航路 二
かつて、そこにあったのは、高度な科学技術をもつ人間が、自然と調和しながら豊かで平和な生活を送っていた、まさに理想郷と呼ぶべき世界だった。
でも、そんな世界は、いまや影も形も残っていない……。
低く垂れ込めた暗雲の下、数千人の若者達が瓦礫と化した街の中を歩いていく。
その誰もが薄汚れた防寒着で寒さに耐え、飢えに苦しみながらも互いを励まし合い、生き延びようと必死にもがいていた。
人々が向かう先に広がっているのは、灰に覆われ、草木も枯れ果てた、荒涼とした大地だ。そんな光景を目にした先頭の集団が、呆然とした様子で足を止めた。
「この世界に、希望はあるのかしら……」
先頭集団の中にいた一人の女性が、憔悴した顔で呟いた。
「……わからない」
女性の横に立つ男性が静かな声で応じて、自分達の背後にそびえる山に視線を向ける。
山中の地下に建造されたシェルター。
その内部に避難していたが、生存に必要な設備を稼働させる電池の電力や、備えられていた食糧が尽きて地上へと出てきた彼らに、もはや進む以外の選択肢は残されていない。
しかし、巨大隕石の衝突がもたらした影響は、終末の日から一年が経った今も収まっていなかった。現状がさらに悪化する予想もされていて、それが現実となることを思わせる光景を前に、人々が表情を暗くした時、
「あ、お花。お花が咲いてるよっ」
男性と女性の傍にいた少女が、無邪気にはしゃぎつつ建物の残骸を指差した。
そこには、確かに一輪の花が咲いていた。
瓦礫に埋もれかけた大地の上で、風に揺れている小さな花。
それを見た人々の顔に、柔らかな笑顔が溢れていく。
あまりに儚い存在だけど、世界には、まだしっかりと生命が息づいているのだ。
「――我々人間も、負けるものか」
「ええ、行きましょう……!」
力強い口調で言った男性と女性に続き、再び人々は歩きだす。
そして、花の姿がアップになった瞬間、スクリーンが暗転した。
神聖で荘厳な雰囲気のコーラス曲が流れ、白黒の映像が映っていたスクリーンに、映画の出演者などの名前が表示されていく。
――いや、わかってはいたが凄かった。
じんわりと胸に広がる感動の余韻に浸りながら、私はふっと吐息を漏らした。
暗い館内に話し声が聞こえ始めたものの、席を立つ人はほとんどいない。
百人程いる観客は皆、自分と同じく映画の余韻に浸っているようだ。
「……いい、お話でした」
そうしみじみと言ったのは、私の隣の席に座っていたオーブだ。
「あはは。あんた、終盤辺りからずっと泣きっ放しだったね」
私が笑うと、目を拭っていたオーブは気恥ずかしそうに顔を俯けた。
かく言う自分も、途中で結構うるうるきてたけど……。
「失われた理想郷、か」
オーブの隣に座るディランさんが、感慨深げな表情で映画のタイトルを口にした。
「何度見ても素晴らしいな」
「本当に良い映画ですよね」
私は心の底からディランさんに同意して、スクリーンに目を向ける。
船がカイント港を出た後、私達は皆で昼食をとり、船内の映画館で映画を観ることになった。そこでたまたま上映していたのが、「失われた理想郷」だった。
この映画は、三千年前に起きた巨大隕石の衝突、所謂、終末の日を迎えた古代文明の人々の生き様を描いた群像劇だ。
帝国製の映画で、公開されたのは二年くらい前。なんでも製作に帝国の古代文明研究者が協力したそうで、今の知識や技術をもとに推測されている古代文明の様子を忠実に再現した映像が話題を呼び、公開されるやいなや世界中で大ヒットした。
私達の中で、失われた理想郷を観たことがなかったのは、オーブ一人だけ。というか、オーブは映画自体を観た記憶が無かったらしい。それも初めて聞いたことで、中々にショックだった。
そのオーブが、視界の端で可愛らしく欠伸をした。
上映時間が三時間以上ある、かなり重い話を集中して観ていたので、さすがに少し疲れたようだ。
