この門をくぐりしものは一切の希望を・・・
どうしてもここまでは書きたくて夜更かしです。
あんなに遠くに見えていたと思っていた山の麓までも、きちゅねの速度ではあっという間だった。速い・安全・快適と最高だ。これはいいセールスポイントだ。
「よーしきちゅね一旦ストップ!社長~?」
『Pi』電子音と共に、透明な板が俺の前に回りこむ。ワープしたぽいな…。
「この山ですよね、結構登ります?」
『うん、これだね。頂上付近に設置したはずだから、そこそこ距離はあると思うよ』
「了解です。きちゅね、もうちょいお願いね」
さわさわと頭を撫でてやると、目を細めて嬉しそうに応じた後、山道を登り始めた。本当は自分で登ってもいいんだけど、山頂近くは岩だらけに見えるし、きちゅねの乗り心地は快適だからついつい甘えてしまう。
しかし、開発中だからってここまで虫も動物も一切いない世界って凄く不気味だ。自分が今乗っているきちゅねはふかふかして温かく、とても安心出来る。でも周りは、風の音以外、生き物の気配や音も無く殺伐として感じる。この山の雰囲気のせいかな。岩だらけで灰色一色の山。麓からの緑の切り替えも極端だ。
「これかな?」
山頂付近までも快速きちゅねで楽々だった。洞窟の入り口がぽっかりと開いている。
『あぁここだよ。この中を確認して欲しいんだ。何故かプログラム上では確認することが出来なくなってしまっていてね。自分で見に行ってもよかったんだけど、こっちから式を客観的に見て修正したかったし動きの修正や痛みのフィードバックとかもまとめて行いたかったんだ』
「何かしらの不具合、バグですかね?リアルに巨大な虫とかいたら嫌ですよ…。よし、行ってきます」
ここからはさすがに歩くか。ひょいと華麗に降りたいところだけど、片足ずつよいしょーと不格好になりそうになった所できちゅねが身体を下げてくれた。いいこいいこ。さて、きちゅねを横に従えていざ洞窟へ。なんかいかにもダンジョン的な感じだ。
「中は随分暗いなぁ。明りなんて持ってないぞ」
そうつぶやくと、きちゅねが身震いし始め、すぐに身体から3個ほどの火が浮かんで空中で静止した。紫色の狐火だ。少し暗い色だけど、光量として充分。そのままきちゅねに横を歩いてもらい奥へと進んだ。
暗闇に目が慣れてくる位の時間トコトコ歩いた頃、随分と広い空間に出た。ちょっとした体育館並みか、それ以上の広さだ。ここに例の地獄の門があるのかな…。結構な広さで狐火でも全体が見えるわけではないが、奥の壁側に巨大な門があった。大人三人分程の高さに、横は整列したら大人でも4~5人は並べる程の幅。漆黒の光る材質で出来ていて見上げるとかなりの迫力だ。現実ではロダンが製作し、世界に七つ存在している地獄の門。ダンテの神曲からインスピレーションを得たというこの門は、有名な「考える人」の像を含め、多数の像が鋳造されて、くっついている。
「社長着きましたよ~」
『Pi』という音と共に、俺の横に板が並ぶ。きちゅねと三人で門を見上げる。
『おぉ着いたのか。見た感じで何か違和感はあるかな?』
「特に問題はなさそうですよ。上野で見たアレと特にデザインとか変えてないですよね?」
『そのはずなんだけど…なんか随分と黒光りしてるね。オリジナルと同じブロンズで設定してあったんだけど、パラメーター間違えたのかな?』
軽く叩いてみると、金属というより石の感触だ。
「これ黒曜石とかじゃないですか?後は…あれ?竜の彫刻なんて付いてましたっけ?」
『おかしいな…今こちらでも確認したけど、確かにブロンズで設定してあるよ。それに竜の彫刻はつけてないな。ファンタジーだけど、これは実際に見た感じを伝えたかったからカタログや図版を見ながら細かく設定してあるし』
何かおかしいなと、二人でそんな話をしているとゾクっとした気配を感じる。きちゅねは真横にいる。この世界に入ってから一切感じた事のない他の生き物の気配…、しかも殺気だ。
「社長…モンスターの設定ってしていませんよね…?」
『まだ何も配置してないよ。村人とかは村に配置してるけど、モンスターはまだこれからだったから』
グルルルという耳を震わせる低音の響き。この広い空間の中に明らかに何かがいる。
「きちゅね!」
意図を察したきちゅねが、振り返った俺の視線の先に狐火を飛ばす。そこにいたのは…。
「社長…ロダン…ダンテの後は黙示録からですか…?」
