歪んだ世界 六
扉の閉ざされた船室内が、沈むように揺れた。
段々と揺れが大きくなっているのは、沖へ進んでいる証拠か。
私は今までにも何度か船に乗ったことがあるけど、それは定期客船や遊覧船とかだ。
まさか、テロリストの集団に拉致されたと言っていい状況で、貨物船に乗せられる時がくるとは思ってもみなかった。
私は手錠を軋ませつつ、扉の前のキッカさんとジャスティンさんを見やる。
「この国にフェザーのことで要求があるって、ミヤノ遺跡の死骸に関わることですか?」
いなくなって良かったブラッドの言葉を確認すると、ジャスティンさんは頷いた。
「そうだ。あの遺跡で発見した遺骸を北ソニア大陸まで輸送することが、ロングランド共和国政府への要求となる」
あっさりとした返事に驚き、脳裏に世界地図を思い浮かべる。
ロングランドから太平洋を越えた先にある北ソニア大陸は、広大な土地の全てがソニア帝国の国土だ。そして、黒き翼の活動が始まったのも北ソニア大陸であり、そのどこかに本拠地があると言われていた。
「船で輸送した後、黒き翼の本部まで発見された死骸を持っていくつもりか。本部の場所はどこだ?」
低い声で言ったディランさんが、ジャスティンさんを睨め上げた。
本拠地があるのは本当で、場所は特定されていないらしい。
ただ、相手が素直に教えるはずもない。
「答えられないな」
予想通りのことを、ジャスティンさんは無表情で答えた。ディランさんもそれは予想していたのだろう。僅かに唸っただけで、更なる質問はしない。
「死骸を運んで、どうするつもりなんですか?」
そう尋ねたのは、黙っていたアヤさんだ。
フェザーという専門分野の話になったからか。眼鏡をかけた理知的な顔に、多少、活力が戻った気がする。
「黒き翼にとって、フェザーの遺骸は神聖なモノ。厳重に保管され、信仰の対象として崇められるわ」
若干間があって、問いに応じたキッカさんが事務的な口調で言った。
やっぱりというか、それ以外に死骸を運ぶ理由など思いつかない。
キッカさんの返答を受け、アヤさんは相手に探るような視線を向けた。
「生態同様、フェザーが何時からこの世界に出現するようになったのか、確かなことはわかっていません。でも貴方達、黒き翼は、その時期をかつて起きたという戦争の頃だと考えている」
「ええ。出現したフェザーは、現在と同じく飛行する人工物をことごとく破壊した。結果、当時一般的だった爆弾を落とす航空機や、爆弾自体が飛ぶようになった飛行兵器類が運用できなくなり、戦争は終結を迎えたのよ。もっとも、時すでに遅く、世界は壊滅状態になっていたけど」
キッカさんは、アヤさんによどみなく答えた。
私は知っている話だが、その会話を聞いていたオーブが、
「戦争の時にフェザーが現れたっていう証拠が、なにかあるんですか?」
驚いたように言って、目を瞬かせた。
「いいや、確かな証拠などは無いが、そう考えるのが現状最も合理的なんだ。君は、フェザーと航空機の関係をどれくらい知っている?」
幾分、穏やかな口調でジャスティンさんに訊き返されたオーブが、思案するような表情を見せた。
古代文明の時代において、人は航空機という機械を使って自由自在に空を飛んでいた。実際、遺跡などでは昔から、人が乗って飛行していたような構造を持つ遺物も発見されている。
近年、そんな遺物の技術を帝国の技術者が解析し、航空機の試作機を作り出した。しかし、行われた飛行実験で、空を飛んだ試作機がフェザーに破壊されるという歴史的な事件が起きた。
――フェザーは、飛行する人工物に対して、確実に攻撃を加える。
判明した事実に、人々は驚愕した。これまでもフェザーが人間を襲うことは世界中で知られていたが、その頻度は低く、都市などに被害が出たこともほぼ無かったことから、有効な対策は講じられてこなかった。
そうしたフェザーに対する意識が試作機襲撃を機に大きく変わり、人工物の飛行実験の度、相次ぐ襲撃に、人間は空こそがフェザーの支配する領域であることを知った。
最先端技術を持つ帝国でのみ、航空機の飛行実験は現在も行われているが、当然、襲撃も続いている。
「……わたしの知っていることは、これで全部です」
ジャスティンさんに応えて、話を終えたオーブが息をついた。
認定試験に受かっただけあって、確かな知識を持っている。
「オーブの言葉に間違いはないよ。ただ、フェザーは人がまた戦争を繰り返さない為に神様が遣わした監視役で、航空機などを運用できなくすることにより、世界の平和を守っていると、黒き翼は考えているの」
「少し違うな。究極的に世界平和の実現を目的としている我々にとって、フェザーは正に神そのものだ」
ジャスティンさんが不機嫌さをにじませて、私の発言を訂正してきた。
世界平和につっこみたかったが、ここは黙るしかない。
