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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

輪郭

作者: 望月希
掲載日:2026/04/12

後世にも残る作品だったら嬉しい

『誰かの言葉で生かされている全ての者に届け』


歩は25階建てのビルの屋上でたちすくんでいた。 171センチの僕の身長の何倍だろうか。


そんなどうでもいいことを考えていた。


自殺する瞬間をロマンチックに語る歌や映画は腐るほど見てきた。


でも、そんなの嘘っぱちだと今なら言える。


僕には胸を突き刺すような後悔と虚無の感情だけが流れていた。 灰色の雲で覆われていて、あたりはどんよりとしていた。風がヒューヒューと悲鳴のように悲哀じみて音を立てて 鳴いている。


こんなにも苦しくて切ないなら最初から会わなかった方が幸せだったかもしれない。 意識を無くしたい。全て消し去ってしまいたい。なんであの時助けられなかったんだろう。全部僕のせいだ。僕は ただあの笑顔をずっと見ていたかった。


僕がもっと強かったら。あの時守ってあげられた。 僕がもっと賢かったら。まだ僕らは笑っていた。


歩の体は斜めに倒れ、灰色の空に吸い込まれていった。


=====


事の始まりは、中学一年の時だった。


歩はあることに没頭していた。絵画だ。


双子の弟の優斗と作っている瞬間がとても幸せだった。 あるときは昆虫の絵を、あるときは巨大な怪獣の絵を、あるときは旅行で見た海の絵を僕らは描いた。 普通絵画は一人で描くものと思うかもしれない。


二人はあうんの呼吸で共に創作した。


二人でしか描けない絵画が確かにそこにはあった。


優斗は決まって絵の右側を、僕は左側を描いていた。 その理由は単純。弟には生まれつき右腕がなかったからだ。 二人はいつも晴れた日は近くにある公園で、雨の日には使われてない近所の農園の納屋でこっそりとスケッチ をしていた。 不具な弟より僕をわかりやすく可愛がる母の側に二人一緒ではあまり居たくなく、そこで二人は絵を描くことに熱 中していた。


そして二人はある空想上のお城を描くことに熱中した。 そこには六つの塔がそびえ立ち、真ん中に豪華展覧な城が備わっていた。 中には赤の絨毯が敷かれており、床は大理石でできている。 天井には豪華展覧なシャンデリアが備わっている。 中央の広間は天井がガラスで覆われていて、天使と女神が描かれている。 家具から壁紙まで詳細に二人は描いていった。 また、二人は空想の物語を考えるのが好きだった。こんなストーリー面白くない?と二人は話していた。それは 二人の大学生のカップルが山の中で二人が描いている素敵なお城を見つけ、そこを拠点に邪悪な集団から日 本を救う物語だった。


『僕らはずっと一緒だよね。』


『うん。』


『どれだけ時が経っても、どれだけ多くの人が敵になっても僕はお兄ちゃんの味方でいたい。 お兄ちゃんとはずっと仲良しでいたい。』


『勿論。』


『どれだけ多くの人が敵になっても優斗を必ず助ける。』


『僕もお兄ちゃんを助ける。』


優斗と僕はとにかく仲良しだった。


二人が好きな料理はフレンチトースト。家の近くに喫茶店があり、そこのフレンチトーストが大好きだった。甘くて ふわふわしていて、見た目も味もとっても可愛いフレンチトーストだ。 そこでコーヒー片手に二人は今日は何の絵を描くか、それとも何の物語を作るのか作戦会議をする。


絵が好き、物語を作るのが好き、フレンチトーストが好き、音楽はUVERworldをよく聞く、ハリーポッターが 好き、二人の共通点は数多くあった。あり過ぎた。 親友と言う言葉がちっぽけに感じるほど二人の友情は深かった。


優斗と僕はその日もいつものようにカウンター席で二人並んでフレンチトーストを食べていた。

『今日の描き終わった絵も最高だったね。』


『優斗のおかげだよ。』


そう言うと僕は優斗のほっぺをつねった。


『もうお兄ちゃんってば、ありがとう。』

その時だった。優斗がとても苦しそうにし出した。顔はみるみる青ざめていった。 そして取り皿に食べたフレンチトーストを吐き出してしまった。 優斗には何かしらの病気があるようだ。病名はとってもとっても難しくて忘れてしまったが。 優斗は咳き込むことや息切れが多く見ていてかわいそうだった。


優斗のことが僕はとても心配だった。


絵を描く手が震えることも多かった。


優斗はどんどん痩せていってしまった。 来る日も来る日も苦しんでいる優斗を見ているのは胸が張り裂けそうだった。 ある時、優斗は僕らが描いた絵に血を吐いてしまった。

『今日完成した絵、僕が吐血しちゃって台無しにしちゃってごめん。』

『あれはあれでいい芸術作品になったと思ってるよ。気にしないで。』

吐血をしてしまったことで、弟の最悪の事態を僕は想像してしまうようになっていった。 大好きな大好きな優斗が自分の元からいなくなってしまうことが怖かった。 我が御影家は、三人家族だ。双子の弟の優斗がいる。弟とは学校は同じだが別のクラスだ。そして我が母、貴 子だ。父は物心ついた時にはいなかった。すでに亡くなっている。 母について語り出すとキリがないくらい個性的な人なので、かいつまんで話す。 まずは実業家そして、宗教指導者という肩書きの持ち主だ。母は母子家庭の貧しい農家の生まれで、貧しさをコ ンプレックスに実業家として成功させた。


元々我が家は由緒ある神社の家だった。

その後、父から母が跡をついだ後、その規模を拡大させた。 九州、四国、中国、近畿、中部、関東、東北、北海道に支社がある。 母にはそれはそれは強烈なカリスマ性があった。それは言葉にはしづらいが、話す人皆を引きつけ虜にして離 さない類のものだった。


光があるところには必ず影が生まれる。


母のエネルギッシュな能力がもたらす反動は時に災いをもたらす。 父は物心ついた時にはいなかったと語った。 父の人生は母に乗っ取られたようなものだという親戚の愚痴を聞いたことがある。 父について知っている情報は少ない。父は優しい人だったと聞いたことがある。先祖代々受け継がれたこの神 社を愛していたそうだ。そこを守り抜き、後世に残したかった。 母は元々は実業家だった。その優れた才覚で主に不動産売買で財を成していたそうだ。 一度母は事業で成功したが大失敗したのち、再び成功を掴んだ人物だ。 その時、失敗した理由は業界内のドン的存在に嫌われてしまったからだそうだ。 権力を持っている人間が強い。絶対的である。そのきっかけがあってから、母は異常なまでに支配欲と権力欲 に恐ろしいまでに囚われるようになっていった。 そして、ある時から宗教法人というものの利用価値について気づくようになっていった。 そこで由緒ある神社の後継ぎの父に近づき、結婚したと噂で聞いたことがある。


ある時母は予言を夢で受けたそうだ。


『我が家に未来を自由自在に作れる能力を持つ男の子が生まれる。 母と息子二代で御影家はこの世界を統べることとなる。』

その日以来、母は何かに取り憑かれたように以前以上に活動的になっていった。 まるで天啓を受けた、自分には世界の全てが見える全知全能の神になったような振る舞いだった。 そんな悪く言えば凡庸な父と、信じて突っ走れる能力(妄想力とも言えるかもしれない)や権力欲の強い母は次 第に衝突をするようになった。


父には家庭内に居場所がなくなり、とある女性と懇意にするようになった。 そこを母が問い正し、浮気だと騒ぎ立て、離婚することになったそうだ。 その時に母は遺産分割で神社一式を入手したそうだ。 その女性は実は母が差し向けたものだという噂を耳にしたことがある。 もしそうだとしたら母の用意周到さには恐れ入るものがある。 母が神社を入手した後、名称を救生教に改めた。 父はその後、衰弱し病気で早くしてこの世を去ったそうだ。 母は私が死んだら喜ぶ人はたくさんいるとよく低い声で笑っていた。母は昔柔道を習っていて、とても筋肉質 だった。声も男性的で女性にしてはとても低かった。


大人になったら救生教を引っ張る存在であって欲しい。それが母の望みだった。


僕はとってもお母さん子だった。 食べるものから着る服まで母に聞かないと決められない性格だった。中学生なのにもう少し自我が育っててもい いのかもしれないが、僕はこういう人間なんだと思う。生来。 毎日その日あったことを母に話す子供だ。今日も優斗とどんな絵を描いたか話した。母は黙って聞いてくれた。


『今日も楽しかったんだね、よかったね。』

『歩は正直なところが取り柄なんだから、これからもなんでもお母さんに話してね。』

だが、時々、母が上の空に感じるというか、母の関心はどこに向いているんだろうと思う時がある。 母が僕たちが描いた絵画に興味を示したことはない気がした。母の関心を引きたいのもあって、僕はより綺麗な 絵を描けるように頑張った。


僕は母の興味を引きたくて、変わったことをしたことがある。


リストカットだ。


母が傷に気づいた。その時、母がかけた言葉は意外なものだった。

『深く切るだけの度胸がなかったのね、かわいそうに。死ぬこともまともにできない意気地なしちゃん、そういうと ころも可愛くて大好きよ。』


『うそうそ、悩みがあるんだったら、お母さんにも話してね。』


『歩は正直なところが取り柄なんだから何でもお母さんに話してね。』

『歩は強い子なんだから、こんなこともうしちゃだめだよ。』


ある時から母は僕を褒める時に強い子なんだと褒めてくれることが多くなった。 クラスの遊戯のドッジボールの試合で勝った時。テストで高得点をとった時。部活で成果を上げた時。ことあるご とに僕のことを強い子だと褒めてくれた。


『歩は強い子だね。』


正直で強い子。母も僕のことをそう思い、僕も自分のことをそう思っていた。周りの人も僕のことをそう認識してい ると思っていた。 それはある種のおまじないのようだった。自分を守ってくれる鎧のように感じられた。自分が何者であるかを教え てくれる、すがれる最後の拠り所みたいな。ただ、なぜかその言葉を聞くと僕は思いっきりため息に似た深呼吸 をしてしまう。自分を落ち着けるために。


僕は知っている。母には弱い一面があるということを。


僕は母に一度だけ反抗したことがあった。その夜、母が神棚に手を合わせて泣いているのを僕は見た。母は息 子たちが自分に従順でなくなることをとても恐れているのだと知った。僕は母を困らせたくないと思い、それ以降 母に反抗することを辞めた。


僕は正直で強い子だ。そう教えてくれた母を裏切りたくない。失望させたくない。 母にまた、正直で強い子だと褒めてハグされたい。


僕のクラスは1年A組だ。


私立の方が育ちが良いから公立よりいじめが少ないと語る人がいる。 そんなことはない。中途半端に小賢しい分、陰湿な派閥争いはとても激しかった。 しかし、歩はそんな泥沼にはこれっぽちも関心を向けていなかった。 違う人種だと考え、クラスメイトとはほとんどまともなコミュニケーションを取っていなかった。 母はよく世間の人たちと私たち宗教を信仰している人たちは違う人種なんだと語ることが多かった。 世間の子たちに影響を受けてはいけないんだと母は語っていた。世間に交わって染まってしまったらせっかく与 えられた神様との縁が切れてもう二度と戻れなくなる。日本語が使える時点で救生教の教えを理解することがで き、他の国の人と比べて、少しは縁を持っている。そしてこの救生教に入っているのはとてもありがたい縁をいた だいている。世間の子とは、ほどほどの距離感を保っておくことが大切なのよと語っていた。救生教との縁が切 れたらもう二度と救われることはなくなる。僕はこの言葉を信じていた。 周りで救生教を離れた人を何人かいたことがある。叔父と従兄弟だ。 叔父は救生教の幹部だった人間だ。救生教の内部分裂を起こそうと謀反を企てた。そのことが明るみになった 数日後、心筋梗塞でこの世を去った。 従兄弟も同じように救生教を離れようとした矢先、交通事故で同じようにこの世を去った。 身近にそういう人たちが多かったため、救生教を離れたら罰が落ちると自然とその教えを信じていた。 救生教の信者はその信心の証のため、高校生の年齢を過ぎた信徒は腕に救生教のシンボルの龍のタトゥーを 彫っていた。みんな同じタトゥーを彫る風習に表れるように信徒の団結力はとても固かった。


ー我が家に未来を自由自在に作れる能力を持つ男の子が生まれる。 母と息子二代で御影家はこの世界を統べることとなる。ー


まだこの予言が正しいか正しくないかは分からないが、救生教の拡大度合いから見て、きっと本当なんだろうと 僕は信じていた。


クラスにとあるいじめられっ子がいる。僕の隣の席の子で、彼女の名前はレイサというらしい。色白でほっそりと した鼻。地毛なのか綺麗な茶髪だった。ただ、ハーフ故なのかそばかすが多い。そして少しばかり他の子と比べ るとふくよかだった。 僕の目にはそこまで容姿が劣っているようには見えなかったが、クラスメイトは彼女のそのそばかすと体型を理 由にからかった。少しでも異質なものに対して彼らはめざとく見つけ攻撃する対象を探している。 僕は忘れ物が激しい。そんな時いつも彼女は助けてくれた。 いつも彼女はなんの見返りも求めずに僕を助けてくれた。 歩は彼女に対しただ優しい子だなという印象を持っていた。 うちの学校にはクラス替えや席替えというものがない。人間関係が変化しないということだ。彼女の境遇に少し 同情していた。


レイサと僕は隣の席だったので、顔を合わせることが多かった。 僕はレイサといるとなんとなく安心感に包まれる感じがした。 彼女と目が合った事が何度かある。レイサの笑顔を見ると僕はどこか落ち着く感じがした。


『消しゴムどこやったけ?どこだどこだ。』


僕はまた探し物をしていた。


『ここにあるよ。』


彼女が声をかけてきて、僕の机の下を指差した。


『ありがとう。』


『ほんとよくもの無くすよね。』


『そうだね、なかなか治らなくて。』


その日は爽やかな晴れ模様だった。


昼休みになったので、トイレに向かおうとしているところだった。 レイサが誰もいない場所で僕に声をかけてきた。


『ねえ、一緒に昼ご飯食べない?歩君と話してみたい。』


歩は少し迷った。が、断る理由もなかったのでOKをした。


屋上に二人はそれぞれの弁当を持っていった。


『私、歩君には本当に感謝してるんだよ。話しかけて声をかけてくれるのはクラスの中であなただけ。』


『こちらこそいつも忘れ物が多い僕にものを貸してくれてありがとう。』


『うちの親、しつけが厳しくて。いつも困った人がいたら助けるようにって言い聞かせられているんだよね。ねえ。 なんでいつも私とお話してくれるの?みんな私のことを避けるのに。』


『なんでだろうね。』


歩は一瞬黙った。


『似たところがある気がするからかも。』


歩は考えながら話し始めた。

『僕も学校に友達らしい友達がいないんだよね。クラスの中でいつも浮いちゃう。』


『私とおんなじだね。』


二人は笑い合った。僕らは二人で空を見上げた。雲ひとつない青空が僕らを包み込んでいた。


『歩君のくっしゃとしたその爽やかな笑顔が本当に好き。』


『僕もレイサさんの優しいところが好き。』

他のクラスメイトとこんなに親密になっているところを知られたら、そして、もしこの関係性が母に知れたらと思う と冷や汗をかく時もあったが、歩にはレイサと話せる幸せの方が優っていた。 二人はその日から昼食を共にするようになり、たわいもない会話をした。来る日も来る日も。 放課後、二人はよく公園で遊んだ。


