色物系芸人が朝起きて目撃したもの
挿絵の画像を生成する際には「Ainova AI」を使用させて頂きました。
前日の晩に居酒屋で飲み過ぎたのか、普段以上にグッスリと寝入ってしまった。
番組が用意してくれたビジネスホテルの枕はあまり柔らかくはなかったけど、酒の力というのは本当に凄いよなぁ。
とは言え、まだまだ若手の色物系芸人の僕が旅番組のロケに呼ばれて撮影終了後に一泊出来るんだから贅沢は言えないよね。
「もう朝か…堺県の飲み屋の子も可愛かったなぁ。また旅番組のロケか営業でもあったら来たいんだけど…って、うわあっ!?」
寝ぼけ眼を擦った僕は、次の瞬間には仰天した。
何しろ僕がいたのはビジネスホテルの部屋じゃないし、目覚めて真っ先に視界に入った天井は凄い事になっていたからだ。
まるでカメレオンみたいにギョロッと大きく見開かれた両目に、生理的な不快感を喚起させる爬虫類か両生類みたいにジメッとした雰囲気。
そして何より、分厚く突き出て赤黒い光沢を帯びた唇。
思わず生理的嫌悪感を催してしまうような強烈なキス顔が、天井一面にビッシリと貼り付けられていたんだ。
だけどビッシリ天井に貼り付けられたキス顔の写真は、あまりにも見覚えがあり過ぎて…
「えっ…これは僕?」
初見の衝撃が薄れて落ち着きを取り戻した僕は、天井に貼られているのが深夜バラエティ番組の企画で制作したキス顔ポスターである事に、遅まきながら気付いだんだ。
すると、これは…
「そうです、ウェッティ蛭口さん!これで仮説実証ですよ!」
笑いながら「ドッキリ成功」のプラカードを担いで現れたのは、件の深夜バラエティで顔馴染みの撮影スタッフだった。
それで大体の事情は飲み込めたんだ。
「あれでしょ、どうせ『抱かれたくない男性芸能人ワースト5のウェッティ蛭口のキス顔は、本人もビビる説』みたいなのを検証してたんでしょ?」
「そうなんですよ!ウェッティさんったら寝付きが良いから、ビジホから連れ出すのも楽勝でした!」
蓋を開けたら何て事はないドッキリ企画で、色んな意味でホッとしたよ。
だから撮れ高になるように相応にリアクションさせて貰ったし、天井から剥がしたポスターにも言われるがままにサインも書いていった。
このサイン入りポスターも、どうせ番組の視聴者プレゼントに使うんだろう。
そんな風に気楽に考えていたんだ。
「それじゃ僕は東京に帰りますが、僕の荷物や財布は…」
油性マジックを撮影スタッフに手渡した僕は、周囲を見渡すばかりだった。
そもそもここは昨日の部屋じゃないし、手荷物があるはずもない。
「ああ、ウェッティさんの荷物や財布は先に東京に送りました。ウェッティさんはこれから、堺県から東京まで自力で帰って頂きます。」
「えっ?」
これはうっかりしていた。
僕が準レギュラーとして出演している深夜バラエティが、単なる寝起きドッキリ紛いのVTRなんかで満足するはずがない。
僕が帰京するまでの過酷な道中を撮影し、そっちをメインにするのだろう。
そして案の定、帰り道の条件も一筋縄ではいかなかった。
あの部屋で無邪気に署名していたサイン入りキス顔ポスターを手売りして、それで交通費を稼げとの事だ。
「ウェッティさんのキス顔ポスター、どうも巷じゃ密かなブームらしいですよ。」
撮影スタッフは気楽に言ってくれるけど、そんな簡単な話じゃないだろう。
自分で言うのも何だけど、僕は「抱かれたくない男性芸能人ランキング」に毎年ノミネートされている色物系芸人。
幾らサイン入りとは言え、こんなドギツいキス顔ポスターをゲリラ的に手売りして買ってくれる人が現れるのだろうか。
そんな絶望的な気分になっていた時、彼女は現れたんだ。
「えっ、ウェッティ蛭口さんじゃないですか?凄い、本物じゃない!」
驚きと好奇心の入り混じった甲高い声の主は、赤いランドセルを背負った小学生の女の子だったんだ。
「サイン入りキス顔ポスターを手売りしているんですか?値段は…凄い、プレミア無しの定価で500円!それなら纏めて5枚程買っちゃいますよ!」
「えっ、5枚も!君一人でかい?」
そうして凄い勢いでお金を支払うと、彼女は待ちかねたとばかりにポスターの束を抱えたんだ。
面白半分で買ってくれた大学生二人組の分も入れたら、高速バスの最安値チケットなら無理なく買えるだけのお金は工面出来た。
あの少女は間違いなく、僕の救い主だった。
だけど、これだけは聞かなければならなかったんだ。
「あの、ありがとう…でも、こんなに沢山買って君一人でどうするんだい?」
僕の熱狂的なファンなのか、或いは気の毒にも友達グループで罰ゲームをさせられているのか。
それが気掛かりだったんだ。
だけど彼女の答えは、余りにも予想外の物だったんだ。
「ああ…これは魔除けの為ですよ。ウェッティ蛭口さんのキス顔ポスターを貼ると、悪霊も寄り付かないんです。しかもサイン入りですから、魔除け効果も増幅ですね!」
「魔、魔除け…?」
茫然とする僕を尻目に、その不思議な女の子は嬉々とした様子で去っていったんだ。
このポスター手売り帰京企画のVTRが放送されてからというもの、僕のキス顔ポスターは更なる反響を呼ぶ事になったんだ。
それもこれも、あの不思議な女の子の一言がキッカケだった。
顔にモザイク処置をされた状態ではあったものの、「魔除けの為」という女の子の一言はそのまま全国に放送された。
それを聞いて霊障に悩まされている人が購入した所、ピタリと霊障が収まったらしい。
噂が噂を呼んで僕のキス顔ポスターは魔除けグッズとして人気となり、僕自身もオカルト系バラエティ番組に雛壇芸人として出演出来るようになったんだ。
ちょっと複雑な心境だけど、あの女の子には足を向けて寝られないな。
だから今は、マンションのベッドも堺県の方を向かないように配置を変えてあるんだ。
そしてマンションの天井には、自分用に買ったキス顔ポスターを貼ってある。
寝る前と起き抜けに、必ず視線が合うようにしているんだ。
あの日の初心を、忘れたくないからね。