実際、フェザーがなんなのか、どうして人間や航空機を攻撃してくるのかは不明だし……。黒き翼が、超常的な存在とも言える生物を崇めている感覚も、わからなくはない。
「では、クリスティアさんのご両親が、フェザーの生贄になったというのは本当ですか?」
聞こえたアヤさんの言葉に、私は胸騒ぎを覚えた。
「生贄……」
訝しげに呟いたロゼとオーブも、なんのことかわからないらしい。
「そうよ。以前、事故で亡くなったとは聞いたけど……。それがフェザーの襲撃によるものだったことや、ロゼちゃんが冗談ではなくバーンズ家の人間だったことは、今回ケビンさんからの情報を得るまで気づかなかったわ」
キッカさんは言って、痣のある口元を歪めた。
一緒に仕事をしていた時は、本当に私達のことを何も知らなかったのか。
「クリス。お前の両親は、フェザーに襲われて命を落としたのか?」
私は眉を寄せたロゼに頷く。
「七年前、サイエン市にある遺跡の調査中にね。同じく襲われて生き残った人の証言で、私の親は二人とも殺された後、フェザーに食われたことがわかったんだ」
答えると、訊いてきた相棒に加えて、オーブも驚いたような声を漏らした。
「何故、教えてくれなかった?」
「ごめん。けど、皆にも話した通り、私の親が事故で死んだのは事実だったから……。その時の状況なんて、話すようなことじゃないと思ってたの」
本音をロゼに返して、
「私、知らないんですけど、フェザーの生贄ってなんなんですか?」
私はそう切り出し、キッカさんとアヤさんを交互に見た。
「クリスティアさんのご両親のように、フェザーは襲った人間を口に含むなどして、捕食に近い行動をとることがあります。ただ、確認された事例が少なく、フェザーがあの巨体を維持する為に人を食糧としている事は考えづらいので、それが明確に捕食行動だと判明してはいないのですが……。黒き翼は、そういった捕食された人間を、フェザーの生贄になった者と呼んで畏敬しているんです」
言いにくそうに言ったアヤさんの説明を受けて、私は唖然とするしかなかった。
フェザーが人間を食糧としているのかは不明。それは、調べた本にも書かれていたことで、前から知ってもいた。でも、そうなった人を生贄と呼んでるって……。
「黒き翼は、フェザーが人間を糧として生命活動を行っていると信じています。生贄となった人は神であるフェザーに選ばれた存在で、その命を支えている為、敬うべき存在と見なしている」
理屈はわからなくもないが、かなりオカルトじみたアヤさんの話に、どう反応していいものか困る。
オーブはなにか深刻な顔をしているけど、ディランさんとロゼなどは完全に白けた様子で、私の心情は二人に近い。真面目な表情で黙っているキッカさん達が船室にいなければ、「冗談でしょ」と笑っていたところだ。
「生贄の事はわかりました。しかし、それはクリスと関係の無い話ではありませんか?」
私も思ったことを怪訝な面持ちで言ったロゼに、キッカさんは首を横へ振った。
「生贄となった者の他、その家族も私達は特別な存在として見ているの。けれど、ここまでの扱いでは、そんなふうに思えないわよね」
「確保などを優先する、やむを得ない状況だったんだ。すまなかったな」
キッカさんとジャスティンさんは、取り繕うように言った。
正直、今更で、余計対応に困るし、ロゼも複雑な表情だ。
「ロングランドは違いますが、黒き翼の活動が盛んな国では、生贄となった者の家族を探し出し、半ば強制する形で仲間に加えるといった行為も行われています」
「え……?」
私はディランさんの言葉を聞いて、背筋が寒くなった。
「そう。この国では生贄の家族を探す程、黒き翼の活動が盛んではないわ。クリスちゃんの両親が襲われた当時は、私とジャスティンも活動に参加していなかったから、事件のことは詳しく知らない」
顔を強張らせたキッカさんの隣で、ジャスティンさんが腕を組んだ。
「しかし、またこうして君はフェザーと関わっている。最早、これは運命だと思わないか? クリス」
親しげに呼ばれたが、私は相手から目をそむけた。
そんな運命、絶対にお断りだ。
船室が揺れて、金属の軋むような音が響く。
私はそれを聞きながら、座った姿勢で身じろぎした。
取り敢えず、黒き翼の要求はわかった。でも、問題は――。
「要求が受け入れられない場合って、私達、どうなるんですか? 死骸を運ぶだけのロングランドはともかく、帝国は要求に応じようがありませんよ。戦争があった事実や、秘匿している古代文明の技術なんて存在しないんですから」
私は、床に座っている皆も考えていたであろうことを言い切った。
同時に、重苦しい空気が室内に漂う。……と、
「帝国、ロングランドとも要求に応じなければ、君達の身の安全は保障できない。無論、応じれば解放はされる。要求を行う際、両国にも同じことが伝えられるだろう」
ジャスティンさんが、真顔で恐ろしいことを告げてきた。
最悪、殺される場合もあるって意味?