『今日の歩くん、すごかったよね、体育の縄跳びの授業で先生、見てなかったのに正直にノルマの回数飛べな かったこと報告しててさ。』


ブランコに乗りながらレイサが語り出す。


『歩君って正直なんだね。校舎でポイ捨てされてるタバコやペットボトル拾ったりとかもこの前私見たよ。』

『でも、そんなに自分を縛っていると苦しくならない?もっと肩の力抜いたら?』

僕は正直で強い子。そうじゃなくなると自分が自分じゃ無くなってしまう感じがする。

『ありがとう、でも、僕はこういう人間なんだ。』


その日はどんよりとした曇りの日だった。 クラスはやけに騒がしかった。また、クラスメイトがレイサをからかっている。

『おーい、みんないいもん見せてやるからこっち来いよ。』

やかましく騒ぎ立て、他の生徒が集まってきた。

『おい、そばかす女。これ食えよ。』

『おい、メスブタ、食事の時間ってんだろ、何回も同じこと言わせんな。』

『食わないとどうなるかわかってんのか。』

泥団子をクラスメイトがレイサの顔に近づけていた。 レイサの表情は死んでいた。 震える手でその泥団子を手にとって、口に入れた。 その顔からは血色が消え失せていた。

『ほんとに食いやがったぞこいつ、最高じゃん。』

『意外とノリいいんだなこいつ、お前気に入った。』 『メースブタ!メースブタ!』

『みんな声をあげて、さあ、』

『メースブタ!!メースブタ!!メースブタ!!メースブタ!!メースブタ!!メースブタ!!』

その様子を僕はただ黙って聞いて見ているしかなかった。虚しかった。自分が嫌になった。 歩は沸々と怒りが込み上げてきた。 こんな最低ないじめに対して。いや、守ってあげられない自分自身に対して。 今日こそ言ってやろう。ずっと思ってたことを。

『何がそんなに変わってるの?普通の女の子じゃん。そうやって弱い子をいじめて優越感に浸ってほんとしょうも ないよなお前ら。』


『大丈夫だよ、レイサさんは豚じゃない、とっても優しくて綺麗だ。僕が守る。』

そこから歩の立場が一変した。完全にクラスメイトのいじめの標的になってしまったのだ。 彼らはいじめを行うことで平和を保っている。誰かを攻撃しないと団結できない。 誰か一人、生贄が必要な人種なんだ。 もっと深く考えてから行動すべきだった。ただ後悔してももう遅い。 翌日いつものようにクラスメイトに『おはよう』と声をかけた。反応はない。 廊下で僕が通ると、さっとみんなが避けていく。


グループLINEからも外されていた。 ある日は教科書を破られ、ある日は靴に画鋲を入れられていた。 毎日朝が来て学校に行かないといけないのが憂鬱だった。 僕は目に映る光景が全てが灰色に見えた。


それはある夜だった。一階の僕の部屋の窓を叩く音がした。 なんだろう、鳥か何かだろうか。


3回ほど叩く音がした。


恐る恐る僕は窓を開けた。


そこには手紙が置いてあった。


『歩君へ。レイサです。久しぶり。元気? 私をかばってくれてこんなことになってなんて言えばいいのか。言葉が浮かばないです。 いつか今度は私が歩君を助ける。

また、屋上で二人で昼食を食べたい。必ずこの恩は返したい。必ず。』


短いながらも心がこもった手紙だった。 僕は夜空を見上げた。曇っている中で月が少しだけ顔を覗かせている。ほんの少しだけ希望が持てそうな気が した。


母はある日、僕の破れた教科書を目にした。 その様子からいじめられていることを察したのか、ひどく落ち込んでいるようだった。めっきり笑わなくなり、母の あの低い笑い声を聞くこともなくなった。いじめられっ子の気弱な兄と病弱な弟。この家の将来を心配しているの は明らかだった。


そんな母を見ているのが二人とも辛くて、絵を描くことに没頭して現実逃避した。


それはある日だった。


『日頃の勉強の成果を見せてもらいましょうか?この問題を解いてみて。』


母が数学の問題を見せてきた。


緊張で手が動かない。


『本当に何にもできないのね、学校ではいじめられ、勉強もろくにできないなんて。』


母の言葉が突き刺さる。


『いいからまずは勉強しなさい。』


『歩は強くて正直な子、そうでしょ。』


母が僕の体を椅子に縛り付けてきた。


『何するのお母さん!』

その瞬間、背中に激痛が走った。背中の服を引きちぎってタバコを母が背中に当ててきたのだ。

『痛い、お願いやめて、お母さん!ぎゃああああああ』


背中の皮膚の感覚がなくなっていく。


母をこんなに怒らせてしまっている僕は自分のことが悲しく感じられた。


『歩は強くて正直な子、そうでしょ。』


『うん。』


『これ以上お母さんを怒らせないでね。』

それでも、集中力が続かない時がある。そしたらまた焼きを入れられる。その繰り返しだった。

『なんでこんなこともできないのよ。』


母の言葉が夜に布団に入ると繰り返し聞こえてくる時があった。


その日は雨が降っていた。


弟の部屋をいつものようにノックした。返事がない。 これまでに感じたことのない何か嫌な胸騒ぎがした。心臓の鼓動が早くなって苦しい。 リビングに降りて母に声をかけた。


『お母さん、優斗はどこ?』


『優斗ならここにいるわよ。』

そこには家の柱に縛りあげられていて、そして体中が切りつけられている僕の弟の姿があった。

『絵を描くことなんて低次元なことでお兄ちゃんをたぶらかしているあなたが悪いんだよ。』


母が叫んだ。


『お兄ちゃん、助けて、お願い。』


『お母さん、何してるの。』


状況が飲み込めない。何が起きてる?どうなっている? ついに母の気が触れたのか。母はこれまで弟に手を出したことはなかった。 良くも悪くも母の関心は不具な弟ではなく僕に向いていた。 母が自分の持っているナイフとは別に机の上のナイフを僕の手に握らせた。母の僕の手を握る手が強くて抵抗 できない。


『優斗を殺しなさい。あなたの手で。』


????わけがわからない。

『あなたはいずれ救生教のトップ、つまりこの世界の王になるの。このくらいできなくてどうするの。』

『殺さないなら歩、あなたを殺す。』

『必要な生贄なの。弟はもう長くない。弟の命と引き換えにあなたに強さを与えたい。』

そういうと母は僕の右肩を刺した。激しい痛みが僕を襲ってきた。


『なんでこんなことするの、お願い、助けて。お兄ちゃん、助けて!助けてくれるって言ってたじゃん。』

弟が叫んだ。


『お母さん、やめてお願い。』


僕は叫んだ。


母の手がどんどん力を強めて、僕の手を優人の胸に近づけていく。 優斗の胸にどんどん深く食い込んでいく。


すでにナイフは半分ほど優斗の中に入っている。どうにかして母に抗おうとするも僕には難しかった。 徐々にその声は小さくなっていった。


母が僕の腕を握って最後の一押しをした。 気がついていたら弟は息絶えていた。


母はナイフについた血をタオルで拭った。

『そうよ。力には力で対抗すればいい。王は慕われるより恐れられた方が都合が良い。』


翌日僕は中学校に行った。空は鬱陶しいくらいの曇りだった。龍のように空に登って蹴散らしてやりたくなった。 大切なものを失って、それでも、まだ自分は生きている。なんで自分は生きているんだろう。 いつものようにいじめっ子が寄ってくる。 その時だった。僕は気が付いたらバックから美術の授業で使う彫刻刀を取り出していた。それを生徒たちに向 け、振り上げる。きっと僕の顔は悪魔のようになっていっただろう。 いじめていた生徒は散り散りになって逃げていった。 力には力で対抗すればいい。母の教えの通りだと思った。


王は慕われるより恐れられた方が都合が良い。 その日から母のことを僕は心の底から信じるようになっていた。


成績はオールAだった。部活でもトップの成績になった。そして三年生では生徒会長になった。

『やればできるじゃん、歩は正直で強い子ね。』


母はそう言うと僕を抱きしめた。


僕は引き攣った笑顔を見せた。


僕はもっと母に認められたかった。そのために僕はできる限りのことをした。 いや、それはおそれに近いものだったかもしれない。僕はまた引き攣ったような笑顔を見せた。 自然な感情を出すのが怖かった。 思えば、自らの手で弟を殺したあの日から何かがおかしかったのかもしれない。 僕の中で何かが壊れた。


自然な感情というものが僕はわからなくなっていた。 僕は弟を殺したという事実から逃げるあまり、自分の感情からも向き合えなくなっていたのかもしれない。 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、そういったものがどうも僕の中から絡まって故障してしまっているようだった。 僕は自分の感情がわからなかった。


=====


『東京大学 入学式』


立て看板にはそう書いてあるようだ。 目に入る情報が全て他人事のように感じられる。周りの春らしい暖かさや陽気さが鬱陶しく感じられる。とにかく 無。無。無。感情が動かない。一ミリも。 僕は目的があってこの大学に入っている。あくまで大学は手段にしか過ぎない。 そのことを忘れないようにしないと。


それは夏だった。夏休みの終わりかけ、僕は大学に忘れてしまっていた持ち物をとりに大学へ足を運んでいた。

『Aー1、A−2、Aー3、よしAー4っと』

教室の番号を数え終わると僕は目的のものがある教室に入る。その時だった。 肌色の物体が視界に飛び込んできた。


『なんでそんなに浮かない顔してるのさ。』


ほっぺをぎゅーとつねってきた。


『やめろ、馬鹿。』


距離感おかしいんだよ、なんなんだろう、この女は。 髪を後ろで結んだ、黒髪女。

『今、人が足りてないんだよね。スマホ返してほしければちょっと手伝ってよ。』

『おい、ばか、やめろ、やめろって。』


科学研究部。習字でだらんと書かれた暖簾がぶら下がっていた。


渋々と歩は中に入っていった。


『私は科学研究部に入ってるの、哀って呼んで!』


『なんでそんなに君は光がない目をしてるの?』


覗き込むようにして哀は歩の虚な目を覗き込んだ。

『自分のことを好きになれないからだよ。僕には輪郭がないんだ。いつも信じていないと。そうしていないと自分 を保てない。』


『何かを信じていないと自分を保てない気持ちは分かる。私だってあるよ、そういうの。』

何かを話そうとしていたその哀の眼差しはどこか寂しげだった。


『なんでそれが自分を好きになれないことに繋がるの?そして歩君は何を信じることによって自分を保ってる の?私でよければぜひ聞きたいな。』


『どうせ、話してもわかってくれやしないさ、で、手伝いって何?とっとと終わらせよ。』


それが哀と歩との出会いだった。


日が暮れる頃には、科学研究部での手伝いは終わっていた。


成り行きで僕らは一緒に帰ることになった。

『うちに来なよ、あんなにすぐに電子回路の組み方を理解して作成できる人に初めて会った。あなた天才だよ。』

『ありがとう。そうだね、入ってみようかな。』


『やった!!』

哀はずっと欲しくて仕方なかったおもちゃを買ってもらえた子供のような無邪気な笑いを浮かべた。


哀の屈託のない笑顔を見ていると僕は心が温かくなった。 翌日から僕は科学研究部の一員になった。


『彼は御影歩くん!私と同じ一年生で、これから科学研究部に入るそうです!』


哀が紹介してくれた。 哀が話すとみんなが哀の方を向いて作業を止めて話に耳を傾ける。哀には人をまとめる才能がどうやらあるよ うだった。


『今日はみんなで難しい課題を解いてもらいます。』


先輩が一年生に対してお題を出した。

『次の学芸祭で出す催しのためにまずは基礎となるみんなの科学力を上げてほしいです。』

みんな必死で課題に取り組んだ。一番最後に終わったのが歩だった。

『この中で正解は歩君ただ一人です。』


先輩が答え合わせをした。


『歩君、ほんとすごいね。』

哀と歩は大声を出して笑っていた。気が付くと二人の距離はとても縮まっていた。


科学研究部の活動が終わり、哀と僕はまた一緒に帰った。 『いつもありがとうね、こんな僕にいつもたくさん話しかけてくれて。』


『こちらこそだよ。』

僕は笑う。

『その、歩君のくっしゃとしたその爽やかな笑顔が好き。』

『そして歩君のどんな状況でも一生懸命なところも好き。』

二人はそう語り、家に帰っていった。日は暮れて彼方から夕日が差し込む。夕暮れの日差しに僕らは包まれ、僕 はどこかノスタルジーな雰囲気を感じていた。


僕は友達の作り方が下手だった。なぜか毎回大学内で孤立してしまう。そんな時いつも助けてくれるのは哀だっ た。


その日も歩は科学研究部の課題をこなしていく。時間はかかるが歩の作業は正確だ。

『俺の腕前だったらこんなもん楽勝よ。』


歩はふざけてつぶやいた。


哀がすかさず笑いながらツッコミを入れた。


『こらー調子に乗るな、このバカ!!』

それを聞いていたみんなも一斉に笑い出した。こんなやり取りのおかげで他の部員とも哀のおかげで仲良くなれ ていった。


科学研究部の活動が終わると僕はタバコをすい、ふうーとため息に似た深呼吸をする。

『ため息つくと幸せが逃げるよ。』


哀が話しかけてきた。


『わかった。気をつけるよ。』


ふと歩はあることを思い出しバックに手を伸ばす。

『しまった、今日PC忘れてしまった。』

『もうほんと歩君って忘れ物が多いんだから。私と一緒に今日は授業資料見よう。』

そういうと哀は自分のPCを広げ、歩に一緒に見せてくれた。 なんでこんなに助けてくれるのかわからないくらい哀は助けてくれた。

『もうまた忘れちゃったのね、私の弁当一緒に食べる?』 あるときは弁当を。ある時はPCを。ある時はタブレットを。


僕と哀、そして同じ科学研究部の絢と春樹とでつるんでいることが多かった。

『歩、次の教室はそっちじゃないよ。歩はいつも細かいところが抜けてるんだから、ほんと。』


そう言うと絢はポンと肩を叩く。絢は冷静なキャラクターだ。いつも僕や周りの人が困ってそうな時に気が付いた ら助けてくれるから内面も素敵。ついたあだ名は絢ペン先生。なのに、いつも悪い男に引っかかってばっかりで そこが放っておけない。


『歩ってほんとほっとけない良いキャラしてるよな。』 今度は春樹の登場だ。こいつはいつも馬鹿うるさい。小学生みたいな悪ノリを好むやつだ。でも、そんな性格が 場を和ませてくれて憎めない。

『そういうところがこいつの魅力なんだよ。なあ歩。お前ほんとかわいいなあかわいいなあ!かわいいな あーーー!』

春樹が馬鹿でかい声で笑いながら頭をなでなでしてくる。こういうモードになった時の春樹は本当にめんどくさ い。


『うるさいばーか、黙って一緒に運んでよ、教授に運んでってお願いされたこの荷物重いんだから。』

そう言って僕は少しイラっとして春樹の肩をこずく。

『なんでそんなパシリやらされてんだよ、仕方ないな。』 絢はクスッと笑うと荷物の一方を持ってくれた。


『歩のお願いとあっちゃ断れねえなあ。』

春樹も馬鹿でかい声をあげながら持ってくれた。うるさいやつだけどいい奴だから嫌いになれない。

『春樹も絢ペン先生もありがとう。』

二人は荷物を運んだあと、仲良く授業に参加した。教養科目の歴史の授業だった。 僕は窓際の席に着く。隣には哀が座った。窓から差し込む光は眩しいほど強かった。 『今日はロシアで起きたアレクサンドル2世の暗殺事件について紹介しようと思う。まさにロシアの殺し屋恐ろし やって感じだからよく聞いてくれ、みんな!』

また先生がくだらない親父ギャグを言った。そんな中で教室で哀だけが笑っていた。

『哀、笑ってくれてありがとうな、先生嬉しいぞ。じゃあ授業始めるぞ。』

哀は先生からも生徒からも好かれていることが多かった。そんな哀の無邪気で天真爛漫な性格に僕も救われる ことが多かった。そんな哀の隣の席にいつも座れている僕は幸せだなと思った。 授業が終わり、科学研究部の活動が始まった。

