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レストピア  作者: 名残雪
33/40

航路 一

 赤、白、緑、青、黄色――。

 船縁から投げられた色とりどりの紙テープが、潮風の吹く晴天の空に舞う。

 同時に、六メートル程離れた岸壁で続いていた、音楽隊の演奏が終わった。

 船の左舷でテープを投げた人達が歓声をあげる、出港セレモニーの最後に相応しい華やかな雰囲気の中。私は船縁に立ったまま、半袖のシャツに合わせてはいたショートパンツのポケットに手を入れる。

 引っ張り出した新品の懐中時計の針は、午前十一時ちょうどを指していた。

 定刻通りにカイント港を出港する、帝国行きの船。その甲板には、老若男女を問わず様々な人がいる。あちこちから聞こえてくるのは、船旅を楽しみにする声や、岸壁で出港を見送る人だかりに向けられた、誰かとの別れを惜しむ悲しげな声だ。

 岸壁の人達も、徐々に岸を離れていく船へ、別れの言葉を叫んだりしていて……。

 そこに威勢のいい、子供の声が混じった。


「クリス、しっかりやれよっ」

「ロゼねーちゃんもなー!」

「お姉ちゃん達、頑張ってねーっ」

「寂しくなったら、何時でも帰ってこいよ!」

 岸壁に佇むミランダさんの傍に集まった孤児院の子供達が、一斉に騒いだ。

 ミランダさんは笑顔だけど、子供の中には感極まったように涙を流してる子もいる。

 さっきまで、全員気丈に振る舞っていたのに……。

 こんな姿を見せられては、さすがに胸に迫るモノがあった。

 でも、ここで泣いたら格好がつかないから、私はなんとか笑って手を振り返す。横で同じく手を振っている、タンクトップとジーンズを身につけたロゼも、似たような心境だろう。

「オーブ、元気でなッ」

「オーブおねーちゃーん……!」

 さらに声を発した二人の子供、マッシュとパムが人だかりの最前列まで出てきた。

 途端、私の隣に立っていたオーブが、白いワンピースの裾をはためかせながら大きく手を振った。応じて手を挙げたマッシュが、泣きじゃくっているパムに何か話しかける。

 すると、金髪の少女が息を整えて、にっこりと微笑んだ。

「おねーちゃん、いってらっしゃいっ」

「――はいっ、いってきます!」

 オーブと離れるのを一番嫌がっていたというパム。その精一杯の言葉に、声を震わせ、紫色の瞳に涙をためて、ただ明るい笑顔でオーブは答えた。

 ああ、まずい。これ以上見てたら、本当に泣きそうだ。


 私は手を下ろして、思わず溜息をついた。

 感傷にひたっている間にも、船体はどんどん右に移動していく。

 岸との距離が数十メートルまで広がった。最新の電気推進船だけあって、巨体に似合わず動きが速い。船尾から左舷方向に出された水流が波を起こして、後で回収されるらしい海に落ちた紙テープを揺らしている。

 やがて岸壁の人だかりが遠く、小さくなった時。船の近くを数羽の海鳥が飛び交って、穏やかな鳴き声をあげた。子供達の声は、もう聞こえない。

 船縁にいた人達が少しずつ散っていき、私達の周囲には誰もいなくなった。

 それでもオーブは、岸の方をじっと見つめている。私は、そんな少女に声をかけようとしたが……。その前に、改めて海に面した都市を見据えた。

 次にこの光景を目にするのは、半年後か。

「それまで、ちょっとお別れだ。またね、ロングランド……」

 私はそう呟き、気合いを入れて、頭から湿っぽい思考を振り払った。


「オーブ、大丈夫?」

 私の呼び掛けに、目をこすっていた少女が顔を上げた。

「はい、クリスさん」

 それだけ言ってオーブが微笑むと、

「とても感動的な別れだったな……」

 感じ入った表情で続けたロゼが腕を組んだ。

「やー、まったく。そもそも、皆が見送りにきてくれるなんて思ってなかったしね」

 私は静かに応じて、船縁の手すりに寄り掛かる。

 今朝早く、私とロゼは、オーブとラバー駅前で待合せをしていた。無事に合流し、電車とバスを乗り継いでカイント港まで来た後、出国手続きなどを終えて船に乗り込んだところまでは予定通りだったが……。出港が迫って甲板に出てみたら、子供達が岸壁で騒いでいて、それはもう驚いた。

 皆が見送りにくることはオーブも知らされてなくて、当然、今朝、孤児院を出る時もそんな話は一切なかったらしい。今日が祝日なら、まだこういう展開も予想できた。しかし、本日は普通に平日で、あの子達は全員学校を休んだと言っていた。それをミランダさんが許可したのだから、また凄い。


「……オーブ、本当に皆から慕われてたんだね」

「ああ。でなければ、ここまでのことはやらないさ」

 私とロゼがしみじみと言うと、オーブは慌てた様子で首を横に振った。

「皆さんがきてくれたのは、クリスさん達を見送りたかったのもあったからです」

「うん。でも、一番辛かったのは、やっぱりあんたと別れることだったと思うよ」

 私の言葉に、謙遜していたオーブが憂い顔で黙り込んだ。

 ミランダさんや病院の先生、孤児院の子供達も、オーブが研修を受けることには賛成していた。子供達は、黒き翼の起こした事件や帝国へ行くことになった経緯を知らないのもあって、突然の話に戸惑ったらしいが……。最終的には取り敢えず皆納得し、時間のない中で送別会まで開いてくれたそうだ。


