翼の影 一
八月に入って、夏真っ盛りといった暑さの昼下がりの午後。
ミヤノ遺跡の調査報告に訪れたカイント事務所の個室にて、並んで立った私とロゼは、提出した報告書をデスクで読むエイミーさんの言葉を待っていた。
窓から見える景色は、約一ヶ月半前と同様だ。
でも、レースカーテン越しに照りつける日差しは強烈で、空調の効いた室内と外じゃ別世界だろう。
その部屋の中でも、今は全員スーツの上着を脱いでいる。
エイミーさんは暑いからか、普段はおろした、こげ茶色の長髪を後頭部で留めていた。
ミヤノ町から、ラバー市へ帰ってきた後。すぐに私達は、一度事務所へ出向いていた。そこで、死骸を発見した経緯なんかをエイミーさんに話して以降。報告書を作る為、連日、カイント市内にある図書館へ出向き、フェザーに関する資料を調べてきた。
エイミーさんが見ているフェザーのことをまとめたページは、図書館にあった文献を参考にしつつ書いたことなんで、間違いとかはないはずだけど……。調べてる最中、遺物とかではないものの、自分達は、やはり結構凄い発見をしたのだと実感していた。
フェザーの生態は、現在も多くの謎に包まれている。
その名称は、ソニア帝国の研究者によってつけられたモノで、今から千五百年前頃には、すでに存在が確認されていたそうだ。
でも、現在まで生け捕られた記録はなく、死骸もほとんど発見されていない。あっても私達が見たような骨の状態となっていて、生きた状態は目撃証言のみで伝えられてきた、ある意味、幻の生物だった。
私も生きている状態のフェザーは写真や絵でしか見たことがないけど、その姿は、まるでカラスとトカゲを合成したような、異様としか言えないモノだった。
しかし、鳥類とは異なる金属みたいな黒い翼を広げた大きさは、個体によって百メートルをこえるらしく……。尻尾の生えた巨体は、これも金属みたいな黒い鱗に覆われていて、体重はわからないが、骨だけで二十トン以上ある個体も発見されていた。
大きさだけならクジラとか、まだ上回る生物もいる。
ただ、どこから現れどこへ去るのか不明。弾丸の如き速度で空を飛ぶ。羽ばたきでトルネードを起こす等々。あらゆる面で常識離れした能力を持つフェザーは、明らかに生物として異質な存在だ。
そんなフェザーの最大の特徴は、人間を敵視している点だろう。
昔から、フェザーが人間だけを無差別に攻撃することは知られていた。
その確率は、落雷に打たれて死ぬより低いと言われているものの、遭遇した場合、戦って人間のかなう相手でなければ対抗手段など取りようもなく、不運だったと諦めるしかない。襲われた私の両親も、きっとそんな心境だった……。
考え込んでいると、エイミーさんが私達の方へ視線を向けた。
「他の人からも聞いているし、口頭での報告は受けていたけれど、改めて二人とも、お疲れ様。フェザーの死骸とは、とんでもないモノを見つけたわね」
おお? 相変わらずにこりともしないけど、何時もより口調が優しげだ。
「いえいえ。仕事中に偶々、発見しただけですから、大したことじゃありません」
一応、謙遜した私に「その通りです」とロゼも同意する。
そもそもミヤノは、事務所が未発見の遺跡を探索する為に組織した、遺跡調査団によって発見された場所だが……。あそこに限らず、ばりばり調査中の遺跡から、雇われている立場の遺跡調査員がなにを見つけようと、契約上あまり当人の手柄とかにはならないのだ。
それらを踏まえて、今回、凄い発見をしたって実感はあるけど、実際、私達に大きな見返りがないことはわかっていた。
そう思っていると、報告書をデスクにしまったエイミーさんが、眼鏡をかけ直した。
「大したことよ。死骸の存在する場所は遺跡の外の森で、誰も気づかなかった可能性もある。偶然だろうと、それを発見したことは確かな功績だと、レイモンド所長も貴方達を褒めていたわ。恐らく給与などにも反映されるでしょう」
「わっ、それは嬉しいです」
考えていたことや、事務所の所長の名前が出て驚いた私に、エイミーさんが続ける。
「私も、貴方達の活躍は嬉しく思うわ。個人的に、お金とかは出せないけれど。今度、食事にでも行きましょう。おごるわよ」
