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レストピア  作者: 名残雪
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はじまりの遺跡 三

「う、あ……」

 苦しさで片膝を床に着いた私は、自分とは逆に立ち上がった相手を見た。

 低く唸りながら、私を見下ろす黒髪の裸の少女。

 その両手が、もの凄い力で首を絞めてくる。

 振り解こうとするも、相手の腕などはビクともしない。


 ――どうして、こんなことになってんのよ!


 少女が目を開けた次の瞬間には、もう指と爪が首に食い込んでいた。

 この状況になってから、十数秒の間。

 こうなった理由を必死に考えてみたが、わかるわけがない。

 相手が目を覚ましたのは良かった。

 しかし、今は真剣に、自身の命の危機を感じていた。


「お、おいっ、やめないか!」

 後ろで声が聞こえ、私の隣に立ったロゼが少女へ手を伸ばす。

 でも、その腕が、私の鼻先で弾かれたように跳ね上がった。

 苦悶の声をあげたロゼが、少女の前から飛び退る。

 なに、今の――。

 ロゼに掴まれる前、首から片手を離した少女が、とんでもない速さで腕を真横へ振って……。一瞬、私の前髪が全て浮き上がった。

 信じられない。どう腕を動かせば、あんな風を起こせるのか。


 後ろに下がったロゼの表情とかはわからない。

 ただ、動揺している様子が気配から伝わってきた。

 同時に、背筋へ悪寒が走る。

 呼吸が苦しい以前に、残る手で絞められる首の皮膚が、今にも裂けそうだ!

 この子、普通じゃない。身を守らなきゃ、殺される。

 私はつなぎの右太ももに括りつけたケースから、長さ三十センチ程の金属の棒を引き抜いた。

 ――スタンバトン。

 低出力でも、人間なら一撃で行動不能。高出力の場合、即死レベルの電流が先端から流れる仕組みとなっている、本来は野生動物などを撃退する為の護身用具だが……。

 私はバトンの柄にある安全装置を指で解除し、出力調整ダイヤルを操作する。

 少女はこちらの動きに気づいていない。

 僅かに躊躇(ためら)った後。私は少女の脇腹に、バトンの先端を接触させた。


「アがッ!」


 作動スイッチを押した途端、放電の光と音が生じ、そこに少女の短い悲鳴が重なった。

 よろめいた相手が、首から手を離して後退する。

 私はそれを見て、咳き込みながらも、どうにか息を吸った。

 助かった?

 そう思った時、恐怖に全身が総毛立った。

 

