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レストピア  作者: 名残雪
23/40

歪んだ世界 八

「――さん、起きて」

 人の声と、物音が聞こえて、私は薄く目を開けた。

 ぼやけた視界に、照明の白光が溢れる。

 私は、眠っていたのか。

「クリスさん、皆さん、起きてくださいっ」

 また声が聞こえて……。

「オーブ? ッ!」

 その主の名前を呼んだ時、床に座る自分のすぐ前に、誰かの靴の爪先が見えた。

 ぎょっとして視線を上げると、そこに、黒衣をまとったキッカさんが立っていた。


「騒がないで」

 キッカさんは、真剣な表情で短く言った。

 この人、どうしてここにいるの?

 混乱しつつ片膝立ちになった私の傍にキッカさんがしゃがみ、握っていた右手を開く。

 手のひらにあったのは、銀色の鍵。それは食事の際にも見た、手錠を外す鍵だ。

「彼が持っていた物を取ったのよ」

 キッカさんは私に呟いて、背後へ首を回す。

 相手の肩越しに、床の上で仰向けに倒れている一人の男の姿が見えた。

 船員の格好をした男は、やはり食事の際、監視つきでトイレに行く時に見た船室の見張りだが……。


「お、お前は――」

 大声がして、見れば、眠っていたディランさんが壁の前で身体を起こしていた。

「なんの用だッ?」

「静かに、大きな声を出さないで」

 キッカさんに注意され、何か言いかけたディランさんが口をつぐむ。

 そこへ呻き声が聞こえて、私の傍に座るロゼとアヤさんが目を開いた。

「キッカさん?」

 相手の存在に気づいたロゼ、さらにアヤさんが驚愕の表情を浮かべる。

 当然の反応だ。わけがわからない。

「一体、何をするつもりなんですか?」

 私は、キッカさんの緊迫した顔を注視しながら言った。


「よく聞いて。私は、貴方達を助けにきたの」


 一瞬、耳を疑った。

 私達を、助けにきた?

「信じられないわよね。でも、私は本気よ。でなければ、彼を気絶させたりしない」

 キッカさんは倒れた男を横目に、黒衣の懐からスタンバトンを出して床へ置いた。

 男がバトンの電撃で気絶したことはわかったけど、頭が上手く回らない。

「これから、私はこの船を出る。だから、貴方達も共に脱出しましょう」

「――脱出?」

 私は咄嗟にキッカさんの言葉を繰り返した。


「この船は今、サイエン市沖を航行中で、現在の時刻は午前三時過ぎ。船室の見張りは一時間毎に定時連絡を行っていて、次の連絡は四時になる。その間に船の甲板後方に向かい、配置されている救命ボートに乗るの。ボートには電動機がついているから、闇に紛れて海上へ出てさえしまえば必ず逃げられるわ」

 一気に喋ったキッカさんが、部屋の角窓に目をやる。

 つられて私も、窓の外に広がる闇を見つめた。

「今回のテロは周到に計画されたものよ。でも、同志の裏切りは想定外の事態。計画自体が順調に進んでいることもあって、見張りなどの警戒は想像以上に緩いし、脱出できる可能性は十分にある」

 さらに、キッカさんは強い口調で言った。

 船から脱出できるなんて願ってもないことで、今は好機みたいだけど……。


「お前は、黒き翼の教徒じゃないのか?」

 私達のいる壁際まできたディランさんが、不審そうな顔をした。

 まったく不可解で、理由を問う皆の視線がキッカさんに集まる。

「教徒ではあるわ。ただ、私は貴方達と同じで、黒き翼の主張が真実だとは思っていないの。今までずっと信じてる振りをして、ジャスティンやブラッド様……いえ、ブラッドのことを偽ってきた」

 目を伏せたキッカさんが、衝撃的な答えを返してきた。

 私は呆然としたが、ふと脳裏に、トラックの荷台で謝られた場面がよぎる。

 あれは素が出たことで、人が変わったような言動は演技だったのか。


「何故、教徒を装ったりしてきたのですか?」

 ロゼはキッカさんを見据えて訊いた。

 私は黙ったまま、静かに立ち上がった相手の返答を待つ。

 ……と、キッカさんは自らの腕を抱き、痣のある口元に微かな笑みを浮かべた。

「そうしなければ、ジャスティンと一緒にいられなかったからよ」

「貴方は……」

 答えを聞いて、全てを悟ったようなロゼが、力なく(かぶり)を振った。

 私は謎が氷解していくのを感じつつ、キッカさん達と仕事をした一ヶ月近い時間を思い返す。

 この人は、本当にジャスティンさんのことが――。


「ジャスティンは、長年普通の遺跡調査員(サーチャー)として働いてきた人だった。でも、愛する両親を壊身病(かいしんびょう)で失ったことにショックを受けて、見知っていた黒き翼の主張にのめり込むようになったの。それからは、変わらず仕事を続ける一方で、教徒として様々な活動を行ってきた。そんな時、私は彼と出会ったのよ」

