翼の影 二
普段、クリスで通ってるけど、私の名前は、クリスティア・ライトだ。
そして、ここに書かれたオーブ・ライトってのは、やっぱりあのオーブだろう。
でも、オーブは自分の姓を覚えていなかった。それが親戚でもないのに、なんで同姓になってるの?
私が今いる、この事務所で働くことになった経緯もわからない。
混乱する頭をどうにか整理しつつ、私は手に持った書類を見つめる。
「クリス……」
不意に声がして視線を向けると、隣のロゼが青ざめた顔で口を開いた。
「お、お前。オーブと結婚したのか?」
「んなわけあるかあ――っ!」
叫ぶと同時に「こら、静かになさい」と、エイミーさんに叱られてしまう。
ただ、そのお蔭か、少し冷静になれた。
確かに結婚すれば、他の人と姓が同じになるけど、そんなのは置いといて。今の台詞と言い、「クリスは、私の……」とか、俯いてぶつぶつ言ってるロゼは明らかに混乱しているから、ここは自分がちゃんと思考しなきゃ駄目だ。
取り敢えず、ロングランドで遺跡調査員になる方法は二つある。
一つは、義務教育が終了し、成人として働ける十五歳から、各地域にある遺跡調査員養成学校へ入る方法だ。そこを卒業できれば遺跡調査員の資格がもらえて、すぐ働くことを希望する人は、各地の事務所で面接などを受けた後、大体、採用される。
なり手が減っていることもあり、養成学校の学費とかはかなり安いけど、どんなに優秀でも、卒業までには最低一年かかる。ただ、現役の人は、ほとんどこのパターンで遺跡調査員になっていて、私とロゼもそうだった。
そして、もう一つが、話の遺跡調査員資格認定試験を受ける方法だ。
認定試験に合格すると、養成学校を卒業していなくても、遺跡調査員の資格がもらえる。その後、働く際に各地の事務所で面接を受ける流れは、養成学校とほぼ同じだけど……。
この認定試験。元々、なんらかの理由で遺跡調査員の資格を失った人が再取得の為に利用したりする制度で、単純にお金や時間がなくて養成学校へ通えない人が独学で勉強しても中々合格しないと言われている。つまるところ、受かる人はなにか訳ありな場合が多いのだ。
自分が何者なのか、記憶を失っているオーブも訳ありといえばそうだろう。
でも、どうやって合格とかして。十五って年齢もどこから、まさか――。
「あの子っ、なにか記憶が戻ったの?」
私が思いついたことを口にした途端、ロゼが我に返った様子で顔を上げた。
しかし、それを否定するように、エイミーさんが首を振る。
「いいえ、オーブさんの記憶は戻っていないし、身元も不明なままらしいわ。ただ現状を言うと、先月あった認定試験の合格者の中から、うちで働く希望者に面接を行い、採用の決まった一人が彼女なのよ。ちなみに、面接をしたのは私だから」
眼鏡を指で押し上げた相手が、有無を言わさず続ける。
「疑問はあるでしょう。試験と面接の内容などは、個人情報で詳しく話せないけれど……。彼女、孤児院へ入る前、病院の検査では十二歳と判断されていたそうね?」
「は、はい。そうです」
私は返事をして、エイミーさんの言葉を待つ間に記憶を思い出す。
主に見た目や入院していた病院の学力検査とかで、オーブの年齢は正式に十二歳となっていた。それが十五となれば、この国では成人扱いされる歳で、普通に働くことも可能だ。
「オーブさん、孤児院に入ってから色々と勉強したりして、改めて病院で検査を受けたらしいわ。結果、記憶喪失ではあるものの、成人に相当する学力や社会性があると認められ、年齢の判断が変わったのよ。孤児院から役所に申請された当人の住民登録も、十五歳として先月受理されている。認定試験を受けにきたのは、その後だから、今の彼女は労働することに関して問題はないの」
