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第七章 望みを叶えるための誓い

 バイエルに名前を呼ばれた時、いつもの説教が始まるのかとシルキーは身構えた。

 しかしその予想は裏切られた。バイエルはシルキーのお腹に触りたいらしい。


「もっと早く」と、シルキーの腹部に恐る恐るという様子で手を載せて夫は呟いた。

「首根っこを掴んででも医師に診せるべきだった」


 細くなった他の部分とは逆に、以前より心持ち膨らんだ下腹部。

 我ながら身体のバランスが奇妙だと思う。


「穏やかじゃない言い方ですこと」

「死ぬかもしれない状態なんだ。穏やかでなくて当たり前だろう」

「でも、死んでないんだから」

「干物のように痩せた人間に言われてもな」

「干物」


 元気な状態であれば怒って言い返していただろうけれど、今のシルキーはバイエルの言葉を神妙な顔で繰り返すだけで精一杯だった。


「こんなに危険なことだと分かっていたら、子供など……」

「バイエル」

 シルキーはバイエルの手に自分の手を添えた。

「何を怖がってるの……?」


 バイエルは藍色の目を見開いた。

「何が怖いの?」

 シルキーはもう一度問いかける。

 バイエルは突然シルキーの手を引いて抱きしめてきた。彼の手が震えている。


「お前を失うかもしれないことが、怖い」

 シルキーは予想外の言葉に目を丸くした。

「それは……」

 シルキーはバイエルの背中に手を回す。

「私も同じ」


 鼓動が聞こえる。夫の心臓の音。

「前に、子供ができなくなる薬を飲んでしまった時のことを覚えてる? 私、本当に悲しかった。私は貴方のことが大好きで、大好きで」


(貴方のそばは陽だまりのよう)


「貴方の子供が欲しかった。貴方がこの世からいなくなる時、世界に貴方の気配が何一つ残らなければ、私は多分二度と立ち直れない。一人ぼっちで、怖くて寂しくてつらい」


 バイエルの藍色の目をまっすぐ見つめてそう言ったシルキーから、バイエルは慌てたように目を逸らす。

 その頬が赤くなっていた。

 珍しく彼の動揺が見え、シルキーは少ししてやったりという気分になる。


 そう。お腹の子の存在は、シルキーが心の底から望んでいたことだ。きっとバイエルだって望んでいた。

 愛する人の分身のような存在。

「望んでいたことなのに怖気付いてしまったのは、私も同じ」


 長い年月をかけて築いたバイエルとの関係は、シルキーにとって酷く居心地が良くて。

 何より大事でお気に入りで、いざそれが壊れて、変わってしまう予感を感じた時、逃げ出したくなるほど怖くなってしまった。


 新しい関係を築いていくことに自信が持てなかった。

「何も怖がらないのは難しいわ。でも闘いましょう、バイエル。この不安と闘うの。二人で」


 『夫婦』から『親』に、その関係が変わっても、共に闘うことはできるだろう。

 数年前の騒動を夫婦で闘い切り抜けた、戦友のような私達ならきっと。


「私はこれから変わっていく。多分、貴方も変わる」

 在り方も、二人の関係性も。

 シルキーはきっと今までより更に怒りっぽくなるし、ケンカも増えるだろう。


「バイエル。ずっとずっと、私とこの子を、好きでいてくれる?」

 勇気を出して尋ねたその声は、妙に震えてしまった。

 バイエルはしばし息を呑んだ後、今までシルキーが見たことがない、さまざまな感情が入り混じった笑顔を見せた。


「ああ、約束する」

「ふふ」

 シルキーは思わず微笑んだ。

 怖かった。

 あんなに怖くて逃げていたのに、彼の言葉と表情一つ一つがシルキーの恐怖を消していく。


———『大丈夫だ。何があってもお前を離さないから、怖がるな』

 恐怖が完全に無くなった訳じゃない。

 出産に対する恐怖はまだ変わらずある。


(でも)

「私は後悔しない。この先何があっても。バイエルの子供だもの、この子はきっと頼りになる子よ」

「……さっきは悪かった」

 バイエルはシルキーのお腹に語りかけた。


「俺達の元に来てくれて嬉しい。元気に生まれてくるのを待っている」

 きっと本人にその自覚は無かったのだろう。その時のバイエルの顔はいつになく幸せそうにゆるんでいて、シルキーはくすぐったい気持ちになった。


 そしてシルキーはふと、厄介なことを思い出した。

「アルザスのお母様に報告してなかった」

 通称“アルザスのお母様”ことシルキーの実の母親であるアルザス公爵夫人は、シルキーの懐妊を強く待ち望んでいた一人だ。


 今頃、シルキーではない情報筋からシルキーの妊娠を知り、何故自分に一番に相談や報告をしないのかと怒り狂っていることだろう。

「面倒くさいな」


 思わず本音が漏れる。今のげっそりシルキーに元気な人間達を気遣う余裕など無い。

 アルザス家からの急使が到着したのは、この直後のことだった。

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