 とつとつと語っていたキッカさんが、小さく笑い声をあげた。楽しかった思い出を懐かしむような、とても悲しい表情で……。

遺跡調査員(サーチャー)として働いていた私は、遺跡の調査中、不慮の事故に遭って命を落としかけたところをジャスティンに助けられた。大変な状況だったのもあったけど、正直言って彼に一目惚れしたことは、クリスちゃん達に話したわね」

「……はい」

 私とロゼは、同時にキッカさんに応じた。

 以前、惚気にげんなりするこっちをよそに、当時のことを笑顔で話していた二人は本当に幸せそうだった。


「助けれた後、私はジャスティンと仲良くなる為に必死で努力した。つき合えるようになった時は夢心地で、程なく彼が黒き翼の教徒だと判ったけど、気持ちは揺らがなかったわ。黒き翼が危険な思想を持つ集団だと理解はしていたの。彼自身、偶に過激なことを言ったりもした。でも、実際の活動はデモを行うくらいだったから気にしてこなかった。それどころか、彼とより親密になる為に、黒き翼の主張を信じると嘘をついて自分も教徒になったの」

 明るいと言える口調で喋っていたキッカさんが、そこで苦悩するように顔を歪めた。


「私はジャスティンと結婚したわ。そして、一緒に仕事を続けながら、黒き翼の活動に参加してきた。ただ、それらは犯罪にもあたらない些細な行為ばかりだったの」

「ロングランドの黒き翼の活動状況では、過激なことをやる気運が無かったわけですね。でも、それが、フェザーの死骸の発見で一変した……」

 アヤさんが沈痛な面持ちで確認すると、キッカさんは目を閉じて首肯した。

「どうして、あんなモノを見つけてしまったのか。もう何度悩んだかわからない。ジャスティン、ケビンさん、クーロンの拠点を通じて、死骸発見の一報はすぐ帝国内にある黒き翼本部の知るところとなったわ。さらに、帝国の研究者が派遣される情報がどこかから漏れて、ブラッドは今回のテロを計画した。死骸の発見者だった私とジャスティンは、仕事を辞めてブラッドの計画に協力するよう拠点から命じられたの」

 キッカさんの言葉で、二人が仕事を辞めた理由やテロの流れが大体把握できた。

 私とロゼがレポートを書いている間に、とんでもない事態が進行していたわけか。


「お前……貴方は、黒き翼の本部の場所や、ブラッド・グレイの素性などを知っているのですか?」

 言葉遣いを改めたディランさんの問いに、キッカさんは首を横に振った。

「本部の場所は、私とジャスティンも本当に知らない。ブラッドの素性もわからないけど、とにかく計画を知った瞬間、私は協力できないと思った」

「それで、どうしたんですか?」

 私が訊くと、キッカさんは葛藤のにじむ表情で唇を噛みしめた。

 ずっと目についていた、そこに残った痣は、なんだ?


「私は、ブラッド達がロングランドに来る前に、今回の計画を止めようとしたの。自分が直接警察などへ行って、知っていることを全部話そうと考えたわ」

 そう言ったキッカさんの行動が実行されていれば、今回の事件は未然に防げただろう。でも、事件は起きてしまった。何故か、思い当たることは一つしかない。

「キッカさん。貴方は計画を止めようとしたことを、ジャスティンさんに話したんですね? しかし、拒絶され、恐らくは暴力までふるわれた。口元の痣は、その際に……」

「……その通りよ」

 気遣うよう問い掛けたロゼに、答えたキッカさんが深く息を吐いた。

 私に伝わってきた感情は、底知れない悔恨だ。

 さっきから感じていた胸の痛みが一層強くなっていく。予想はしていたけど、ジャスティンさんがキッカさんに手を上げたなんて……考えられない。


「彼は計画に勇んで協力する気だった。でも、説得すれば必ず思い直してくれるはず。そう信じて、共に計画を止めようと話をしたわ。結果はロゼちゃんの言う通り……完全に拒絶され、彼に初めて殴られた。加えて、その後、私は自宅で監禁まがいの扱いを受けたの」

「――か、監禁?」

 話をしていたキッカさん以外、全員が声をあげていた。私とロゼはもちろん、ディランさんにアヤさん、それにオーブまで驚愕の表情を浮かべている。

 最早、ジャスティンさんは異常だ。


「監禁されている間は、誰とも連絡が取れなかった。そんな中で、何故計画を止めようなどと言い出したのか、彼に何日も責められた。私にできたのは、謝ることだけ。気の迷いだったと何度も謝って、謝って、謝って……ッ」

 顔を俯けて喋っていたキッカさんの身体が震える。

 その姿は、あまりに痛々しい。

「謝り続けた末、ジャスティンは私を信じて解放してくれたわ。けど、それから計画を止めるような行為は一切とれなくて……結局、私は何もできなかった。私がやり方を間違えなければ、一人でも計画は止められたのに……。あの傭兵達を殺したのは、私よ」