町で暮らす以上、なにをするにも住民登録は必須で、早いうちに申請されるとは思っていた。それが通ったのは、良いことだけど……。
「全部、本当のことなんですよね?」
問いかけた私に、説明を終えたエイミーさんが頷いた。
「冗談でも、こんな嘘はつかないわ。とにかく、彼女には遺跡調査員として働きたいという強い意志と行動力がある。しかも、認定試験における成績は座学、実技とも優秀だった。身体能力は体格などを考えると、驚異的なレベルよ」
オーブがしっかりしているのは、私だって感じていたことだ。
でも、あの子は身長百四十センチくらいで、体つきも華奢。力とかが外見じゃ判断できないのはわかってるつもりだけど、そんなに凄い子だったとは、俄かには信じられない。
「知っての通り、近年、この国では遺跡調査員が不足している。うちの事務所も例外ではなく、オーブさんが外国人であったとしても、法的に労働可能な優れた人材である以上、採用しない理由はないの」
「しかし、オーブは何故、遺跡調査員に……」
エイミーさんに対するロゼの呟きは、私の疑問でもあったが、
「それは本人に訊きなさい。私から話せることは、もうないわ」
そう言い切られては何も返せない。
続けて、持っていた書類を渡すよう促される。
書類をデスクにしまったエイミーさんが、こっちを見ながら目を細めた。
「オーブさんが働く上で、一番の問題は相棒なのよ」
「あ……」重要なことを忘れていた。
遺跡調査員は、二人一組での行動が原則だ。単独の場合、通常は事務所側で用意された相手と、問答無用で組むことになる。
ただ、それ、どうなの? 相手が誰でも、オーブと組むのは戸惑いがありそう――。
「そこで、クリス、ロゼ。貴方達は今後、オーブさんを加えた三人一組で動いてもらうわ」
「うにゃっ! 本気ですかっ?」
エイミーさんの言葉に驚き、私の喉から変な声が漏れた。
「当然、これは命令よ。そして早速で悪いけれど、先程した次の仕事から実際に現場へ出てちょうだい」
「ですがっ。それは、オーブを特別扱いすることで、問題ではありませんか?」
困惑したような顔のロゼに、エイミーさんが眉をひそめた。
「確かに彼女の事情は考慮しているけれど、別に特別扱いという程でもないわ。前例は数多くある。それに考慮しているのは、オーブさんだけではないの。仮に事情を知らない遺跡調査員が、彼女といきなり組まされた時、どう思うかしら? 例え、事情を説明しても受け入れられず、仕事にならないことも考えられる。相棒との信頼は、容易に築けるモノではないにしても、現状、彼女は貴方達と組むのがベストなのよ」
淡々とした口調の話に、今の私が反論できることは一つもなかった。
第一、何を言おうと、もう結論は出ている。それに、オーブが知らない人と組んだら組んだで、上手くやっていけるのか、私は絶対気にしてしまう。そんなんで、やきもきするくらいなら、一緒にいれた方がよっぽどいい。
これまで通り仕事を受けられるのか不安はあるが、そこは組ませたエイミーさんが責任持って、なんとかしてくれるのだろう。
自身を納得させてから「了解しました」と、私は答えた。
「私も、了解です……」
隣のロゼが続けたけれど、その表情はどこか硬い。
「感謝するわ。話を聞いた限り、オーブさんも貴方達と仕事をすることを望んでいたから、これで安心するでしょう」
そう言って、眼鏡をかけ直したエイミーさんへ、私は口を開く。
「オーブがなんで遺跡調査員やりたいのかは、本人に訊いてみますけど。あの子が私達と仕事するのを望んでたってのは、本当ですか?」
「ええ。本当、貴方達は彼女に慕われている。特に、クリスね」
「私?」自分を指差すと、頷いたエイミーさんが、デスクに頬杖をついた。
