貴方と共に 四
細いウエストと豊かな胸が強調されるキャミソールの上に半袖のジャケットを着て、ジーンズをはいた脚もすらりと長い、モデルのような眼鏡美人が喫茶店内を見回している。
これまで主にスーツや作業服姿しか見てこなかったからか。なんとなく地味なイメージのあった相手が、男性の店員さんやお客さんの視線を集めるセクシーな格好で現れたことに、私はかなり驚いていた。
「あれ、アヤさんですよね?」
「間違いないけど、あの人、私服はああいう感じなのかな?」
私は目を丸くしている横のオーブに答えて、相手の方を向いたロゼに声をかけた。
「着慣れているように見えるし、そうかもしれないぞ」
「はい、すごく似合ってます。やっぱり綺麗な人ですね」
応じたロゼの言葉に、オーブがこくこくと頷いた時。入口で店員さんと話していたアヤさんが、こっちを見ながら手をあげた。
テーブルの傍へきた相手を前に、すっと立ち上がったロゼが自分の隣の椅子を引く。
それに、お礼を言いつつ座ったアヤさんが、優しげな笑顔を浮かべた。
「ロゼッタさん、クリスティアさん、オーブさん、久し振り……でもないのかな」
「そうですよ。別れてから、まだ何日も経ってません」
私が笑うと、全員を順に眺めていたアヤさんも小さく笑った。
「本当ね。だけど、改めて皆、元気だった?」
「はい、こちらは大丈夫です」
ロゼの返事に、私とオーブも同意する。
気軽に声をかけてくるアヤさん、ここにいないディランさんとも、船を脱出する際から私達に対して丁寧な言葉遣いをやめていた。あの時は気を回す余裕がなかったみたいだけど、最早、直すのも変なので、そのままくだけた話し方をするようになっている。
「アヤさん達こそ、お元気でしたか?」
「私は平気なんだけど……」
水を運んできた店員さんが去って訊き返したロゼに、歯切れ悪くアヤさんが答えた。
その原因であろうことを問い掛けてみる。
「今、ディランさんは体調崩してるんですよね?」
「ええ、昨日の夜から急に熱が出ちゃって……。でも、心配はないの。医師の方がついているし、大人しく休んでいれば回復するわ」
私を安心させるように言って、アヤさんはグラスに口をつけた。
さっき電話で話した時から気になっていたけど、そういうことなら大丈夫なんだろう。
続けられた話によると、私達と別れて大使館に行った後、アヤさん達は今回の事件について、帝国の捜査当局や政府関係者などに何度も事情を聴かれたという。
当然、心身の状態を考慮した上でのことだったが、気の休まらない中で疲れがたまり、身体の弱いディランさんはダウンしてしまったらしい。
「――私達、今日と明日は時間が自由になるから、皆と連絡が取れないかずっと考えていたの。ディラン君、この場に来られないことを、とても残念がっていたわ。聞いているかもしれないけど、私達は近日中に帝国へ帰る予定なのよ」
「……あ、それは知っています」
語る途中より、暗い声に変わっていたアヤさんが、私の返答に頷く。
「だから、会える内に皆と会って、最後にお別れを言いたかった。事件のことを話し合いたいっていう今日の用件は、嘘みたいなものなの。ごめんなさい、仕事もあるのに時間を使わせてしまって」
悲壮感さえ漂わせて、アヤさんは謝ってきたんだけど……。ロゼとオーブが無言で、私に目配せしてきた。
二人の言いたいことを理解し、私は少々気まずい心情になりつつ、テーブルの端に置いてあった自分のビジネスバッグを掴む。
そこにしまっていた茶封筒を取り出して、中の書類……遺跡管理機構本部で受ける、研修内容が書かれたモノを数枚手にした。
「ロゼ。これ、アヤさんに見せてもいいよね?」
「ああ。ただし、エイミーさんの説明を伝えてからだ」
確認しあう私とロゼを、アヤさんが交互に見てきた。
「二人とも、なんの話?」
「黒き翼の事件があって、今、事務所では情報の扱いが厳しくなっています。これから話したいことは機密扱いで、部外者に漏らさないよう言いつけられているんですが、それをアヤさんも守ってくれますか?」
怪訝な顔ではあるが、相手が私の問いにはっきりと頷いた。
「よくわからないけど、太陽に誓って守ると約束するわ」
おお、ロングランドだとほとんど聞かないが、太陽を神聖視しているソニア教徒らしい台詞だ。