「まあ、何にせよ、送り出してもらったからには研修頑張らないとね」

 私は喋りながらオーブの肩に手を置いて、身体を船橋の方に向かせた。

「ただ、まずは帝国に着かないと始まらないし、頑張るには英気を養うことも必要だ」

「そ、そうなんですか?」

 背後の私に、少女が首を巡らせて訊いてきた。

 質問に「そうよー」と重々しく言って、私は自分達が乗っている船を見やる。


 ネレイース商船が所有、運行している大型定期航路客船、アムリーテ。

 全長、約百八十メートル。全幅、約三十メートル。総トン数、約三万トンの白を基調とした船体は、もはや海に浮かぶホテルと言っても過言じゃない。

 十二層ある各甲板には、様々なタイプの客室、レストランや本格的なバー、映画館にプール等々、船旅を楽しむ為の乗客施設がひしめいている。現在、私達がいる場所はフロントなどがある五階の甲板だ。

 ちょっとした豪華客船とも呼べるこの船は、現在、十日間に及ぶ帝国までの定期航海に出たばかり。途中、帝国領のパーチ諸島にあるマナ島に寄港するまで、しばらくは船内生活が続くんだけど――。


「その英気を養うのに、これ以上適した場所なんて無いよ。帝国つくまで、この船で思いっきり羽を伸ばそう」

「しまりのない顔になっているぞ、クリス」

 呆れたように言ってきたロゼに、私は苦笑を返す。

「いいじゃん。気を抜いたりするのも、仕事をする上では大切なことだよ」

「……すごい船ですよね。こんな立派な船に乗って、よかったんでしょうか?」

 振り向いたオーブが、少し気後れしたような表情を浮かべた。

 私とロゼは知っていたから驚かなかったが、この子は港に停泊中のアムリーテを見て目を丸くしていた。どんな船か一応事前に話はしておいたけど、予想を超える大きさだったらしく、いまだ落ち着かない様子だ。

「別に、私達がこういう船に乗りたいって希望したわけじゃないんだしさ。事務所側が手配してたのを、こっちが遠慮することはないでしょ」

 堂々と答えた私に、オーブは躊躇いがちに頷いた。


 三日前、私とロゼとオーブは、三人揃って事務所の所長室へ出向き、研修を受けることを正式にレイモンドさんに伝えていた。そこで、渡航手段などの詳しい説明を受けて、この船に乗ることがわかったのだ。

 オーブは帝国に着けばどんな船でもいいと思っていたらしいが、私はアムリーテみたいな船に乗れることを単純に喜んだ。複雑だったのはロゼで、自分の家がやってる会社の船に乗ることに、あまりいい思いはしなかったという。ただ、今はもう気持ちを切り替えたそうで、不機嫌な素振りなどは見られない。


「みんなーっ!」

 突然、朗らかな女の人の声がして、私は船縁沿いの通路に視線を向けた。

 こちらに向かってくる、眼鏡をかけた赤毛の女性は、間違いなくアヤさんだ。

 そのすぐ後ろには、ディランさんもいる。

 研修に行くことが決まった後。私から連絡を受けたアヤさんが色々動いて、二人とは本当に一緒に帝国へ向かうことになったんだけど……。港で合流した時と、服装が全然違う。

 今朝の二人は、車で送りにきた大使館の人と同じ、ビシッとしたスーツ姿だったが……。今のアヤさんは、ブラジャーにしか見えない服を身に着けて、腰にスカートみたいな布を巻いていた。ディランさんは半袖のジャケットを着て、ハーフパンツをはいている。孤児院の皆が見送りにきたのを知って、今まで私達と別行動をしていた二人は、その間に着替えを済ませたらしい。

 船上は、吹き抜ける潮風が無ければ汗が滲んでくる暑さで、他の乗客も相応の薄着姿が多い。

 ただ、スタイルよく胸も大きいアヤさんは、女性の中でとりわけセクシーだ。すでに、アヤさんの服の趣味を知っているロゼとオーブは、特に反応も無いけど……。真面目に何を食ったら、あんなに胸が育つのかしら。


「アヤさんに、ディランさんも、着替えたのですね」

 傍まできた二人に、ロゼは軽く笑って声をかけた。

「ええ、こんな場所でスーツなんか着てられないもの」

 さっぱりした表情のアヤさんに、ディランさんも同意する。

「それで、子供達とのお別れは無事に済んだの?」

 さらにアヤさんが、気遣うように訊いてきた。

「はい。バタバタして、すみませんでした」

「いや、気にしないでくれ」

 ディランさんが返事をした私を見て、優しく目を細めた。

「良ければ僕達にも、孤児院がどういうところで、クリスティアさんやオーブさんがどんな生活を送ってきたのか、教えてくれないかな?」

「いいですけど、オーブは?」

 ディランさんに応じて、私は少女に視線を移す。

 ……と、オーブは明るい顔つきで首肯した。

 この様子なら、孤児院の皆との別れを引きずることもないだろう。

 そう思って安堵した時――。

 港内を出た船が汽笛を鳴らして、どこか哀愁を感じる低く大きな音が、水面と同じ紺碧の空に響いた。

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