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レストピア  作者: 名残雪
27/40

貴方と共に 一

「さ、入って。オーブ」

「は、はい。失礼します」


 扉の閉まったアパートの玄関。

 そこに立った白いワンピース姿の少女が、抱えていた紙袋に視線を向けた。

「これ、ミランダさんから渡すよう頼まれた、お見舞いです」

「ごめんね。わざわざ、持ってきてくれて」

 感謝して受け取ろうと、左手を伸ばすも、

「中まで運びます。クリスさんは怪我人なんですから、無理をしないでください」

 そう言われて、私は右腕に巻かれた包帯に触れつつ苦笑する。

「大丈夫なんだけど……。じゃ、お願いしようかな」

「はい。あの、ロゼさんは?」

 室内履きに履き替えて質問してきたオーブへ、

「買い物に行ってて、そろそろ帰ってくるよ」

 私はそう答えながら、居間に繋がる扉を開いた。


 八月の中旬になって、毎日、暑い日が続いている。

 今日も青空が眩しい日で、昼下がりの日差しが入るアパートの室内は、窓を開け、扇風機を全開にしなければとても過ごせない。それも、袖なしのシャツにショートパンツという、人前へ出られるギリギリの薄着でいてようやくだ。


 紙袋をキッチンに置いてもらい、近くにあるテーブルの椅子へオーブを促す。

 ……と、座った相手が緊張気味に辺りを見回した。

「オーブ、ここにきたのは初めてだね。なんか珍しい物でもある? それとも、物が全然無くて驚いたとか?」

「い、いえ。すっきりした、キレイな部屋だと思いまして」

 気をつかったみたいな答えに、私は小さく笑った。

 でも事実、白い壁紙の張られた室内には、生活に必要な家具があるだけで飾り気も何も無い。仕事から戻った間しかいないこともあって、インテリアなどあまり考えてこなかった部屋は、これまで招いた仕事仲間などからもオーブと似た感想を言われていた。


 氷を入れておいたポットの紅茶をグラスに注いで、オーブの前に出す。

 続いて自分の分も用意し、椅子に座ってから、私はテーブルの上の新聞を見た。

 小さな記事には、五日前にサイエン市沖にて沈没した、外国籍の貨物船の続報が書かれている。


 ――あの日。

 貨物船からボートで脱出した私達は、接近してきた沿岸警備隊の船に保護された。警備隊の船は、最近、多発している大海蛇(シーサーペント)の出現に備えたパトロール中の巡視船で、最初は私達を、そういう化物に襲われ、沈む船から逃げてきた乗員と勘違いしていた。

 しかし、捕まっていた事情を話すと事態は一変。直ちに応援の船が招集され、生存者の捜索などが行われる間、私達を乗せた船はサイエン市の港に戻り、そのまま全員、市内の病院へと送られたのだ。

 そこで、治療を受けた結果……。私の腕は大事に至らず、オーブも無事に意識を取り戻し、打撲や裂傷など細かい怪我を負っていたロゼ、ディランさん、アヤさんの皆も命に別状は無いことが確認されていた。


 病院にいた二日の間。すでに私達の捜索を始めていた警察の人や、事務所の代表できたエイミーさんに色々と事情を聴かれたりした。その誰もが、黒き翼とフェザーの話で驚いていたけど、大変な目に遭ったことを同情してもくれた。

 治療が済んですぐ、ディランさんとアヤさんは、カイント市にある帝国の大使館に呼び出されて、現在、連絡が取れなくなっている。私、ロゼ、オーブはラバー市に帰った後、事務所から三日間の自宅療養を言い渡され、今日がその三日目――。


大海蛇(シーサーペント)の襲撃を受けて、沈没したと思われる貨物船。依然として生存者を発見できず、行方不明者多数のまま、捜索が打ち切られる模様……」

 同じところを見ていたのだろう。日毎に扱いの小さくなる記事の内容を暗い声で読み上げたオーブが、私に目を向けた。

「私達以外に、生きていた人がいなかったっていうのは、本当なんですよね。発見された遺体も少ないって……」

「うん。大勢の人が船と一緒に沈んで、見つかっていないブラッドやジャスティンも、多分、その中にいる」

 警察から聞いた情報を言って、私は冷たい紅茶を飲む。

 グラスをテーブルに戻すと、オーブが再度、口を開けた。

「警察は、何時まで事件のことを秘密にしておくつもりなんでしょうか?」

「わからないわ。黒き翼の捜査は始まったばかりだっていうし、しばらくは今の状況が続くんじゃないかな」

 推測に「そう、ですか」と呟いたオーブから、私はまた新聞へ視線を向ける。


 世間では事故だったと認識されている沈没した貨物船の捜査情報を、警察はほとんど公表していない。特に黒き翼が関わっていることは、全て伏せられたままとなっていた。

 黒き翼の関与を公表しない理由は、報道が連中の目的でもあった売名行為のような結果を生むのを防ぐ為で……。私達の他、事務所の人間など捜査に協力する者は、警察の許可なく関係者以外に真実を口外しない誓約(せいやく)を交わしていた。

