第三章 手がかりを探して
バイエルはどうすればいいか分からず困っていた。
シルキーが気分の悪さを訴え始めてから、もうふた月は経っている。
彼女はとうとう食べ物を全く受け付けなくなった。
始めはまだ固形物が食べられた。徐々にその量が減り、ついに飲み物しか口にできなくなった。
皇宮の料理人達があれこれ味や食感を工夫したスープやジュースを作るが、それもほとんど喉を通らない。
朝から晩まで、うっすら甘い味がついた果実水をちびちびと猫が水を舐めるように飲む。
目の下にはクマができ、丸みがあった頬からは肉が落ちていた。
元々人形じみた美しさがある彼女を人間らしく見せていたのは、ひとえに彼女が飛んだり跳ねたり走ったり登ったりと、発するエネルギーが強いことに依拠していたのだとバイエルは思い知る。
酷く美しいが造りものめいた、危なげな美貌。
(衰弱している)
バイエルがシルキーを抱きしめるたび、シルキーの身体からふくよかさが減っていくのが分かった。
(人は、果汁と水だけで何日生きることができるのだろう)
頭をよぎった疑問に、バイエルの背中にゾッと恐怖が這い上がってきた。
「少しは食べたほうがいい」とバイエルが言っても、シルキーは力無く首を横に振った。
喋ることすら、立っていることすら彼女はつらいようだった。
しかしバイエルが強く勧めても、シルキーは頑として侍医の診察を受けようとはしなかった。
仕方なく、バイエルは身近な人間に相談することにしたのだった。
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皇族を構成する家の中の一つにロンド家がある。父帝の弟が当主を務めるその家を、バイエルは最初に訪ねた。
「僕の妻の場合はね、重いタイプだったと思うよ」
顔も身体もぷくぷくしたロンド家の当主は、甥であるバイエルの問いにそう答えた。
「あまり食べないタイプだったのに、突然よく食べるようになってね。だから気付きやすかった。何ヶ月も続いたよ」
「どんな物を召し上がっていらっしