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第1話 交差した夏の日

 夏休み終盤のある日、灼熱の太陽の下、俺は一人で繁華街を歩いていた。


「……あっつ」


 また、口からこぼれた。こんな独り言は、この数分間で何度目になるだろうか。呼吸のたびに、肺を焼くような気温。ビル街でもあるため、気温の上昇はとどまるところを知らない。現在はおよそ午前十一時、これから更に気温が上がるのかと思うとウンザリしてくる。


 このクソ暑い中、なぜこんなところを歩いているのかと問われれば、友人との待ち合わせのためだ、と答える。夏休みも残りわずか、たまには遊びにでも行くか、ということで意見が一致した結果だった。


「……まったく、蒼汰そうたのやつ、一人で先走りやがって」


 ぼやいてしまうのは、やはり暑さのせいだろうか。それとも──


 手元のスマホに視線を落とすと、


『早く着きすぎたからゲーセン行ってるわ。待ち合わせ場所、そこに変更な』


 という、一方的なメッセージが表示されていた。


 俺のクラスメイトかつ友人である蒼汰は、なかなか気まぐれなやつなのだ。昨日約束を取り付けた時に、駅に集合と言っていたのは、他ならぬ蒼汰本人だった。



 とはいえ、このおかげで俺は彼女と出会うことができた。その一点においては、蒼汰の気まぐれに感謝してもいいかもしれない。



 タオルハンカチで汗を拭きつつ歩いていると、前方に見知った人物を見つけた。見慣れた制服姿ではなく私服だったので、一瞬だけ人違いを疑ったが、彼女を知る人間であれば見間違えることはないだろう。


 彼女もまた俺のクラスメイトであり、学年一の、それどころか全校でも屈指の美貌の持ち主だからだ。


 女子にしてはやや高めの身長、スラリと伸びた手足、見惚れるような抜群のスタイルは遠くからでも人目を引く。濡羽色のストレートヘアは背中の中程に届き、陽光を受け艶めいていた。


 ややきつい印象を与える長い睫毛に縁取られたつり目がちな瞳は、今はどこか不安そうに見える。彼女はスマホを手に、忙しなくキョロキョロと視線を彷徨わせていた。


 その様子が、俺の知る彼女の姿とあまりにかけ離れているのが気になり、足早に歩み寄り、声をかけた。


「……水琴さん? えっと、久しぶり」


 水琴みことしずく、それが彼女の名前だ。


「……日向ひなた、くん? ……なにか、用、ですか?」


 おっと、なるほど……これが噂の。

 結構ぐさっとくるなぁ……。


 これが初めての会話だった。


 皆が言っていた意味が、ようやくわかった気がする。どことなく冷たく感じる視線。表情に乏しく、感情のうかがえない瞳が俺を見据えた。しかしながら、今更なにもないですと踵を返すのは俺の意に反する。


 ひとまずここは、名前と存在が認識されていた、ということで良しとしよう。さすがにクラスメイトに『誰?』と言われていたら、立ち直れなかったかもしれない。


「いやぁ……なにか困ってるように見えたからさ。もしかして、道にでも、迷った?」


 俺が尋ねた瞬間、彼女の肩がビクリと跳ねた。図星のようだ。その証拠に、相変わらず表情に変化はないが、ためらいがちに、はっきりと頷いてくれた。


「あー、そっか。この辺り、入り組んでてわかりにくいもんね。水琴さんさえ良ければだけど、俺、案内しようか?」


 ぼんやりと俺を見ていた瞳に驚きが浮かび、わずかに見開かれた。そして数秒の沈黙の後、それまでぎゅっと結ばれていた桜色の唇がゆっくりと解けた。


「…………いいん、ですか?」


「俺もこの後に予定があるから、あんまり遠いと困っちゃうけど……ちなみに、どこに行こうとしてたの?」


「……えっと、ここ、です」


 水琴さんは手にしていたスマホを、おずおずと差し出してきた。その画面上には地図アプリが立ち上がっていて、目的地であろう場所にピンが立っている。


「それ、ちょっとだけ借りてもいい?」

 

「……どうぞ」


「ありがと。んーと……あぁ、あの辺りかな。うん、これなら大丈夫。ここからそんなに遠くないよ。連れてってあげるからついてきて。それと、その間、スマホ借りててもいいかな? 俺もなんとなくわかるってだけだからさ」


