歪んだ世界 二
鼓膜が震えるような感覚。さらに耳鳴りがして、世界から音が消えた。
静寂の中。荷台の皆が一様に顔をしかめ、私は背後を見る。
聞いたことがある轟音は、確かに運転席の方で鳴った。
でも、どうして銃声が――。
私は前を見て、フィリップさんと目が合った。
座席で項垂れるように、こちらへ向けられた、その顔は血塗れだった。
カッと見開いた両目、鼻、そして眉間の赤黒い穴から血が滴る、凄まじい形相。ほんの少し前まで話をしていた相手はピクリとも動かず、瞬きすらしない。
なんで? なんで、フィリップさん、死んでるのよ……!
戦慄しながら事実を認識した瞬間、耳鳴りが消えて、
「くそったれっ!」
荒々しい怒号が聞こえた。
助手席で叫んだジムさんが、太股のホルスターより拳銃を抜く。
その銃口が開け放たれていた運転席の窓に向き、同時に、窓の傍にいたつなぎを着た男が幌の影へ隠れた。
私は咄嗟に耳を塞ぎ、再度、轟音が響く。
銃弾を続けざまに二発撃ったジムさんが、鋭い眼光を荷台へ飛ばしてきた。
「全員、伏せろ! さっきの野郎は作業員じゃねえ。持っていた銃で、いきなりフィリップを撃ちやがった! 畜生、畜生がッ」
悲痛な大声に従い頭を下げながら、私は落ち着くよう自身へ言い聞かせた。
何もわからないが、とにかく今、このトラックは襲われている。
「いいか、俺が――」
炸裂音がして、言いかけたジムさんの額が爆ぜた。
赤い飛沫が散り、私の前で相手が項垂れる。その額にはフィリップさんと同じ赤黒い穴が開いていて、そこから、どろりとした真っ赤な血が溢れ出た。
嘘、ジムさんまで……。
信じられない、現実とは思えない光景に頭が混乱する。
「クリス、見えないが、ジムさんは撃たれたのか?」
背後から鋭くロゼに呼び掛けられたけど、言葉が出ない。
「答えろ、クリスッ!」
「――あ、う、撃たれた。即死よっ!」
叱咤するようなロゼの声で我に返り、私は叫んでいた。
そうだ、認めろ。ジムさんも死んだ。
自分だって殺されるかも知れないのに、呆けている場合かッ。
「い、いや……何が起きてるのっ!」
私が思考を切り替えた瞬間。アヤさんとわかる悲鳴があがった。
「騒いじゃ駄目だっ」
振り向けば、低い声を出したディランさんが、アヤさんの口を手で押さえて荷台の床へ伏せていた。
すぐ近くで、強張った表情のロゼとオーブも姿勢を低くしている。その隣に私も素早く伏せた。
「大丈夫。大丈夫だから、静かにね」
そう繰り返す私にオーブが頷くも、顔色は青ざめている。
「ふ、フィリップさんと、ジムさんが……」
少女が、かすれ声をあげた時、
「荷台にいる者、動くなッ」
「全員、大人しくしていろ」
突然、幌で隔てられた外から、脅すような男の声が二つ聞こえた。
間違いない、襲撃者は二人いる。私達の存在に気づいているけど、それ以上の指示はなく、荷台に血の匂いと張り詰めた空気が漂った。
銃を持ち、問答無用で撃ってきた連中が間近にいる。
その恐怖と緊迫感で、胸がつぶれそうだった。
でも、同時に言葉にならない感情が込み上げてくる。
フィリップさん、ジムさんとも、出会って間もない人達だった。
相手のことなんて、ほとんど知らない。だけど陽気で、優しくて、さっきまで元気に笑ってた。これから、もっと話をしたいと思っていたんだ。それなのに――。
抱いた怒りで、私は唇を噛みしめた。
「そ、外の人達、荷台へ乗り込むつもりです」
オーブの上ずった声でハッとし、私はカーテン状に閉められた隙間より、日差しが差し込む幌の後面を見た。
「やつらの会話が聞こえたのか?」
訊いたロゼに、少女は迷いなく「はい」と答えた。
私には全然聞こえなかったけど……。オーブは本当に耳が良いらしく、指示されたことも考えれば、その言葉は信用できる。
