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レストピア  作者: 名残雪
15/40

翼の影 五

 寝苦しさに、私はふっと目を覚ました。

 ――眩しい。

 清潔感のある整理整頓された、アパートの部屋の中。全開の網戸の窓から差しこむ柔らかい陽の光に、仰向けのまま目を細める。


 朝だけど、今日は仕事休み。オーブと約束した時間も、まだ早い……。


 静かな早朝の空気を感じつつ、二度寝しようと床に敷いたマットレスの上で身じろぎした時。右腕に違和感を覚え、私は視線を向ける。

 そこにいたのは、白いブラジャーとパンティーしか着けていないロゼだった。

 私の腕を抱くように胸の谷間へ挟み、すやすや寝息を立てている金髪美人。

 そんな相棒の姿に困惑した瞬間、自分も下着姿でいることに気づく。続いて、昨夜暑さから、お互い上着を脱いで眠ったのを思い出した。さらに、離れて敷かれたロゼのマットレスが(から)なのを見て、状況を把握する。


 こいつ、夜中起きて寝る場所間違えたな。これじゃ私、寝にくかったわけだ。


「起きて、ロゼっ」

 声をかけ、左手で肩を揺さぶると、唸った相手が切れ長の目を開いた。

「う、ん、クリス? おはよー……」

 普段の凛々しい様子はどこへやら。朝が弱めな相棒の、ゆるい反応に溜息をつく。

「あー、すぐ寝ていいから、自分とこ戻ってよ」

 言葉に従ったのかはわからないけど、「むー」とか言いながら私の手を離したロゼが、腕立ての要領で上半身を起こす。

 そこで、気だるげに長髪をかきあげると、ぼーっとした表情で首を傾げた。


「……お前。どうして私の毛布にいるんだ?」

「違う。あんたが私の毛布にいんの」

 言い返すと、寝ぼけているようなロゼの青い瞳が瞬き。

「ああ、そうなのか。すま、ない……」

 そう言って、脱力したみたく覆いかぶさってきた。

「こら、しっかり……って、ひゃん。な、なにすんのよっ」

 いきなり、ロゼが私のお腹へ頬ずりしてきて慌てる。

「クリス、良い匂い……」

「――んっ。や、やめ……んあっ。く、このバカ、起きろッ!」

 続けて、胸にまで手を伸ばしてきた相棒の脳天に、私は手刀を放った。




 部屋のキッチンに備え付けられた、電熱器の熱量を調節する。

 その上に置かれたフライパンで、エプロンをつけた私が作っているのは、炒めた野菜と鶏肉、それに米を合わせた朝食のピラフだ。

 蓋から漏れるバターの香りをかいで、じきに炊き上がるだろうと予想した時。

「イージア大陸の北部や世界の高緯度穀倉地帯で、干ばつをはじめとした異常気象が相次いでいる、か。我が国の食糧輸入にも影響が出ていて、小麦など値上げの動きもあるようだぞ、クリス」

「ふーん」

 シャツ一枚でキッチン横にあるテーブルの椅子に座り、新聞を読んでいたロゼに声をかけられたが、私は適当な返事を返してやった。相棒は家事が全然できない為、料理の一切を引き受けている自分としても、食材の値上げは聞き捨てならない話題だ。

 でも、今は無視する。


「ち、近頃、ロングランド近海で大海蛇(シーサーペント)のものと思われる、船舶への襲撃が増加しているそうだぞ。恐ろしいな、クリス」

「へー」

 新聞を読むロゼが再び声をかけてきたけど、食器を用意しつつ、私はまた適当な返事をした。

 大型の大海蛇(シーサーペント)が暴れているとなれば、確かに色々大変だ。沿岸警備隊とかが警戒しているはずだけど、数日内に到着するという帝国の研究者が乗る船は大丈夫かなと思わなくもない。