失われた理想郷は名作だが、正直、気軽に楽しめる映画じゃない。なので、鑑賞前に観るか否かちょっと議論になって、結局、乗り気じゃなかったロゼとアヤさんは船内の散策に行ってしまった。
私はどうなっても良かったので、「自分だけ観ていないのは嫌だから、一人でも最後まで観ます」と言ったオーブと映画を鑑賞することになり、それにディランさんもつき合ってくれていた。
「オーブさんは、どの場面が印象に残ったかな?」
不意にディランさんから問われたオーブが、考え込むように眉を寄せる。
「……隕石が衝突して、空気中に舞い上がった塵などが、地球全体を覆ってしまったところでしょうか」
「衝突の冬が起こった場面だね」
「はい」と、ディランさんに応じたオーブが、顔を強張らせた。
「太陽の光が届かなくなって、寒冷化した地上で植物が育たなくなったあと……。それを食べていた動物達が飢えと寒さで死んでいってしまう様子が、とても怖かったです」
「動物の骨に雪と灰が積もってく、あそこの絶望感は半端ないよね」
私は頷いて、オーブの答えた場面を思い浮かべる。
作中でも描かれていたけど、終末の日に地球へ落ちてきた巨大隕石は、大気との衝突によって多数の破片になり、世界各地へと降り注いだ。その直撃を受けたり、衝突で発生した地震や津波に襲われた都市などは一瞬で壊滅し、世界中で数十億にものぼる人間が死んでしまったのだ。
まさに悪夢のような惨状だが、災禍はそれで終わらない。次に地球を襲ったのが、話に出た「衝突の冬」と呼ばれている現象だ。そして、この衝突の冬こそが、古代文明の滅んだ最大の要因だと言われている。
「クリスティアさんはどんな場面?」
ディランさんが、今度は私に質問を向けてきた。
「んっと、色々ありますが……。やっぱりシェルターに入れる人達、入れない人達が、それぞれ葛藤するところですね」
悩んでから答えると、オーブは憂いの滲む溜息をついた。
「自分の得たシェルターに入れる権利を、入れない恋人に譲った男の人の話が感動的でした。実際にも、ああいうことをした人達がいたんでしょうね」
「うん。あと映画の通り、抽選に外れたシェルターに入れない若者が、暴動を起こしたりもしたはずさ。他にも様々な犯罪行為が横行しただろう」
ディランさんが、観客の多くが涙した場面を言ったオーブの後に続けた。
生々しい話だけど、実際はもっと悲惨だったに違いない。
現代より優れた技術をもっていた古代文明の人々は、隕石が地球に衝突することや、その影響で人類が絶滅しかねないことを事前に察知していた。
しかし、当時の技術を用いても隕石の衝突を回避することは不可能で、古代文明の人々は生き延びる為に、作中に出てきたようなシェルターを建造した。
映画の舞台となった、現在の北ソニア大陸に存在したとされる架空の国家だと、シェルターに入れる人は抽選に当たった、一千万人の若者のみだった。幾つものシェルターに分散して入った彼らは、終末の日を生き延びた後、備えられた一年分の食糧や水を分け合い、科学者が数ヶ月で収まると予想した衝突の冬が終わるのを待った。
けれど、一年が経過しても春は訪れなかった。
気象変動の影響により、予想に反して長期化した衝突の冬は、何時収まるのかも不明な状態となってしまったのだ。当然、食糧の尽きた人々はシェルターを出ることを余儀なくされた。年数とかに程度の差はあっても、同様の状況が現実の過去に起きたという。
希望を感じさせる終わり方をする、失われた理想郷だけど、彼らの本当の試練はあそこから始まるのだ。なにせ、食糧も無い過酷な環境で生き残った人間は大半が死に絶え、千年後にソニア国が誕生するまで、歴史に残るような文明を築けなかったのだから……。
スクリーンには変わらずクレジットが表示されてるけど、観客の皆さんが席を立ちだして、館内がにわかに騒がしくなってきた。私達はこの後、ロゼ達と合流して夕食をとる予定になっているが、まだ時間がある。
「ディランさんは、どこの場面が印象的でしたか?」
私が気になったことを訊くと、ディランさんは顎の先に手を当てた。
