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レストピア  作者: 名残雪
24/40

歪んだ世界 九

 薄暗い船倉内の避難通路を進みながら、私は額の汗を手で拭った。

 少し痛む手首には、外された手錠の跡がまだはっきりと残っている。

 ふっと息をつき、機械油とかの臭いが混じったよどんだ空気を吸い込んだ時。配管に囲まれた直線の通路の脇に、横道が見えてきた。

「左、曲がるわよ」

 一言あって、私の前をいくキッカさんが、迷わず横道に入った。

 その背中を追いつつ、私は背後に視線を向けて、傍にいたオーブの後に、ディランさん、アヤさん、ロゼがついてきていることを確かめる。

 皆の表情は一様に緊張していて、ほとんど会話も無い状態が船室を出てからずっと続いていた。


「あれだわっ」

 一本道に戻った通路を道なりに進んでいると、キッカさんが前方を指差した。

 そこにあったのは、横隔壁に設置された金属の梯子だ。伸びた先が、四メートル程上のハッチのような部分に繋がっている。

「キッカさん、時間は?」

「三時半を回った……焦らず急ぐわよ」

 私の問いに、懐中時計を手にした相手が答えた。

 気絶した見張りが定時連絡を取るはずだった四時まで、三十分を切ったか。

「これを上れば、甲板ですね?」

「ええ。あのハッチから、左舷後部にある救命ボートの近くへ出られる」

 ロゼに応じたキッカさんが、上に向けていた目線を下げた。


「ハッチのすぐ横に、船橋(せんきょう)からは死角になるコンテナがあるの。まずは、その裏に隠れましょう。甲板に出て安全を確認したら、私が合図するから、キングさん、フォスターさんの順で上ってきて」

 コンテナの存在は聞いていたけど、順番は初耳で、キッカさんに呼ばれた二人が互いに相手の顔を見た。そこに、私は口を挟む。

「それじゃ、アヤさんの次はオーブとロゼだ。私は最後に行くよ」

「いや、クリス。私が最後に――」

 言いかけたロゼを、私は手で制した。

「今は順番とか関係ないから、とにかく言われた通り行動する。いい?」

 強い口調で話すと、沈黙した全員が揃って頷いた。

 同時に、キッカさんが梯子を上りはじめる。

 素早く、規則的な動作……。

 皆、息を殺して見つめる中、なんなくハッチまで到達したキッカさんが、その開閉部に手をかけた。


 開かれたハッチの外は暗くてよく見えないけど、そこから顔を出していたキッカさんが、ディランさんへ合図を送った。

 それに返事をした相手が、静かに梯子を上っていく。

 作業服姿のディランさんとアヤさん。つなぎを着た私、ロゼ、オーブも、奪われた荷物の類は持っていない。

 私達の荷物は人目のある場所にあって何も持ち出せなかった、とキッカさんが話していた。それぞれ貴重品なんかもあったが、これはもう置いていくしかない。

 ただ、身一つの皆と違い、私とロゼはそれぞれスタンバトンを携帯している。私のはキッカさんが用意した物で、ロゼのは気絶した見張りの男が所持していた物だ。


 私は、太股の深めのポケットに収納した、遺跡調査員(サーチャー)の支給品と同じバトンに触れる。

 これを使うような事態になったら最悪だったが、ここまでは誰にも見つからずに来れた。けれど、まだまだ安心はできない。

 気を引き締めた私の傍で、ロゼが金髪のポニーテールを揺らしつつ、無造作に前髪をかきあげた。

「取り敢えずは順調だな」

「ええ。彼女……キッカさんの狙い通りになっていますね」

 アヤさんがロゼに応じて、ずれていた眼鏡をかけ直す。

 私達の捕まっていた船室は、船橋(せんきょう)の下の居住区内にあって、救命ボートの場所へ向かうには、そのまま居住区を抜けるのが最短ルートだった。

 しかし、誰かに見つかる可能性が高いから一旦、船倉へ降りた後、目立たない避難通路経由で甲板を目指してきたキッカさんの作戦は、今のところ成功している。

「は、はい。そうですね」

 さらに、同意してきたのはオーブだけど、微妙に歯切れが悪い。

 なにかあるのか?