 ともかく、黒き翼の起こした今回の事件は、この国の政府とかにかなりの衝撃を与えたらしくて、様々な事態が収束するにはまだ時間が必要だという。


 事件に、キッカさん、ジャスティンといった元職員の遺跡調査員(サーチャー)が関わっていた。さらに、現役幹部のケビンさんが情報漏えい容疑などで逮捕された、遺跡管理機構(ミスリル)ロングランド支部でも混乱は広がっている。

 そういったことをエイミーさんから言われたのが、二日前に、私、ロゼ、オーブの三人で出席したキッカさんの葬儀の場だった。今日、ミランダさんのお見舞いを持ってアパートに来たいとオーブが言い出したのも、その時だ。


「――取り敢えず、今後の方針みたいなのは、明日行くことになってる事務所で色々説明があると思う。何するにも、まずは、それを聞いてからだ」

 切り出した私の言葉に「はい」と返事をしたけど、

「でも、何を言われるのか、不安です」

 そう続けたオーブが、顔を俯けた。

「あんたさ……。自分の気絶させた相手が、船から逃げられずに、死んでしまったことを気にしてる?」

 私の質問に、少女の首が縦に振られる。

 意識が回復してから、オーブとこういう話をするのは初めてで、

「今回の件で、私達の取った行動が何らの罪にもあたらないっていうのは、警察の人も認めていたことだよ。エイミーさんだって、悪いようにはならないと言ってたでしょ?」

 なんとか励ましてみるものの、曖昧に応じられて困ってしまう。


「……オーブが倒した船員達を含めて、沈む船にいた人を助けず逃げたのは私達だ。それは責められても、気を失っていたあんたが責任感じることなんて一つもないわ」

 私が悩みながら言うと、オーブはハッとして顔を上げた。

「結果論だけど、ああしなければ、こっちも全員死んでいた。だから、自分は正しかったんだって、私は割り切るようにしてるの」

 伝えた考え方はロゼも同じで、ディランさん達もそうだろうと思った時、溜息をついたオーブが肩を落とした。

「すみません。わたし、自分のことばかり身勝手に……」

「ううん、そんなことない」

 私は首を横に振り、

「フェザーが襲ってこなければ、あんな事にはならなかった。そういう意味じゃ、あれは確かに事故だったんだ。黒き翼にとっては皮肉だよね。なんで現れたのかわからないけど、信仰する神様の所為で全てをメチャクチャにされたんだから」

 強い口調で話をして、一気に紅茶を飲み干した。


 無言で頷くオーブは、船で男達を倒し、バトンを拾った瞬間までは覚えているそうだが……。撃たれたことや、咆哮のような声を発したのは記憶にないらしい。

 ただ、頭部はもちろん、オーブがどこも撃たれていないことは、病院の検査によって判明していた。やっぱり、ブラッドの弾は外れていたのだ。

 加えて、叫んだり気絶したのは、銃声を聞いてパニック状態に陥った結果だと医師の診断が出ている。


 オーブがフェザーを呼んだと言ったブラッドの台詞は、私にしか聞こえていなかった。しかし、私はそれを、オーブは元より誰かに話すつもりはない。

 馬鹿げていて、言われた方が困惑するのは間違いないし……。ブラッドも異様な行動を目にしたところへフェザーが現れ、適当なことを口走ったに決まっている。


「そういやお菓子とかも出してなかったね。つってもうち、そういうの無いんだよな」

 私は何気なく言って立ち上がり、目にとまったキッチンの紙袋を指差した。

「あれ、開けてもいい?」

「それは、もちろん。クリスさん達のお見舞いですから」

 オーブの返事に頷き、私は袋を手に取る。中を覗き込むと、瓶や缶詰などの食料の上に赤く丸い果物が二つあって、その一つを取り出した。

「リンゴ発見! これ食べちゃおう。待ってて、今、皮むいて切るからさ」

 私は笑って言って、戸棚のナイフを右手で握る。……が、

「いけませんよっ」

 不意に聞こえた、大声と物音にびっくりした。

 後ろを見ると、オーブが立ち上がっていて、

「クリスさん、無理をしないでと言ったじゃないですか」

「ええ? うんにゃ、こんなの無理でもなんでもないって」

 本気で心配してくる相手に、私は軽く答えた。


 銃弾は貫通していた上に、骨が砕けたりもしていなかった私の右腕は、日常生活に支障のない程度には動かせる。あと一週間もすれば、跡は残るかもしれないけど完治するそうだし、そんなに騒ぐことではない。


