」
強い口調で喋ったオーブが後ろを向き、足早に通路を歩き出す。
その背中に、私は慌てて声をかけた。
「ちょ、どこ行くの?」
「皆さんのところに戻ります」
「なら、私も一緒に――」
「一人で来てください」
振り返りもせずに応えたオーブが、船内に繋がる扉の前までいってしまう。……と、その場でくるっと反転し、焦る私を半目で睨んできた。
「クリスさんの、バカ」
お、おおう……。
船内に消えたオーブの捨て台詞っぽい一言に、私は言葉もなく黙り込む。
照れ隠しなのか、よくわからないけど、相当怒らせちゃったのは確からしい。
こらあ、後でちゃんと謝っとかなきゃな。
そんなことを思いつつ、私は夜空に浮かぶ三日月を見上げた。