 怪訝に思い、私は声をかけようとした。瞬間、ハッチに到達したディランさんがアヤさんを呼んだ。


「三人とも、先に行きますっ」

 合図を受けて、アヤさんは気合いを込めるように両手を握った。

「気をつけてください」

「わかりました」

 アヤさんが気遣った私とロゼに頷いて、梯子を上りはじめる。

 ディランさんもだったが、しっかりした動きで問題はなさそう。

「クリスさん。わたし達、本当に逃げてよかったんでしょうか?」

「え?」

 突然、オーブの声がして、私は視線を移動させる。

 ……と、傍らにいた少女が、憂い顔をこちらに向けていた。

「すみません、今更こんなことを言っても仕方ないんですが……」

 呟いて、オーブは紫色の瞳を不安げに揺らした。

 キッカさんの脱出の提案には結局全員が賛成して、特に議論も無く現在に至っていたけど、この子はまだ迷いがあったらしい。


「う、ん。まず、帝国が黒き翼の要求に応じることはないとして、話はロングランドの対応に限ってくるけど……。キッカさんだけ逃げた後、テロを止めたり私達が無事に助かったりするように、警察とかが上手く動いてくれるかもしれないわ」

 私は思案しつつ答えて、オーブの顔を見つめ返す。

「でも、そうなるには、やっぱり不確定要素が多すぎる。だったら、今、脱出して助かる可能性に賭けるべきだと私は思う」

「同感だな。恐らく、アヤさん達の考えも同じだ。また万が一、見つかったりして脱出に失敗しても、私達やキッカさんが殺されることは無い。どんな扱いを受けるのかは想像もしたくないが、それを考えれば、なおさら脱出に賭けてみるべきだ」

 私の後に、ロゼが静かな口調で言葉を重ねてきた。

 その通りだけど、失敗した場合のことは考えたくないわね。

「本当に、誰も死んだりはしないんでしょうか?」

 恐々と訊いてきたオーブの細い肩に、私は優しく手を置いた。

「人質を殺せば要求はできないし、ジャスティンさんがいてキッカさんを死なせるようなことは起きない。それだけは、絶対だ」

 言い切った台詞は、何度も自身に言い聞かせてきたものだ。

 不安は尽きないが、今はブラッド達のことも信じるしかない。

「――わかりました」

 私の話をじっとして聞いていたオーブが、大きく頷いてそう言った。

 吹っ切れたような様子にひとまず安堵して、私も頷き返す。

 ちょうど、その時。頭上から、アヤさんの合図があった。




 ハッチから顔を出した途端、吹きつけてきた潮風に私は目を細めた。

 視界に入った空は暗く、星が煌々(こうこう)と瞬いていて……。船の後部らしい甲板には、船尾灯などの明かりが点灯している。

 さらに首を巡らせると、船橋の裏側の後方に、船縁(ふなべり)から横一列で並んだコンテナが見えた。

 その一番、左端。ハッチの近くにあるコンテナの開口部の前で、先に梯子を上っていた皆が、屈んだまま私を手招きしていた。


「状況は?」

 皆と合流し、同様に屈んで問い掛けると、船橋の方を見ていたキッカさんが、私へ視線を向けた。

「四時まで、あと二十分を切ったけど、気づかれた様子はないわ」

 その言葉は確かで、照明のみが点いた船橋は、人の姿もなく静まり返っている。

「救命ボートの位置は、左舷灯の傍です」

 ディランさんに促されて、私は船縁に身を乗り出す。

 風と波しぶきの音が轟く中、数十メートル先に、ロープで吊られたボートが見えた。

 私達が隠れているコンテナと隣のコンテナの間は通路みたいになっている。

 そこを直進すれば、一気にボートへ近づけるだろう。

「横の通路を走り抜けるわ、準備はいい?」

 考えは同じだったキッカさんが鋭く言って、全員首肯し――、

 私達はコンテナから飛び出した。

 黒衣の裾をはためかせるキッカさんに続いて、私はコンテナに挟まれた通路を走る。

 後ろは誰かわからない。

 ただ、十数メートルの距離は振り向く間もなく終わる。


 そう思った、次の瞬間。目の前に白光が広がった。


「ッ!」

 突如、出現した光に目がくらみ、私は思わず足を止め、キッカさんも立ち止まる。

 それが、船橋の照明だということは、すぐにわかった。

 でも、どうして?

