翼の影 三
着ているワンピースの裾がつくのも構わず、地面にしゃがんだオーブが両手で目を拭う。そんな相手を前に私が慌てていると、周りから子供の声が押し寄せた。
「ああっ、オーブが泣いてるぞ!」
「ホントだ。クリスとロゼねーちゃんにひどいこと言われたのか?」
「えー、お姉ちゃん達は、そんなこと言わないよ」
「クリスが泣かせたんだろ? この女たらしっ」
「だっ、誰が女たらしよっ。私も女だっつーの!」
私が咄嗟に言い返した時、
「み、皆さん。待ってください」
顔を上げたオーブが、泣き笑いのような表情を浮かべた。
「わたし、クリスさん達と会えて嬉しいんです。なのに、どうして……」
涙で頬を濡らす少女を見て、キュンと胸が締めつけられる。
この子、嬉し泣きしてるの? どんだけ純情なのよ。
相手の背後から、まばゆい光が差したような気がして、私は言葉に詰まる。同時に、中庭の奥に位置する事務室の扉が開き、何時ものエプロンをつけたミランダさんが顔を出した。
ミランダさんの執り成しによって子供達の騒ぎから解放され、通された事務室内のソファーに、私とロゼは並んで座る。
「すみません、連絡もなしに突然きちゃって」
「あら、今まで連絡してきたことなんて、ほとんどありませんでしたよ」
私に笑って応じたミランダさんが、机を挟んだ対面のソファーに座った途端。
「あの、わたし、二人に大事なお話があるんですっ」
ミランダさんの横に腰を下ろしたオーブがそう切り出したのを、私はやんわりと手で制した。部屋に入ってからずっと緊張した顔をしている相手には、こっちから話をした方がいいだろう。
「ちょっと待ってね。私達、ここに来る前、仕事の用事でカイント事務所に寄ってきたの。そこで、エイミーさんにオーブのことを色々聞いたんだ」
息をのんだような少女に、私は笑顔を向ける。
「おめでとう、オーブ。遺跡調査員資格認定試験合格で、カイント事務所に採用決定だ」
「それは、本当ですか?」
「うん。さらに私達、なんと三人で組むことになりました。これからは一緒に仕事する仲間なんで、よろしく」
「一緒に、仲間……」
大きく目を見開いたオーブが、噛みしめるよう呟いた。
「オーブさん、おめでとうございます。頑張った甲斐がありましたね」
ミランダさんが、シワのある顔を笑みでクシャクシャにすると、ソファーからロゼが身を乗り出した。
「ミランダさんは、オーブが受験したことなどを知っていたのですね?」
「ええ。この子が遺跡調査員になりたいと言い出した時は驚きましたけれど、理由を聞いて応援してきたのです」
答えた相手の隣に、私は視線を移す。
「オーブ、その理由って訊いてもいいかな?」
問うと、静かに息をついた少女が口を開いた。
孤児院に入って約一ヶ月半の間。
共同生活を送る子供達で唯一学校に通っていないオーブは、孤児院の雑務の手伝いをしつつ日々を過ごしてきたそうだ。
そんな中、病院へ通院したり、警察の調査に応じたり、私も利用していた図書館で本を借りて勉強したりするなど……。自分が何者かわからない不安から、自由になる時間は全て記憶を思い出す為に費やしてきたという。
その行動の中心にあったのが――。
「ソニア帝国?」
私は、話に出た単語をオーブに確認した。
「はい。わたし、前にクリスさん達の話を聞いてから、ソニア帝国のことがずっと頭に残っていて。自分でも不思議なくらい、帝国を知りたい気持ちが強くなったんです」
「しかし、オーブ。お前、帝国のことは記憶になかったのだろう?」
ロゼが訝しむように眉をひそめると、相手が少し顔を俯ける。
「今も思い出せたことはないんですが、どうして気になるのかを考えて……。わたしは、自分が帝国にいた人間かも知れないと思ったんです」
真面目な顔で言ったオーブに、私は思案しつつ頷く。
「本当なら、あんたの家族や知り合いがいるのも、帝国ってことになるね」
「はい。それで、できるだけ、あの国のことを調べてみようと決めたんです」
続くオーブの話によると、遺跡にいた理由も含め、いまだ身元は不明なままだけど、警察が自分をロングランド国内で生まれた混血児などではないと断定したことも、帝国を調べるきっかけになったという。
