正社員募集
夕暮れのせまる中、繁華街の雑踏に混じって華月は歩道のない小路に迷い込んでいた。大きなネオンはまだ点いていないが、丈の低いネオンは、そこかしこでちかちかと揺れていた。
小路を抜けると暗いビルの一角でひときわ明るいガラス張りの事務所が見えた。明るいサッシには『正社員募集』という貼り紙があった。華月は荷物を転がしながらその光に吸い込まれるように歩いていった。事務所には人がいないので中に入るのをためらってうろうろしていると、外にいた太った中年の女性が声を掛けてきた。
「用事なら中に入って待ってらっしゃいな」
華月は他に頼るところもないので、言われた通り勝手に事務所の中に入っていった。
数十分くらいたっただろうか。もうすっかりあたりが暗くなったとき、タバコを吸いながら一人の体のかなり大きな太った男がガラスの前で中の華月の姿を覗き込み、店頭でタバコを棄てて中に入ってきた。
「お譲ちゃん。何か用?」
華月は男の体の大きさに圧倒されて一度は怖くなったが、何故か急に寂しくなってきてまた口がへの字になった。太った男は、華月の格好と表情を見て、一目で家出娘が行くところを失って迷い込んできたな、と察した。
「お腹すいてないかい?これから飯食いに行くんだけど、一緒に行こうか?」
また華月は為すすべもなく、「はい」と応えた。
近くの中華料理屋に連れていかれると、そこには二人の男が小あがりで向き合ってビールを飲みながら餃子や炒め物を食べていた。太った男は、その二人に『おうっ』と軽く声を掛けて華月と四人掛けのテーブル席についた。
二人の男は反対側の窓のほうを見ている。
太った男は二人に話しかけた。
「おう。今日はいい男がいたぞ。あれは最高だ。仕事ができる」
「ああ。そうですか。それは良かったです」と話しかけられた二人のうちの一人。
「明日、事務所に来るからそれから仕事の分担を考えよう」と太った男。
「そうですね。じゃあまた明日……」 話しかけられた男たちは二人とも反対側の窓を向いたままだ。その格好で立ち上がり、店の入り口のほうにカニのように横歩きを始めた。
怒り出したのは太った男だ。
「こら! お前らなんだその態度は! 人を小バカにしてるのか!」
「いえ、めっそうもない」
「このやろう!」
太った男はカニ歩きの二人の男の背中の襟首をつかんで力任せに引き寄せた。
店の主人が言った。
「店の中でやめてくださいよ」
次の瞬間、二人の男の顔を見るなり華月が叫んだ。
「あらっ? 昼間の銀行の人。それに支店長さんまで!」
「銀行の人だとぅ?」 太った男は、じろっと二人の男の顔を見た。
「ああよかったあ。駅ではぐれちゃったのね。私どうしようかと思って」と華月。
「てめえらまたオレに隠れて、勝手に小遣い稼ぎしやがったな!」
太った男が怒鳴った。
事務所に戻ると太った男は、華月には自分が元銀行の本店の人間だと言い、自称支店長補佐の男から金の入った封筒を取りあげ、華月に返した。封筒の中身は三万円だった。
「十四万円貯金したの?」と華月。
「そっ……そうだよ」と自称支店長代理。