 ただ、そんなの心配しても仕方ないので、今は無視する。

 次の瞬間、新聞から顔を上げたロゼが、(すが)るような目で私を見てきた。


「クリス、朝のことを怒っているなら、そう言ってくれ」

「怒ってるわけないじゃない。これでも寛容の精神を持つ、ソニア教徒のはしくれよ。あんたにはちゃんと許すって言ったし、今も穏やかに笑ってるでしょ?」

 寝ぼけた状態から起きた後、自らの行いを猛省していたロゼに、私は笑顔で応じた。そのまま、完成したピラフを二つの皿に盛ってテーブルに置く。

「いや、目が全く笑っていないのだが……」

「気の所為じゃない?」と引きつった顔の相手に続けて、自分も椅子に座る。

 もちろん、先程からの素っ気ない態度はふざけてやっていることで、私は本当に怒っていないし、胸を触られたことなど気にもしていない。

 ロゼだって、それくらいわかっているが……。


「今日の昼食、なんでも好きな物を奢ると言ったら、機嫌を直してくれるか?」

 真面目にそんな提案をしてきたあたり、冷たくされるのが余程、嫌みたい。

「いいの? オーブも入れて三人だから高くつくかもよ?」

 一応、確認するも「構わない」との返答に、私は拳を握ってガッツポーズをつくった。

「やった。んじゃ、早く食べて出掛けよう」

「やれやれだ……が、やはり、お前の料理は美味しいな」

 ピラフをスプーンで食べたロゼの感想に、私は満足して微笑む。

「当たり前よ、何時も愛情込めてますからね」

 ふざけてそう言った途端、ロゼが驚いたようにむせた。

 あーあ、なにやってんだか。




 朝食を済ませた私達は、手早く着替えて出掛ける準備を整えた。

 やや雲が多いけど、外は今日も暑いので……。私は袖のない肩紐で吊るした上着と短めのスカート。ロゼは、お洒落な半袖のワイシャツにジーンズという軽装だった。

 車でアパートを出発し、孤児院にてオーブと合流したのが約束の十時ちょうど。

 車中、「昨日は遺跡調査員(サーチャー)になれた嬉しさで眠れませんでした」なんて初々しいことを言う少女と話しながら、向かった先はラバー市の新市街だ。


 仕事の話も大事だけど、本日は服や小物などの買物を絶対にしたい。

 そんな目的でやってきた新市街にあるアトリ百貨店は、市内でも一、二を争う巨大な店舗だ。五階建ての広い店内には様々な品物が並んでいて、欲しい物は大体揃う。


 その三階。高級ブランドも出店している婦人服売り場の一角で、オーブの着替えを待っていると……。

「クリスさん。終わりました」

「あいよ、ちょっと見せてね」

 少女の声がして、私は試着室のカーテンを開けた。

 一瞬の間――。

 そして、飛び込んできた光景に口から「ふおおっ」と妙な吐息が出た。


 あちこちにフリルのついた、半袖のエプロンドレスのような服を着て、恥ずかしげに頬を赤らめたオーブ。黒髪には、レースのあしらわれた頭飾りがのっている。

 それだけでも可愛いのに、白いストッキングに包まれた脚をもじもじさせながら、上目使いで「変じゃないですか?」とか訊いてきた。

 いやー、変じゃないけど……。こっちがドキドキして変になりそうだわ。

「お客様、良くお似合いですよ」

「うん、本当にそう思う。グッジョブです、貴方のセンスに感動しました」

 以前買ったワンピースを着てきたオーブに似合う、別の服を探している際。このドレスを持ってきてくれた女性店員さんと、私は固い握手を交わした。


「これ、もらいます」

 私の一言に笑顔で応じた店員さんが一旦、お店の奥へ下がる。

 そこへ、「クリスさんっ」とオーブが慌てたような声を出した。

「あははっ、勝手に買っちゃったけど、私からのプレゼントだ。あっ、ごめん。好みじゃない感じなら、やめるわよ? 気に入らない服もらっても、嬉しくないし」

「いいえっ、全然そんなことは、ないんですが……。わたし、もらえません」

 (かぶり)を振った少女へ、私は笑いかける。


「遠慮しないでよ。仕事が決まったお祝いだと思って受け取って、ね?」

 買物につき合わせて、自分達だけ色々買うわけにいかない……そんな本音もあるが、オーブに何かお祝いしたかったのも本当だ。

「特に理由もなく断わるくらいなら、人の好意は素直に受けるべきだと私は思うぞ」

 私の傍で、黙っていたロゼが言った。

 その言葉にも、迷うような素振りをしたオーブだが……。ややあって、「わかりました。ありがとうございますっ」と答え、納得したように笑ってくれた。


 オーブが着替えた服を買ってから、私とロゼも買物をして回り、お昼時になったところで、百貨店内にあるシーフードレストランへ入った。

 そこは魚介類の炭火焼きが有名な、ちょっとした高級店だったけど、朝の言葉通りロゼの奢りで、エビやカニなどを堪能した後。料理が片付けられた個室のテーブルにて、私達はミヤノ遺跡でフェザーを発見した一件から、次の仕事のことなどをオーブに話して聞かせた。