また、相談した病院の先生から、「思い違いでも関心のあることを調べるのは、記憶を取り戻す上で有効だ」と話をされ、少女の気持ちを後押ししたそうだ。
オーブの心境はわかる。
私が同じ立場でも、気掛かりであれば帝国を調べようとしただろう。
ただ、思った通り、それは簡単なことではなかったらしい。
帝国の情報が新聞などで入ってくることはほとんどなく、図書館にある帝国関係の本だって、数が少ない上に歴史書が大半を占めている。そんな状況で、オーブのような身の上の子が、個人で調べられることには限度があったという。
「それで、遺跡調査員に目をつけたの?」
話がわかってきて、問いかけた私に、
「ええ。遺跡管理機構に所属する遺跡調査員なら、ソニア帝国の情報を色々知り得たりできるのでしょう?」
そうミランダさんが言って、ひとまずロゼと頷いた。
世界各地に存在する、古代文明の遺跡と遺物を管理している遺跡管理機構だけど……。発見された遺物の技術を解析してきたのは、ソニア帝国の技術者であることなど、遺跡管理機構と帝国の間には複雑な繋がりがある。
一介の遺跡調査員である私達が、次の仕事で帝国と関わることになったのも、ミヤノ遺跡やフェザーの死骸が、遺跡管理機構ロングランド共和国支部の下にあるからだ。
「――そうしたことを知った上で、遺跡調査員にどうしてもなりたい。年齢などの問題も、なんとかなるかも知れないとオーブさんが言い出しましてね。子供の自立を支援する孤児院として、応援しない訳にはいかなかったのですが、当初は流石に困難だと思っていました。でも、オーブさんは毎日必死に、遺跡調査員のことや学校で習う勉強をして、その困難を自らの力ではねのけたのです」
ミランダさんは、穏やかな笑みを浮かべて話をした。
その横で、唇を引き締めていたオーブを、私は改めて見やる。
身体能力はともかく、オーブの実年齢ってわからないから、学力とかの面で驚くことはおかしいのかもしれない。
ただ、記憶の手掛かりである帝国を調べたい故に遺跡調査員になったって……。理屈は単純だけど、確かにエイミーさんから聞いた通りの強い意志と、とんでもない行動力の持ち主だ。
それだけに、確かめなきゃいけないことがある。
「う、ん。オーブが遺跡調査員になりたかった理由はわかったけど、あんた、実際に帝国へ行ってみたいと思ってる?」
私の問い掛けに、少女は迷いを見せながらも首肯した。
――やっぱりか。
「私とクリスも行ったことは無いが、帝国までは船に乗って十日程かかる。お前が帝国へ行くには人を頼るしかないが……。行きたいという話は警察などにもしてみたのだろう? その時、なんと言われた?」
「……行くこと自体は問題ないと。ただ誰からも、すごくお金もかかるから、気になる程度の理由でつれて行くのは難しいと言われました。それも当然ですし、わたし自身、帝国と関わってる確信なんて無いので、今は遺跡調査員の立場から色々調べたいとしか考えていないんです」
状況を確認したロゼに、オーブは残念そうに答えて小さく笑みを浮かべた。
警察とかの対応はもっともだ。それに、本人も納得している様子で、こうなってしまうと非常に言いにくいが……。
「あのさ、私、よければ、オーブが帝国へ行くのに必要なお金出すよ」
「――えっ」
明るい表情をつくって提案した私を、オーブばかりか、ロゼとミランダさんまで唖然とした顔で見てきたが、これは冗談じゃない。
「それで記憶が戻ったりすれば全然安いモノだし、もちろん、あんたを一人で行かせたりはしない。できれば、私が一緒に行きたいんだけど……。仕事があるから無理なんで、誰かに付き添いとかを頼むとして、その人の分のお金も私がなんとかする。一応、それくらいの蓄えはあるんだ」
「まぁまぁ待ちなさい、クリス。オーブさんの為とはいえ、なにも貴方がそこまでやらなくてもいいでしょう」
気まずい思いで本音を出した私に、ミランダさんが笑いかけてきた。
相手の諭すような口調に何も返せず、
