B.Dの場合。黒竜とカフェを。
ケトル…やかんですね。とある喫茶店のあれこれに物申したい気持ちが湧き上がって書いた話です。珈琲入れる温度の話とかも、詳しく聞いていると極める道が色々あって興味深いですね。
漏斗に装着されたフィルターに、挽き立ての豆を入れる。ゆっくりと慎重な手つきで細い注ぎ口のケトルを傾け、粉の真ん中を浸す。少しだけ蒸らして香りが登るのを待つと、今度はゆっくりと円を描く様にお湯を注ぎ、粉の真ん中が盛り上がったら止める。後は様子を見ながら時々お湯をさしていけばいい。漏斗の下に設置してあるポッドへと貯まった魅惑色の黒い液体はかぐわしい香りで目の前にいる者を魅了する。
「ほふぅ…素敵です」
カウンターに顎を乗せて、へばり付く様にして見入っていたコンスケが息を吐くと、一緒に張り詰めていた尻尾と耳がくったりと力を抜いてゆっくりと下りていく。それをいつもの風景と慣れながらも、人に見られる事を意識した動きで華麗にカップに注ぐと、後から注いだ豆乳をシナモンスティックで掻き回して提供する。
「はい、ソイラテ(豆乳ラテ)。熱いからゆっくり飲むんだよ」
「ありがとうございます! いただきまーす」
キラキラとした目で、自分の鱗よりも闇色の素敵な水面…珈琲を見詰めるコンスケを見ながら、子供でいたらこんな感じだったのだろうかとB.Dは優しい笑顔を浮かべる。
身の内から溢れる力は、自分でも制御仕切れず、いつも暴れ、何かを破壊し、そして燻っていた。離れていく仲間、信奉してくれる民も無く、幽山にて力を発散するだけの日々。いつしか暴竜ここに在りと、危険な名所として名を馳せてしまった。
昔は、同じ様に牙を振るった仲だった兄も、今では人の姿に身をやつし、平和にやっていると風の噂で聞いた。自分は未だ何の為に力を持て余しているのかと自棄の様に暴れる事しか出来ない日々だというのに…。
今日もまた陽が登る。見たくもない橙の光は、自らの黒き鱗を恐ろしくも煌めかせ、付近の住まう生き物共を尚一層怖がらせる。ふと溜め息一つついてねぐらから出た彼の鼻に常ならぬ香が届いた。
自然にはない香。ヒトでもやってきたのかと、ひとっ飛びで向かった川の側では一人の男が火を扱い、水を湯に変え何かを飲もうとしていた。久々に見たヒトを脅かしてやろうかと、口を開いた彼にヒトは聞こえているだろう翼の音も気配も無視して、優雅に口を開いた。
「全く…久しく会わぬ間に、まだ暴れるだけか、我が弟よ」
それは自分と離れヒトとして暮らしていた兄であった。
「今お茶を入れている所だ。大人しく待て」
歳の離れた兄は、慣れた仕草で沸かしたお湯をポッドとカップに注ぎ、一度お湯を捨て、缶から丁寧に茶葉をいれる。ゆっくりとお湯を注ぎ、蒸らしている間に声をかけてくる。
「弟よ。その姿では一杯のお茶も水滴以下。化生をしろ。もうその位の歳にはなっただろう?」
言われるまま、もう覚えもない為、兄の身を真似、姿を念じると、兄によく似た、もう少し粗野な印象の男が一人立っていた。落ちつかなげに立ちすくむ男…弟を椅子に座らせると、兄は優雅に茶を注ぐ。
「烏龍茶だ。脂が抜けるし、香もよい。美味いぞ」
野山で動物の肉ばかり食っていた身に、その香は染みた。すっかりヒトとしての立ち振る舞いが板についている兄が、ゆっくりと別れていた間の事を話してくれた。今は上品な老婦人と過ごし、その娘と面白ろおかしく過ごしているらしい。
「兄者、牙は! 爪は? 帝の為の竜とまで崇められた我ら黒竜の誇りは」
お茶を飲み、兄はゆっくりと答える。
「俺はあの国が滅ぶ時皇帝に言われた。ヒトとして過ごすのも悪くないと。そして牙も爪も封印し、長年生きた。だが守りたいものが出来た時、力はいや増した。力だけが全てではない。何を持って振るうかだ」
信念…そういったものが兄は見付かったらしい。自分はどうであろうか。ただ暴れていただけであった。
「お前もその姿で世界を、ヒトを見るといい。何よりお茶は美味いぞ」
その言葉は、鼻を耳を喉を通って身に染み入っていった。
「…マスター、ますたーってばー」
「ん…あ、ああすまない。考え事をね、少し」
器用にも尻尾を疑問符の様な形にしたコンスケが、ぼーっとしていた自分を見詰めていた。
「聞いてなかったでしょー」
「そうだな…すまない」
素直に謝罪する。昔は自分は尖りきってこんな風に謝罪する等という事は無かった気がする。
「私も珈琲を入れてみたいから、やり方教えて下さいって言ったんですよー」
以前よりもコーヒーに強くなったのか、豆乳を混ぜたからか、しっかりとした目で自分を見詰めるコンスケは酔っている訳ではないらしい。
「俺も…人に何かを教えられるのか…」
「プロじゃないですか、私からしたらもう学ぶ事ばかりですよー」
それに、ユウスケさんに勝つ物を私だって欲しいもん、そう呟く彼女に思わず笑いがこぼれる。いつしか自分もお茶よりも珈琲を好んで入れる様になったのは兄への対抗心だったのかもしれない。そして技術は、気持ちは引き継がれ、子孫を残す様に進んでいく、広がっていく。
「いいとも。じゃあ早速やろうか」
「はい!」
そしていつか彼女が誰かに語るのだろう。黒竜に習った珈琲だと。
「狐の入れた珈琲というのも美味しそうだな」
「黒竜とカフェをですよ」
ふふふ、と笑う狐娘に豆を挽く所から教えつつ、彼は心の中で自慢するのであった。兄よ、俺も今結構幸福なんだぜ…。
とある作品に対するオマージュも少しあります。