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第1話


 森の中を切り開かれた道をたどり、俺はひとり街を目指して歩いていた。

 


 ――40年前に<赤い大地の長城>が建築されたことにより、魔族の支配領域と切り離されたことで長城以南はずいぶん暮らしやすくなった。

 


 しかし人々が魔物の脅威にさらされなくなったわけではない。



 騎士団でも手を出せないような強大な魔物が生息する領域は各地にあるし、小さな村落ではコボルドやゴブリンなどの弱小な魔物による略奪を受けることがある。



 依然として、人は魔物との生存競争を継続している。

 少なくとも冒険者が飯のタネに困らない程度には……。



 それでも一山いくらの盗賊や魔物を退けられる程度に腕に覚えがあるなら、俺のような根無し草が旅人を気取れる世の中にはなった。

 


 ふいに、索敵技能を修めたことで常人よりも鋭く働くようになった勘に訴えかけるものがあった。



 腰に佩いた<聖別されたショートソード>に手をやりながら、前方の草むらに視線を投げる。


 

 いくらか瞬きをする程度の時間が流れた後、風によるものではないだろう不自然な揺れが起きた。

 


「……なんだ、ウサギか……」

 


 警戒を緩めて姿勢を楽にしながら、茶色い毛のウサギがステップを刻みながら横切って行くのを見送る。

 


 肺にたまった息を吐きだした際に、自分の影法師が小さくなっていたことに気づいた。

 


 太陽が一番高いところに位置する、つまりは真昼だった。

 


 日差し除けにかぶっているハットを外して、ちらりと薄目になって太陽を見据える。

 


 野営ポイントから歩き続けて4時間、そろそろ頃合いだろう。


 

 背負い袋から筒状に丸めた周辺の地図を確認する。

 


「……北東と北西の山。角度からして、んー、進行方向にブレなし」

 


 指を立てて角度を測り、地図上でどれだけ動いたかを把握する。

 地図の見方、活かし方、どちらも旅人をやっていくにつれて覚えた技能のひとつだ。

 


 順調に旅程を消化していくことに満足感を覚え、旅の行き先を遠目にながめていた俺の目に珍しいものが見えた。



 蝶だ。



 翅が青白く発光している美しい蝶が舞っていた。


 

 青白い鱗粉をまき散らしながら不規則に空中を泳ぐ様は、俺にはひどく縁起の良いものに思えた。

 


 しばらく目で追っていたが、強い風が吹いたので帽子を手で抑える。


 

 視線を元に戻すと、淡い輝きを放っていたあの蝶は幻のように消えていた。


 

「(いいものを見た……)」


 

 これも旅の神による導きだろうか。


 

 とはいえ俺に信仰心などないことは、神聖魔法を使えたことがない経験から明らかだったが。

 


「俺はカシウスの旅人♪ 風の吹くまま、気の吹くままに~~~♪」



 この調子なら3日後の日暮れ前には街に着きそうだ。



 気分が浮ついて、歌いながら足取りも軽やかに先を目指す。

 



 先行き明るし――そんな時にこそ、真に気を払うべきなのだった。



 日は明るいほどに照らされ、しかし足元の闇はさらに色濃い。



 万事調子のいい時にこそ人は足元をおろそかにしてしまい、



(ガサッ)



 落とし穴に気付かぬものだ。 



「(草が揺れる音。大きい、小動物のサイズじゃない。警戒線の内側、この距離、まずい――)」



 先手を取られる。



 

「――――」



 

 反射的に刀身を抜き放ちながら、鋭く視線を向けた先。



 青い、真っ青な顔をした少女が立ち尽くしていた。



 敵の数を減らすため、苦し紛れに詠唱破棄で早撃ちした〈恐怖付与(フィアー)〉の呪文をモロにくらったのだろう。



「(なんだ? 〈恐怖付与(フィアー)〉をかけたのに抵抗を感じなかった。奇襲? この程度の力量で?)」



 無言で構えながら戸惑いに頭を悩ませる。



 精神に影響を与える魔法は、対象の魔法抵抗力が高いほど反発して抵抗が起こる。



 魔法使いとして一流に届かない俺の力量では、せいぜいが一般人や脳筋相手にしか深くかからず、マナの流れを理解する魔法使いには鼻で笑われる。



「(俺の警戒を抜けられた。魔法的な効果で隠蔽されていたか、それか〈転移門(ゲート)〉の呪文。この女にどちらかを扱える力量は感じない……意味がわからない)」



 この女に不可能な芸当なら裏に誰かいるのが道理だ。

 


 しかしそいつの狙いが奇襲とすれば、意識の空白を狙う後備えがいないのはお粗末すぎる。



 もっとも〈転移門(ゲート)〉を使える魔法使い相手に奇襲なんてされる覚えは、あんまりないが。



 ま、ないとは言えないな。



 状況を整理しながら、とりあえず不可解な状況の関係者である目の前の少女を観察することにした。

 


 気味の悪いほど端正な顔をした少女だった。



 重苦しいほどにレースが重なる黒のゴシックドレス、胸元に咲く薔薇を模した白のフリル。



 陽光を受けてきらきらと反射する少女の銀の髪が、一瞬の風を孕んで広がった。


 

 白皙の肌。

 大きな瞳に小ぶりな唇。

 整った輪郭。



 少し視線を下げると大きな胸の膨らみが上着を押し返していた。



 気味が悪いほどに整えられた――そうか。



「人形みたいなヤツだ。気配を感じる技があっても、死体の気配はわからないのと一緒だな」



 神のような腕の人形職人が、特別に創り上げたかのごとく完璧な、人形のような容姿。



 きっとコイツは生きてない。



 だから俺は気配が読むことができなかったのだと納得して〈解呪(カース・ブレイク)〉を唱える。



 少女は指先さえ動かせないほどの恐怖から解放され、膝をつき、呼吸を荒げている。



 俺は一瞥もせずに横を通り過ぎて、ポツリと「珍しいことを体験したな」とこぼして旅を続けた。



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