「僕は、古代文明の人達の日常を映したところかな。一般家庭にある人型の機械が、家の人の代わりに家事をこなしていく様子は見る度に凄いと思うよ」
「ああいう機械も遺物として発見されてますけど、さすがに全然、構造の解析ができないんですよね。発電所や電池みたく、なんとか使えるようにすれば、世の中の家事嫌いな人が大喜びするのに」
真面目に喋った私を見て、ディランさんが軽くふき出した。
「かもしれないね。ただ、ああいった機械は、今の人間が生活していくのに必須なモノじゃない。遺物の解析に、成否を問わず物凄い時間と労力が掛かっている現状では、そういうモノが使えるようにはならないだろう」
「夢の無い話ですねぇ」
私は嘆息したが、ディランさんの言ったことはもちろん理解している。
発電所や電池は、帝国の技術者などが総力をあげて構造を解析した末に復活させたモノだ。そこまでしたのは、それらが人間の生活に、もっと言えば文明が発展するのに必要不可欠な存在だったからに他ならない。
ただ、現状では難しくても、今の人間の技術はどんどん進歩しているから、将来、映画に出ていた機械類が使えるようになる可能性もある。
まあ、私の生きてる間は無理っぽいが。
そんなことを考えていると、何やら難しい表情をしていたオーブが声をかけてきた。
「クリスさん。わたし、遺跡調査員になる為に、色々勉強してわかったんですが……。古代文明の時代も現在も、発電所では、太陽光を利用して電気をつくっていますよね?」
「ん、そうだよ。映画にもだだっ広い平地に、ズラッとソーラーパネルの並んだ発電所が出てきたね」
私は内心戸惑いつつ、一般常識を確かめてきたオーブに答えた。
勉強してわかったってことは、以前は知らなかったのか。
それも記憶喪失の所為なのかな……。
「人間は、その発電所から供給される電力を使って色んな機械を動かしていますけど……。古代文明の時代って、他の発電方法は存在しなかったんでしょうか?」
「他の発電方法?」
私はオーブの問いの意味を考えて、口を開いた。
「まずさ、人間が昔は化石燃料をエネルギー源に利用してたってことは知ってるよね? 古代文明の古い時代だと、石油やガスを燃料にして電気をつくる火力発電とかが普通に行われていた」
「はい。そういった化石燃料が枯渇した為、古代文明の人達は新たにエネルギーを得る幾つかの方法の中から、太陽光発電システムを開発したと言われています」
見つめてくるオーブの返答を受けて、私は頭を働かせる。
今も砂漠地帯や海底にある、掘削設備を備えた巨大構造物の残骸。
それらの遺跡が、昔、化石燃料を採掘していた施設だと断定されたのは近代になってからだ。その後、行われた調査により、現在の世界には化石燃料がほとんど残っていないことが判明している。そうした事実から導き出されたのが、私とオーブの言った話だったけど、前提知識はちゃんとあるみたい。つまり、この子が知りたいのは……。
「あー、あんたは隕石が落ちた頃の古代文明の時代に、太陽光以外の発電方法が無かったのか知りたいわけだ?」
訊いた私に、オーブはこくりと頷いた。
「太陽光発電で消費電力をまかなえるようになっていた当時は、必要とされなくなった他の発電技術が衰退していた。映画では、太陽光以外の発電方法が存在しなかった理由をそう説明していて、現実でも同じように考えられていますよね。ただ、それは本当だったのかなって、わたし、疑問に思ったんです。もし、他の方法があって、隕石の衝突後も発電ができていれば、古代文明が滅亡することは無かったかもしれない」
「なるほどね」
私は一言呟き、胸の前で腕を組む。
オーブの疑問はもっともだ。
無限にエネルギーを得られる、太陽光発電に依存した社会を築いていた古代文明は、隕石の衝突という災害によって電力を失った。何故、そうなったかと言えば、衝突で地表にあった発電所がほぼ壊滅し、僅かに残ったものも、衝突の冬や気象変動の影響を受けて、数十年もの間、発電ができなくなったからだ。