『学芸祭の後の先輩たちのために打ち上げをやろうと思うの。料理とか何がいいと思う?』


絢が切り出す。

『肉料理とかいいよな。最近、豚肉の大葉ロール、お母さんが作ってくれて最高に旨かった。あれ俺作りたい。』

春樹が語る。


『私、しそは好きなんだけど、大葉は苦手なんだよね。』


哀が返す。


『哀、、大葉としそは一緒よ、もうしっかりしてね。』

絢がツッコみ、みんながくすくすと笑い出す。哀のちょっと抜けてるところが僕らは好きだった。 その日の科学研究部の活動後、四人は一緒に帰ることになった。

『ねえ聞いてよみんな。付き合ってる彼氏からお金貸してって言われててさ。』


絢が語り出す。


『そんな男性とは別れた方が良いよ。』


僕はすかさずアドバイスする。


『絢ならいい男性たくさん捕まえられると思うよ。』


哀が話し出す。

『またそんな悪い男にひっかってやがる。歩の言う通りだぜ。絢ペン先生はもう少し男を見る目を養った方が良 い。いつも冷静なのにほんと自分の恋愛になると弱いんだから。』


春樹が返す。


『わかった、別れるよ。』


翌日、僕らは学校に向かう。 明日の実験の準備をするためだ。 哀と目が合う。自然と僕は笑みがこぼれる。

『そこ、いちゃつくなっておい!』

春樹がまたからかってきた。 授業が始まり、僕らは四人並んで席につく。


『この課題どうやって解くかわからない!単位がまじでやばい、絢ペン先生助けてくれ!』

春樹が小声で絢に助けを求める。


『もう仕方ないね、こう解くのよ。』


絢が春樹に近づき、解き方を教えて見せていた。 『絢ペン先生、すまん私も教えてもらっていいかな?』


哀も絢に助けを求めた。

『もう、みんなだらしないんだから。なんで真面目に授業聞いてないのよ。』

絢は小言を言いつつも、僕を除く三人に解き方を教えてくれていた。 絢はやっぱり冷静で、親切だなと思わされることが多い。僕らは絢に助けられることが多かった。


帰り道僕らはまた四人で帰っていた。 どうやったら部員の数を増やせるかというアイデアで僕らは話をしていた。 『風船を飛ばして宣伝するとかはどう?いろんな人が見るし、どのサークルもやってない宣伝方法だから目立ち そう。』


春樹がアイデアを出す。


『アドバルーン的な?絢ペン先生どう思う?』


哀が返す。


春樹は小学生みたいな考え方をするが、時折こうやって奇想天外なアイデアを出してくる。 頭がキレるのか馬鹿なのかよく掴めないところがあるなと時折思う。


『すごくいいと思う。』


絢が答え、僕らはうなずく。

『科学研究部っていう名前を変えるのはどう?歩と愉快な仲間たちって名前に変えようって先輩たちに提案しよ うぜ!』


春樹が今度はIQ3みたいなアイデアを言い出した。


『いやなんでやねん!』


絢がツッコむ。みんなが笑い出した。


帰り道、家が近いので、絢と僕の二人きりになった。


絢が話し始める。


『哀と歩って付き合ってるの?いつも仲良くしてるからさ。』


僕は否定する。

『付き合ってないんだ。もっと仲深められたら嬉しいよね。まずはあだ名でも、決めたら?』

絢はそう語り出すといくつか候補を挙げる。


『哀ペン先生とか?』


僕が語り出す。


『いや、なんでやねん!』

絢が思わず僕の肩を叩く。僕らは笑い出す。

『ほんまに。ワンパターン過ぎ。』

絢がそうツッコみ、笑い合った。


夏の終わり頃、僕ら四人はバーベキューに出かけた。 夏の終わりごろだというのに日差しが強く、まだセミが鳴いていた。 ただ、標高が高いからか、そこまで暑くはなく、心地よい風が僕ら四人を包み込んでいた。

『夏なのに歩と絢、二人とも長袖なの、暑くないの?』


哀がツッコむ。

『虫に刺されたくないからさ。』

僕はそう答えた。

『そうそう。』


絢もうなずく。


『俺は虫なんか怖くないぞー!!』

春樹はそう叫ぶと少し先にあるトンボの群れに突進していった。

『また馬鹿やってるよあいつ。』


三人は笑い合った。


僕らはバーベキューの台を組み立て終わると肉や野菜を焼いていった。 その時、風でバーベキューの火の粉がファっと舞い、近くの草についてしまった。急いで春樹はバケツに用意し ていた水をかける。


その時、絢の袖が少し濡れてしまった。


『絢、まじわるい、袖が濡れっちゃったね、拭くよ。』


春樹が駆け寄る。


『いや、まじで大丈夫、全然気にしないで。気遣いありがとう。仕方ない。』

絢は冷静にそう答え、おしぼりで自分の服の袖を拭いた。


『ほんと旨いね!春樹最高!』


僕は肉をほおばり、叫ぶ。


『だろー!やっぱり俺様の焼く肉は最高だ!!』


三人はまた始まったと視線を配り、笑い出した。


春樹のそんな子供っぽいところがみんな大好きだった。


今度は歩が肉を焼く番になった。

『歩君、そんなに近くでトングを持つとやけどしちゃうよ、これくらいの位置で持つんだよ。』

そう語ると哀は僕の手を持ち、正しい位置にトングを持たせてくれた。 僕の手と哀の手が触れ合った。体がほてるのを僕は感じた。

『すぐいちゃつくんだからそこの二人は!早く付き合っちゃいなよ!』

春樹が茶々を入れる。僕は頬が赤らむのを感じる。

『春樹はいっつもほんとにうるさいんだから!お前は黙って肉を焼け、肉を!』

絢がそう叫ぶと春樹の頭を叩いた。


『痛ってえ、なにすんだよ、絢のバカ!』

絢を追いかけ回すように春樹が走る。哀も歩もその様子を見ていて爆笑していた。 食べ終わると僕らはバーベキューのセットを片付けた。


僕は食事を終えると無性にタバコが吸いたくなった。 みんなに煙がかかるのも迷惑だろうと思い、春樹を誘ってキャンピングカーの裏側に回った。 すると、視線の先に絢がいた。絢の横顔が僕の視界に入った。 絢は見たことのない表情をしていた。長距離マラソンを走り終えた後のような息が切れたような表情だ。息が切 れそうで切れそうで、苦しくてやっとのこと空気が吸えたような顔だ。


僕は絢に近づく。


絢はかなり驚いたようで体をそらした。

『驚かせちゃってごめん。しんどそうな表情をしてたから大丈夫かなと思って声かけたかった。』

絢はそういうと遠くを見つめるような表情をした。瞳の奥には深い悲しさが散りばめられていた。 たくさん思い詰めて考え尽くしたまっすぐな瞳。


たくさんの絶望と向き合った瞳。


それは強い引力で吸い込まれてしまいそうな瞳だった。


絢がまた話し始めた。


『私ね、マグロみたいなところがあるの。』

『どういう意味?』

『マグロってえらがないのよ、ずっと高速で泳ぎ続けて口から酸素を取り入れることで呼吸している。私も似てる なってよく思うの。 ゆったりと誰かと心を開きあって、穏やかな時間を過ごしていると、幸せなはずなのに苦しくなる。 心がそれを許してくれない。そして、人と深い仲になるのがとても怖い。』

長い沈黙が流れる。僕が踏み込んでいい領域なのかわからない。

『私ね、いっつも世話焼きじゃん。あれ、偽善みたいなものなんだよね。自分のためにしている。人を頼る側に回 りたくない、人を頼る側に回ると自分の弱い部分を晒け出したり、主導権を相手に握られる。人を助ける自分を、 均一な自分像を誰に対しても演じることでせいいっぱいなんとか周りとの関係性を維持して落ち着きを得ている の。』


絢はそう語ると黙り、また話し始めた。


『春樹とか特に哀とか人と距離を縮められるのが得意な人を見るといつもすごいなって思っちゃう。哀の歩を科 学研究部に誘ったエピソードを聞いた時、心底羨ましいなって思っちゃった。私もあんなふうに人と自然と関われ て、打ち解けられたらなって。』

僕と春樹は沈黙した。親友の知らなかった一面を聞かされ戸惑っていた。どう振る舞っていいかよくわからな かった。

『僕も似たようなところがあるからわかるかも。哀とかそういうのほんと上手いよね。絢がなんでそんな風に考え ちゃうのかいつか僕でよければ聞きたいな。』

『うん。いつか話すね。』

絢はそう語り、僕はうなずいた。

『そういう絢の繊細な部分、俺でよければもっと知りたいし、友達として受け止めたり支えたりしたいな。これから もずっと仲良しでいようぜ。もうそんな無理しなくていいよ。ありのままでいたらいい。どんな絢の一面を知っても 俺は絢の味方でいる。』

春樹はそう語ると絢に近づいて肩をさすった。絢が春樹にもたれかかる。二人はハグをした。僕はその光景を見 ると心がじんわりと温かくなった。僕は絢の背中が震えていることに気づく。同時に嗚咽する声も。 春樹はタバコに火をつけた。ライターから見える一瞬の赤い光がとても眩かった。


『哀は今何してるの?』


僕はふと春樹に問いかける。

『疲れて眠ってるよ。バーベキューの準備とか片付けを一番頑張ってたしな。哀っていつも無邪気だけど、頑張り 屋さんで無理していないか心配になる時あるよな。ちゃんと歩守ってあげろよ。』

そう語ると春樹は川の水を飲み始めた。


『何の話してたの?』


哀の声がした。僕らは後ろを向く。


『哀、起きたんだね。』


『絢の人間関係の価値観について話していたんだよ。』


僕は哀に声をかける。 僕はさっき絢から聞いた話を哀にも詳しく話していいかどうか絢に目配せをする。絢はうなずき、僕は話し始め た。絢が人と深い仲になることが怖いことを。人を助ける自分像を演じて落ち着きを得ていることを。哀は一瞬沈 黙をした。いつも笑ってることが多かった哀の真面目な顔を僕は久しぶりに見た。瞳はどこか寂しげだった。その 瞳を見ていると僕は科学研究部に誘われたあの日のことをふと思い出した。

『私にもそういう時期があったよ。誰のことも受け入れられなくて、誰も受け入れてくれないと思ってて殻にこもっ てた時が。私の場合は昔出会った人がそんな塞ぎ込んでいた私を変えてくれた。人を信じてもいいんだなと気付 かせてくれた。人を頼ってもいいんだなと気付かされてくれた。その時に貰った優しさを胸に今も生きている感覚 がある。その時のことを思い出すと今でも心の深いところがとっても温かくなって勇気をもらえる。絢もいつかそう いう人に出会えるといいね。私たちも絢にとってそういう存在になりたい。応援してる。』

哀は静かにそう語り終えると手に持っていたペットボトルを口に近づけた。気が付くと夜になっていた。僕は川に 目をやる。月夜に照らされた川は静かな美しさを蓄えていた。せせらぎの音が一定のリズムを刻んで心地よく僕 らを包み込む。僕らの友情も同じように安定しているようで僕は嬉しかった。キャンピングカーに戻り、眠りにつ いた。


キャンプから帰り、僕らはまた科学研究部と大学の授業、バイト、遊びの生活に戻っていった。 それはキャンプから帰って数日後のことだった。 四人は教授から呼び出しを食らったようだ。用件は何か伝えられなかった。 教授は四人が部屋に入るのを確認すると強い語気を持って話し始めた。

『哀さん、春樹さん、絢さんの回答が非常に酷似しています。歩さんはよく三人と一緒にいることが多いので時間 を取らせて申し訳ないけど、参考人として来てもらいました。これは二人が誰か一人の回答をパクったとしか思 えない。このような行為は不正行為です。』

僕ら四人は黙ってしまった。どうしたらいいこの状況。なんとかしないと。春樹が思わず声を出した。

『ごめんなさい、俺が絢に頼、、』

言いかけるとすぐに思いっきり春樹の足を絢が踏んだのを見た。春樹は叫ぶのを必死で堪えているようだった。

『私が思わず自分の回答の出来が良かったので見せびらかしたくて、あくまで意見交換の形としてお互いに切 磋琢磨したいなと思い、三人に見せてしまいました。まさか丸写しされるなんて思ってもみなくて。本当にごめんなさい。PCの履歴で三人の中で私が一番最初に作成したことはお示しできます。全ては私の責任です。今後二 度とこのようなことが無いようにします。申し訳ございませんでした。』

絢はいつも冷静だなとつくづく思わされる。絢の冷静さに三人は助けられている。 今回は絢の上手い弁解もあり、三人はお咎めなしで済んだ。 キャンプの一件が僕はふと頭に浮かんだ。あの時見た絢の表情が僕は忘れられなかった。 窓をふと見る。夏の強い強い日差しで目が焼かれそうだった。そんな強い光とともに、僕の視界に色濃く映る絢 の影を見て、僕は強く思った。絢の抱えている闇みたいなものを僕はより、いつか必ず知りたいと。


季節は巡り冬になった。僕らは四人でスキーをしにいった。

『三人とも、そこはコースじゃないよ、みんな死ぬよ。』


絢が話しかけてきた。


『ヒャッホー!』

四人は爽快に雪面を滑っていった。空と雪の境が曖昧な一面銀世界に四人は鳥のように自由に飛んでいた。 最高に清々しかった。気が済むまで滑って滑った。


日が暮れ出して、僕らはカフェに入った。

『今日はすごく楽しかったね。爽快感が半端なかった。』

春樹が語り、みんなが笑ってうなずく。

『四人とはずっと仲良していたいな。』


僕が話し出す。


『どうしたの、急に。そんなこと言い出して。』


絢がツッコむ。 僕は話してもいいのか迷った。僕は今まで人に心を開かずに生きていた。誰にも自分の過去なんて知られる必 要はないと感じていた。


でも、今は自分のことをほんの少しでいい、知ってほしい気分になっていた。


三人になら自分のこと知ってほしい。僕の深いところを少しでもいいからさらけ出してみたい。僕は勇気を持って 打ち明けた。


『僕、また孤独になるのが時折ものすごく怖くなる時があるんだよね。中学校のころいじめられていたことがあっ てさ。』

歩は中学の時の学校の話をした。いじめを庇っていじめられ、周りの人からずっと無視され続けた話を。そして 大学一年生の入学から夏にかけての頃の友達のいなかった時の話を。


『私らはずっと一緒にいるよ。』


絢が肩をポンと叩く。


『俺もだぜ、歩。ずっと一緒にいる。お前が孤独になることはない!』

春樹が馬鹿でかい声をあげて、肩を抱いてきた。


『そうだよ、歩。ずっと一緒だよ。』

哀が笑いかける。銀世界の中で僕らの笑い声を雪が受け止める。雪を踏む音、笑い声。二つの音しかない空 間。四人の邪魔をする者は誰もいないような気がして、僕は嬉しかった。 四人はいつもじゃれあっていた。いつもいつも。いつもいつも。


