貴方と共に 三
「うにゃー……。こらぁ、大事になったわ」
取り敢えず戻ったエイミーさんの部屋の中――。
私は、朝きた時から三つ用意されていた椅子の一つにどっかと座り、言葉をこぼした。
「まったくだな」
「そう、ですね」
所長室を出た後、ほとんど喋っていなかったロゼとオーブが思案顔で応じて、並んだ椅子に座る。……と、陽の差す窓際のデスクにいたエイミーさんが、私へ視線を向けた。
「気の抜けた声ね、クリス。所長室での、しっかりした言動はどこへいったのかしら?」
「あぅ、すみません」
呆れたような相手へ、私は背筋を伸ばしながら謝る。
研修の話を聞いてから、ようやく緊張が解けていたところで油断していた。
「エイミーさんは気が置けない相手なので、つい……」
「調子のいいことを……。そんな様子だと、本部でやっていけるのか心配になるわ」
鋭い物言いに、半笑いでいた自分の表情が引き締まる。
そして――、
「研修、受けるつもりなのでしょう?」
「はい」
見据えてきたエイミーさんへ、私は、そう言い切った。
「これからは国際化の時代だっていう所長のお話は、良くわかるものでした。研修制度を作ることも賛成です。それに協力できるなら、やりがいはあるし、私自身、知識や技術を学ぶ機会にもなる。加えて、オーブの事情を考えれば、断る理由はありません」
思っていたことを口にした、私の視界の片隅で、少女がホッとしたように息をついた。
「……クリスさん、ありがとうございます」
「別に、あんたが感謝することじゃないでしょ。私は自分が経験を積むチャンスでもあるから、受けたいって考えただけよ」
泣きそうな顔のオーブに、私は苦笑して答えた。
第一、オーブが帝国と関わっている確かな証拠は無い。仕事とは無関係のことだし、エイミーさんがレイモンドさんの前で話をしてくれていなければ、今、同列に語ることも難しかっただろう。
「ただ、ちょっと気になるんですが、研修費用って自費じゃありませんよね?」
割と真面目に訊いた私を見て、エイミーさんが頭を振った。
「当たり前でしょう。研修に関わる費用は、全て事務所側が負担するわ」
「おおっ、良かったです」
笑って返したが、いや、本当に良かった。これでお金の問題は無くなったか。
「ちょうどいいわ。貴方達、この場でざっと書類に目を通してみなさい。私、昼休みまでは時間があるから、疑問があれば答えるわよ」
「あ、はい。じゃあ……」
続けられたエイミーさんの言葉に従い、私は持っていた封筒を開ける。
中に入っていた十数枚の書類には、レイモンドさんから聞いた研修の目的や現地での活動方針、大まかな日程、渡航にあたっての諸注意などが記されていた。
私達の目的地、遺跡管理機構本部は、北ソニア大陸のソニア帝国首都、ジェネスにある。ジェネスといえば、一千万人以上の人口を擁するという、冗談抜きに世界で最も繁栄している巨大都市だ。
そこまではカイント市の港から出ている船に乗って、十日間程で到着する。出発は五日後の朝となっていて、あまり悠長に構えている時間はないらしい。
研修は本部で講習を受けたり、現地にて進行中の遺跡の調査に参加したりもするようだ。「今後、制度が順調に実施されるかどうかは、私達の働きにかかっている」とか、中々厳しいことも言われた。
また、「黒き翼の捜査に協力している身で、帝国に行ってしまっていいのか」とロゼがエイミーさんに訊けば、警察から許可は出ているとの回答があった。他にも、幾つか気掛りな点があったけど、特に問題はなさそうで……。
大体の質問を終え、エイミーさんが手の書類から目線を上げた。
「――色々と細かい部分は、現地に行ってみなければわからないということで、今は納得して。それで、ロゼ。貴方はどうするつもり?」
「私も、クリスと同じ考えです」
躊躇いもなく、はっきりと答えた相棒の、なんと頼もしいことか。
しかし、聞いていたエイミーさんは、浮かない表情で腕を組んだ。
「了解したわ。ただ、一つ。個人的なことを言ってもいいかしら?」
「……はい、なんでしょうか?」
問い掛けに応じたロゼ共々、私は眉を寄せる。
「貴方、今回の事件のことを、ご家族の方に話していないわね?」
事実を指摘され、ロゼの表情が強張った。
「そうですが……。まさか、事務所に何か?」
「ええ。先日、ウィリアム・バーンズさんから電話がきたと、事務から報告があったの。貴方の無事は知っていたけれど、連絡がないことを気に病んでいたらしいわ」
うわ、お兄様の一人が直々に――。
厄介事の予感がした時。「ウィル兄さんめ」と、ロゼが呻くように呟いた。
「……このまま帝国へ行くと、事務所にご迷惑をおかけしてしまいそうですね。わかりました、すぐに連絡を入れます」
「そうしてもらえると助かるわ」
エイミーさんの一言の後、黙ってしまったロゼは、家の人と直接会ったり連絡することを避けている。だから、相手もこんな回りくどい手段を取ったのだろう。
ロゼの事情を知るエイミーさんは、その辺のことを察しているはずだが……。当惑顔のオーブは、展開についていけてないみたいだ。
でも、ロゼが家と縁を切っている事とか簡単には説明できないし、どうしたものか。
「最後になったけれど……。オーブさん、貴方も当然、研修を受ける気でいるのね?」
「は、はいっ」
動揺を見せながらも答えたオーブに、エイミーさんが続けた。
「わかったわ。ただ、貴方にも連絡を取ってほしい人がいるの」
「え、私に?」