電池に蓄えていた電気も映画の通りに尽きたであろう古代文明は、電力の喪失に伴って高度な技術までも失い、オーブの言った末路を辿ることになってしまったというが……。
コーラス曲がフェードアウトしていく中、私は首を横に振った。
「結論を言うと、その辺りのことは不明なのよ」
「やっぱり、そうなんですか」
落胆することもなく言ったオーブは、私の答えを予想していたようだ。
「ああ。オーブさんと同じことを、これまで古代文明の研究を行う研究者も考えてきた。ただ、発電方法の開発経緯が記された技術書や口承などの情報が残されていないのもあって、いまだに確かなことはわかってないんだ」
ディランさんが、興味深そうな顔で会話に加わってきた。
「しかし、現状からいって、これまでの考えが史実であることは間違いないよ」
私は相手の意見に首肯しつつ、映画に登場したコンピュータなる機械を思い出す。
遺跡でボロボロになったものが、度々見つかっている機械。古代文明のあらゆる場所で使われていたそれには、タイプライターに小さな画面がくっついたような小型のモノでも、図書館など比較にならない程の様々な情報が詰まっていた。
「映画に出た古代文明の時代は、機械に色んなことを記録していて、今みたいな紙とか本が無かったらしいですけど……。あれは、ホントなんでしょうかね」
「まったく存在しなかったことは無いはずさ。でも、より古い時代の書物は発見されているのに、当時の書物が無い状況とかを考えると、事実である可能性は高い。だから、電力を失い機械が使えなくなったのと同時に、古代文明が持っていた技術などの情報は消えてしまって、後世に伝わることがなかったとされている」
私に応じたディランさんが、暗い映画館内の前方に視線を向けた。
「終末の日を生き延びた人達が残した口承や書物にも、当時の科学技術や世界の有様に関する情報は無い。あるのは、隕石が衝突した事実を断片的に伝える情報だけだ。凄まじい大災害が起きたとはいえ、過去のことがはっきりとわからないのは残念だよね。謎が多いから、戦争があったなどと、とんでもない説を唱える黒き翼のような者達が出てきたりする」
穏やかだったディランさんの口調が、最後に少し荒くなった。
「……そうですね」
短く同意した私の横で、オーブが気まずそうに頷く。
相手の変化が、この子にもわかったのか。
ディランさんが黒き翼に対して悪感情を抱いていることは、疑いようもないが……。果して、その理由はなんなのか。気になるけど、やはり訊くのは躊躇われる。
「でも、あれですね。発電所を復活させたのって、冗談抜きで現代の人間が成し遂げた、最も偉大な功績だと思います」
私は話題を変えて、黙っているディランさんに笑いかけた。
「発電所の発電する電気が無かったら、今の文明はここまで発展できなかったし、これから発展していくこともできません。本当に奇跡ですよ」
「……うん。オーブさんの話じゃないけど、現代の人間が発電所に代わるエネルギー供給システムを作ることは不可能だと言われてるから、大切にしなきゃね」
気を取り直すように笑い返してきたディランさんだけど、その笑みはぎこちない。
ただ、口調は穏やかなものに戻っていて、ちょっと安心した時。流れていた曲がやみ、クレジットの表示されていたスクリーンがまた暗転した。
映画が、完全に終わったのだ。
状況を把握するのと同時に、館内の照明が点いて、それが合図だったように残っていた観客も席を立ち始める。私は周りを見て、軽く身体をほぐし、
「そろそろ、私達も行きましょうか? 実は私、お腹すいちゃってて、上映中にグーとか鳴らないかヒヤヒヤしてたんです」
思いついた冗談を、おどけた感じで言った。
「はははっ、それは危ないところだったね」
おかしそうに笑ったディランさんと一緒に、オーブが小さく笑い声をあげる。
そんな二人を前に、私は頭をかきながら立ち上がった。