「そうですよ、クリスさん。気持ちは嬉しいのですが、わたし、そんなことまでしてもらって、帝国になんて絶対行けませんっ」
「あー、うん、わかった」
オーブにもきっぱりと断られ、私は苦笑しつつ頭をかく。
予想はしていたが、こうなるよね……。
「行く行かないはともかくだ。帝国を調査するのに、遺跡調査員になる以外の方法はなかったのか?」
気づけば渋い顔をしていたロゼが、そう言ってオーブの方を見やった。
「別に、オーブの行動を責めているわけではない。だが、お前が自ら、それも性急な感じで遺跡調査員になる必要はなかったのではないかと思ってな」
「ああ、それはあるわ。例えば帝国の情報を、私達に訊くことなんかもできたんだし」
私はロゼに同意して、目を伏せている少女の反応を窺う。
……と、困り顔になったミランダさんが、オーブに何事かを話すように促した。
「わたしが遺跡調査員になりたかったのは、帝国を調べる為だけじゃなくて……クリスさん達と一緒にいたかったこともあるんです」
躊躇いがちに言ったオーブが、私に真剣な眼差しを向けてきた。
「わたし、最初に会った時から今まで、クリスさん達のことを忘れた日なんて一日もありません。孤児院の生活はすごく楽しいのですが、二人に会えないことがとても寂しくて、同じお仕事ができれば、少しでも近くにいられると思ったんです」
「オーブ……」
言葉にじんと胸が熱くなって、私は少女の名前を呟いていた。
「勝手なことを言ってすみません。でも、わたし、本当に遺跡調査員になれた以上、迷惑をかけないように一生懸命がんばります。だから、どうか二人とも、わたしのこと……きらいにならないでください」
言い終えると同時に、オーブは深く頭を下げた。
……参ったわ。今のは完全に殺し文句だ。
私は、もう何があっても、オーブのことを投げ出さない。
そう気持ちを新たにして、私は少女に笑顔を向けた。
「バカね。あんたのこと、嫌いになんてなるわけないでしょ」
「――クリスさん。ありがとう、ございます」
ハッとした様子で顔を上げた少女、その目には涙がにじんでいた。
「泣かないで。ここまで言われたら何も言えないし、あんたにとって遺跡調査員の仕事をすることが記憶の治療と同じなら、こっちは協力するだけさ」
そう言って、また私は笑う。ただし、今度は悪戯っぽくだ。
「んふふ。同姓のあんたはもう家族みたいなモノだから、遠慮なく私を頼ってね」
「な、名前のことも聞いたんですか? すみません、ライト以外考えられなくて……」
頬を赤らめた少女が、恥ずかしそうに俯く。
「別にいいってば」
私が軽く応じた途端、身じろぎしたロゼが長く息を吐いた。
「……オーブの思いはわかった。私も協力しよう」
「まあ、ロゼッタさん、ありがとうございます。クリスも立派なことを言うようになって。オーブさん、二人が優しい人で良かったですね」
微笑むミランダさんにオーブが頷くのを、私は心苦しく見つめる。
「しかし、オーブよ。一つ確認したいことがある」
おもむろに言ったロゼに、「なんでしょうか?」と少女が緊張気味に答えた。
「お前の身体能力について、だ。凄いと聞いてはいるが、私はまだ信じられん」
そうきたか。まあ、私も気になっていた。
「後で詳しく話すけどさ。実は私達、次の仕事がすぐにあって、そこからオーブも現場へ出ることになってんの。で、そうなった以上は仕事に関わる色んな事態に対応する為、仲間の知識はもちろん、身体能力ってのを一番に把握しておかなきゃいけないわけ」
「もうお仕事が……。いえ、わかりました。クリスさん達の懸念は当然です。それで、どうすればいいんでしょうか?」
私は、得心した様子のオーブの問いに少し考え込む。
……と、ロゼが小首を傾げた。
「杭やロープ使って絶壁を登る動作なども見たいが、大袈裟なことをせずとも、お前の動きがわかればいい。先程、子供同士でやっていた棒の打合いなんかはどうだ? 手軽で適度に様々な力量もはかれると思うぞ」
ロゼの提案に驚くオーブを前に、私はパチンと指を鳴らした。
「それいい、私が相手になるよ。一つ勝負だ、オーブ。あんたの力を見せてみて」