=====


冬が終わり春がやってきた。僕らは相変わらず四人組でじゃれあっていた。 授業中。科学研究部。帰り道。そんな中で僕は哀の隣にいて、哀は僕の隣にいた。

『そういえば今日は歩君にプレゼントがあるの。』


ある時、哀はふと話しかけてきて、僕の視界に現れた。


『ほら、これ見て。綺麗でしょ。』


哀があるものを僕に手渡してきた。それは紅のミサンガだった。


『こうやって結ぶんだよ。』


哀が僕の右手を渡して、ミサンガを結んでくれた。


『私たちずっと一緒にいようね。』


『勿論。』


僕はまたため息に似た深呼吸をする。そして哀がまた怒ってくる。


気がついたら哀は僕の日常と化していた。その日は歩と哀は二人でドライブをする約束をしていた。二人は授業をサボって、ドライブしていた。


『誰かに代返して貰えばいいじゃん。』


『代返ってなに?』

『実際には出席しないのに、自分の代わりに誰かに授業の出席簿に名前を書いてもらって出席してったってこと にしちゃうこと。』


『僕、嘘ってどこかでバレる気がするんだよね、だからしないようにしてる』

『そういうところ歩、真面目だよね、言われれば歩は嘘ついたことない気がする。』

僕は『正直で強い子』。母の言葉が頭の中でこだまする。


大学生になった今でもその言葉は僕を形作っていた。 みんなが手を抜く授業でも一生懸命に受講し、課題などは禁止されているchatGPTなどを使わず自分の頭で考 え抜いて提出していた。 中学の頃は部活でも学業でもトップの成績を残していた。そして元いじめられっ子なのに生徒会長になった。ど んな時も苦しくても弱音を吐かなかった。


確実に今の僕を形作っている『正直で強い子』という言葉。 でも、なぜかその言葉を聞くとふうとため息に似た深呼吸を僕はしてしまうのだった。

『ため息つくと幸せが逃げるよ。』


哀はそう囁いて、僕のほっぺをつねった。 そんなことを話しながら静岡の山を二人で鼻歌歌いながらドライブしていた。

『大丈夫、こんな奥の方まで来て。』


『哀と一緒ならどこにいても幸せさ』


『バカみたいな冗談言ってないでちゃんとしてほしい、まじで。』

『せっかくだから、奥の方まで行ってみない?まだGOOGLEMAPも繋がってるみたいだし。』

『それもそうね。』


『ちょっとそこらへんで車止めて歩いてみない?』


『賛成。だいぶ奥地まで来たみたいね。』


あたり一面森だった。 一本のひらけた道がそこにはあり、二人はそこを好奇心でずんずんと入って行った。 囀る鳥の声、心地よい新緑色、足が感じる苔の柔らかさに惹かれ、二人はどんどん歩いた。 どれくらい歩いただろうか、しばらくすると強い光が二人を刺してきた。 森が開けて日が差していた。日差しが強くてよく見えないがそこには大きな空間があることがわかった。 目が慣れるのを待ちながら二人は歩んで行った。


そこは洋風の巨大な城のようだった。はるか先にまで広がっているそびえ立つ外壁。 おそるおそる中へと二人は入って行った。


そこだけ時間が止まっていた。


二人はまるで西洋の中世の貴族になったような気分になった。


中には大きな塔が6つあった。 外壁は二重に敷かれていて、おそらく六角形になっている。真ん中にはそれはそれは綺麗で大きなお城があっ た。


『かつてここで戦争でもあったのかな、とっても大きな大砲があるよ。』

哀に言われて上を見上げた。


『本当だ。大きな大砲だね。』

六角形の外壁の点に当たる部分に、それはそれは大きな大砲が備えられていた。 塔と城の間には何も植えられていない、ふくよかな畑が広がっていた。 そこには何とも言えない、昔訪れたことがあるような懐かしさがあった。


『ここが大広間だと思う。』

歩は自分でもなぜか分からないが、なぜか自然とその城の間取りがわかっていた。 中には赤の絨毯が敷かれており、床は大理石でできている。


天井には豪華展覧なシャンデリアが備わっている。 中央の広間は天井がガラスで覆われていて、天使と女神が描かれている。 歩と哀は天井のガラスから差し込む光に、二人の手を掲げながら重ね合わせてみた。 紅色のミサンガから降り注ぐ光が二人を優しく包みこむ。これまでみたどんな景色より綺麗だった。 そこには二人しかいない空間があった。


『私たちはずっと一緒だよね。』


『うん。』


『どれだけ時が経っても、どれだけ多くの人が敵になっても僕は歩の味方でいたい。 歩とはずっと仲良しでいたい。』


『勿論。』

僕は勿論と言った。心の底から嬉しかったからだ。ここまで人と心を通い合わせられたのはいつぶりだろうか。で も、同時に怖かった。ナイフが胸を刺す重たい感覚がまだ手に残っている。 僕みたいな人を裏切った人間が幸せになっていいんだろうか。 今だってこうやって世間の人と深く仲良くなって母を裏切っているのではないか。 世間の人に染まってしまっているのではないか。


母の教えに背いているのではないか。 僕は自分の腕を見つめる。服の袖に隠れている救生教の龍のタトゥーを思う。僕は一体なんなのか。 僕は考えがまとまらなかった。そんな自分が僕はとても嫌いだった。 哀の疑いのないまっすぐな言葉だけが頼りだった。 哀の曇り気のない僕を信じてくれている愛だけが頼りだった。 哀にいつか全て話してみたい。覚悟はできてないがそう思うようになった。


『明日は用事があるから今日のところはお城探索はこれくらいにしようか。』

『うん。また来よう。』


『うん!』


二人はまるでおとぎの国にいるような気分を残したまま、家に帰って行った。


それからも二人はよくドライブに行って、お城で中世の貴族ごっこを楽しんだ。 そこは二人だけが知っている秘密のお城だった。 来る日も来る日も大学が休みのたびに僕らは城での中世の貴族ごっこを楽しんだ。 来る日も来る日も。


=====


哀は今日もご機嫌だった。 私の朝はベランダのスターチスに水をやるところから始まる。今日もとっても綺麗だ。 毎朝水をやるたびにこっちを向いてスターチスが水をくれてありがとうとお辞儀をしてくれている感覚がする。 絢と春樹への科学研究部に関するLINEを返信する。朝一でやることやってる私ってほんと偉い。 2階の自室からダイニングに降りて母が作ってくれたトーストをほおばる。 お気に入りの歯ブラシで歯を磨き、お気に入りのコップで口を注ぐ。 今日のコーデもバッチリだ。今日の私もいつも通り可愛い。 歩が誕生日プレゼントでくれた白いシューズを履いて外を出た。


幸せは日常のささやかなことから始まる。


紅のミサンガを見つけ哀はにやけた。


今日も良い一日になりそうだ。


その日私は朝早くから出かける用事があった。美容院にいくからだ。明日も歩君とお出かけする予定がある。

『今日はどんな髪型にしますか?』


『今日は思い切ってショートカットにしてもらおうかなって思って。』

『おお、思い切ったね。哀ちゃんならショートも似合いそう。OK頑張るね。』

髪を切り終わってもらい、店を出た時だった。 あたり一面を凄まじい爆発音がなり響いた。すごい爆風と煙で前が見えない。視界が悪すぎる。

何が起きたんだろう。何かが爆発したことはわかる。

『哀ちゃん大丈夫?!』


店主が声をかけてきた。


『私は大丈夫。』


その瞬間、叫び声が聞こえた。


『あいつが犯人だ捕まえろ。』


煙の中で動く男の人影が見える。私はとっさにその動く男の右腕を掴んだ。 腕には紅のミサンガがついていた。 私は息を飲んでしまった。その瞬間犯人は私の手を振り解いて逃げて行ってしまった。


=====


翌日、歩はいつものように振る舞いつつ大学に行った。その瞬間、哀に右腕を掴まれた。 その腕にはあの紅のミサンガがあった。


『なんであの時あんな場所にいたの、教えて、お願い。』


『もういいから僕に絡まないでくれるかな。 僕と君とじゃ違う人種なんだ。これ以上僕の中に踏み込んでこないで欲しい。』

『どれだけ歩に嫌われたって、疎まれたって私は知りたいし、あなたが道を外そうとしているなら止める。』

『聞いたこと後悔するかもしれないよ。もう前の僕として僕のことを見れなくなるかもしれない。それでもいいのか い?馬鹿話をして心地良く過ごしていたあの頃には戻れなくなるかもしれない。それでもいいの?』

『それでもいい。歩の全てを知りたい。』


歩は深いため息をついた。


『ため息つくと幸せが逃げるよ。』

『根負けしたよ。このシリアスな状況でもそれが言える哀はすごいよ、半分冗談だけど。』

仕方なく歩は語り出した。弟を母の命令で殺したこと、そして自分の経歴について。

『僕の母は救生教の教団代表、御影貴子。僕はその長男だ。


高校は教団が運営する養成学校に通っていた。 そこでは主に一般的な5教科に加えて、宗教の教義と実践、そして武術や爆弾の作成の講義を受けていた。な ぜ爆弾作成や武術を学ぶのか。それは救生教は日本の国会議員を爆破テロで皆殺しにし、日本を武力で支配 する野望があるからだ。昨日の爆破はその予行演習だった。僕はそこでの成績が抜群によく、救生教の幹部に 昇進。より高度な爆弾を生成するために東京大学へ進学することになった。これが僕の本性だ。母は以前神様 から予言を受けた。


ー我が家に未来を自由自在に作れる能力を持つ男の子が生まれる。 母と息子二代で御影家はこの世界を統べることとなる。ー この予言通り今、救生教は急成長している。僕は嫌でもこの予言を信じている。』

『いますぐそんなことから歩は手を引いてほしい。』


哀は強く言い放った。


哀はそのあと、一人で家に帰っていた。泣いていた。 月を眺めながら、一人静かに泣く。 月にそっと紅のミサンガを重ねる。紅の光が哀を包み込む。

ーー私たちはずっと一緒だよね。 どれだけ時が経っても、どれだけ多くの人が敵になっても僕は歩の味方でいたい。 歩とはずっと仲良しでいたい。ーー

哀は二人で語った言葉を思い出し、嗚咽を漏らしながら、啜り泣く。 深く深く静かに泣いていた。


哀にはある考えが浮かんでいた。

『私が止めないと。歩を。』


=====

ある朝、僕は母のオフィスに呼び出された。一体なんだろう。母のオフィスに呼び出されるのは珍しい。

『歩君、もうあなたは不要よ。私はこの子に託したの。』 母はお腹をさすった。言われてみれば母のお腹が少しばかり大きい気がした。

『あなたは大学で羽を伸ばしすぎた。もう完全に世間の人と化してしまった。』

そう語ると母は写真をテーブルに置いた。


それはタバコ片手に哀と僕が楽しく話している写真だった。 暗闇の中から急に人が飛び出してきた。それは哀だった。


哀、なんでこんなところに来ているんだ。

『あなたには死んでもらう。あなたは教団のことを知りすぎているし、生かしておくのもリスクがあるからね。』

母は拳銃を胸ポケットから取り出した。


『さようなら、愛しき歩くん。』


拳銃をまっすぐ僕に向けてきた。母の手が硬直している。引き金を引く気なんだ。 僕の頭は真っ白だった。逃げるべきなのだろうが、なぜかその気になれなかった。 ここまでずっと母に尽くしてきた。その母に殺されるなら、もうそれもそれで一つの運命として、綺麗なように思え たからかもしれない。


鳴り響く銃声。


哀が目の前に飛び出してきた。


僕の目の前に鮮血が飛び散った。


哀が僕の目の前にどさっと倒れた。 僕は哀に駆け寄った。なんで僕を助けたんだ。こんな僕のために。現実が現実のように思えない。スローモー ションの映画を見ているように感じる。


『歩くん、強く生きてね。』

哀はそう言うと、僕のミサンガと哀のミサンガを重ね合わせた。そして眠るように息を引き取った。


=====


歩は50階建てのビルの屋上でたちすくんでいた。 ゆうに100M近くはあるだろう。171センチの僕の身長の何倍だろうか。


そんなどうでもいいことを考えていた。


自殺する瞬間をロマンチックに語る歌や映画は腐るほど見てきた。


でも、そんなの嘘っぱちだと今なら言える。


僕には胸を突き刺すような後悔と虚無の感情だけが流れていた。 灰色の雲で覆われていて、あたりはどんよりとしていた。風がヒューヒューと悲鳴のように悲哀じみて音を立てて 鳴いている。


こんなにも苦しくて切ないなら最初から会わなかった方が幸せだったかもしれない。 意識を無くしたい。全て消し去ってしまいたい。なんであの時助けられなかったんだろう。全部僕のせいだ。僕は ただあの笑顔をずっと見ていたかった。


僕がもっと強かったら。あの時守ってあげられた。 僕がもっと賢かったら。まだ僕らは笑っていた。


歩の体は斜めに倒れ、灰色の空に吸い込まれていった。 =====


ポタポタポタ。


ポタポタポタ。


うっすらとあかりが見える。


なんの音だろうとゆっくりと僕は目を開ける。


横には点滴が置かれていた。


『死ねなかった』


その六文字が僕に襲いかかってきた。 僕はもがいた。思いっきりベットを蹴った。何回も何回も何回も。悔しかった。自分が死ぬことすら成し遂げられな いなんて。


死んで哀に会いたい。 後になって医師から聞いたが、僕が生きていたのは本当に奇跡だったらしい。(これっぽちも嬉しくはないが。) たまたま服がビルの部屋にかけてあったハンガーに引っかかり、僕の体の軌道がそれ、速度が落ち、街路樹の ところに落ちたから助かったそうだ。


そんな話聞かされてもこれっぽちも喜ばしくない。


僕を命がけで守ってくれた哀はもうこの世にいない。母はもう味方ではない。こんな世の中に生きていて何にな るんだろう。


一体僕の居場所はどこにあるんだろう。自分は一体どういう人間なんだろう。 思えば、弟を無理やり殺された、あの時から僕に居場所なんてなかったのかもしれない。 唯一の居場所だった弟を失ってから、ずっと孤独だった。 そして母を盲目的に信じ、自分の感情を置いてけぼりにして生きてきた。


そんな中に哀と出会った。


哀といるときは自然に感情が動いた。 哀といるときは自然に笑うことができた。 哀といる時はいつもより少しだけ自分の感情が自分で分かる気がした。 哀がくれたものを思い出してみた。 思い出。思い出。たくさんの思い出が僕の胸の中にあった。 涙が溢れてきた。 そっと自分の腕を見つめる。腕には哀がくれた紅のミサンガが結ばれていた。


『歩くん、強く生きてね。』


哀の最後の言葉が僕の中でこだまする。 病院の窓から差し込む光にミサンガを重ねる。紅の光が僕を優しく包み込む。 一人なのに一人じゃない気がした。 冷静になって考えてみた。哀に生かしてもらった命だ。大切に使わないといけない。そう思うようになってきた。 僕は一体どういう人間なんだろう。母の望み通り生きてきた。母の命令通り生きてきた。 自分で自分の感情が分からない時がよくある。自分は何者で何がしたいのか。 僕はこれまでずっと他人の人生を生きている感覚がしてきた。 他の人はどうなんだろうか。自分が一体どういう人間なのか、説明できるのだろうか。 どうしてこんなに自分の感情がわからないんだろう。


僕は母の人生を生かされていたのかもしれない。


ふと、昔の出来事を僕は思い出していた。 僕は母に一度だけ反抗したことがあった。その夜、母が神棚に手を合わせて泣いているのを僕は見た。母は息 子たちが自分に従順でなくなることをとても恐れているのだと知った。


母は自分の一部として僕のことを見ている。振り返ると僕はそう思った。 母は僕と優斗を支配することで安心している節があったんだろうなと思う。 今振り返ると、僕を見ているというより、目の奥で宗教などを絡めた母自身の存在意義を満たす存在として僕の ことを見ている感覚を覚える時がたくさんあった。


『歩は正直で強い子だね。』

ことあるごとに言っていた母のあの言葉は本当に僕のことを褒めてくれた言葉だったんだろうか。 本当に褒めてくれていたんだろうか。今になってみると呪いのように思えてきた。