 思考が疑問で埋め尽くされていく。

「全員、動くな」

 聞こえた抑揚のない男の声で、私は身体が硬直した。

 甲板を照らす光を背に、何人もの船員を伴って現れたのは――。

「……ブラッド」

 通路の前方を塞いで立った黒衣の男が、私の呟きに反応するよう口を開けた。

「お前達は包囲されている。無駄な抵抗はやめろ。ああ、海にも飛び込んでくれるなよ。ボートで捜索すれば簡単に見つけられる」

「く、クリスさんッ」

 ブラッドの警告にオーブの叫び声が重なって……見れば、走ってきた通路の後方にも多数の人影が現れていた。


 少しずつ距離を詰めてくる後方の船員に対し、半身に構えた最後尾のロゼが後退する。

 それに合わせてディランさんとアヤさんも下がり、私は愕然としながらオーブの前に立って、逆光の中のブラッドを見た。

「はじめに言っておくが、俺は逃げた人質を咎めるつもりはない。問題はお前だ、同志キッカよ」

 ブラッドに指名され、私の前にいるキッカさんの背中が震えた。

「お前が人質の脱出の手引きをしたことは、すでに明らかだ。何故こんなことをしたのか、我々は失望を禁じ得ない」

 風に黒髪を乱すブラッドが、嘆くように天を仰いだ。

「だが、誰よりも悲しんでいるのは、彼だ」

 その言葉と同時に、コンテナの陰から出てきた黒衣の人物が、ブラッドの横へ並ぶ。


「――ジャスティン」

 ひきつった声をあげたキッカさんが、よろめくように後退りした。

 ジャスティンさんは無言で、仮面でもつけているように無表情だ。

 しかし、相手から感じるのは、恐ろしいまでの怒り……。

「キッカ、俺を騙したな」

 短く、ただ事実のみを告げたジャスティンさんに、キッカさんは首を左右に振った。

「ジャスティン、私は……!」

「黙れ」

 キッカさんを制したジャスティンさんの口調は、穏やかですらあった。

 けれど、そこに込められていたのは、強烈な否定の意志だ。


「数日前のことだ。俺は同志ジャスティンから、妻に真実の記録を見せることについて色々と相談を受けた。その際、お前が今回のテロを止めようとしていたことも聞かされたんだよ」

 ブラッドがキッカさんを横目で見て、淡々と言った。

 それだけで、私は全てが理解できた。 

「うそ、そんなの、全然知らない……」

 小さく声を発したキッカさんが、肩を震わせる。

 呆然とした後姿を見つめて、私は込み上げた虚脱感に膝を折りそうになった。


「ジャスティンは、お前が考えを改めたことを信じていた。しかし、妻の言葉が相当ショックだったらしい。何故、テロを止めるなどと言い出したのか、深く思い悩んでいる事を俺に打ち明けてくれたのさ」

 キッカさんにそう続けたブラッドが、僅かに首を傾げた。

「人間、誰でも怖気づくことはある。テロを止めようとしたのはその為で、俺はここまでの言動から、お前は信用するに足る相手だと思っていた。だが、一応、妙な行動を起こさないか確かめたくてな。ジャスティンを含めた同志全員で口裏を合わせ、あえて船内の警戒を緩めるなどしてお前の動きを監視していたのだが、実に残念な結果だ」

 悲しげなブラッドの言葉が、否応なく現実を叩き込んでくる。

 もう疑いようも無い。私達は、はめられたのか。


「救命ボートに乗って船から脱出したかったようだが……。諦めて、大人しく捕まれ。これ以上、手間をかけさせるな」

 冷酷に言い放ったブラッドが片手をあげると、その周りにいた船員達が一歩前へ出てきた。

 それぞれスタンバトンや鉄パイプのような物を持っているのは森で襲われた時と同じだけど、人数はさらに多くなっている。

 この状況で、脱出?

 否定したいが、どう考えても絶望的な答えしか浮かんでこなくて、私は歯を食いしばる。

 ……と、キッカさんがゆっくり私の方に半身を向けた。

「終わりだ、キッカ」

 かけられたジャスティンさんの声に、

「いいえ、まだよ」

 悲痛な表情でそう返したキッカさんが、右手を黒衣の懐に入れた。

 その手が掴んだモノは、黒い拳銃――。


「動かないでッ!」

 再び前に向き直ったキッカさんが、大声で叫び、手の銃をブラッドに向けた。

 同時に、船員達がどよめく。

 私はのんだ息を吐き出せずに、低く唸った。

「そんな物を持っていたとはな」

 銃口の先でブラッドが眉をひそめる。

 本当に、そうだ。銃があるなんて、一言も……。

「キッカ!」

「動くなッ」

 ジャスティンさんとキッカさんの怒声がぶつかり、甲板の空気が凍りつく。

「ブラッド、仲間を退かせなさい。私達が脱出するまで、貴方には一緒にきてもらうわ」

「なるほど、今度は俺が人質というわけか」

 有無を言わせないキッカさんの言葉に、ブラッドは肩を竦めた。

 それを見ていたジャスティンさんが、鋭く目を細める。

「よせ、キッカ。頼むから銃を下ろすんだ」

「聞けないわ、ジャスティン。ただ、私達……もう一度よく話し合いましょう。こんなことになってしまったけど、私は、貴方が……」

 絞り出すように声を出したキッカさんが、

「さあ、ブラッド以外はさがりなさいッ」

 そう続けて、私を見た。


 直後、銃声が響いた。

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