「ただ、真実はともかくとして……。クリスちゃんの言った通り、帝国が要求に応じることはないでしょう。それは、貴方達を人質に取るこの計画を考えたブラッド様も織り込み済み。故に今回は、あくまでロングランドへの要求を通すことが目的なの」
静かな口調もあってか、キッカさんの話に私は少し気が軽くなった。
フェザーの死骸さえ輸送されれば、自分達は助かるのか。
「要求は広く世間にも公表する形で行われる。この一件はロングランドにおいて最初に発生したテロ事件となり、国内でデモ集団程度にしか知られていない黒き翼の知名度も、飛躍的に高まるだろうな」
自信たっぷりに言ったジャスティンさんを、ディランさんが見て、
「名を売っても、自分達の首を絞めるだけだぞ」
そう吐き捨てるように呟いた。
「なんとでも言え。俺は停滞しているこの国の黒き翼の活動に倦んできたんだ。それが、フェザーの遺骸を発見したことで全て変わった。本部から派遣されてきたブラッド様と、部下の教徒は素晴らしい方達だ。彼らと共に行動すれば、世界さえ変えられる」
ジャスティンさんが俯き加減でディランさんに言い放ち、私は思わず息をのんだ。
恨みのこもった、酷く薄気味悪い感じの言葉。
人を簡単に殺せる、本部からきたというブラッド達の異常さは別にして、キッカさん達、特にジャスティンさんの変わり様には驚くしかない。
キッカさんと凄く仲の良い、頼り甲斐のある人だったのに……。いや、これが本当の素顔なのだろう。
「ロングランドが要求に応じれば、すぐに私達は解放されるのですか?」
考え込んでいた私の横で、ロゼが鋭く訊いた。
「ああ。だが、その前に……君達にはもっとよく黒き翼のことを知ってもらう。そして、我々の新たな同志となってくれれば嬉しく思う」
ジャスティンさんは、ロゼから私、さらにオーブへ達観したような眼差しを向けてきたが、何を馬鹿なことを言ってるのか。
「同志になるとか、本気で思っているんですかッ?」
「……なるさ。真実の記録を見れば、必ず」
語気を強めた私に、表情の無いジャスティンさんが言った。
「――真実の記録?」
聞いたことがないけど、私は気になった単語を呟いた。
同時に、「お前は見たんだな」とかすれ気味の声を出したディランさんが淡褐色の瞳を細める。
「お前達もクーロンの拠点に行けば見ることになる。そこで考えを変えて同志になるならば、帝国の人間であろうと歓迎しよう」
穏やかに喋ったジャスティンさんの肩へ、キッカさんが手を置いた。
「そろそろ私達も、一旦、船橋へ戻りましょう」
時間を気にするような言葉に首肯したジャスティンさんが、船室の扉を開けて外の通路に出た。
「じきに人が食事を持ってくるわ。トイレとかに行きたかったら、その時に伝えて。ただ、外には見張りもいるし、逃げようだなんて思わないことね」
はっきりと言ったキッカさんが、ジャスティンさんに続いて通路に出る。
直後、扉が閉まり、私はもやもやした感情を溜息と共に吐き出した。
ひとまず、私は残された皆と顔を見合わせる。
そろって深刻な表情が浮かんでいるものの、普通に話せる状態だ。
「オーブ、大丈夫?」
誰に何を言うべきか迷ったけど、私は傍らの少女へ声をかけた。
「は、はい。わたしは大丈夫です。クリスさんこそ、大丈夫ですか?」
弱々しく笑ったオーブの問いに、声が詰まりそうになる。
「……うん、私も平気だよ。あんたは電撃食らったとこ痛まない?」
私はなんとか答え、手錠のかかった手を動かしているロゼに訊いた。
「問題はない。しかし、気絶するとは不覚だった」
悔しげに呻いたロゼ。
その横で、アヤさんが赤毛を揺らしつつ項垂れた。
「三人とも、ごめんなさい」
「そんな、アヤさんが謝ることではっ」
ロゼが素早く応えて、私とオーブも頷いたが、