それはともかく、確かに約束してくれた相手に、「まず読んでみてください」と言って私は書類を手渡した。
「――えッ!」
口元に片手を当て、驚愕をあらわにしたアヤさんが、食い入るように書類を見つめる。
その、あまりに真剣な目つきに、私まで息をのんだ。
「ジェネスにある遺跡管理機構本部で、半年間の試験研修っ。ソニア帝国へ出発するのは、五日後……。く、クリスティアさん!」
「ひゃい! なんでしょうかっ?」
いきなり書類から顔を上げたアヤさんに呼ばれ、舌がもつれてしまった。
「この研修を……皆で受ける? 受けるのね? 受けるわよね?」
「そ、そうです。正式に決まるのは明後日なんですが、全員受けるつもりでいます」
若干、意味不明な問いに焦りつつ応じると、アヤさんが書類へ視線を戻した。
「乗る船や時間はまだわからないのか……。でも、確実に客船の類よね。うん、悪いんだけど、その辺りの詳細が確定したら、今日の要領で大使館に連絡をくれない?」
「それで、どうするのですか?」
呆気にとられているようなロゼへ、アヤさんが満面の笑みを向けた。
「私達の帰国の手配をしている大使館の職員に、皆と一緒の便に乗れないか掛け合ってみるの。私的な理由だろうと帰るのに変わりは無いんだから、必ず承諾してもらうわ!」
「――ッ、あははっ」
僅かに顔を上気させ、力説する相手の姿がおかしくて、私は思わずふき出していた。
「すみません。でも、アヤさん、少し落ち着いてください」
なんとか普通に喋るも、つられたように今度はロゼとオーブが笑い声をあげる。
それを見て、我に返ったようなアヤさんが、恥ずかしそうに咳払いした。
「取り乱して、ごめんなさい。皆、帝国にくるのが本当に嬉しくて……」
涙目になっているアヤさんへ、私は笑ったまま頭をかく。
嬉しい気持ちはこっちも同じだが、こんなに親しく思われているとは予想外だった。
「ただ、帝国に着いた後、そう簡単に会えるとは限らないのよね」
私に書類を返しつつ、アヤさんは悩ましげに言った。
「アヤさん達の勤めるフェザー生態研究所って施設も、確かジェネスにあるんですよね。遺跡管理機構本部と近かったりはしないんですか?」
何時か読んだ資料の記憶を手繰り寄せ、訊いてみた私へ、
「うーん、近くはないかな。まあ、今回の事件のこともあるし、何かと関わる機会は多いかもしれない」
そう答えたアヤさんが、気を取り直したように微笑んだ。
「お休みの日や暇があったら、ジェネスの案内をさせてね。見てほしい観光スポットとかが、数え切れないくらいあるから」
「是非、お願いしますッ!」
素早いオーブの返事に、アヤさんが喘ぐような声を漏らした。
「――大事なこと忘れてたわ。オーブさんの記憶について、私とディラン君に相談があるって……」
言うまでもなく思い出してくれたことを感謝し、私はアヤさんへオーブの事情を大まかに話していった。
もちろん、真実は伏せたままだが……。
ラバー市の遺跡の未調査区域で倒れていた、記憶の無い少女がオーブだということ。
黒髪のオーブはロングランド共和国外の人間らしく、記憶の手掛かりがソニア帝国であること。
帝国の情報を得る為に遺跡調査員となり、初仕事で今回の事件に巻き込まれたことなど――。
それらの事柄を、時折、質問を交えて聞いていたアヤさんだけど、残念ながらオーブに関してわかることは無いという。
「……研修の件と一緒に、オーブさんのことを後でディラン君に話してみるわ。ただ、彼も私と同様で、何もわからないと思う」
空になったグラスに触れながら、憂い顔で言ったアヤさんが、「そうですか」というオーブの呟きを受けて目を伏せる。
「ごめんなさい。大変な思いをしているのに、力になれなくて……」
「いえ、わたしは平気です」
気丈に応じた少女から私へ、アヤさんが心配そうな眼差しを向けてきた。
「帝国で、あちらの警察と接触すれば、何らかの情報を得られるでしょうけど……。そういった手段も含めて考えはあるのよね?」
「はい。災い転じて福となすって言葉じゃありませんが……。こういう展開になったのを利用しない手はないですから、やれることはなんでもやってみるつもりです」
決意を口にした私に、オーブが力強く同意した。