「住民登録には姓名が必須でしょう? その際、オーブさんね。名前はともかく姓は好きに名乗れたらしいの。訳は訊かなかったけれど、わざわざクリスと同姓にしたのは、親愛の表れだと考えるのが自然だわ。少なくとも好意がなければつけないわよ」
そういう、ことだったのか……。
名前の謎が解けた途端、胸の奥から嬉しいような、申し訳ないような気持ちが、ごちゃ混ぜになって溢れてきた。
「エイミーさん、採用が決まった話とか、オーブに教えてもいいんですか?」
「構わないわ。もうじき、彼女を含む合格者と採用者には通知がいくから。今度、事務所へくる時は、一緒に連れてきてちょうだい。オーブさんの場合、すぐに働いてもらう訳だし、現場での動き方なども教えてあげて」
私の質問に応じたエイミーさんが、厳しい表情を見せた。
「ただ、オーブさんはもちろん、貴方達も仕事のことは無暗に口外しないよう注意なさい。特に、フェザーに関わることは絶対話さないこと。いい?」
言われるまでもないことを了承し、私達は部屋を後にした。
一旦、落ち着こうってことで、ロゼとやってきた事務所の近くにある喫茶店の中。平日の午後ということもあり、空調の効いた店内は、お客さんの姿もまばらだった。
しかし、流石は都会のお店。いかにもセレブな感じの奥様達が、「オホホ」と優雅な笑い声を交えて会話している、その近くの窓際の席で、ロゼが重苦しく息をついた。
「大変なことになったな……」
「うん。でもさ、あーだこーだ言っても仕方ないよね」
一応、答えたが、私も嘆息する。
オーブ、次の仕事、キッカさん達……考えることはたくさんあった。
でも、それらは全て決まってしまったことだと、お互いわかってはいる。
そう思った時。注文していたアイスコーヒーを飲み干したロゼが、同じく注文していたバニラアイスのパフェを食べる私を見た。
「ひとまず、オーブに会って色々と事情を聴いてみよう。認定試験に合格したことを疑う訳ではないが、身体能力の件など、どうにも信じ難いところがある」
アイスを頬張りつつ頷くと、相棒がまた深く息を吐いた。
「しかし、エイミーさんの話ではないが……。オーブはクリスのことを、本当に慕っているようだな」
「ん、そうらしいね」
私は呟き、スプーンでアイスをつつきながら、テーブルに頬杖をついた。
「あの子は、私達を命の恩人だと考えてる。その上、色々面倒とかもみてくれたから、慕ってきてると思うんだけど……。こっちとしては複雑だ」
もやもやした気持ちを言葉にして、私はスプーンを口に運ぶ。
「でも、なんで私だけ特別みたくなってんのかな?」
「……所謂、刷り込みという現象かも知れないぞ」
私の率直な疑問にロゼが答えた。けれど、意味がよくわからない。
「刷り込み?」
「ああ。生まれた直後の鳥のヒナなどが、最初に見た相手を親と思って慕うように……。記憶を失ったオーブはヒナと同じ状態で、最初に目にしたのが、自分へキスをしているクリスだったから――」
ロゼの話を聞いていて、思わずむせた。
「あ、あんたね、真剣な表情で変なこと言わないで。あれは人工呼吸だし、オーブは鳥じゃなくて人間よ。刷り込みなんてありえないわ」
私は口元をナプキンで拭いつつ、ロゼの言葉を否定した。
私とロゼのどっちがオーブに優しく接してきたかって言えば、やっぱり私だ。それを、あの子が好意として感じた結果が好かれている理由なのか。
「その、クリス……」
僅かに声を震わせたロゼが、端整な顔を曇らせて続ける。
「私も、お前を慕っていることを忘れないでくれ。大切な友人だからな」
一瞬、意味がわからなかったけど、すぐに理解して、私は軽く笑った。