「いえ、僕達の所為です。本当に、すみません」
ディランさんまで沈んだ顔で頭を下げてきた。
「やめてください。こんなことになったのは誰の所為でもありませんよ」
「ああ、今はもっと建設的な話をするべきです」
私とロゼの言葉に、ディランさん達は顔を上げた。
嘆いてる場合じゃないし、気掛かりなことがある。
「ディランさん。さっき話に出た、真実の記録ってなんですか?」
私の質問に、知っているらしい相手が重そうに口を開いた。
「黒き翼には、かつて戦争があったことなどを信じていない人間も少なくありません。帝国に対し、なにか不満があるという理由から、活動に参加しているような人達です」
私はディランさんに小さく頷いた。
なんせ、世界一大きな国だ。色々気に食わない人間も無数にいるだろう。
「しかし、ブラッドやジャスティンという男などは、確固たる信念を持って行動しています。そういった者達は皆、真実の記録と呼ばれるモノを見て、何らかの影響を受けている可能性が高いんです」
「ジャスティンさんは、見たらしいですね」
私はディランさんに言いながら、胸がざわめくのを感じた。
「真実の記録は黒き翼が起きたと主張している、戦争を描いた映画みたいなモノです。無論、作られたモノですが、彼らにとっては主張を証明する重要な証拠と言っていい」
「映画みたいな、映像ってことですか?」
難しい顔のディランさんの答えに、私は眉を寄せる。
「はい。ただ、詳しいことは不明です。記録を見れるのは教徒の中でも幹部や限られた人間のみで、内容を知る者が捕まったこともあるのですが……。皆、黙秘するなどして、ほとんど情報は得られていないと聞いています」
そういう事情の方に明るいらしいディランさんの説明を聞きつつ、私は映画館の白黒映像を思い浮かべたけど、ピンとこない。
「とにかく、記録を見た者は凄惨な内容に凄まじい衝撃を受けるそうですよ。それまで戦争があったことなど、まったく信じていなかった人間も、記録を見た後では黒き翼の主張を完全に信じてしまうとか」
「まるで、洗脳ではないですか」
ロゼは、応じてきたアヤさんに驚いた反応を返した。
私も同じことを考えていて、突如襲ってきた悪寒に呻く。
「実際、今の僕達みたいに、黒き翼に拉致された戦争など信じていなかった人が、記録を見せられた後、教徒になってしまった例もあるんです」
ディランさんは、張り詰めた表情で言った。
にわかには信じられないが、ブラッド達の言動を思えば真実味のある話だ。
「まずいですね、この状況。仮にロングランドが要求に応じても、解放される私達自身がおかしくなってるとか、冗談にもなりませんよ」
私は喋ってから唇を噛みしめる。
……と、オーブが不安に駆られたように身体を震わせた。
「あの、帝国が要求に応じることは、本当にないんでしょうか?」
「……これまで黒き翼は帝国に対して、今回のような要求を目的としたテロを世界中で起こしてきました。ただ話に出た通り、帝国は一貫して要求に応じず、被害に遭った人達の多くが死亡したり、行方不明となっています」
沈んだ声でディランさんが話して、オーブは目を伏せてしまう。
なにか言わなきゃと思った時、軋む音と共に扉が開いた。
部屋へ入ってきたのは、パンが数個乗ったトレイを持つ若い女性と、水筒を携えた壮年の男性だ。どちらも作業員のような格好をしていて、顔に見覚えはない。
「食事だ。一人ずつ手錠を外すので順番に食べろ。まずはお前からだ」
無愛想に言った男が座っている私に近づき、後ろ手の手錠を外してきた。
やっと腕が自由に動かせる。でも、全く喜べない。
「暴れようなどと思うな」
私から離れた男が、釘をさすように言ってきた。
相手につけ入る隙なんて無いし、ここで暴れてもどうにもならない。
それはわかっているけど……私は、あまりに無力だ。