このレールから降りたい。 どこか安心感があるけれど、でもどこかとっても窮屈でつい深呼吸したくなるこのレールから降りたい。 正直じゃなくたっていいじゃない。母に嘘ついたり、騙したっていい。 強くなくたっていいじゃない。たまには弱音を吐いてもいいし、泣いてもいい。 歩は正直な強い子と言われて、正しい道を選び続けたはずだった。でも、正しいと思っていた道には僕の気持ち はこれっぽちもなかった。


僕は母の人生を生かされていたのかもしれない。


考えが煮詰まってきたので、僕はふとテレビをつけた。


『緊急生中継、緊急生中継です。』

テレビの声が遠く聞こえる。 ついに起こってしまったんだと悟った。 原爆ドームみたいな建物が中継で映っていた。 が、それは原爆ドームなんかじゃない。国会議事堂だ。


『国会会期中に国会議事堂が見るも無惨な姿になってしまいました。中にいた242人の国会議員は全員死亡 したとのことです。』

『同時に警視庁本部や自衛隊関連建造物も爆破を受け、大量の警察官や自衛隊員が死亡したと見られ ています。』 『そして、東京中を武装した救生教職員が取り囲み始めました。今回の未曾有のテロを生き残っている 警官や自衛隊と連携して、対処する方針だそうです。』

武力で日本を救生教が支配する。母の野望が叶いつつある。


ついにこの日が来たんだと悟った。 そうして何日か過ぎたある日だった。母の使いが病院を訪れてきた。あの時は母も冷静ではなかった、あなたの 爆弾作成だけはピカイチだからまた一緒にやり直さないかだそうだ。今度は官僚たちを皆殺しにしたいらしい。 頭がおかしいんだろうかと思った。一度自分を殺そうとしておいて、次はまたよかったらうちに来ないかだと。 狂ってやがる。 母には人の気持ちとやらがさっぱり分からないんだなと痛感した。多分息子という存在を自分に忠実で絶対に 裏切らない忠実なしもべとしか思ってないんだろう。あの幼少期の虐待で僕のことを完全に精神的に支配できて いるんだろうと思っているんだろう。


そして僕にはある考えが浮かんできた。


母の誘い、これはチャンスかもしれない。


僕は母の使者に教団に戻る旨を伝えた。 救生教の本部は東京都千代田区にある。都心のビル群の中でも、一際目立つ金色の巨大なビルだ。 周りを四つの同じようにまばゆい金色のビルが取り囲んでいる。ビルとビルの間には架け橋のような通路が用 意されている。


それは金色の巨大な要塞のようだった。


真ん中のビルの最上階が母のオフィスだ。


使者にトイレにいくと嘘を伝え、最上階へ僕は急いだ。 よかった。最上階の母のオフィスの指紋認証にまだ僕の指紋が登録されたままだった。 どこにある、計画書。母がテロを指示した計画書が僕は欲しかった。 デスクというデスクを片っ端から探した。あった。計画書。


『歩、そこで何をしているの?』


母が数メートル先の玄関前にいた。


僕は計画書を胸ポケットに仕舞い込んだ。


僕は母に突進した。 母と僕は取っ組み合いになった。殴り、押し合った。必死に、やっとのことで母の手を振り払った。

『誰か歩を捕まえて!!!!』


母が叫んだ。何人かの職員が一斉にこちらを見た。


僕は巨大なビル内を全速力で走った。 職員が一斉に走ってくる。エレベーターでは間に合わない。非常階段はどこにある。 見つけた。ここが非常階段だ。


僕は非常階段を、ものすごい勢いで飛び降りた。


走れ、走るんだ僕。ここで捕まる訳には行かない。 下の方から足音が聞こえる。しまった。追手が下からも来ている。 どこかに身を隠さないと。歩は周りを見渡した。


これだ。清掃用のワゴンが目に留まった。僕は中に入った。


『歩はどこにいった。』


『わかりません。』


『まだビル内に居る。徹底的に捜索しろ。』


『わかりました。』


しばらくすると僕の乗っているワゴンが動き出したようだった。 エレベーターの音が聞こえる。


『今日の作業もこれで終了っと。』


作業員の独り言が聞こえる。 作業員の足音が聞こえる。ワゴンから遠ざかっていくようだった。


僕は足音が聞こえなくなるのを見計らって外に出た。


道中にとまっている車の窓ガラスを叩き割って車の鍵を開けた。 そして全速力で車を飛ばした。


ここなら安心だ。歩はほっと息をつけた。 そこは哀と来ていた静岡の山奥のあの城だった。 誰にも話していない、二人だけの居場所。 あの頃とそこは何も変わってなかった。 僕は何を思ったか哀が使っていた部屋に入った。 手紙が部屋の机に置いてあった。


『歩君へ


哀として、こうして手紙を送ったのは初めてですね。 これから私はあなたを止めに救生教に乗り込みに行くつもりです。 もしかしたら命を落とすかもしれない危険な事だと理解しています。


でも、私はどうしても止めたい。 歩君のとっても素敵な所が消えてしまうようで。それだけは私はどうしても耐えられなかった。 死ぬことを覚悟で乗り込むので、万が一死んだ場合にそなえ、最後に伝えたいことを書きます。 私はずっとあなたの事を感謝して生きていました。


それは大学で出会う前からです。


哀こと、レイサとして今日は手紙を書きます。 私はレイサです。中学の時にあなたが庇ってくれた柏木レイサです。 あれから必死でダイエットして、あの汚らしいそばかすも取って、髪色も変えて、たくさんイメチェンしました。自分 を変えていったら中学の同級生にあっても誰か分からないほどになっていました。 そして、別人として生きたくて改名までして今は哀として生きています。でも、迷ったけど整形はしなかった。あの 時、『優しくて綺麗だよ、僕が守る』って言ってくれた歩君の言葉が本当に嬉しかったから。ありのままの私でい たかった。 今度は私が歩君を助けたかった。変わった私として。あの時の弱くて自分に自信がなかった私ではなく。 あなたのお陰で、あなたがあの時庇ってくれた優しさだけを胸に、私は今こうして生きていられています。 あの頃、いじめられていた頃、私は世の中に絶望していました。何も気力が起きなかった。


そんな私を、私の死んだ心を、歩君の言葉が救ってくれた。 歩君がどんな高校に行ったか、私には卒業式に声をかける勇気がなく、聞けずじまいでした。 一年位経った頃でしょうか。風の噂で歩君が東京大学を目指しているという情報を聞きつけ、どうしても私も必死 に勉強して、再会できるように頑張りました。同時並行で前述のダイエットなども頑張りながら。 そしてもう一度こうして歩君のくっしゃとした笑顔をもう一度この目で見れている日常を心の底から嬉しく思ってい ます。


私が逃げ出さずに中学校を続けられたのは他でもない歩のおかげです。 助けを求めてもいいと気づいたのは歩のおかげです。 そして、自死を考えるようなあの壮絶ないじめがあっても、こうして生きていられているのは私のありのままを受 け入れてくれた全て歩のおかげです。 頑張り屋さんで、まっすぐで、真面目で、素直で、大変なことがあってもそれに向き合って、ちゃんと考えて、悩ん で辛くても自分で前を向いて進んでいる所、私にはない本当にすごい所だと思います。 あなたのいじめから庇ってくれた時に『優しくて綺麗だよ、僕が守る』って言ってくれた言葉の温かさのおかげで 私はずっと生きていられた。 いつも言わないようなことを言います。もっと自分を愛してあげて。歩君は素敵な人だよ。 どうかこれから先、困難な事ばかりだと思いますが、強く生きていてほしい。 どこにいても私はあなたと一緒にいるからね。』


涙で視界が見えなかった。




レイサが哀だったとは。全然気付かなかった。でも、哀と関わるといつもどこかで懐かしさを感じていた。 涙が次から次へと出てきて、滴っていく。僕の足がそれを受け止める。 やっと僕は自分が一体なんなのかわかった気がした。


哀、言葉をくれてありがとう。


僕を守ってくれて、僕が何者か教えてくれる輪郭をくれてありがとう。


=====

計画を実行に移す時が来た。救生教の化けの皮を剥がすんだ。僕は計画書をバックの中に仕舞い込み、盗ん だ車に乗り込んで城を後にした。高速で東京まで来た。日本テレビの真ん前だ。 僕はそっとビルの物陰に身を隠す。今だ。機材搬入の車が停車した。


僕はその車に中に飛び込んだ。


しばらくすると車はビルの中に入っていった。 人気がしなくなったところで僕は車から降りる。テレビ局の中に侵入成功した。 テレビ局の音のする方、放送が行われている場所に近づいていく。


扉の前についた時だった。 そこには哀がいた。僕は自分の目がおかしくなったかと思った。目をこする。こすってもまだ哀がいる。

『落ち着いて話すんだよ。大丈夫。全部上手くいく。私もちゃんとそばにいるからね。』

哀はそう語ると靄のごとく消えていった。


『国民のみなさん。はじめまして。御影歩と申します。今は亡き父の苗字の若宮で覚えてもらえたらと思うので、 若宮歩でお見知り置きを。僕は皆さんにお話しなければならないことがあります。 それは先日の議員会館の爆破、大量殺人事件は全て救生教の仕業だということです。 ここにその救生教トップ御影貴子の署名入りの爆破事件の計画書があります。』

僕は計画書をカメラの目の前に近づけた。そこには確かに母の署名と拇印があった。

『どうなってるんだこれは、こんなデマを垂れ流させるな。今すぐチャンネルを変えろ、あの小僧を追い出せ』

『どうか皆さん、信じられないと思いますがこれが現実なんです、救生教は日本を乗っ取ろうとしている、騙され ないでほしい、、これは、』


チャンネルが変わってしまったようだ。 テレビでの暴露は途中で遮られてしまったが、話したいことは概ね話せた。 その後の反響は凄まじかった。若宮歩がXのトレンドに入り、彼を守らないといけないという雰囲気が生まれて いった。


絢と春樹からLINEが来ていることに気づいた。ここ数日余裕がなくて全然スマホを見てなかった。

『全然連絡ないし学校も休んでるけど、生きてるかー?』


『生きてるよ、心配させてごめん。』


続いて絢に返信する。


『最近全然連絡ないけど大丈夫?生きてる?』

『テレビ見たよ、最高にかっこよかった。私にできることがあればなんでもする。』


僕は返信をした。


『生きてるよ、テレビ見てくれてありがとう。』


すぐに絢からは返信が来た。


『これから歩はどうするつもり?』


『一人で救生教の本部に乗り込んで元凶である母を殺すつもりだ。』

『それは無鉄砲すぎるよ。まずは味方を集めて、武器を揃えて、慎重に計画を練ることだよ。今じゃない。せっか く世論を味方につけたんだから生かさないと。私も考える。』

絢はいつも聡明だなと思わされる。僕は味方と武器をどう集めるか、考えることにした。 それは道を歩いている時だった。刺青をしている男の人に声をかけられた。


『兄ちゃん、若宮歩かい?』


『そうだよ』


『ちょっとうちに来な。』


そこは暴力団事務所だった。


『うちのボスがあんたのことひどく気に入っていてな。ちょっと会わないか。』




『是非。』


僕は事務所に入っていった。


『俺がここのボスだ。よろしくな』

ワイルドな顔立ちに男らしい顎髭。身長は180はあるだろう。鍛えられた全身の体。まさにボスと言う感じだっ た。 『君が若宮歩くんか、あのテレビ、俺も見ていたよ、すごい勇気だね。その計画書今も持ってたりする?』

『はい。』


歩は計画書をボスに見せた。他のもう一つの書類をボスは手に取ると、光で透かして見始めた。

『筆跡全くもって一緒だな。拇印も似ている。』


ボスはしばらく黙ったあと、話し始めた。

『うちの組の銃などの武器をお前に貸す。仲間を作って日本を救ってほしい。』

僕はうなづいた。そして仲間を作ってまたここに来ると約束し、事務所を後にした。


若様、若様。僕はネット上で圧倒的な知名度を手に入れていった。 僕はネット上のファンを募り、暴力団事務所前に集まった。


一万人くらいはいるだろうか、凄まじい群衆だ。 僕はこの人数を束ねないといけないんだ。マイクを持つ手が震える。 頭が真っ白になる。あたりは沈黙に包まれた。


一万人の観衆が僕に集中している。 その時だった。そこにまた哀がいた。わけがわからないけど、でも、哀がそこに確かにいた。

『リラックス、リラックス。歩ならちゃんと話せるよ。私はずっと歩君のそばにいるからね。』

哀はそう語るとまた靄のごとく消えていった。

『みなさん。はじめまして。御影歩と申します。すでにテレビで話した内容ですが、先日の議員会館の爆破、大量 殺人事件は全て救生教の仕業です。 ここにその救生教トップ御影貴子の署名入りの爆破事件の計画書があります。 皆さんで日本を救生教から取り戻そう!!!』


観衆がどよめく。僕は拳を空に築き上げた。


『若様!若様!若様!』

観衆を一つにまとめることができた。この感情を、嬉しさを哀に話せたら僕はどんなにか幸せにだろうかと思う。


観衆を救生教の信徒リストに該当していないか身分証を見せてもらいながら一人一人照合していく。万が一でも スパイがいる可能性が捨てきれないからだ。信用できると判断した人物に静岡の城の住所を伝えた。僕らは静 岡の城を若宮城と名付け、自分たちのことを若宮軍と名乗り、今回の日本奪還計画の本拠地とすることにした。 暴力団の武器もそこに移動することになった。


その日は僕は暴力団の事務所に泊まらせてもらうことになった。 僕はベットに仰向けになり、一人声を出す。

『哀、そこにいるの?』

反応はない。

今日、確かに哀はそこにいた。 また、哀と話したいな。哀が見てくれてるといいな。そう思って僕は眠りについた。


翌朝、僕は暴力団事務所を後にし若宮城に向かった。 若宮城には約一万人が集結していた。


これから戦争が始まる。


こんな時、哀はどう振る舞うんだろう。哀は一年生ながら、同級生や先輩たちをまとめるのが本当に上手かっ た。


こんな時、哀がいたらどれだけ頼りになるだろうかと僕は思った。 翌日から、僕たちはまずは暴力団からもらった銃などの武器の使い方をみんなに覚えてもらう訓練を始めた。 みんな素人だったので、仕方ないのかもしれないが、上達するのにはまだまだ時間がかかりそうだった。 それでも、みんな一生懸命に訓練に励んでくれた。


また、僕は自分以外にもサブリーダーを何人か育成する必要があると考えていた。僕は科学研究部の同級生、 絢と春樹を若宮城に呼んでいた。彼らは同じ科学研究部で過ごした歳月もあったから信用できて最適だった。 城には大広間があり、メンバーはみんなそこで食事をとることにした。 『改めて、僕のことを信じてみんな集まってくれてありがとう。これからこのメンバーで救生教を打倒する。戦争が 始まる。仲を深めないと勝つことは不可能だ。今日はたくさんお互い語り合い、親睦を深めよう!』

僕はグラスを突き上げ、叫んだ。


『乾杯!』


『乾杯!』


みんなの声が城中に響き渡った。


食事を終え眠りにつき、朝になり僕らは訓練を始めた。


『射撃の的の調子がおかしいよ。』


メンバーの一人が僕に訴えてきた。僕は様子を見に射撃場の中に入る。


『危ない!』


誰かが叫んだ。 その時だった。僕は思いっきり突き飛ばされた。気がつくと隣には絢がいた。何が起きたのかよくわからない。す ると見ると絢の腕から出血していることに気づいた。