 予想はしていたが、調べたいと言っていた帝国の関わる話に少女は驚いた様子で……。


「ソニア帝国の研究者。フェザーの死骸」

 どこか虚ろな目で、そう呟いた少女を心配して、私は口を開いた。

「オーブ、平気? 頭とか痛くない?」

「――あ、平気です。帝国の人と直接会えるなんて、考えてもいませんでしたから、驚いちゃって」

「普通はそうだな。しかし、自身に関することが何かわかるなどと、あまり期待はしない方がいい。調査がどのような形で行われるのか不明だが、私達は立ち会えるだけの、言わば見物人扱いだろうし……。帝国の人間とは、会話さえ交わせない可能性もある」


 少々厳しい意見だが、確かにロゼの言う通り。やることもなく、ただ見ているしかないような調査だから、エイミーさんもオーブが現場に慣れる為の研修と考えて、初仕事に選んだのかも知れない。


「まあ、詳しいことは事務所で聞くとして。その事務所へ明日、あんたと一緒に行こうと思ってるんだけど、いいかな? 契約の手続きとかも、そこで話があるはずだ」

 私の質問に、オーブは頷いたが、その顔は明らかに曇っている。

「どうかしたのか?」と訊いたロゼを少女が見て、迷うように口を開いた。

「……いえ、ずっと気掛りだった帝国と関われることが信じられなくて、それを叶えてくれたクリスさん達は本当に凄いです。凄すぎて……まだ何も思い出せない、助けられてばっかりの自分が、情けなく思えて――」

「そんなことないっ。オーブは頑張ってるよっ!」

 テーブルに手をつき、半ば立ち上がった姿勢で、私は叫んでいた。

 居た堪れない思いから、相手の言葉を遮ってしまったんだけど……。オーブとロゼにまで驚いた表情をされて恥ずかしくなる。


「えー、その、なんだ。あんたはやれることを精一杯やってるんだから、自分が情けないとか言わないでいいの」

 顔が熱くなる中、なんとか続けると、

「ああ。オーブが引け目を感じることなど、何もないぞ。私達が帝国と関わる事態になったのも、偶々フェザーを発見したからであって、凄くなどはないんだ」

 ロゼがフォローするように喋ってくれた。

「うん。しかもあれは、間違いなくキッカさん達がいなきゃ気づかなかったし。ああ、その前に雷があって、ロゼが――」

「私は関係ないだろうっ」

 記憶を追って話してないことを言った瞬間、相棒が慌てて口を挟んできた。

 その相手に半笑いで応じつつ、私はきょとんとした顔のオーブを見る。

「とにかくさ、色々考え込まないで楽にいこう。助けられてばかりって言うけど、そんなの誰だって同じなんだから。感謝の気持ちさえ忘れなきゃ、人に助けてもらうのは悪いことじゃないと思うよ」