「あははっ、本当ですか? なんか、悪いっていうか。私はエイミーさんに褒めてもらえただけでも、十分ですよ?」
笑いながら答えると、相手が呆れたみたいな半目で、こっちを見た。
「……冗談とはいえ、よくそういう台詞を恥ずかしげもなく言えるわね」
むむ、別にふざけたつもりはないのに。
心外です、と伝えようとした時。私の横で、ロゼが軽い感じの咳払いをした。
「それで、これから私達は、どのように動けばいいのでしょうか?」
真面目な相棒の言葉に、私も表情を引き締める。
報告書の作成に追われ、休日と合わせて一週間近く事務所へ顔を出していなかった。というか来なくていいと言われてたので、次の仕事のことなどは聞いていない。
また、少し気になるのは、キッカさん達と帰ってきてから会えていないことだ。
そのうち事務所で、死骸を発見した全員揃って、事情を聴かれるモノだと考えていたが、未だそんな場はない。私達以外からも報告は入ってるし、第一発見者の証言が重要な訳でもないから、別に必要はないのだろう。
ただ、今回、仕事で一緒になるまで面識もなかったから、二人の連絡先とかも知らないんだよね。それも、エイミーさんに訊いたりして調べれば、わかるとは思うけど……。
「現在、フェザーの死骸は発見時の状態のまま、傭兵達が警備をしているわ。そして、発見された経緯などは、すでにソニア帝国の遺跡管理機構本部へも伝わっている。貴方達には、それ絡みの仕事を頼みたいの」
「どういうことですか?」
私が訊くと、デスクの上でエイミーさんが指を組んだ。
「フェザーを知る上で、死骸は貴重な資料よ。生態調査などは各国で行われているけれど、ソニア帝国の研究機関が、その最先端をいっていることは言うまでもない」
詳しく知らないが、聞いたことはある話に頷くと、相手が再び眼鏡をかけ直す。
「実は、その帝国政府の研究機関から、死骸を調査する為の研究者が派遣されて、もうロングランドへ向かって渡航中なの。この調査は共和国政府の公認で、人数や機材ははっきりしないけれど、数日後にカイント市の港へ到着する予定よ」
「――てっ、帝国政府の研究者ぁ?」
大声を出した私は、もちろん、そんなの初耳だった。
「っ、驚きましたが、それと、私達がどう絡むのですか?」
呆然としている私の横で訊いたロゼに、エイミーさんが応じた。
「帝国政府より、遺跡管理機構本部を通じてね。死骸を発見した遺跡調査員を、研究者の調査に同行させて欲しいと、事務所へ要請があったのよ」
「それが私達?」
問いに相手が頷くも、私は質問を続ける。
「でも、同行して、なにをすればいいんですか? 遺跡の案内とかならともかく、フェザーの調査なんてわかりませんよ」
「当然、そういったことは先方も承知済みよ。正直に言えば、必要な人員ではない。功績を挙げた発見者側の顔を立てる為の要請で、要は、調査を見学できるだけかしら」
……なるほど、なにかすることもないから、私達でいいのか。
帝国政府だ! 遺跡管理機構本部だ! と、スケールのでかい話に慄いたけど、エイミーさんの言葉で若干、気が抜ける。
「参加を強制はしないけれど、どうするの?」
続く問いに、私はロゼへ視線を向けた。
調査に同行するだけの簡単なお仕事なら、身構える必要もない。
何より、帝国の人と色々話せたり、扱う機材なんかを見れるのは興味がある。
「私は引き受けたいんだけど、ロゼは?」
「私も構わないよ、クリス」
相棒の答えに笑顔で「うし、決まりっ」と返し、エイミーさんへ視線を戻す。
「それじゃ、今後の予定は二、三日以内に固まると思うから、その辺りでまた事務所へ来てちょうだい。他の連絡事項も、追って伝えるわ」
「了解しました。メンバーは私達と、ジャスティンさん、キッカさんの四人で問題ないですよね?」
私が確認した瞬間。「ああ、知らなかったのね」と呟くように言って、エイミーさんが眉をひそめた。
「その二人。ジャスティン・マイヤーと、キッカ・マイヤーは先週、カイント事務所を出ているのよ。すでに、遺跡調査員も辞めたそうだわ」
「は? ええっ! 事務所出て、遺跡調査員辞めた?」