 大丈夫だということを証明しようと、私は左手に持ったリンゴを回すように皮をむいていき、黙ったオーブを見やる。

「ね? 腕は心配ないで、ッ!」

 言いかけて、手元に痛みが走った。

 ナイフを持ち、リンゴの皮を押さえていた右手の親指に、薄らと血が滲んでいる。

 あちゃー、やってしまった……。

「だ、大丈夫ですか?」

 オーブの声に、情けない気持ちがこみ上げてくる。

 刃物使ってる時、よそ見は厳禁だ。


「ん、平気。少し切っただけで、舐めとけば治るわ」

 明るく応じて、親指を口に含むも、オーブさんは明らかに怒っていらっしゃる。

「よそ見なんかするからですよ」

「あぁ、うー、その通りです」

 完全に自分が悪いので、私はナイフなどをキッチンに置き、頭を下げて謝る。

 そして、顔を上げた瞬間。突然、少女の目から涙がこぼれた。

「――っ!」

 当人も予想外のことだったのか、オーブが反射的な動作で涙を拭う。

「ど、どうしたの?」

「……なんでも、ないです。けれど、本当に気をつけてください。わたし、クリスさんが傷ついたり、血を流す姿は、もう見たくありません」

 驚いた私にそう言ったオーブが、弱々しく微笑んだ。


「すみません、変なことを」

「いや……。えっと、もしかして、私が撃たれたのを思い出したりしたの?」

 私の問いに、果たしてオーブは頷いた。

「わたし、あの時、頭が真っ白になって……。ブラッドっていう人や、近づいてきた男達が、とても憎くなりました。そのまま、自分が自分じゃなくなるような感覚がして……。また、あんなことがあると思うと、すごく怖いんです」

 続けられた言葉に、ショックを受ける。

 オーブは私が撃たれたことが心の傷みたいになっていて、負傷することにまで神経を使ってしまうのか。

「……ごめんね。怪我しないのは難しいけど、絶対に気をつけるようにする。それに、ありがとう」

 私が僅かにかすれた声で返すと、オーブは首を傾げた。

「どうして、ありがとうなんて?」

「撃たれた時、私なんかの為に本気で怒ってくれたんだもの。感謝しなきゃ」

「クリスさん、そんな言い方しないでください」

 答えに(かぶり)を振ったオーブ。その紫色の瞳が、私をじっと見てきた。


「貴方は、わたしの大切な人です」


 真面目な表情で言ったオーブが、優しい笑みを浮かべた。

 この子に慕われることは、嬉しい。

 けれど、それを単純には喜べない。

 私がオーブのことを気にかけているのは、記憶を失わせたかもしれない罪悪感があるからで……。今回、意識が回復した際、記憶だって戻っているんじゃ……とか、都合のいいことも考えてしまった。そんな事情を何も知らず慕ってくるオーブと、どうやって向き合えばいいのか、正直わからない。


 それでも――、

「……うん。私もオーブのこと、大切に思ってる」

 私は、確かな気持ちを言葉にした。

 それを聞いていたオーブは、顔を耳まで真っ赤にして黙り込んでしまう。

 なんとも落ち着かない雰囲気の中、気を紛らわせる為、私は再び親指を口に含む。……と、少し瞳を潤ませたオーブが、目の前まで進み出てきた。

「クリスさん、指の傷を見せてくれませんか?」

「いいけど、ホントに大したことないよ」

 話しながら、切った指の腹をオーブに向ける。

 すると、少女が両手で掴んだ私の右手を、自分の顔に近づけた。


「え? わっ」

 おずおずとした動きで、オーブが私の親指に口をつけた。

 傷から滲む血を小さな舌がすくい取り、自身の唾液と、オーブのそれで濡れ光る指を、私はポカンとしたまま見つめる。

「――こ、こら。なにしてんの?」

 我に返って問い掛けると、

「傷は舐めれば治るんですよね。お手伝いします」

 一旦、舌を引いた少女が、なにか陶然とした表情で答えた。

「な、いいってば! 私の指とか血なんて、汚いわよっ」

「そんなことありません。クリスさんに、汚いところなんて無いです」

「……へ?」

 ちょっと普通じゃないオーブの様子に焦った瞬間、玄関の方で物音がした。


「うおッ、オーブ。ほら、ロゼだ。早く行って出迎えようっ」

 咄嗟に言うと、一瞬、間があって、

「……残念。クリスさんと、もっと二人で話をしたかったのに」

 私の右手を離したオーブが、悪戯(いたずら)っ子のように笑った。

 そんな姿につられて、思わず、私も笑ってしまった。

 友達、家族、仕事仲間……。そのどれとも違う複雑な関係だけど、冗談みたいなことを言えるまで、私達の距離は縮まっている。

 それが良い結果に繋がることを、今は信じたいと思った。

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