 少女が、黒髪を振り乱して突進してくる。

 まるで怒った獣のように、整った顔を凶暴に歪め、真っ直ぐ、私へ。

 バトンの出力は最低まで下げていた。それでも直撃を受けて、すぐに動けるはずがない。ないが、実際相手は動いていて……。

 これで組みつかれたりしたら、今度こそ絶対にまずい。


 考えた瞬間に、身体が反応した。

 私は片膝を着いたままバトンを手放し、前傾姿勢をとる。

 そのまま思い切り床を蹴り、身体ごと向かってくる少女へ突っ込んだ。

 襲ってきた鈍い衝撃に、噛みしめた歯が軋む。

 頭突き。いや、体当たりか。ほとんど動けない体勢から咄嗟にとった行動で、ヘルメットをかぶった頭に痺れを覚えた時、何か大きな物音がした。


 私は(かぶり)を振って顔を上げる。

 見えたのは、壊れた壁際の機械の中で項垂(うなだ)れ、ピクリとも動かない少女。

 かなりの勢いで吹っ飛び、背中から壁にぶつかったらしい。相手の周囲の機械はぐしゃりと潰れていて、驚くことに所々で火花が散っていた。


「クリス、大丈夫かっ?」

「……ああ。うん、平気」

 傍に屈んで眉をひそめたロゼに、私はなんとか頷く。

「あの子、気絶してるの?」

「わからない。相当、派手に衝突していたが……」

 私に応じたロゼが、鋭い視線を少女の方へ向ける。

 瞬間、目の眩む閃光が走り、さっきのスタンバトンを何倍にもしたような放電音が辺りに響いた。

「っ、ロゼ。ここの機械、生きてるよ!」

「恐らく、遺跡のどこかに発電装置があるんだっ。この青白く光る床なども、それで動いているに違いない!」

 大声で会話した時。光の瞬く視界の中で、突然少女が立ち上がった。

 全身を震わせる奇妙な動きに、私もロゼもぎょっとしたが……。直後、光と火花がおさまり、少女が今度は床の上で仰向けに倒れた。


「――な、感電?」

 言葉をこぼした私の前に、力なく横たわる少女。その全身からうっすらと白煙が上がっていて、黒髪の毛先は焦げたみたいに縮れていた。

 私は無言のまま、険しい顔つきのロゼと、少女の傍にしゃがみ込む。

「確かに感電したようだが、この子供、息をしていないぞ……」

「ちょっと、待ってよ!」

 かすれ声を出したロゼに、私はそう言い放ち、少女の胸と腹部を見据える。だけど、微動だにしない様子に、血の気の引く感覚がした。

「そんな、うそ……。この子、死んで……。これ、私が?」

 自分の行動が招いた結果を呟いた私に、ロゼが何かを言いかける。

 ただ、それを制し、私は少女の鼻をつまんで気道を確保した後、深く息を吸った。


 まだ、やるべきことがある。わけもわからないで、人を殺してたまるか。


 私は少女の唇に自分の口を当てて、ゆっくりと息を吹き込んだ。

 しっかり胸が上下したのを確認し、続けて心臓マッサージをしていく。

 思いつくモノ全てに、この子が助かるよう祈りながら、何度も、何度も、何度も……。私は人工呼吸とマッサージを繰り返した。

 しばらくして胸が苦しくなったが、「代わろう」と言ったロゼに首を横へ振り、再度、少女の口に息を吹き込む。その時だった。

 少女のまなじりが震え、開いた紫色の瞳と至近距離で目が合った。


「んん――っ! はッ、あ、やった。起きたああぁ」

 口を離した私は、思わず歓声をあげていた。

 すでに息は絶え絶えで目眩さえする中、ホッと胸を撫で下ろす。

 なにか涙まで出そうになった瞬間、

「クリスッ、下がれ!」

 強い口調で言ったロゼが、少女の両肩を手で押さえつけた。

 なにやって……。いや、そうだ。

 この子、いきなり私の首を絞めてきたんじゃないか。

「おい、お前っ。私の声が聞こえていれば、なんでもいいから返事をしろ」

 詰問するようなロゼの言葉。それを受けた少女は、きょとんとした表情のまま、不思議そうに私達を眺めている。

 なんだ? 襲ってきたりする様子は無いけど……。


「こんにちは、今日はいい天気ですね」

「――はぁ?」


 口を開いた少女の第一声に、私とロゼの気の抜けた声が見事にかぶった。

 この子、なに言ってんの? 

「あれ、違う? あれ、あ、れ……。あの、わたしが誰か知ってますか?」

 肩を押さえられた状態で、首を傾げた少女に、

「か、からかっているのか?」

 ロゼがそう言ったのも、無理からぬことだ。 

「いたっ。い、痛いです」

 少女の幼い声に、苦しげな響きが混じった。どうやら、手に力を込めていたらしいロゼが、私に困ったような目を向けてくる。

「えっと、取り敢えず、暴れたりしないって約束できる? でないと、そのお姉ちゃんは手を離せないんだ」

 私の問いに、少女は素直に頷いた。


 ロゼから解放され、上体を起こして身じろぎする少女を、私は複雑な思いで見つめる。

 疑問は山のようにあった。……が、まずは床のザックから、着替え用の半袖のシャツと下着を出して、いまだ裸でいる少女に手渡す。

「それ着なよ。あと、どこか身体で痛いところとかない?」

 私は訊きながら、相手の白い素肌を凝視する。

 スタンバトンを当てた部分に跡はなく、毛先の縮れた黒髪以外、目立った外傷などはなさそうだ。

「あ、ありがとうございます。特に、痛いところはありません。ただ……」

 口ごもった少女の答えを促すも、

「頭がちょっと重くて、ぼーっとしているような」

 出てきた言葉に、心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じた。


「お前、自分の名前はわかるか?」

「名前? わたしの、なまえ……」

 ロゼの質問に、服を着た少女は顔を俯けてしまった。

 明らかに考え込んでいる。そんな姿だけでも、愕然とするには十分過ぎて……。私はどうしていいかわからず、ただ少女の返答を待った。


「お、おぶー……。おーぶ? そう、だ。わたし、オーブです!」

「オーブ? それが、あんたの名前でいいのねッ?」 

 確認した私に相手が頷き、ひとまず安堵する。

 さらに、少女。オーブへ疑問を続けた。

「自分について、他にわかることはない? なんでこんな場所に、一人でいたのかとか。家族の事でもいいし、住んでいた家はどこ?」

 一気に喋ってみたけれど、ややあって困ったようにオーブが言った言葉は、「わかりません」だけだった……。


 長い黒髪を、服の外へ出そうともがいているオーブ。

 この髪の色からして問題なのに、自分が誰かもわからないとか……。

 悩みながら少女を見る私に、ロゼが顔を寄せてきた。

「クリス、落ち着いて聞いてくれ」

「私は落ち着いてるよ」

 乾き切った喉から出た返事は、自分でも驚く程、弱々しかった。

「なら、いい。これは、あくまで可能性だがな。あの子はなにか、記憶が混乱している」

 私はロゼの話に頷く。現状において、それは認めるしかない事実だ。

「とにかく、ここで考えていても仕方ない。今はあの子を連れて、遺跡を出よう」

「……だね、悩むのは後だ。行こう」

 私は相棒の提案に同意し、ごちゃごちゃした思考を頭の外へ追いやる。

 しかし、その瞬間。放電音と共に、壁の機械から火花が散った。


 オーブが悲鳴をあげて、私達も何事かと身構える。

 すると、正面の壁際に並んだ機械の列から、さっきより激しい火花が連鎖するように飛び始めた。

「なんか、まずいよ。こっちにきてっ」

 私はバトンなどの荷物を回収しつつ、呼びかけに応じたロゼ、オーブと一緒に金属のプレートの前まで下がる。それを待っていたかのように、部屋のあちこちで火花や電流がほとばしった。