「わかった。私もできるだけ協力するから、何かあれば相談してね」
「……アヤさん、ありがとうございます」
オーブに感謝され、アヤさんは明るい表情で喜んだ。
「それにしても、オーブさんは意思というか、心が強いわね。クリスティアさんの言う通り、まだ十二歳くらいにしか見えないのに、成人扱いされて働いているのも凄いわ」
「理屈はわからないが、身体的強さも屈強な傭兵並だしな。素手の戦いならクリスはおろか、確実に私より上だ」
アヤさんとロゼに褒められた華奢な少女が、慌てたように手を振る。
「そ、そんなこと、ありません」
「いや、ほんと。それで顔は、とんでもなく可愛いときてるし、なんか反則だよね」
私が事実をつけ加えると、オーブは頬を赤らめた。
こういう反応は子供っぽい。ただ、現在、十七の自分の五年前を思えば余程大人だ。
「……わたし、確かに力とかは強いですが、心の強さなんて全然無いんです。自分が誰かわからない不安が何時もあって、時々とても怖くなる。それでも頑張れるのは、クリスさんや、たくさんの人達が支えてくれているからで……」
噛みしめるように言ったオーブが、静かに顔を俯ける。
伝わってきた想いに胸の奥が熱くなったけど、私は口をつぐむしかなかった。
「ふむ。やはりクリスを高く買っているようだが、私は頼りないか?」
「え、ちがっ」
悲しげなロゼの問いに、オーブは血相を変えたが……、
「冗談だよ」と、おどけた口調で続けられ、可愛らしい抗議の声を発した。
そんな様子を、私が笑って見ていたら、
「ねえ、皆は明日って何か予定ある?」
突然、真面目な顔をしたアヤさんが、そう訊いてきた。
「ロゼとオーブは用事が入ってますけど、私は何もありませんよ」
多分、家の人と会うロゼ。病院に行くというオーブが、私の言葉にそれぞれ頷いた。
「――そうなんだ。私ね、明日、ロングランドへ来た記念に、色々買い物をしたいと考えているの。それで、どこかいいところがないか、探しているんだけど……」
微妙に、ぎこちなく喋ったアヤさん。ただ、要望はわかった。
「あの、ラバー市の百貨店とかでいいなら、私が案内しますよ。カイントの店と比べても規模や品揃えは劣ってませんから、なんでも揃うと思います」
別に回し者ではないが、私は頭に浮かんだ地元の店を推してみる。
すると、アヤさんがにこやかに自身の両手を合わせた。
「じゃあ、そこにする。朝からつき合わせることになるけど、クリスティアさんに案内をお願いしてもいいの?」
「構いません。九時には大体どの店も開くので、それくらいにラバー駅前で待合せできれば行動しやすいんですが、来られますか?」
「ええ、今日みたく大使館の人に車で送ってもらえば……。というか、単独での外出は禁じられていて、移動は全て車になってしまうのよ」
「――ああ、なるほど」
安全面とかを考えれば、妥当な配慮か。
同時に荷物の問題も解消し、私は安堵した。が、なんかロゼとオーブの様子が変だ。
「アヤさん。今日、この後、買い物には行けないのでしょうか?」
「それは……。準備もしてないし、ちょっと無理ね」
答えた相手に謝られ、ロゼが居心地悪そうに身じろぎした。
――なによ。つき合いたかったとか? でも、無理なら仕方ないじゃん。
「わたし、明日、病院に行ってからクリスさん達と合流したいんですがっ」
「ん? けど、あんた……。時間の都合がつくかわかんないでしょ」
私の指摘に、勢いよく提案してきたオーブが黙り込む。
「えっと、買い物したりするだけだし、こっちの事はいいからさ。ロゼとオーブは、自分の用事をしっかりやってきてよ。ね?」
確認する私へ、しぶしぶといった感じで二人が首を縦に動かした。
――だから、オーブまでなによ。なんかあるの?
不思議に思った時、アヤさんが声をひそめて笑った。
「明日の案内のお礼に、ここの支払いは私が持つわ。皆、もう昼食は済ませたみたいだけど、デザートとか食べたい物があったらなんでも注文してね」
そんなことを言われて断れる程、私は人間が出来てない上に、減量もしていない。
いそいそとメニューを広げた私に対し、溜息をついたロゼとオーブが気掛りではあったけど……。今は美味しそうなパフェを頼むか否か、お腹の具合との相談に集中することにした。




