歪んだ世界 三
森の中を微風が吹き抜けた。
葉擦れの音が響く木立を背に、茶髪を肩まで伸ばした若い女性が、琥珀色の目を私へ向ける。口元に以前はなかった青痣のようなモノが浮かんでいるものの、整った細面の顔は間違いなくキッカさんだ。
「久し振りね。クリスちゃん、ロゼちゃん」
「再会を喜ぶ気には、なれないだろうがな」
キッカさんの傍に立つ、茶髪を短く刈り込んだ若い男性……ジャスティンさんが続けた。変わらず日焼けした精悍な顔の中で、褐色の目がこちらを見据えている。
「キッカさんに、ジャスティンさんって……。ロゼッタさん達と一緒にフェザーを発見した後、仕事を辞めてしまった遺跡調査員ですよね?」
私達の真横に位置するトラックの荷台から、顔を覗かせたアヤさんが不安そうな表情で訊いてきた。一緒にいるオーブとディランさんも、ここまでくる車中、話題に上っていた夫婦へ戸惑うような視線を向けている。
「……はい。一ヶ月程、共に仕事をしてきた仲間でした」
私の隣で眉根を寄せたロゼが答え、自分も口を開く。
「二人とも、何をしているんですか?」
訊きながら、私はバトンを握る手に力を込めた。
「……説明はしよう。だが、その前にこちらの指示に従ってくれ」
「大人しくしていれば、危害は加えないと約束するわ。まずは、持っている武器を捨ててちょうだい」
静かな声で、ジャスティンさんとキッカさんが応じた。
同時に、私達の周囲にいる作業員姿の男達が一斉に動き出す。鉄パイプやスタンバトンを構えて、距離を縮めてくる様子に隙などは窺えない。
「危害は加えないから大人しく捕まれ、と? 私達を人質にでもする気ですか?」
「そう思ってくれて構わない」
厳しい顔つきで訊いたロゼに、ジャスティンさんが言い切った。
その横でブラッドが口を開く。
「傭兵が撃たれた時点で戦意を失うと踏んでいたが、仲間を四人も倒すとは侮っていた。しかし、この状況で逃走は不可能。抵抗も無駄だと、お前達の実力ならばわかるはずだ。それでも抗うならば、多少の怪我は覚悟するんだな」
冷ややかな指摘は事実だ。これだけ警戒されている中で、逃げるのは不可能に近い。打って出たとしても、一人とやりあっている間に取り押さえられて終わりだろう。
「ミヤノ町へ続くこの道は、人も車も滅多に通らないわ。抵抗して時間を稼げば、誰かくるかも知れないなんて思わないことよ。諦めなさい」
それも承知はしている。けど……。
言い聞かせるようなキッカさんの言葉に思案した時、突如トラックの荷台でディランさんが立ち上がり、両手を前に突き出した。
「う、動くなッ! 動けば撃つぞ」
強張った顔で叫び、何時の間に拾ったのか、手にはジムさんの拳銃が握られている。
「全員、下がれ。彼女達から離れるんだ」
日差しに輝く銀のリボルバーを向けられ、作業員姿の男達の動きが止まった。
でも、ディランさんの構えはぎこちなく、銃口も大きく震えている。それを見てか、男達が嘲笑うような表情を浮かべた。
「ディラン・キング。フェザー生態研究所に所属する職員で、機械類の扱いに長けた技師らしいが、さすがに銃の扱いは専門外か。撃つなら撃て。どうせ当たらん」
「な、なんだとっ」
馬鹿にするようなブラッドの言葉を聞いて、ディランさんが気色ばむ。
「脅すなら自分の頭に当てて、自殺するとでも言った方が確実だぞ。もっとも、戦う女の陰でこそこそ動いていた男に、そんな度胸はないだろうがな」
ブラッドが続けた途端、ディランさんの顔色が変わった。
怒声と共に轟音が響く。
ただ、銃弾は何かに当たることもなく、どこへ飛んだかもわからない。
「素人め」
鋭く言ったジャスティンさんが、黒衣をはためかせてトラックへ走った。
――速い。
驚いている間に、十メートル近くあった距離が詰まる。
私の視線の先で、慌てた様子のディランさんが撃鉄を起こした。
しかし、二発目を撃つ前にジャスティンさんがディランさんの腕を掴む。そのまま、背負い投げられたディランさんの身体が地面に叩きつけられた。
「がはッ」
背中を強打したディランさんが、銃を落として身をよじる。
アヤさんとオーブが苦しむ相手の名前を呼び、思わず私もトラックの方へ駆け寄ろうとした。……が、手に衝撃を受けてバトンを取り落す。
振り向くと、すぐ後に鉄パイプを振り切った男がいた。
さらに、別の一人から放電の火花が散るスタンバトンを突きつけられる。
「動くな、ゆっくりと手をあげろ」
「……わかったわよ」
私は身構えた姿勢を解き、男の声に従う。
残りの男達に囲まれたロゼも武器を捨てるよう騒がれ、溜息を吐きつつバトンをケースごと放った。
「手間取ったが、人質の確保は完了だ。全員、次の行動に移れ」
トラックに近づいてきたブラッドが、低い口調で言った。
途端、私は男に両腕を掴まれて後ろ手の状態にされる。
抗議するも、手首に冷たく硬い何かが触れて鳥肌が立った。金属の擦れる音がして、手が自由に動かせなくなる。これは、手錠?