オーブは心当たりが無い様子で、
「それって、この子の身元を調べている警察の人達ですか?」
私の質問にも、エイミーさんは首を横へ振った。
「警察は研修を受けることを了承しているから、連絡の必要はないわ。私が言っているのは、オーブさんの通っている病院の医師の方なの」
「あ、研修を受けて治療に支障がないか、判断を仰ぎたいってことですか?」
「その通りよ。お願いできる?」
エイミーさんが、質問を続けた私に応じて、
「わかり、ました。それでは、明日にでも病院に行ってきたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
オーブの問いに頷いてから、黒縁の眼鏡を外した。
「渡航の詳細は、明後日、所長へ正式な返事をした際にも伝えます。ただ、五日後発つことに変更は無いはずだから、そのつもりで準備などを進めてちょうだい」
「――はい」
私達が声を揃えると、エイミーさんは眼鏡をデスクに置いた。
「さっきのオーブさんではないけれど、敢えて言わせてもらうわ。研修を受けてくれてありがとう。貴方達の協力に感謝します」
「いえいえ、っていうか……。こうなるってこと、やっぱりわかっていたんですか?」
訊いてみた私に、「ええ」と言って、エイミーさんが目を閉じた。
「オーブさんはともかく、これまでのつき合いから、クリスとロゼの反応は予想していたわ。その上で、貴方達なら上手くやれると信頼もしている」
「たはは……、微力を尽くします」
重圧を感じて、笑うしかなかった私。
横目で見たロゼとオーブも、困ったような表情を浮かべていた。
ただ、仕事を始めて一年以上お世話になっている恩人に、ここまで言われては、期待に応えないわけにはいかない。
「ありきたりな励ましだけど、大丈夫よ。今回の事件の体験を思えば、きっと、どんな苦難も乗り越えられる。違う?」
目を開き、首を傾げたエイミーさんが、
「……ですね。あれに比べたら、大概のことはなんとかなる気がします」
私の答えを聞いて、優しく微笑んだ。
「その意気で頑張りなさい。成功を祈っているわ」
静かな言葉に、思わず胸が詰まる。
多分、半年なんてあっという間に過ぎるけど……。しばらくエイミーさんに会えないことを考えて、無性に寂しくなった。
「それと、貴方達、午後は何か用事があった?」
不意の問い掛けに、皆で顔を見合わせる。
「いいえ、特にありませんが……」
そう返した私へ、エイミーさんが眼鏡をかけ直しつつ首肯した。
「実は今日、帝国の大使館にいるアヤ・フォスターさんから事務所に連絡がきて、貴方達宛ての伝言を預かったのよ」
「アヤさんから、伝言?」
全員の驚いた声が重なった。
「――お帰り、ロゼ」
「すまない、アヤさんは来ていないな」
四人掛けのテーブルについたロゼが、対面にいる私とオーブから、まばらにお客さんの入った喫茶店内へ目をやった。
「はい、まだ少し時間がありますね」
オーブの言葉通り、約束の時刻は午後一時で、店内の時計はその十分前を指していた。
私達の座るテーブル席は、入口から見えにくい角に位置しているけど、店内は広くもないので待ち人がくればすぐにわかる。
ただ、以前もロゼと来たこの喫茶店自体、表通りに面していない多少わかりにくいところにあるので……。事務所に近いからと、ここを待合せ場所に選んだ私としては、アヤさんが送ってもらうと言っていた車が、道に迷ったりしないことを願うのみだ。
本日の午後。黒き翼の事件について私達と話し合いたいので、可能ならば時刻や場所を指定し、大使館へ連絡してほしい――。
それがエイミーさんから伝えられた、アヤさんの伝言の内容だった。
皆、会えるなら会いたいと思っていて、エイミーさんとの会話を切り上げた後、特に議論も無く、電話を取り次いでもらったのが二時間くらい前。
そのままアヤさん本人と私が話し、待合せの時間とかを決めたんだけど……。今日、私達が事務所にくることは警察に知らされたらしいこと。さらに、あいにくディランさんは体調を崩していて、喫茶店には一人で向かうことなどを聞いていた。
事務所を出て、すでに一時間は経つ。
ここで昼食も済ませていて、あとは相手の到着を待つだけだが――。
「……あのさ、ロゼ。家の方はどうなったの?」
訊くと、秀麗な顔を歪めた相棒が、口をつけたばかりのコーヒーをテーブルに戻した。
普段、砂糖もミルクも入れないので、それが苦かったなんてことはあり得ない。
五分程前、「家に連絡してくる」と言って、ロゼは店内にある公衆電話のところへ行っていた。姿が見えなかったから、そこで、どんなやり取りがあったのかは不明だ。
しかし、わざわざ宣言した以上、隠すつもりは無いはずで……。オーブのいるこの場にて、家のことを切り出した私を咎めるような様子も無かった。
「……連絡はついた。それで明日、車で出掛けることになったのだが、構わないか?」
「そりゃいいけど、平気なの?」
ロゼは家の事情に深入りされるのを嫌うから、どこまで突っ込んでいいのか迷う。
「心配はいらないよ。これまでのことも含めて、その内、オーブにも話をしよう」
緊張気味に会話を聞いていた少女へ、ロゼが穏やかな口調で声をかけた。
「あ、えっと……。すみません」
「何故、お前が謝る? 問題を抱えているのは私だろうに」
目を伏せたオーブを、ロゼがおもしろそうに笑った、その時――。
軽快なドアベルの音が鳴って、喫茶店に赤毛の美人が入ってきた。