『私、大切な人をもう誰も死なせないって決めてるの。不幸な事故が起きなくてほんとよかった。』

絢はそう語ると遠くを見つめたあの瞳をした。あの時キャンプで夜まで語り合った瞳と同じだった。 たくさん思い詰めて考え尽くしたまっすぐな瞳。


たくさんの絶望と向き合った瞳。


強い引力で吸い込まれてしまいそうな瞳。

『よく咄嗟に僕を突き飛ばす判断ができたよね。絢の冷静で聡明なところにはいつも驚かされるよ。本当にあり がとう。』

絢にそう伝えると僕は看病を他のメンバーに任せ、訓練に戻っていった。春樹に僕は銃の使い方を教えていた。

『春樹君左利きなんだね。』


『そうなんだよ。』


春樹が銃を持って打つ。春樹は銃を打つのがとてもうまかった。上達が早くて僕は驚いた。

『3発とも真ん中に命中。すごいね。』


『ありがとう。』


『ちょっと休憩したいかも。』


『わかった。』


二人はソファに腰掛ける。

『同じサークルに所属していたけどさ、あんまりまだ歩がどんな過去を持っているのか僕よく知らないかもしれな い。中学の時のいじめの話は知ってるけど。』

『確かにそういう話をしたことはなかったね、春樹には僕はどんな人なのか僕も知ってほしいから話すよ。』

僕は話し始めた。弟との関係、弟を自分の手で殺めてしまったこと、哀との日々、若宮城での日々、その他 諸々。

『哀さんとはそんな関係だったんだね、仲が良いから恋仲なんだろうなとは思ってたけど詳しくは知らなかったか ら驚きだった。』


春樹は続けて話し出す。


『弟さんを殺したことどう思ってるの?』

春樹はなんとも読めない表情をしていた。怒ってるようにも見えたが気のせいだろう。


『激しく後悔している。』


『そうなんだね。』


絢が話に混ざってきた。三人は分け合いながらソファに腰掛ける。


『二人は何を話してるの?』

『歩の過去について話していた。そういえば、絢の過去について聞いたことがなかったよね。絢の過去について も聞きたいな。』


春樹が切り出し、絢が答える。

『私は神奈川県出身。両親の中でもお父さんと特に仲が良かったの。毎日父と楽器を吹いて遊んでいた。元々 音楽団に所属していた父は楽器を吹くのがとても上手く、私もその真似をしてどんどん上達していった。父の影響でピアノも習い始めるようになった。初めて上手く弾けるようになったあの日、父に演奏してみせたお父さんの 喜んだ顔は今でも忘れられないわ。 でも、中学生の時に大好きだったお父さんが自殺してしまって、ずっと塞ぎ込んでいた。父の亡骸を見つけたあ の時の絶望。なんでお父さんは私を一人置いていってしまったんだろうって。ずっとずっと苦しくて苦しくて仕方な かった。父親の自殺を機に母親とも仲が悪くなってしまって居場所がなかった。大学生になってからは母親とは 距離を置いて生活してるの。大学生以降、やっと科学研究部で繋がった仲間や若宮城のみんなと打ち解けられ て、私の居場所がもう一度できた気がして、本当に幸せだなと感じてる。』

絢は泣いていた。春樹と僕はそっと絢の肩をさする。


『春樹は?どんな家庭だったの?』


僕は春樹に質問をする。


『僕は普通の平凡な両親健在の家庭だったよ。』 『なんだよ、二人とも答えたのに、もっと言い返しがあるだろ−!もっと詳しく教えてよ!』

絢がツッコむ。


『いいよ、僕の家庭のことは。』


三人は話し終えると、また訓練に戻っていった。 僕らの訓練は順調だった。日本人は基本的に銃を使うことに馴れていない。そんな中でもみんな必死に訓練に 励んでいた。


打倒救生教という大きな目的のためだからみんなは団結することができた。 必ずこの国を、僕たちの生活を、僕たちの力で取り戻すとみんな心に誓っていた。 そして訓練を初めて三ヶ月ほどたった。 哀の真似をしながら、次第に歩はリーダーとしての振る舞いが身についていた。そのことを歩はどこか嬉しく感じ ていた。


リーダーとしての重圧で、責任感で、押しつぶされそうになる時はあるが。


絢と僕はある夜二人で夜食を食べながら話していた。 『このまま順調に訓練がうまくいけば、一ヶ月後には救生教を攻めにいけるだろう。』

その後、僕は思い切って話してみた。哀から手紙の内容を。哀は実はレイサという中学時代の同級生だったこと を。


『私、知ってたんだよね。そのこと。哀とは大親友だったから。 中学時代に大好きだった人を追いかけて、イメチェンして、髪色変えて、ダイエットして顔も痩せて、もう一度歩君 を振り向かせたいって聞いてた。いつか歩に打ち明けるんだとは聞いていたけど、歩を止めにいく直前に手紙と いう形で打ち明けたのはロマンチックで哀らしいね。 歩と哀が二人きりで帰りたそうな時は春樹を誘うとかして、私、結構地味に恋の手助けをしていた。』

絢は深呼吸をする。何かを打ち明けようとしているようだった。

『実はね、私、春樹のこと好きなんだよね。春樹ってほんとにいいやつじゃん。だからそこが憎めなくて大好きな んだよね。よかったら今度は応援してほしいな。』


『何を言い出すかと思ったら!ぜひぜひ!応援する。』


僕が返答する。


絢が笑った。 その瞬間だった。つんざくような爆音とともにあたり一面のガラスが弾け割れ、真っ赤な光が突き刺してきた。 とっさに絢と僕はしゃがんだ。


何が起きたんだ一体。


わけがわからなかった。


悲鳴があたり一面に渡る。 こういう時こそ冷静さを保たないと。歩は自分に言い聞かせた。よく耳をすませるとブーンブーンと音が聞こえ る。


やっと歩は状況が飲み込めてきて冷や汗が出てきた。 アジトが奴らにばれ、航空機で爆撃されている。

『こういう時どうすればいいんだ、落ち着け、いいから落ち着け。』


大砲、そうだ大砲だ。歩は全速力で走った。


自然と使い方がわかった、装填、着火、標準定め、撃ち抜く。 命中。つんざくような凄まじい音と目が焼け焦げそうな光を放って飛行機が撃墜された。 だめだ、まだ、ゆうに100機はある。あたり一体を大量の飛行機が旋回していた。 絢に向かって歩は叫んだ。


『応援をもっと呼べ、いいから早く!』


『敵の航空機をこうやって撃ち落とすんだ。』

爆撃と空爆の応酬であたりは騒音の嵐だった。 次第に飛行機の旋回音は小さくなった。あたりは再び暗闇の静けさを保った。 しばらくして、何やら拡声器のようなもので誰かが喋り始めた。


『いいかよく聞け、諸君。 貴様らは不法占有者だ。我々真の統治者、救生教に謀反を企て、実行している。 貴様らは我々の軍で現在包囲されている。 この包囲が解かれることはない。どちらが先に根をあげるか楽しみだな。』

こういう時、リーダーが取り乱してはいけない。僕は気持ちを落ち着ける。

『最低限の見張りは城壁に残した上で全員を城の大広間に集めてくれ。』


絢に叫んだ。 みんなかなり動揺しているようだった。突如泣き出す者もいれば、叫び出す者も現れた。

『もう外に出られないなんて聞いてない。』


『こんなの耐えられない。』


絢が僕に近づく。


『なんとかしてみんなの動揺を抑えないとまずいよ。』 絢のいう通りだ。でも、どうしたらいい?僕には分からなかった。


その時だった。そこにはまた哀がいた。

『こういう時のためにリーダーがいるのよ、虚勢でもいい、歩自身が一番落ち着いているところを見せるの。』

そう語ると哀はまた消えていった。 僕は震える手でマイクを握った。そしてため息に似た深呼吸をして自分を落ち着けた。

ーだめだ、またため息ついちゃった、哀、遠くでまた僕のこと怒ってるかなー


ーきっと近くにいるー


僕は話し始めた。

『僕は信じてる、この現状を打開できる一手があることを。諦めなければきっとその日は来る。その理由は救生 教側、若宮側どちらもこの状態を苦しい状況だと捉えているからだ。現状はどちらが優勢と言うわけではない。 イーブンだ。


僕は絶対諦めない。必ずまた平和に街を歩け、友や恋人と楽しく生活できる日が来る。 計画はあるから、もう少しだけ待ってほしい。』


『僕は信じるよ、その言葉を。』

春樹が叫んだ。それに続いてもう一人、もう一人と叫び声が増えていった。 僕らは団結することができた。


朝が来たが、救生教側の城への包囲は相変わらず続いたままだった。 また一日また一日と日にちは過ぎていった。 僕らはその間、城の警備を常に維持しながら交代で武術の上達のために武器の訓練を進めていた。 いつまでこんな籠城戦を続けるのだろうかとも思ったが、不思議と僕らは気力を保つことができた。 四季は巡り、哀と来た時には何のために植えられているのかわからなかった畑の野菜たちや樹木は僕らの胃 袋と精神を満たしてくれた。


一方の母は膠着状態に痺れを切らしていた。 春樹と絢と歩は三人で部屋で話し合っていた。

『どうやってこの状況を打開する?』

『みんなの前では計画があると言ったけど、正直まだ夢物語な計画しかない。』

『そして、気かがりなことがある。 ー我が家に未来を自由自在に作れる能力を持つ男の子が生まれる。


母と息子二代で御影家はこの世界を統べることとなる。ー この予言を母は神様から受けたそうだ。この予言が本当ならという仮説に基づく話だが、この予言に僕や弟は当 てはまっていない。僕は当然そんな能力を持っていないからね。ただ、今母が妊娠している子や将来母から生ま れてくる子がその能力を持っていることは否定できない。僕らにできることは母子ともに早く抹殺すること。それ に尽きる。』


僕はそう語り終えるとタバコを吸った。

『私らはずっと一緒。僕ら三人ならきっとこの苦難も乗り越えられるよ。』

絢がそう語りかける。


『絢ペン先生、いい事言うじゃん!』

春樹がまたいつものように、だる絡みする。 僕ら三人はまた大学の頃のように笑い合った。


夕飯の時間になり、僕は自室を出る。下に広がっている大広間を見渡すとあたりがやたらと騒がしくかなり荒れ ていることに気が付いた。


『これは一体どういうことなんだ説明してみろ!!』 怒号が響き渡っている。若宮城のメンバーの一人が絢のスマホを取り上げ、絢に向かって激怒していた。

『ちょっと待って、違うの、これは、、』

『どう違うんだ、言ってみろよ。お前のスマホのメッセージの送信先は御影貴子、救生教のトップじゃないか!お 前が貴子に送ったメッセージの内容、読み上げてやろうか。 絢が救生教が攻められ包囲されたあの日の前日の21時に貴子宛に、若宮城の位置情報を共有致します。静 岡県***市**ー**ー*。とメッセージを送ってやがる。 その前には、若宮軍の訓練は順調に進んでおり脅威、歩の指揮も上手くなっております。って送ってる。この裏 切り者が!』


人々がどんどん絢の周りに詰めかける。収拾がつかない。


『裏切り者!裏切り者!』

観衆が叫び出して絢につかみかかる。絢の服の裾の部分がちぎれ、腕が露わになる。腕には龍のタトゥーが彫 られていた。


僕は集団を掻き分け、絢の近くになんとか近づく。

『冷静に状況を調査したい。まずはみんな落ち着いてほしい。』

『冷静になんかなれるもんか、このタトゥーは救生教のメンバーである証だ。歩、あんたは元救生教人間だから そのタトゥーがあることは理解できるとして、絢から元救生教だという話を誰も聞いたことはない。そしてこのメッ セージだ。これは確固たる裏切り者の証拠だ、さあ、こいつをどうしてやろう?ただ殺すだけじゃ飽き足らない。 徹底的に拷問してやる。このくそ野郎が!!』


人がどんどん集まってくる。圧死しそうだ。まずい。なんとかしないと。


『静かにしろ!!』


僕は何を思ったか天井を目がけて、銃を連射した。あたりが一瞬静かになった。 ギーギーと嫌な音が聞こえ始める。僕は天井を見上げる。シャンデリアをつなぐ四本の鎖のうち、三本はすでに 切れていて、残り一本が切れかかっている。


『落ちる!!離れて!!』

僕は叫ぶ。慌てふためく人々。人々は一斉に蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。僕もしどろもどろで大広間 の中央から逃げる。


ドカーーーン。


シャンデリアがついに落ちた。視界に大量のガラス粉が舞う。あたり一面真っ白になった。 その瞬間だった。全速力で絢が大広間を駆け抜けていく。


『逃すな!!』


人々が叫び、絢のあとを追う。


=====


絢はただただ逃げた。全力で若宮城の門を開ける。追っ手はすぐそこまで来ている。 私は外に出て全速力で走った。一斉に外で構えている救生教の軍が銃を構える。私は思いっきり袖がちぎれた 腕を掲げる。


『発砲用意!』


叫び声が聞こえた。大量の銃口が絢に向く。


『私は救生教の一員よ!絢!貴子様にお伝えして!』


私は叫ぶ。


パーンと音がすると同時に左肩に強烈な痛みを覚えた。 ああ死ぬんだ、もうどうでもいいや、涙が溢れて溢れて止まらない。若宮軍のみんなの笑顔が頭に浮かんでく る。歩、春樹、哀、父。もう私の居場所なんてどこにもない。せっかくできた私の居場所、私はこういう運命なん だ、私に居場所なんてない、できたと思ったらいつも消えていく。もう死んでしまいたい。殺してくれ。 右肩にも強烈な痛みが走る。死を受け止める準備はもうできた。もうとっとと早く殺してくれ。そう思った時だっ た。


『やめろ!!』


突如、声が叫び渡る。大量に向けられていた銃口はすっと下がっていく。

『お前は本当にあの絢なのか、確認のため貴子様と打ち合わせた合言葉を言え。』

大柄の男が私に近づいてそう問いかけた。 あえて間違った合言葉を言ってやろうかと思った。殺されたい。でも、そこまで私は愚かにはなれなかった。

『我らが龍は日本を飲み込み、世界を飲み込む。一度世界を業火に包み込み破壊し尽くし、そして再生する火 龍だ。』


私は嗚咽をもらしながら、合言葉を言った。


『とんだ無礼をどうかお許しください。絢様。すぐに手当を。』


私は男に抱き抱えられる。


軍の中を横切っていく。軍の面々が皆敬礼していく。深々と。


私は涙が止まらなかった。


私にできることはたった一つだ。私の使命。絶対に果たしてやる。 世界中のみんなが私を疑っても、私を見放しても。


世界中のみんなを騙しても、思いっきり欺いても。 この世界に誰も味方がいなくても、自分だけは自分の味方でい続ける。信じた道を突き進むんだと。あの日そう 自分に約束したんだ。どれだけ周りに嘘をついてもいい、どれだけみんなを欺いてもいい、でも自分自身には嘘 は絶対につかない。 父が死んだあの時、父の冷たくなって変わり果てた姿を見つけた時、私はあの誓いを立てたんだ。ずっと一緒に いてくれると思っていた、ずっとそばにいてくれると思っていた父が消えた絶望感。父に裏切られた悲しさ、やる せなさ。そんな最低最悪なぐちゃぐちゃの中で私はあの誓いを立てた。 あの誓いだけが私を今日まで生かしてくれた。


あの誓いだけはなんとしてでも意地でも果たしてやる。


私は応急処置を受けながら、ヘリに乗せられた。 地上には若宮城が見える。若宮城の窓から漏れる温かい光。ほんの少し前まで私も包み込んでくれていたはず のあの温かい光。どんどん遠ざかっていく若宮城。 私には居場所なんてない、そう痛感した。というか居場所なんて作るべきじゃない宿命なんだ。父が死んだあの 日からずっとそうなんだ。分かってたはずだろ、私。私の居場所は私だけ。だから泣くんじゃない。もうとっくに腹 は括ったはず。