乗り込んでくる目的はわからないけど、こっちが怯んだと思っているのか? 銃を突きつけられたらどうしようもなくなる以上、動くなら今しかない。
「――ロゼ、あいつら倒すよ」
囁いた私に相棒が頷き、太股につけたケースよりスタンバトンを抜いて立ち上がる。
考えは同じだったか、話が早い。
「皆、じっとしていて。オーブは絶対に……前の席を見ないで」
中腰で喋りつつ、私もスタンバトンを握り、柄の安全装置を解除した。
私達の行動にアヤさん達が驚き、オーブも何かを言いかける。ただ、議論している時間も余裕もなかった。アヤさん達は当然、オーブだってこんな状況で戦えるとは思えない。
少女の唇に指を一本当てて、黙っているよう小声で言いつけた後。私はロゼと幌が開けられた際、陰になる後面の脇へそれぞれ移動した。
数瞬のうち、薄い布の向こうで動く人の気配を感じ取り、私はふっと息を吐く。
その時、勢いよく幌が左右に開かれた。
「手をあげろっ!」
昇降用の足場に立って叫んだ男が、陽光に照らされた荷台へライフルを向ける。
つなぎ姿は同じだが、最初の作業員じゃない。
恐らくジムさんを撃った男は、ほぼ真横の幌の影で足を振りかぶる、ロゼの存在に気づいていなかった。
ロゼのブーツの爪先が跳ね上がり、両手で構えられたライフルを蹴る。
銃口が腕ごと天を向き、引き戻した足の踵で、ロゼが男の顔面を踏みつけた。
鼻のあった箇所に踵のめり込んだ男が、奇妙な声を発して仰け反る。
そのままよろめき、体重を乗せていたロゼも荷台から飛び降りた。
折れた歯と鼻血をまき散らした男が、白目を剥いて地面へ倒れる。
その傍に着地したロゼを、ぎょっとした顔で最初の作業員の男が見た。
「き、貴様ッ」
男が右手に持つ黒光りする拳銃を、ロゼの背中へ向けようとした。
それで、お前がフィリップさんを撃ったのか。
荷台から飛び出した私は、男の手首に金属のバトンを振り下ろした。
硬いモノ同士がぶつかって、一方が砕ける。
苦悶の声を漏らした男の右手が、有り得ない方向に曲がり、拳銃を取り落とす。それを確認し、私はバトンの先端を男の脇腹に接触させた。
低出力の電撃を受けて痙攣した男が、先の男の横に倒れる。
どちらも死んでいないけど、しばらくは目を覚まさないはず。
「こいつら、何者だ?」
「わからないわ」
私は、憤激するロゼに答えつつ、バトンを握りしめる。
男達に対して怒りの感情しかないが、殺さずに無力化できて良かった。殺していれば、襲ってきた理由もわからなくなるし……。何より、人を殺したくはない。
突然、道の近くの草むらがざわめき、作業員風の男が二人飛び出してきた。
「――仲間か」
唸るように言ったロゼ。その言葉で、私は事態を把握する。
「あんたは左ッ」
私はロゼに叫び、左右に分かれて向かってくる男達を睨む。
相手は共に大柄だ。手に銃は無いが、長さ一メートル半程の鉄パイプみたいな物が握られていた。あれを思いきり振られたら、私の力じゃバトンごと弾かれる。
私は地面に落ちている拳銃へ視線を向けた。
拾うか。いや、拾っても扱う自信が無い。
僅かに迷った後、覚悟を決め、私は右の男との間合いを詰めた。
一瞬前まで自分の頭があった位置を、水平に振られたパイプが通過する。
身を屈めて横薙ぎの攻撃を避けた私は、伸び上がりつつ、バトンを突き出した。
しかし、後ろへ跳んだ男には届かず。確実にリーチの差を把握している相手が、パイプを頭上へ振りかぶる。
空振りしても、こっちの反撃に対応できる有利な距離。
その空間を、私の放った銀の光が貫いた。
太股のケースから引き抜いて投げたナイフが、男の二の腕に突き刺さる。 悲鳴をあげ、体勢を崩した男へ再度、私はバトンを突き出す。