 返事はなかったが、コクコクと頷きが返ってくる。


「おっけー。じゃあ、行こうか」


 俺が目的地に足を向けると、水琴さんも無言のまま後ろに続いた。どこか重く感じる沈黙、でも俺はあまり気にならなかった。水琴さんがこうだということはなんとなく知っていたし、そもそも俺も水琴さんと会話をするのは初めてで、なにを話せばいいのかわからなかったのだ。


 ただ、そのあまりの静かさに、ちゃんとついてきているのか不安になり、時折後ろを振り返る。水琴さんは俺の数歩後ろを保ち、目が合うと、慌てて地面に視線を落としていた。


 地図を頼りにビルの隙間を抜け、いよいよ到着する、という時だった。預かっている水琴さんのスマホがブブッと振動した。


 これは言い訳にしかならないが、決してわざとではないのだ。地図を見ていたせいで、たまたま視界に入ってしまっただけのこと。


 スマホの画面上部には、メッセージの着信を告げる通知が表示されていた。差出人はお父さん。


『まだ、着かないのか?』


 こんなの、何気ない家族とのやり取りに過ぎないはずだ。しかし、女の子のプライベートを覗き見てしまったような気がして心が痛む。


「水琴さん。なんかメッセージきてて……ごめん、悪気はなかったんだけど、通知、見ちゃった……」


 俺は慌てて、スマホを返した。彼女は画面を一瞥すると、また俯き、ふるふると首を横に振った。


「……だい、じょうぶ、です。気に、してません」


「そっか……よかったぁ────あっ……それでね、水琴さんの行き先、たぶんあそこのレストランだと思うんだけど。あってるかな?」


 水琴さんはまた、スマホに視線を落とす。地図と周囲を見比べていたのだろう。それが済むと、小さく、こくりと頷いた。


 左手首につけている腕時計を見れば、蒼汰との待ち合わせ時間をわずかに過ぎている。いくら気の置けない友人が相手だとはいえ、遅刻はあまり褒められたものではない。急いで向かいつつ、一言くらいは連絡を入れておくべきだろう。


「なら、役目は果たせたみたいだし、俺はもう行くね。えっと……気にしてないって言ってくれたけど、やっぱりごめん」


 俺は水琴さんに背を向け、駆け出した。ただなんとなく、このままだと気不味い雰囲気で終わってしまいそうな気がして、途中で振り返る。


 水琴さんは、一歩も動かずに、呆然とこちらを見ていた。


 俺は大きく手を振って、声を張り上げる。


「水琴さーんっ! また学校でーっ!」


 雑踏の中で声が届いたかどうかはわからない。でも、水琴さんは小さく頷いてくれたように見えた。



 ◆side雫◆


 手元に戻ってきたスマホには、お父さんからメッセージが届いていました。


『まだ、着かないのか?』


 短く、味気ない文面。この人が紛れもなく自分の父親なのだと、突きつけられているような気がします。これから行われる、事務的で、義務感に満ちた時間を思うと、どうしても気が重くなってしまうのです。


 ……でも、どうしてでしょう?


 今回は、なぜかいつもより少しだけ心が軽い気がします。


「俺はもう行くね。えっと……気にしてないって言ってくれたけど、やっぱりごめん」


 そう言って、私をここまで送り届けてくれた彼──日向くんは私に背を向け、走り出しました。


 自分の予定もあるのに、私のために時間を割いてくれた、優しい人。


 それが、私の日向くんに対する第一印象でした。


 しだいに日向くんの背中が遠くなっていき、ハッとしました。


 あっ……私、お礼も言えてない、です。


 自分のこういうところが、本当に嫌いなんですよね。心に思うことがあっても、言葉にするのに時間がかかってしまいます。表情筋は硬く、まるで言うことを聞いてくれません。


 自己嫌悪に、再び気が重くなり始めた時でした。私の耳に、日向くんの声が届いたのです。


「水琴さーんっ! また学校でーっ!」


 朗らかな声でした。


 まるで、真冬に降り積もった雪を溶かす、温かな春の陽光のように感じられました。


 ……うん。お礼、ちゃんと言わないと。じゃないと、失礼、ですよね。


 私はそう、固く心に誓うのでした。

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