「改まって、なに言ってんの。ってか、あんたさ。友人である私がオーブに取られそうで心配とか、そういう子供みたいな嫉妬してない?」
ふざけて喋っていても自分で痛い発言だと思った……が、
「ああ、その通りだ」
ロゼに即答されて、私は椅子からずっこけそうになった。
「正直だな! ちょっとは否定とかしなさいよっ」
「普通、自分の親友に、自分以上親しい人間ができたら嫌だろう?」
「はい? あー、まあ、嫌かも知れないけど……」
それは恋人とかの感覚じゃないの? と、真面目な顔で訊いてきた相棒に心の中でつっ込む。
「とにかく、あんたが心配してるような事にはならないわよ」
そう答えてから、私は器に残る溶けたアイスを喉へ流し込んだ。ロゼがこういう考え方をするやつなのはわかっていたが、偶にびっくりするわ。
喫茶店を出て、孤児院まできた私とロゼは、車を降りて建物へと向かった。
まだ日も高く、暑さのやわらいだ気配はないものの、傍の海から心地好い風が吹いている。そんな風に、騒がしい声が混じって聞こえ、何事かと近づいていく。
すると、建物の日陰になった中庭で、二人の子供が四メートル程の距離をとって対峙しているのが見えた。それを観戦するように、数人の子達が男女に分かれて周囲を取り巻いている。
子供達は皆、半袖の上着や短パンなど、涼しげな格好をしていた。
ただ、対峙する二人の手には短い木の棒が握られていて、雰囲気から遊びの打合いをやってるらしいことが伝わってきた。
でも、あれは、オーブとマッシュ?
間違えようのない、黒髪の美少女に目を凝らした瞬間。その相手より背の高い茶髪のマッシュが、大声を上げて突進した。
勢いそのままに、マッシュが上から振り下ろした棒を、オーブが横に動いてかわす。
外して、よろめいたマッシュが身を翻し、待っているような相手へ再度、打ちかかった。
今度はかわさず、手にした棒で一撃を受け止めたオーブ。
力みがあるマッシュに対し、少女の身体は少しも揺らがない。
続けて数回、打ち合うものの、軽々と受けているみたいなオーブを見て、険しい顔つきになったマッシュが後ろへ下がった。
マッシュの動きはメチャクチャで、速くもない。
でも、本気なことは確かで、遠慮など一切感じない攻撃を、オーブは明らかに余裕を持っていなしている。
その姿に見入っていると、マッシュが踏込み、突き出された棒がオーブの細い身体を、とらえない。わざと、引きつけてかわしたようなオーブが、振り上げた棒をマッシュのそれに打ちつけた。
棒を取り落したマッシュが悔しげな顔で地面に座り、気遣っているらしきオーブへ何かを言う。
どうやら負けを認めたらしく、同時に、見ていた女子から「オーブお姉ちゃん、やったあ」「すごーい、まだ一回も負けてないよ」「オーブってば最強ね」等々の歓声が出た。
一方、男子陣営では「くそ、調子のんな」「だらしねぇな、誰か男の根性見せてやれ」「じゃあ、お前がいけよ」「オーブ可愛い」などと、やかましい声が飛び交っていた。
「オーブの動き、驚いたな」
私の横で、ロゼが言った言葉に同意する。……と。
「あっ! クリスお姉ちゃんっ、ロゼお姉ちゃんっ」
不意に少女の声がして、見れば子供の中からパム一人が、私達へ手を振っていた。
その途端、気づいた他の子が、こっちへ向かって駆け出す。
「ハーイ、皆、元気にしてたみたいね」
私はロゼと歩きつつ、騒ぐ子供達に応じる。
さらに、なんでか、マッシュと対峙した場所で棒を片手にじっとしているオーブへ近づき、声をかけた。……が、
「や、オーブって、おわあっ! ど、どうした? なんで泣いてるの?」
「……え。泣いて、る?」
ポツリと言って、自身の顔へ、オーブが空いた手を伸ばす。
その指が触れた頬に、潤んだ目からこぼれた、涙の筋が光っていた。