今度はとらえた身体に先端部を押しつけ、作動スイッチを押した途端。電撃を受けた男が、声もなく地面に転がった。
「――ぐおッ」
呻き声がして、背後を見ると……。そこには肩口に振り下ろされた男のパイプを、バトンで受け止めたロゼの姿があった。
ほぼ密着した状態。懐へ潜り込むことでパイプを十分振らせずに、攻撃の威力を減じたらしい。さらに、その足は相手の股間を蹴り上げている。
悶絶した男の首筋へ相棒がバトンを押し当て、止めとばかりに電撃を食わらせた。
前のめりになって倒れる男を横目に、ロゼが深く息をついた。
私も呼吸を整えながら、相棒に近づいて口を開く。
「怪我はない?」
「お前もだな」
互いに無事を確認して、傍のトラックを見る。……が、他の草むらから、またしても仲間と思われる人影が出てきて、私は驚きに目を見張った。
囲まれた、数は六人もいる。いずれも作業員の格好をした若い男で、鉄パイプやスタンバトンらしき武器を手にしているやつもいた。
私達を、どうしたいのかわからない。ただ、この人数に襲われたら勝ち目はないだろう。今倒した男だって、決して弱くはなかった。
「遺跡調査員の二人、抵抗を止めろ」
「――だ、誰っ?」
不意に、抑揚のない、それでいて良く通る男の声が響いた。
反応した私は、聞こえた十メートル程先の木立を凝視する。
間を置かず太い樹木の陰から、黒いローブみたいな服をまとった人物が三人、姿を見せた。
フードをかぶっていて顔などはわからないが、草木の緑の中、浮いてるどころじゃない異様な服装には見覚えがある。
「貴様らは、何だ?」
ロゼは黒衣の相手に疑問をぶつけた。
「我々は、黒き翼という」
名乗ったのは三人のうち、中央にいる長身の人物だ。
多分、抵抗をやめろと言ってきた男だが、やっぱり、こいつら――。
「黒き翼ッ!」
狼狽したようなディランさんの声がして、見ればトラックの荷台から、アヤさん達とオーブが顔を覗かせていた。
「テロリストが、狙いは僕達かっ?」
相手を知っていたらしいディランさんが、険しい表情で問う。
「半分は正解だ。我々の目的は帝国の研究者二名、及び同行している遺跡調査員三名の確保にある。その障害となる傭兵は排除させてもらった」
淡々とした口調で答えた中央の男が、両手でフードを除ける。
……と、オーブと同じ黒い髪が現れて、私は驚いた。
彫の深い顔に顎髭を蓄えた男、年齢は三十代くらいか。
ボロ布を思わせる無造作に伸びた長髪が風に揺れ、無表情のまま暗い濃褐色の瞳を、どこか遠くへ向けている。そんな男の姿に、私は不気味な印象を持った。
「お、お前は、ブラッド・グレイか?」
ディランさんにブラッドと呼ばれた男が、片眉を上げて応じる。
「ほう、俺を知っているのか」
「何者なの?」
声を震わせて、アヤさんが隣のディランさんへ訊いた。
「世界各地で反帝国のテロ活動を行ってきた、黒き翼の中でも過激派の一人として知られる男だ。しかし、それが何故ここに……。どうやって、こちらの情報を知ったんだ」
疑念を吐き出すようにディランが言った。
本当にわけがわからない。黒き翼、テロ、過激派……。数日前にデモを見て、多少知識もあるとはいえ、普段あまり耳にしない言葉の連続に私は困惑していた。
それでも、黒髪の男……ブラッドと黒衣の二人。さらに、じりじりとこっちへ近寄ってきている、作業服の男達を牽制するように睨んだ時――。
「貴方達のことや今日の行動を調べたのは……私達よ」
聞き覚えのある女性の声がして、黒衣の二人がフードを除けた。
あらわになった相手の顔を見て、私は愕然とする。
そこにいたのは、確かに、キッカさんとジャスティンさんだった。