 そう言って笑いかけると、

「は、はいっ。わかりました」

 ようやくオーブも明るい表情で応じくれて、私はホッと息をついた。




 食事を終え、買った荷物を車のトランクへ押し込み、百貨店を出た後。ラバー市からカイント市へ続く、海沿いの道でもドライブしようって話になった。

 しかし、市外へ向かう石畳の道が、急に混みはじめた上。何時の間にか曇っていた空より、弱い雨まで降ってきてしまい、ハンドルを握るロゼの眉は寄りっぱなしだ。


「天気は仕方ないとして、休日でもないのに、この混みようはどういうことだ?」

「んーむ、事故でもあったのかな?」

 愚痴っぽい相棒の呟きに助手席で答え、私は車にある懐中時計を見た。

 前後左右を車に囲まれ、身動き取れなくなってすでに五分近くは経つ。周囲の車の運転手さんも、訝しげに前方を眺めたりしているが、状況はわからないらしい。

 その時、「クリスさん」と後部座席でオーブの声がして振り向いた。

「どうかした?」

「なにか、人がたくさん、こちらへ歩いてきてますけど。声、聞こえませんか?」

「声?」訊き返して、しばし耳を澄ませる……と、確かに遠くで、人の叫び声みたいなモノが聞こえた。


「ソニア帝国による各国の支配を許すなっ!」


「帝国こそは悪の化身、この世を滅ぼす災厄の源だッ」


「国民よっ。我々と共に、帝国の悪しき思想をこの国から排除しようではないかっ」


 灰色の空から雨が落ちる中――。

 私達の乗る動かない車の脇の歩道を、頭からフードをかぶった黒いローブ姿の人々が、声を張り上げながら歩いていく。男女ともいるらしい、その数は数十人以上だ。

 背の高さなどは様々だけど、傘を差した普通の歩行者に混じり、ゆっくりとした歩調で延々と、縦一列になって行進する様子は異様としか言えない。


 耳が良いのか。真っ先に気づいたオーブは、集団が現れた時から、息をするのも忘れたみたいに見入っている。

 私は腕を組み、早く車が流れ出すことを祈っていて……。うんざりした表情で座席に背を預けている相棒も多分、同じ考えだろう。

「く、クリスさん。あの人達は、一体なんなのでしょう?」

 反応から知らないのは予想できて、来ると思ってた質問にオーブへ視線を向ける。


「黒き翼って名称の、反ソニア帝国主義みたいなのを掲げてる宗教団体だよ。本拠地は海の向こうの大陸にあるんだけど、世界中に教徒がいてね。あれは、帝国と友好関係にある自国を気に入らない、ロングランドの教徒がデモ活動やってんのさ。街中じゃ時々あることなの」


「黒き翼……」

 少女が呟き、「恐らく、混雑の原因は彼等だな」と続けたのはロゼだ。

「ここより少し先に、大きな交差点がある。そこをあんなペースで歩いてきているから、曲がれない車などで、道が詰まってしまったんだ」

「多分、そうだね。ったく、こんな時にやらんでもいいのになー」

 私は、雨粒のついた後部座席の窓ガラス越しに集団を見やる。


「そういうのって、悪いことじゃないんですか?」

「んー、悪いことではあるんだけど。言っちゃえばあの人達、単に大声上げながら集団で歩いてるだけっつーか。例えば警察がきたって、周りに迷惑かけないよう注意するくらいしかできないって話なんだ」

 問われたオーブに私が応じると、

「元々、信仰などには、うるさくない国だからな。黒き翼の教徒と言っても、普段は一般人だ。それが現場などで黒いローブを着て、突発的にデモを行うものだから、警察も防ぎようがないらしい……と、流れたか」

 身体を起こしたロゼが再度、ハンドルを握り、やっと車が動き出した。


「えっと、黒き翼の人達は、どうして帝国を嫌ったりしているんですか?」

 不思議そうな顔で言った、オーブの疑問はもっともだ。

 でも、その答えはこっちが聞きたいくらいで、私は肩をすくめた。

「それが、よくわかんないの。帝国を絶対的な悪と見なして……。そんな帝国が支配している、今の世界を変えようってのが主張っぽいんだけど」

 正直、言ってることがメチャクチャなのよね。

 確かに帝国を中心として回っているような世界だが、そんなの歴史を考えれば当然のことで、決して支配などはしていないのに。


「いずれにせよ、色々な意味で危険な集団だ。この国で暴動などが起きた例はないというが……。過去に他国では、過激派が帝国の大使館を狙ったテロ行為を行い、死傷者を出したこともあると聞く」

 まだ歩道沿いに続く、黒衣の列を横目にロゼが言って、私も同意する。

「私達も仕事柄、帝国と無関係じゃないから。黒き翼のような相手とトラブルを起こさない為にも、無暗に仕事の話を人にしちゃいけないの。フェザーが関わることは特にね」

 私は、レストランでも伝えたエイミーさんの注意を繰り返した。


「これも、理由はわからないんだけど……。黒き翼は、フェザーを信仰の対象として崇めているの。簡単に言えば、超常的な力を持つ神様だと思ってるわけ。黒き翼って名称や、あの黒ずくめの服装も全部、フェザーに対する信仰を表しているそうよ」

「フェザーが、神様……?」

 私の話に驚いたようなオーブが、紫色の瞳を瞬かせる。

「うん、幾つか説はあるんだけど、本当の理由は不明。ただ一応、そういうことも頭へ入れておいてくれる?」

「わ、わかりました。黒き翼……なにか、怖い人達ですね」

 硬い表情に変わった少女が、膝の上に置いた両手を握りしめた時――。


「間もなく、この国に存在する帝国の悪しき者達へ、天の裁きが下るであろうっ!」


 すれ違いざま、黒衣姿の人が発した不吉な叫びが、はっきりと耳に届いた……。

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