 言い終えて、キッカさんは力なく肩を落とした。

 その行動は、最善ではなかっただろう。殺されたジムさんやフィリップさんは、どんなにやりきれない思いを抱いたところで、かえってこない。

 しかし、私はキッカさんを、ジャスティンさんを信じようとした気持ちを、責める気にはなれなかった。


「……確認しますが、貴方はまだ真実の記録を見ていないんですね? 今回の行動が評価されたとかで、僕達と同じくクーロンの拠点に行ってから初めて見ることになる」

「ええ。この国で記録が見れる場所は拠点しかなくて、これまでは見ることが許されなかったんだけど、ついにね。計画を止めようとしたこともあって、ジャスティンからも絶対に見ろと言いつけられているの」

 かすれ声で切り出したディランさんに、キッカさんはしっかりと答えた。

 やっぱり、今、最大の問題は真実の記録だ。

「ジャスティンさんは記録を見てるんですよね? 内容のことを何か聞いていませんか?」

 私は気掛りなことを率直に訊いた。

「彼は、私が出会う前にはもう記録を見ていたんだけど、その内容はいくら訊いても、かつての戦争の映像としか教えてくれなかったのよ。でも、クリスちゃんが洗脳と表現したように、あれを見ることが危険なのは確実だわ。はっきり言って、要求がどうなろうと、貴方達が無事に解放されることは無いでしょう」

 キッカさんから改めて現実を突きつけられ、私は身震いした。

 記録の詳細は変わらず不明だが、もう恐怖すら感じる。

 見回した皆の顔は一様に緊迫していて、誰も声をあげない。

 ただ、その中でキッカさんが口を開いた。


「私は、これ以上、ジャスティンと罪を犯したくない。だから、今からでもこのテロを止めたいの。そして、彼と罪を償って、できるなら一緒に生きていきたい」

「――どうして」

 悲壮な決意をのぞかせたキッカさんに、いちはやく反応したのはオーブだった。

「どうして貴方は、そこまで、あの人と一緒にいたいんですか?」

 思案顔で呟いた少女に、キッカさんは目を瞬かせたけど、すぐに困ったような笑顔を見せた。

「ジャスティンを、愛しているからよ」

「愛して、いるから?」

 返答に、オーブは眉根を寄せたが……そうだ。

 キッカさんは、本当にジャスティンさんのことが好きなんだ。

「ええ。好きな人と一緒にいたいと思うのは、自然な感情でしょう?」

 キッカさんに訊き返されたオーブが、何か迷いのある顔つきで黙り込む。

 自分も人のことは言えないけど、まだ、愛なんてわからないのだろう。

 思いを巡らせた時、キッカさんが表情を引き締めた。


「今、貴方達がこの船から脱出すれば、テロを確実に止めることができる。真実の記録を見ることもないし、全員が無事に助かるわ」

 キッカさんが考えられる最良の展開を言って、続ける。

「貴方達がここで待つ場合、私は一人でも逃げて、今回のことを警察などに全て話す。ただ、それでテロを止められるかはわからないし、貴方達が無事に助かる保証も無い」

「テロを確実に止めて、私達も無事に助かる為には、今、逃げるしかないというのはわかります。しかし、クーロンに着いてからではいけなかったのですか?」

 厳しい顔のロゼが、キッカさんに当然の質問をしたけど……。

「クーロンの拠点に行けば、貴方達には厳重な監視がついて、私も自由行動などはとれなくなるの。そうなると、もう逃げることは不可能になるわ」

 返ってきた、それも当然と言えるキッカさんの答えに、ロゼが呻いた。

 私は焦燥感に駆られて、生唾をのみ込む。

 逃げるなら拠点とはいえ陸の方が海上より有利、などと思っていたのは甘かった。今が逃げる最後のチャンスだから、キッカさんは見張りを倒してまで助けにきたんだ。


「あの、ブラッド達はキッカさんが計画阻止に動いたことを知っているんですか?」

 急ぎ私が確かめると、キッカさんは迷いなく首を横に振った。

「ジャスティンは身内の問題を知られたくなくて、私が計画阻止に動いたことなどをブラッド達には話していないの。彼らに、この痣はどうしたのか訊かれたりもしたけど、別のことでできたモノだと上手く誤魔化してある」

 自信を持った顔で応じたキッカさんに、

「ジャスティンさんやブラッド達に、逃げることを気づかれてはいませんよね?」

 そう言ったロゼが、鋭い視線を向ける。

「二人は現在休息中で本来は私もそうなんだけど、誰も脱出には気づいていないわ」

 表情を変えずに答えたキッカさんが、黒衣のポケットから懐中時計を出した。


「あまり時間も無い。いずれにせよ、私は脱出するわ。貴方達はどうするの?」

 キッカさんが喋りつつ時計から皆の方に顔を向けて、最後に私を見据えてきた。

 無事に助かるチャンス、失敗のリスク、たくさんの事が頭をかすめる。

 ただ、悩んでいる暇はない。私は立ち上がり、覚悟を決めて言った。


「一緒に逃げましょう」

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