どれくらい時間が経っただろうか、しばらくするとヘリは高度を落とし始めた。 ヘリの旋回音が鳴り止む。救生教の本部についたようだった。


『絢、お疲れ様。よく頑張ったわね。』

ヘリのドアが開き、低い声が響き渡る。貴子の声だ。私は貴子に抱きしめられる。強いほどに。


私は必ず、あの誓いを果たす。必ず。


=====


『ついに二人だけになってしまったね。四人で仲良くしていた時を思うと寂しいよ。』

僕は春樹にそう語りかけるとソファに腰掛けた。

『本当に寂しいね。なんで絢は僕たちを裏切ったんだろう?』


僕は沈黙を貫いた。


翌日になった。訓練の時間になり、メンバーが集まり、訓練を始める。 春樹はどこか元気がなさそうだった。若宮城にいるみんながしぼんでいるように見えた。




『みんな元気出して!訓練は本当に順調に進んでいるんだ。ここで諦めたら救生教の思う壺だ!』

春樹が叫ぶ。僕は春樹にもこんな一面があったんだと驚かされた。そこには大学の頃にいつも馬鹿うるさく、小 学生みたいな悪ノリを好む春樹の姿はなかった。たくましく頼りがいのある春樹の姿があった。

『ほんとその通りだ!訓練は順調そのもの!あと少しだ!』


僕も続けて叫んだ。


絢を慕っている人は多かった。 絢はよく料理を作ってくれていた。絢の作るビーフシチュー。絢の作るピザ。みんな絢のことが大好きだった。 絢は夕飯の時間が終わるとよく楽器を吹いてみんなを喜ばせてくれていた。 彼女の弾くピアノの時間はみんなにとっての至福の時間だった。 みんなの心の拠り所が一つなくなった。埋め合わせをしないといけないな。僕はどうしたら良いか考えを巡らせ ていた。


『哀も絢も、なんでみんないなくなっちゃうんだろうな。』


春樹はそう語り肩を落とす。


『ほんとだよな。』


僕はつぶやく。


『二人だけは最後まで一緒にいような!』


春樹はそう語ると僕の肩を思いっきり抱いた。


『力強いって、このバカ!』


二人はまた大学の頃のように笑い合った。


夕飯の時間になり、メンバー一同大広間に集まる。 みんな沈黙して食事を口に無理やり持っていっていた。まるでお通夜のようだった。

ーーあんなに信じていた、絢が実は敵だった。ーー

誰もそのことを受け入れられないようだった。


僕は語り始めた。

『どんなに辛いことがあっても、受け止められない出来事があっても、僕は絶対に君たちを見捨てない。必ずま た前のように自由に国を歩け、笑顔で生活できる日々を取り戻す。だから僕についてきて欲しい。』


沈黙が流れる。


『歩、よく言った!!俺は歩に一生ついていくぞ!』


春樹が叫ぶ。


するとまた一人、また一人と拍手が起こる。一万人の拍手が若宮城を包む。


僕らはまた一つになれた。


どれだけ辛いことがあっても諦めない。若宮軍のために。 僕は心に誓った。そしてかなり疲れていたので、夕食を取ってすぐ眠りについた。

『今日も一日お疲れ様。若宮軍の訓練も順調だ。最高だ。あともう少しだ。』

春樹はそう独り言を呟くと自分の部屋に入り、ドアを閉め、椅子に座る。紅茶を淹れて一人ですする。

『哀も絢もいなくなってしまった。でも、まだ歩がいる。大丈夫。』


そして、ペンを取る。


『完成まであと一歩。もう少しで完成だ。最高に美しいフィナーレになりそうだ。』

そうささやくとペンを走らせた。


それはある夜だった。僕はどうやってこの包囲されてる状況を打破して救生教を破壊すればいいのか、どうにか して朝になったら打開策が閃いてくれないか祈りながら、ふうとため息をついてベットに入って目を瞑り、眠りに つこうとしていた。歩、考えるんだ、歩、僕は自分にそう問いかけていた。 すると、懐かしい声が僕の耳元に囁いてきた。


『ため息つくと幸せが逃げるよ、もう何回も言わせないでよね。』


そこに哀がいた。

『仕方ないから、私がその打開策とやらを教えてあげるよ。そこの壁に黒いシミがあるわ。』

ベットの後ろの壁を哀が指差した。僕はベットから起き上がり、後ろを振り返る。確かに壁に黒いしみがある。

『そこを10回叩いて。』


歩は言われた通りに叩いた。




すると、ギーと音を立てて、後ろの壁が真っ二つに割れて、左右に吸い込まれていく。 壁があった場所に目の前に暗闇が広がっている。


気がつくとそこには階段が広がっていた。 中が暗くてよく見えない。歩はスマホであたりを照らす。


僕は階段をてくてくと降りていく。 階段はここで終わりだ。すると何か金属のようなものに反応して、スマホの光が跳ね返ってくる。 歩は手を伸ばし触ってみる。それは冷たい金属だった。 もっとあたりを照らしてみるとそこには大量の飛行機があった。 また、よくよくあたりを見てみると大量の段ボール箱があった。 中にはゲームカセットのようなものとテレビ、無線機が入っていた。


これはすごい。

『黒いシミを20回叩くと城が開いて飛行機を外に飛ばすことができるようになる。』

哀が話しかける。


『この航空機と無線機を使えばこの城から抜け出すことができる。最高だ。』

歩は笑いながら語った。ほんの一瞬、哀の笑顔が見えて、霧になっておぼろげに消えていった。 たった一瞬でも一緒に笑い合えたのがあの頃を思い出して嬉しかった。


=====


どうやらゲームカセットらしきものの正体は、戦闘機を使ったゲームカセットだった。 これで航空戦の訓練をしろという意味なのだろうか。僕はこの城にかつていたであろう前の住人の気持ちを汲ん でいた。


僕らは銃の訓練とは別にゲームを使った戦闘機訓練も行うようになった。


僕はもっぱら全体の監督をする役割を担っていた。春樹や他幹部はより細かい指導をメンバーに送っている。 僕は春樹が指導しているところを見かけた。

『春樹もすっかりリーダーっぽくなったね。昔のおちゃらけてた時とは別人みたい。』

僕はそういうと春樹の肩を叩く。

『もうしっかり者の哀も絢もいなくなっちゃったからな、俺ら二人がしっかりしてないと。若宮軍の命運は僕たちに かかっている。』


春樹がそう呟くと背筋をぴんと伸ばした。

『その通りだね。ほんとありがとう。人として春樹のこと大好きだよ。』

僕はうなずき、春樹にハグした。 春樹の体はどこか震えてる気がした。僕はより強くハグする。二人の間に静かな沈黙が流れる。

『俺さ、』


春樹が語り出す。僕は耳を澄ます。

『哀も絢もいなくなっちゃたけど、どれだけ多くの人が敵になっても俺は歩の味方でいたい。仲良しでいよう なー!』


春樹はそう叫ぶと僕の頭をゲンコツでグリグリしてきた。 『いてーよ、バカ!変わってないところは相変わらず変わってないな。』

僕らはまた大学の頃のように笑い合った。 それから三ヶ月後、僕はスクリーンの準備をして、みんなを呼び出した。ついに真実を話す時が来た。

『今夜はみんなに話したい大事なことがある。』

僕はそう語るとスクリーンに映像を映し出した。そこには絢がいた。

『なんで絢がこの会議に参加しているんだ、こいつは裏切り者だ!!』 スクリーンを指差し、観衆が叫んだ。みんなも次々に叫ぶ。


『裏切り者!裏切り者!』


『落ち着いて最後まで話を聞いてほしい。どうかお願い。』

僕はみんなを落ち着けた。続いて絢がスクリーン越しに話し始める。

『私は若宮軍の味方なの、きっと信じてもらえないでしょうけど。私は確かに救生教に所属している。』 絢はそう語ると袖をまくり、腕を掲げる。腕には龍のタトゥーが入っている。

『でも、それは救生教を滅ぼすために偽りで所属しているだけに過ぎなかった。


私の母はとても熱心な救生教の信者。その行き過ぎた信仰心から父にも私にも信仰を強要していた。それはそ れはひどいものだった。礼拝を私が拒んだら何度もしばかれたわ。渋々母の言いなりになっていた。私の意志な んて会ってないようなものな気がして、自分が自分でなくなってしまうような感覚がして本当に本当に辛かった。 礼拝し終えたら、毎回吐き気が私を襲った。 私が中学三年生の時、父は私の進路先が母の勧めで教団が運営する養成高校になってしまうことを強く反対し ていた。そこでは主に一般的な高校の5教科に加えて、宗教の教義と実践、そして武術や爆弾の作成の講義を 受けるところなんだ。 母はそこの進路先しか許さず父と母は対立。二人は激しく言い争うようになり、母が離婚を強く父に求めるように なっていった。母と父との関係は修復不可能なところまで達していた。


私は救生教を呪っていた。


あんな宗教さえなければ我が家はもっと平和だった。


あんな宗教さえなければ三人は今も仲良く暮らしていた。 離婚したらもう大好きな娘には会わせてもらえない可能性が高い。あんなに大好きな娘にもう会えないかもしれ ない。母によって大好きな娘がわけわからない宗教に染まっていくのをただ指をくわえて見ているしかない。母 に勝つ見込みが持てなくなり絶望した父はついに自殺、私は気が狂った母のもとに一人残されてしまった。 父の変わり果てた姿を見たあの日私は誓ったの。


涙でぐちゃぐちゃになりながら。

なんで私を置いていってしまったのって嘆きながら。

私を一人にしないでよって声にならない叫びをあげながら。

なんでどんな手段を使ってもいい、必ず必ず父をこんな目に合わせた救生教を滅ぼすと。』

絢は過呼吸になりながら嗚咽を漏らし、涙を手で拭った。そして泣くのをやめて顔を上げた。その姿は凛として武 士のようだった。


そこには大学生の頃の恋愛で僕ら一緒にうだうだ悩んでいたおぼこい絢の姿はなかった。 自分の運命を自分で決めた一人の大人の姿があった。 みんなは衝撃の告白に動揺していた。絢がやっぱり味方だったんだと知って嬉し泣きする者もいた。 僕はこの話を元々知っていて、みんなには黙っていた。ついにこの日が来たんだ、絢が自分の口でみんなに打 ち明ける日が来たんだということが成長を見守る父のような感覚がして嬉しかった。 そして、同時に身震いしていた。絢がこの過去を打ち明けている、絢の正体を打ち明けているということは教団 との決戦は目前だということに。


『私は感情を押し殺してその救生教が運営する高校に入った。 私と歩は東京大学に入る前にすでにその高校で知り合っていた。お互いに成績優秀でいいライバル関係だっ た。あの頃はほんと楽しかったわね?』


絢はそう語ると僕に視線を送る。僕は笑ってうなづく。 『ああ、お互いいいライバルだった。当時僕は救生教を信じていたから、まさか絢がそんな志のもとで救生教に 入ってると当時は知らなかったけどね。』


絢はまた語り出した。

『高校での成績が極めて優秀だった私は将来救生教への反乱因子ができた場合に備えて、その有事の際に反 乱因子に乗り込むスパイになることを条件に私は救生教の幹部になった。救生教の幹部の中の幹部10人しか アクセスできないサイトへのアクセスを重要なスパイということもあり許可されるようになった。そこには軍の配置 状況や救生教のトップ、御影貴子の動向がリアルタイムで更新されている。まさに救生教の確信に迫る情報の 数々が共有されている。 歩がテレビ局に侵入して暴露して若宮軍が結成された時、私は幹部になった時の条件通り、若宮軍に参加し た。


歩は混乱を防ぐため、私が元救生教幹部であるということを若宮のメンバーには伏せてくれていた。


ある時、私は歩に打ち明けた。私は二重スパイをやろうと思っている、若宮軍の大事な情報を売って救生教の 信頼を得る中で、救生教の確信に迫る情報を入手して若宮軍を勝利に導きたいとね。


歩は最初は驚いたけど、若宮軍の訓練が上達したあとのタイミングなら大丈夫という条件のもと、歩は若宮城の 居場所を救生教に教えることを許可してくれた。

日本の治安が乱れているということで領土拡大を狙った中国の艦隊が今夜急接近している。それの対応に救生 教は追われていて、現在、大阪にある救生教の軍の司令塔や東京の救生教本部の警備は手薄。御影貴子は 本部に徹夜でこもって指示を出している。今夜が救生教を攻める過去最大のチャンスと言える。』

絢が話し終えると、僕は息を吸い込み話し始めた。

『僕が表立って打倒救生教のために動き、絢が裏側でずっと誰にも認められないのに懸命に動いてくれた。絢に は本当に感謝している。』

僕はスクリーンの絢を見る。絢は微笑ましい顔をしていた。ずっと僕らはこの日のためにがんばってきたんだ。つ いに話す時がきた。僕はもう一度息を吸い込んだ。

『みんな落ち着いて聞いてほしい。武器の上達もぐんぐん進んできている。 今から計画を話す。どうやって救生教を滅ぼすのかについてだ。 司令塔の破壊、そして最後に我が母を殺すことだ。 母の力は核爆弾と自衛隊から奪い取った武器。司令塔を破壊して両方を奪い去ったあとで、母を殺す。 こうすることで完全に救生教は崩壊する。


第一部隊は絢が遠隔で率いる。


第二部隊は春樹が率いる。


第三部隊は僕、若宮歩が率いる。


第一部隊、第二部隊が司令塔の破壊、第三部隊が母の殺害を行う。 みんな知ってるだろうが、ここの城の地下に飛行機がある。数は1000台。一台につき、大体10人搭乗する。そ れに乗って第一、二部隊は司令塔のある大阪、第三部隊は母のいる東京に向かう。計画は今夜決行する。』

夜。僕はシミを20回叩き、僕らは順番に飛行機に乗った。僕も飛行機の操縦席に座る。 どういう仕組みなのか、ここの真上が城のどこに位置するのかよくわからなかったが、シミを叩くと僕らのいる地 下空間に夜風と月の明かりがあたり一面に差し込んできた。


三人で決行前にビデオ通話をもう一度することにした。 僕と春樹はソファに腰掛ける。目の前のテーブルにスマホを置く。画面には絢が居た。


『ついに決行だね。』


絢が僕に語りかける。


『ついにこの日が来たか!いくぞー!!!』


春樹がまた馬鹿でかい声をあげる。


『ほんとはこれ、スキーの時に渡したかったんだけどさ。』

絢が語り出して、画面越しにポケットから一つの指輪を取り出した。真ん中にはルビーが埋め込まれている。 僕も胸から三つの指輪を取り出す。


『四人はいつも一緒だという証として。四人で身につけよう。』


絢が語りかけた。


三人はもちろんとうなづく。一つは哀の遺影の前に置いた。


『四人はいつも一緒だ!!』


春樹が叫ぶ。


『だからまじでうるさいって!』


僕と絢がツッコむ。

『今だと思うよ、絢。もしかしたら僕らはもう死んで生きてこの若宮城に帰ることはないかもしれない。』 僕が絢に語りかけた。絢は一瞬沈黙をする。そしてうなづいた。

『春樹、私ずっとあなたのことが好きです。生きて帰れたら一緒にたくさん、自由に日本中を二人で旅行したい。 そして二人で本当に幸せになりたい。二人でたくさん笑い合いたい。誰からも邪魔されない、引き裂かれない二 人だけの世界をつくりたい。そして、どんなことがあっても私は春樹の味方でいたい。』