「クリス、その子と先に部屋を出ろッ」

「わかった!」

 ロゼの指示を受け、私は怯えるオーブをプレートの隙間に通した。

 すんなり通過できた少女の後に自分も通り、続くロゼの手を引っ張る。

 私は問題なかったけど、ロゼが胸をこすりながら無理やり隙間を通った時。足元から、不気味な振動が伝わってきた。


 戻った部屋の天井を懐中電灯で照らした途端、パラパラ落下する石の欠片が私のヘルメットに当たった。

「地震か?」

 そう呟いたのはロゼだが、

「違う。この揺れ、オーブのいた部屋から伝わってきてる」

 私は光の漏れるプレートの隙間を見つつ、確信を持って答えた。

 会話をする間にも、振動は徐々に激しさを増していく。

「よくわかんないけど、ここ、急いで出た方がいい」

「ああ、出口まで走ろう」

 ヘッドライトを点けて言った私とロゼは、不安げな眼差しを向けてくる少女を見た。

「わ、わたし……」

 か細い声を出したオーブ。

 その足は素足で、ライトもなければ、とてもじゃないけど走れない。


「ロゼ、荷物お願い。この子は私が背負っていくよ」

「……いけるか?」

 私の言葉に、一瞬迷うような素振りをしたロゼが、短く訊いてきた。

 それに、「まかせて」と返事をしてザックなどを渡した後。私は少女に背を向けて座り、首を巡らせる。

「しがみつくの、わかる?」

「は、はい」

 問いに答えたオーブだが、遠慮しているのか、中々動こうとしない。

 ただ、一瞬部屋全体が揺れて、驚いたような相手が背に飛びついてきた。

「す、すみませんっ」

「いいから、くっついてて!」

 私は両手でオーブの太ももを持ち、気合いを入れて立ち上がる。思ったよりは重いけど、気にせずそのまま走り出した。


 先行するロゼを追って、私は全速力で階段を上がり、ライトの照らす闇の中を駆け抜ける。複雑でもない道だが、増す一方の振動に否応なく気持ちが焦った。

 やがて通路に入り、瓦礫で埋まった行き止まりがあって、その手前の部屋へと飛び込む。そこで見えた照明の光が差す天井の穴は、まさに脱出口だ。


 ロゼが身体を揺らして、垂れたロープを登っていく。

 私はそれを見上げつつ、背中から降ろしたオーブに、落下物がぶつからないよう注意を払った。

「クリス、いいぞッ」

「了解。次、オーブね!」

 上階に到達したロゼの合図に応じ、私は傍に立つ少女へロープを結びつける。正しい手順なんかは、全部無視だ。

「あ、あの……」

「大丈夫! 動かないで、じっとしてればいいだけよ」

 強張った顔のオーブに、私はできるだけ優しく笑いかけた。

 ここで暴れられたりしたら、もうどうしようもない。

 でも、危惧をよそにしっかり頷いたオーブを見て、私は口を開いた。

「ロゼ、上げてッ」

 合図をすると、あっという間に上昇したオーブの身体が、天井の穴を通って上階に消えた。数十秒後、戻ってきたロープを私も素早く登っていく。


 一階にきて、はっきりと感じた、新鮮な空気――。

 それを吸い込み、私は陽の光が差し込む遺跡の入口を睨んだ。

 もう、少しで……!

「オーブ、外だッ」

「は、はいっ」

 叫んだ私に、再び背負っていた少女が大声で応じてきた。

「ここで止まらず走れ!」

 先に入口に着いたロゼが、手を振って進むよう指示を飛ばす。

 あと、二十メートル。

 十、五、よし!

 入口まで目測した距離を走り抜けると、足元の石のタイルが砂利に変わった。

 陽光が眩しく、細めた目に、鮮やかな山中の緑が映る。

「こっちだ!」と声のした方向を見れば、右手の木立の中に屈むロゼの姿があった。私も急ぎ木立に入り、相棒の隣で背中のオーブを降ろす。

 同時に、轟音が響いて――。

 凄まじい振動と共に、遺跡の入口から大量の砂埃が吹き出てきた。


 ……この有様は、あれだ。

 未調査区域の下層が崩落して、それに上層までが巻き込まれたのだろう。

 脱出するのが遅れてたら、本気で生き埋めになっていたかもしれない。

 それを回避できたって意味じゃ、自分達は良い判断をした。

 しかし、こんなことが起きた、そもそもの原因は何?

 多分……というか、私だ。


 それに、これ。もし、まだ中に人がいたら――。


「おい、クリス。顔が真っ青だぞ!」

「だ、大丈夫ですか?」

 耳に届いたロゼとオーブの声が、急に遠ざかる。

 そして、景色が歪んで……。

 私はまた遺跡の内部と同じ、暗い闇の中へ落ちていった。

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