すぐ近くで、私と同様にロゼが後ろ手にされた。腕を持つ男の手には、やはり警察が使うような手錠がある。それをかけられ、相棒が悔しげに頬を歪めた。
むせるディランさんも無理やり立たされて、手を拘束される。さらに、トラックの荷台へ乗ったキッカさんが、アヤさんとオーブへ手錠をかけているのが見えた。
「全員を荷台に戻して見張れ。傭兵の死体を運び出し、負傷者と一緒に我々の車へ運ぶんだ。武器などの回収も忘れるなよ」
男に背中を押されて、指示を出すブラッドの脇を通りすぎ、荷台へ上がらされる。
血の匂いが鼻をつく幌の中、キッカさんの前で床に座っていたオーブとアヤさんが顔を上げた。
「クリスさんっ、怪我はありませんか?」
目に涙を溜めたオーブが声をかけてきたけど、こんな状況で何を言えばいいのか。
逡巡しながら傍へ座り、とにかく「私は平気。あんたも、どこか痛くない?」と確認した私に、少女が何度も頷く。
そこへ「さっさと乗れ」と男の荒い声がして、土で汚れた格好のディランさんに続き、唇を引き結んだロゼが荷台へ上がってきた。
「ディラン君、大丈夫なの?」
「ああ、すまない。僕は……何もできなかった」
心配するアヤさんへ応じたディランさんが、力なく顔を俯ける。
ただ、ひとまず怪我のない様子に安堵すると、運転席と助手席のドアが開いて、フィリップさん、ジムさんの身体が外へ出された。
その様子を、やり切れない思いで見つめた時。少し離れた前方の茂みの中から、幌つきの小型トラックが姿を現した。
荷台にいるブラッドが幌の後面を閉めて、車を発進させるよう告げた。
それに男の返答があって、鈍い振動が伝わってくる。
運転席と荷台を仕切るカーテンまで閉められ、もう外の様子はわからないけど、車の動きは明らかに方向を変えていて、来た道を戻るつもりらしい。
長椅子に、奥からディランさん、アヤさん、オーブ、私、ロゼの順で座れとブラッドに言われた後、喋るなとも命令されたので、薄暗い荷台は重苦しい沈黙に包まれていた。
説明すると言ったキッカさんとジャスティンさんは、未だ黙ったまま向かいの長椅子で私達を見ている。ブラッドは機材の置かれた荷台の後に座り込み、手にしたジムさんの拳銃をいじっていた。
他の男達は皆、追走している小型トラックに乗っている。
でも、この車はどこへ向かっているのか。
景色が見えず時間の経過もわからない。手錠をかけられ人質と呼ばれている現状に、不安ばかりが募っていく中。話をする切っ掛けを作ろうと、私は口を開いた。
「あの、今の時間がわかったら、教えてもらえませんか?」
切り出した問いに、キッカさんとジャスティンさんが顔を見合わせる。
「もうじき、四時になるところよ」
ややあって、キッカさんが応じた。
しかし――、
「貴方達がミヤノ町へ到着する予定時刻は六時。遅れても何かあったと怪しまれるのは、七時を過ぎてからでしょう。捜索が始まる頃には、絶対に発見されない場所にいるわ」
そう続けて、殴られた跡のような、痣のある口の端を吊り上げた姿にゾッとする。相手が別人に思えた程、見たことのない酷薄な笑みだった。
「……信仰を隠して帝国の関わる組織に所属し、黒き翼へ様々な情報を流す教徒は少なくない。遺跡調査員として働いてきたお前達も、その仲間だな。フェザーの死骸を発見した後、帝国の人間が派遣されることを知り、この襲撃を計画した」
ブラッドに対した際もだけど、強い態度でディランさんが断じた。
「ええ、そうよ。仕事を辞めたのは、計画に備える為だけど……。クリスちゃんとロゼちゃんを驚かせたと思うわ。ごめんなさいね」
驚くべきことを、あっさりとキッカさんが認めた。
でも、謝るポイントと言い、何かおかしい。
「待ってください。私達のことは色々調べてあるみたいですけど、今日の行動予定が決まったのは三、四日前の話のはず。仕事を辞めて部外者になったキッカさん達が、それをどうやって知ったんですか?」
意図はわからないけど、口を挟んだ私を見てキッカさんが薄く笑った。
今回の仕事は情報の管理が厳しく、今日の私達の行動を知るのは、ミヤノ町にいる一部の人間と事務所の上層部だけ。
――まさか、その中に?
「私達を管理していた幹部、ケビンさんもまた、黒き翼の教徒なのよ。帝国から派遣される人間の素性、この国での動きなどは全部、彼が教えてくれているの」
「ケビンさんが、黒き翼……」
呆然として呟いたロゼ。
信じられない気持ちは、自分も同じだ。
「キッカ、勝手に喋りすぎだ」
不快そうに言ったジャスティンさんが、眉をひそめて相手を一瞥する。
ただ、気にしないふうに肩を竦めたキッカさんが、私の方へ顔を寄せてきた。
「いいじゃない。後でわかることだし、何を知ったところでもう逃げられないんだから、こちらの情報が漏れることはないわ。むしろ、全て隠さず話して、黒き翼のことを正しく理解してもらうよう努めるべきよ。悪しき帝国の二人はともかく、クリスちゃんとロゼちゃんならきっとわかってくれる。黒髪の貴方、オーブちゃんも怖がらないで聞いてくれるでしょう?」
「――ひッ」
にこやかに話すキッカさんから、不意に睨めつけるような視線を向けられ、オーブが引きつった声を出した。
それを見て、キッカさんがくつくつと笑い出す。
声は次第に大きくなり、やがて甲高い哄笑へ変わった。
「く、クリスさん……」
「オーブ、大丈夫よ」
怯えた表情の少女に私はそう言ったけど、悪寒が止まらない。
この人は、本当に自分の知るキッカさんなのか。
私は、相手の変わり様に困惑しつつ、乾いた喉へ唾をのみ込んだ。