春樹は一瞬驚いたような表情をした。そして話し始める。 『もちろん。二人でたくさん笑い合おう。僕もずっと絢の味方でいると約束する。』

僕ら三人は大声で笑い合った。


僕らは一万人で手をつなぎ、地下空間で巨大な円陣を組んだ。 『若宮軍団、いくぞ!!おー!!』




『決行!!』


僕は叫んだ。


みんな一斉に飛行機のレバーをあげる。 砂煙と轟音とともに1000台の飛行機が空へと飛び立つ。 その瞬間、爆音が鳴る。救生教からの攻撃なのは明らかだった。


僕は無線で叫ぶ。

『訓練を思い出して欲しい。みんなならできる。爆撃を避け、東京と大阪に向かうんだ。』

『ラジャー!!』


みんなは叫んだ。僕らは一緒。大丈夫だ。


大阪と東京へと僕らは旅立っていった。


=====


『後ろから追ってきてるわ。』


『なんとか撒こう。』


その瞬間だった。かつてないほどの爆撃音が鳴り響く。 スレスレで後ろからの爆撃を避けられた。歩はほっと息をつく。

『低空飛行でビルの間を潜りながら撒こう。』


僕はみんなに語った。 東京のビル群を僕らは潜り抜けていく。若宮城という巨大な鳥籠からやっと出れて喜び祝う鳥のように。 恐怖もあったが、僕らは実に爽快だった。


死の恐怖より今この瞬間の開放感の方が勝っていた。 歩たちの耳に強烈な爆音が突き刺す。 振り向くと後ろのビルが轟音とともに崩れ去っていた。 追ってきていた飛行機がビルに衝突したんだと理解した。


夜が明けてきた。日差しが差し込む。


その先に金色のそびえ立つビルが見える。


無線が鳴る。


『第一部隊、第二部隊、大阪付近に到着しました。』 絢と春樹の声が無線から鳴り響く。まずは二人が無事生きていることに僕はほっと胸を撫で下ろした。ここから が勝負だ。歩は息を飲んだ。


『ビルの屋上に人がいるわ、ロケットランチャーでも持ってるのかしら。』


『まずいな、一掃しないと。』


『**君、銃撃だ。』


『わかった。任せて。』

僕らは金色のビルのあたりをぐるぐると周回していた。まだ着陸できそうにない。銃撃戦の応酬が始まっている。 空はロケットランチャーの爆撃でやや白煙に包まれている。 僕らは見逃さなかった。ロケットランチャーを詰め替える一瞬を。


銃撃が立て続けに鳴る。


ビルの屋上には亡骸しかいなくなった。 僕らはその状況を確認すると飛行機をビルの屋上に着けた。 僕らはあたりを見渡して隠れた敵がいないか確認する。大丈夫そうだ。 そっと足でコンクリートを踏みしめる。銃を片手に。 『この真下が母の部屋だ。母は避難してる可能性もあるが、いる可能性もある。』

僕らは恐る恐る内部へと続く階段を降りていった。 その瞬間、銃声が鳴り響く。僕らは脊髄反射で銃弾を避ける。 僕は右手を見つめる。紅のミサンガとルビーの指輪を見つめる。 ーー四人なら大丈夫。どんなことも乗り越えられる。ーー


僕は心の中で唱えた。


『訓練の通りやれば大丈夫。いこう。』

僕は白煙筒を階段下に投げる。視界が白くなる。


銃撃が一旦止む。敵はどうやら混乱してるようだ。


今だ、進め!


僕らは走って室内に侵入する。 銃撃の雨が降り注ぐ。誰かの叫び声が聞こえる。聞き覚えのない声だからきっと敵だろう。僕はほっと胸を撫で 下ろす。


僕は柱に身を隠しながらそっと耳を澄ませる。


その瞬間だった。後ろを硬い鈍器のようなもので殴られた。


僕はとっさに銃を構え撃ち抜いた。


僕の銃声を皮切りにまた銃撃の嵐が巻き起こる。 銃撃の雨が降り注ぐ。誰かの叫び声が聞こえる。どこか聞き覚えのある声だ。僕は仲間の誰かが撃たれたので はないかと不安になる。


『銃撃やめ、提案がある。』

母の声が聞こえた。僕らも様子見で一旦銃撃を止める。


『歩くん、そこにいるんだよね。参ったよ、ここまで私を追い詰めてくれるなんて。 サシで殺り合おう。母と子。一対一で。思う存分、殺り合おう。』


僕は考えて叫んだ。


『いいだろう。』


『部屋の真ん中で、銃を捨ててナイフで殺り合いましょう。どちらかが死ぬまで。』


母が叫ぶ。 恐る恐る僕は部屋の真ん中に足を進める。何かが足に当たってきた。それはナイフだった。僕はナイフを手に取 る。


そのとき、僕は背後に殺気を感じて振り返った。間一髪でナイフをかわし、体を転がす。


『始まりよ。』


母が囁く。 母が歩に飛びかかる。揉み合いになって僕のナイフが手から弾き飛ばされ、母がナイフを振り回しながら襲いか かってきた。防御しながらナイフを拾おうとしたがナイフを蹴られてしまう。 再び揉み合いになって僕は床に突き飛ばされた。 母は片手で僕の首をつかみ、頭めがけてナイフを振り下ろそうとする。 とっさにその手を掴んだ。母の力がとても強い。ナイフが頭頂近くに達する。 全力で僕は母を蹴り上げる。間一髪でナイフが頭に刺さることを避けられた。 まだ白煙筒の効力が残っている。あたりは視界が悪く白い。


僕はやっとのことで蹴られたナイフを拾い上げた。


ーー哀、どうか助けてほしい。ーー

僕はそう祈りながら腕の紅のミサンガをナイフで切る。ミサンガは三重に結ばれていて想像以上に長かった。そ れを足音を立てないように近くにあった柱と柱に結びつける。 正面から気配がする。足音を立てないようにひっそりと。でも、殺気は隠せない。ゆっくりと近づいてくる。どんど ん近づいてくる。


『死ね!』


母が叫び飛びかかってくる。


その瞬間だった。母の足がミサンガに引っかかり思いっきり倒れる。


ーー今だ。ーー


僕は母を蹴り飛ばし馬乗りになる。


ナイフが母の胸あたりに近づく。


『歩に私は殺せない。歩は私に正直で強い子。そうでしょ。 私なりに歩のことを愛していた。不器用だったところはある。それでも、不器用ながらも愛していた。だから、中学 での成績もよくなって、生徒会長にもなれて、高校でも成績トップで。東京大学にも進学できた。そうでしょ。全部 私のおかげ。


あともう一歩で救生教の日本の支配が完成する。なのになんでなんで!事業で失敗しても這いつくばって、立ち 上がって今やっと欲しかったものを手に入れようとしてるのに!こんなところで死ぬわけにはいかないの。私は もっと権力を手に入れたい。悔しかったし、寂しかった、愛して欲しかった、もっと私を見て欲しかった!まだ全然 私の心は満たされてないのになんでなんでこんなところで死なないといけないのよ!!』

『それが全部ズレてるんだよ。僕は優秀になりたかったなんてこれっぽっちも望んでなんかいなかった。笑って弟 や同級生たちと過ごす日々を愛していたんだよ。権力なんてなんでそんなに手に入れたいの?僕は正直で強い 子でいることをもうやめた。自分の感情に素直になって生きることにしたんだ。全部哀のおかげで気付けた。』

『権力を持たないと潰される。過去に事業をして失敗して得た経験よ。権力を失うと誰も見向きもしなくなる。だか ら、私は権力を求めているし、歩にも強さを身につけて欲しかった。もっともっと強くなって欲しかったし、私も強く なりたかった。もっともっと私は強くなって自分を見下してきた人々を見下したいのよ!!』

ナイフが母の胸あたりにより近づく。だが、母の力が強くてこれ以上押せない。お互いに全力で押し合う。なんと かしてナイフを胸に突き刺そうと。なんとかしてナイフを避けようと。


どこからともなく声がした。それは哀の声だった。


『大丈夫よ、歩君。歩君なら倒せる。』

不思議とその声を聞くと力がみなぎってくる。母の叫び声があたり一面に響き渡る。どんどんナイフが母の胸に 達していく。


『これが僕の思う強さだ。』


歩は叫び、半分ほどナイフが胸に達した。


母が死んだ。僕はその事実を噛み締めていた。 あんなに僕を支配していた存在に僕は打ち勝つことができた。 ただただ嬉し泣きした。歩の中で何かが一区切りついた気がした。 みんなにも母の死を報告しないと。そう思った時だった。


そこはあの若宮城だった。城には誰もいない。


『なんでここにいるんだ、僕は。』

『理由は単純。俺が創った城で、俺が創った世界だからさ。全ては俺の思いのままだ。』

後ろから声がした。


振り向くと春樹がそこにいた。


『ずっと一対一で我が兄と殺し合いたかった。』

『片腕がない俺は予言の子ではないと母は思っていたようだね。』

『あの時、お兄ちゃんがナイフで刺したあの時、俺の未来を自由自在に作れる能力が開花した。』

『まず、俺は死ぬ直前にどうにかして生きたいと心の底から願ったんだ。そしたら気が付いたら意識が戻ってい た。土の中で目が覚めたわけさ。腕を動かせるくらいの空間はかろうじてあった。俺は必死で頭上の土をどかし た。幸いなことにそこまで母と兄が深く俺を埋葬してなかったおかげですぐに地上に出られた。』


そう語ると春樹は自分の右手を強くひねった。右手がぽろっと取れた。それは義手だった。


『すぐに俺は家から逃げた。遠く遠くまで逃げた。生きていると知ったらもしかしたらまた殺されるかもしれない。 しばらくは捨てられているゴミ袋を漁って生ゴミを食べて飢えを凌いだ。そんなことをしていたらいつかは体を壊 す。もう俺は死ぬんだと悟った。せめて死ぬ時は森の中の小屋のような場所で安らかに死にたいと祈った。その 翌日俺の足は導かれるように森の中へと吸い込まれていった。そしたら森の中に願った通りの小屋と農園がそ こにはあった。農園には野菜がたくさん植っていた。それで俺はやっと理解したんだ。俺が予言の子なんだと。き ちんとした食事を僕は久しぶりに食べた。そこからはずっと絵を描いて過ごしていた。いつか兄と母に復讐して やろうと心に誓いながらね。俺が感じた苦しみを、信じていた人から裏切られる苦しみを必ず味合わせてやろう と誓った。』


そう語ると春樹は大量の絵をあたり一面に広げて見せた。 哀と歩がドライブで鼻歌を歌っているシーン。哀と歩がキスしているシーン。二人が若宮城でミサンガをつけた手 を掲げて、紅の光に包まれているシーン。


まるでこれまでの人生の全描写が隠し撮りされていたようだった。あたり一面に散らばっている大量の絵を僕は 見る。泣く場面ではないとわかっていても哀との思い出に触れると涙が止まらなくなってしまう。


『絵を描くことで俺はより詳細に未来を作っていった。俺は兄と一対一でやり合うことを心のそこから望んでい た。全てはそのためのシナリオだった。兄の行動を俺は全部お見通しだった。なぜなら俺が作った未来、シナリ オだったから。 双子で兄と顔が似ていた顔も自分でナイフを使って整形して誰かわからないように徹底的に工夫した。痛くて痛 くて仕方なかったけど、復讐のためと思えばどんなことでも耐えられた。その後、兄と同じ大学に入って、兄とと ても仲良くなるように頑張った。理由は単純。信じていた人に裏切られる苦しさを兄にも思う存分味あわせたかっ たからさ。 母は兄に殺させた。俺より圧倒的に愛して信じていた息子に、裏切られる苦痛を同じように味合わせたかったか らだ。


ここからがフィナーレさ。我が兄貴よ。ここから先は俺は未来を描いていない。対等にやり合おうじゃないか。』 その瞬間だった。優斗が僕の顔に白い粉をかけてきた。それは石灰だった。


石灰のせいで目が見えない。


音がする方から僕は必死に逃げる。 その瞬間僕は思いっきり壁にぶつかったようだった。頭から血が流れる感覚が伝わる。 目が見えない環境でどうやって戦えば良いというのだろう。


その瞬間だった。どこからか懐かしい声が聞こえた。


それは哀の声だった。

『聞いて。私があなたの目になるわ。どこに春樹がいるか教える、だから避けて。』


『俺はずっと兄への憎しみだけを糧に生きてきた。今やっと晴らせると思うと嬉しいよ。』

『ずっとあの日のことを僕は後悔して生きていた。本当に悪かったと思っている。』

『右にナイフが来る』

哀が囁き、僕は身を揺らす。僕の横をナイフが、ビュンとした空気音とともにかすめる。

『今度は左』


哀が囁き、僕はまた身を揺らす。


『今度は右』


『私は永遠に歩の味方でいるって約束した。任せて。私が歩を守るから。』

『今、12時の方向に春樹はいるわ。』

僕はある決断をした。ため息に似た深呼吸をする。そうすることで頭の中でうるさくささやく、周りの人からもらっ た僕にこべりついた呪いが取れる気がする。もう一度、今度は腹の底から深呼吸する。哀の手紙の内容を思い 出して噛み締める。自分に輪郭ができる感覚がした。


『ため息つくと幸せが逃げるよ』

『このシリアスな状況でもそれが言える哀はすごいよ、半分冗談だけど。いつも僕の隣にいてくれてありがとう。』 『でも、もう大丈夫。』

僕は哀にささやくと、何を思ったか思いっきり12時の方向に向かって走った。そして思いっきり弟を抱きしめた。 胸に激しい痛みを覚えるがそんなのはもうどうでもいい。 『本当にごめん。あの時、こうしていればよかったんだね。』


『最期にせめて優斗を僕も愛してあげたい。』


僕は頭を撫でる。

『本当にごめん。僕の弟よ。今もあの一緒に絵を描いた日々は僕にとっての宝物だ。あの時君を殺してしまって 本当にごめん。』


歩の胸に温かい液体が落ちる。それは春樹、いや優斗の涙だった。 そして二人の足に温かい液体が流れる。それは若宮歩の血だった。




『僕はずっと母への命令に従ってロボットみたいに生きてきた。それが哀という女の子に出会って変わった。彼女 は僕を変えてくれた。せめて、優斗にも愛を教えてあげたい。』

『優斗のことを忘れたことは一日たりともない。大 好きだよ』


『僕らはずっと一緒。昔語ったあの言葉に嘘はないよ。』 歩はそう語ると耳を澄ませる。涙がしたたる音が聞こえる。

『俺は兄への憎悪だけを糧に生きてきた。兄はその女の子への愛を糧に生きてきた。』


優斗が語り出す。

『そんな事言われて、こんな終わり方じゃ俺が負けたみたいじゃん』

優斗はそう語ると静かに泣く。


あたりにたくさんの足音が聞こえるようになってきた。それは若宮軍が城へと帰ってきた知らせだった。 騒ぐ人の声が聞こえる。血溜まりのこの状況に動揺しているようだ。 早い足音が聞こえる。絢が僕を呼び、叫ぶ声が聞こえる。 『どうやら終わりが近づいて来たようだね。僕らが仲がよかった頃が懐かしいね。本当は僕はこんなふうにまた 兄と弟として話せることを望んでいただけだったのかもしれない。僕はお兄ちゃんのことがただただ大好きだった だけなんだ。なんでなんで。なんでなんで。』


優斗が嗚咽を漏らし、激しく泣く。


僕は絢の腕に抱かれる。


『これからだよ、まだ早い。』

絢は服を引きちぎって精一杯止血を試みた。 歩の息遣いは徐々に小さくなっていく。


『お願いだから、行かないで。』


絢は泣きながら叫ぶ。

『春樹なんで、なんでこんなこと、お願い歩、お願いだから行かないで。』

優斗はうずくまり、体を震わし、ただただ泣いていた。

『絢、陰でずっと支えてくれて本当にありがとう。感謝している。』

『これで哀に会える。嬉しいや。

来世ではきっとハッピーエンド 時代が前進すれば今世でもハッピーエンド

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