明確な殺意を持ってこちらを睨んでるのは、発達した獅子の足、巨大な羽、頭が10本あるドラゴンだった…。確かヨハネの黙示録で海から現れたドラゴンの王とかじゃなかったけか。こんなのまで作ったのか。凄い迫力だ。そしてこの地獄の門と同じ位サイズの巨大な生き物からは、きちゅね以上に生き物としての生々しさを感じる。
『何でこれがここに!ラスボス用に作って寝かしておいたプログラムで攻撃パターンも設定していない。だから本来なら何も出来ないはずだけど、そういう雰囲気じゃなさそうだ。ここはとにかく逃げの一手で。痛みの感覚は未調整なんだ…まともに攻撃されたらマズイ。装備品もまだ用意は出来てない』
「つまり、今攻撃されたら痛いなんてもんじゃすまないんですね…」
慌てた社長の言葉を表す様に、何度か文字の打ち直しがありながらも、目まぐるしく表示する板。
『強制ログアウトを試してみる。が…さっきから割り込みが入ってコマンドの受付が受理されない。色々と出来うる限りの方法を取る。ログアウトまでとにかく逃げてくれ!』
「こんな鬼ごっこは燃えますね」
話している間に素早く距離をつめてきたドラゴンは前足を振り上げて攻撃してきた。見た目と違って相当速い。きちゅねに乗る暇もないし、後ろはすぐ門。横へと逃げる。
「がはっ!」
前足をどうにか左に横転してよけた俺に追撃で頭が噛みついてくる。10本中8本が前後左右から攻撃してくるのを避け切れず、右腕と尻尾をやられた。残り2本の頭はきちゅねをけん制している。これは…この世界でもし死んだら精神的にショック死するんじゃないか…。舞台やショーで骨折や怪我をしたことあるし、結構痛い目にあったことはあるが、この痛みは尋常じゃない。社長には大丈夫と言われているけど、門といい、このドラゴンといいイレギュラーは続いている。もしも死ぬような目にあった場合、正直命の保障がない。
「保険は入ってるけど、仕事途中で死ぬのなんてのは勘弁だな」
大体、この俺が死んだ場合、あっちの俺は記憶がここの世界の分が入らないだけかもしれないけど、今この場に存在している【この俺】は確実に消えるだろう。それは結局一つの死じゃないのか…。だらんと、感覚なくぶら下がっている右腕をおさえつつ、痛みでパニックになりかけながらも無理矢理攻撃を避ける。尻尾も切られたせいで、折角慣れてきたバランスを崩していて動きも怪しい。どうにか距離を取ったが、相手も分かっているのか、俺らが入ってきた入口を背中にしてやがる…。どうにか隙を作らないと外に脱出も不可能だ。
「きちゅね!」
俺の声に反応して合流しようとするきちゅねに、ドラゴンは炎を吐きかける。きちゅねの速度でどうにか回避は出来ているものの、動ける範囲が狭まってくる。
「社長!時間は?」
『お待たせ!後1分で強制ログアウトだ!なんとか逃げ切ってくれ!』
「らじゃ。帰ったら焼き肉たらふく食わせて下さいよ」
『店貸し切って食べさせてあげるよ』
「OK、聞きましたよ。きちゅね狐火!」
炎を避けながら、きちゅねが狐火をドラゴンに向かって飛ばす。そこに狙い定めて足元から素早く拾った石を投げつける。ちょうど炎を吹きかけようとした一つの頭の口付近で狐火が拡散し、目くらましになった。今のうちに俺は無理矢理走ってきちゅねの方へ向かう。ドラゴンは混乱しているのかそこら中に炎をまき散らしながら暴れまわっている。どういう原理か、ドラゴンの炎は消えずに燃え続け障害物になっている。走る勢いのまま、きちゅねが拾ってくれることを見越してジャンプ、よし乗れた。
「きちゅね今のうちに逃げるよ」
片手できちゅねの速度に耐えるのはきついが、しっかりつかまる。頭の中に声か聞こえて来て、カウントダウンが始まる。システムメッセージか。
≪後30秒で強制ログアウトします。30…29…≫
ドラゴンが暴れてるうちに開いた広間の入口にも、もう直ぐ到着出来る。これは間に会ったな。
≪25…24…ニガサンゾヒトヨ…≫
「え!?」
その瞬間凄まじい勢いで伸びたドラゴンの尻尾に吹き飛ばされ、きちゅねと別々に壁に叩きつけられる。
「っぐぁ・・・・」
『ユウスケ君!』
≪13…12…キボウヲ…10…ステヨ…≫
あぁぁぁ…避けられない…爪が振り下ろされ…俺は…おれは・・・
≪2…1…ログアウト完了致しました。またのプレイをお待ちしております≫
BADENDではないです。まだ続きます。
ロダンの地獄の門は静岡の県立博物館で常設展示(写真撮影OK)、上野の美術館では屋外に置かれています。有名な「考える人」は元々地獄の門の一つの部品だったけれど、人気があったので別々の美術品としても扱われているようです。
2013/03/15 修正