予想もしていなかった言葉に、私は思わずエイミーさんのデスクへ詰め寄った。
「先週って、私達が報告書作ってる間ですか? 理由はなんです?」
「落ち着きなさい。二人の幹部の、ケビンは知っているわよね?」
私は相手の問いに頷く。
ケビンさんはエイミーさんと同じく事務所の幹部で、これまで何度か話したこともある、温厚そうな中年の男性だ。
「私も彼から聞いて、一身上の都合だとしか知らないの。調査が終わったことや、フェザーのこととか。色々、考えられるけれど、理由はわからない」
首を傾げたエイミーさんのデスクへ、私は身を乗り出すように両手を置いた。
「でもっ、仕事辞めるとかって話は、全然してなかったのに」
「そうだったの……。私も聞いた時は驚いたわ。担当ではないけれど、二人が長年、仕事を頑張ってきたことは知っていたしね。ただ、彼等は大人よ。なにかやむを得ない事情があって、自分達で決断したことであれば仕方ないわ……」
悲しげな声にはっとして、デスクから手を除けつつ「すみませんでした」と謝る。
突然のことで取り乱したが、そうだ。ちゃんと理由がないと仕事を辞めるはずがない。
少し一緒にいただけで、おかしいとか、相手を知ったと思うこと自体間違いだろう。
「もっと二人のことを知りたければ、ケビンに訊くのが早道でしょう。そうしてみるなら、私からも話は通しておくわよ?」
配慮するようなエイミーさんの言葉に、首を横へ振って、私は口を開いた。
「……いいえ、詮索みたいなことをするのも失礼です。それに、訳を知ったところで、今更どうしようもありません」
ひとまず自分を納得させて、気になっていることを質問する。
「あの、そうなると、次の仕事に行くのは私達だけってことですか?」
「それは、私も気掛りでした」と声がして、ロゼが私の横へ並んだ。
「キッカさん達のことは、とても残念です。次の仕事、大変ではなさそうなので、私としてはクリスと二人きりでもいいのですが、誰か代役を?」
いや、仕事は確かにそうなんだけど、強調するとこおかしくない?
何時も通りと言えばそれまでな相棒の発言へ、心中でつっ込みを入れた時。エイミーさんがデスクの引き出しを開け、なにやら一枚の書類を出した。
「質問を返して悪いわね。貴方達、ミヤノ遺跡の調査へ行ってから今まで一ヶ月半程、エイシップ孤児院とは連絡を取っていないでしょう?」
「へ? ああ、そうですけど」
書類を手にしたエイミーさんを、私は訝しんで見る。
最近は普通の家にも普及してきていて、当たり前だが、ミヤノ町にも電話はあった。
ただ、話の孤児院には無いので、直接連絡するのは無理だったし、手紙のやり取りもしていない。調査がもっと長期化していたら、どうにか連絡をつけようとは思っていた。
それでも、本当にもー、オーブのことは、ずーっと気になってたんだ。
エイミーさんは、そのオーブや私関係のことで孤児院を知っていた。
しかし、なんでここで出てきたのか、疑問を口にする。
「孤児院がどうかしたんですか? 今日、この後、向かう予定なんですけど」
「あら、良いタイミングだったわ。順を追って説明するから、よく聞きなさい」
応じたエイミーさんが、さらに続けた。
「まず、貴方達。遺跡調査員資格認定試験のことは知っている?」
「は、はい。事務所が毎月下旬頃にやってて、受かれば遺跡調査員の資格がもらえる試験ですよね」
私の答えに頷いて、エイミーさんがデスクの卓上カレンダーをめくった。
「そうよ。先月の七月にも試験があって、まだ発表はされていないけれど、合格者も決まっているわ」
「はあ、おめでとうございます」と言ったものの、話が見えず戸惑う私に、エイミーさんが持っていた書類を渡してきた。
「それは合格者のうち、この事務所で働くことになった人達の簡単なプロフィールなの。ちょっと、二人で見てもらえるかしら?」
言われるまま、ロゼと印刷されたらしき書類を眺める。
その途端、タイプライターで打たれた名前の一つを見て、自分の目を疑った。
年齢、十五歳? 性別、女。現住所はエイシップ孤児院で……。
――氏名、オーブ・ライトって、これ、どうなってんの?




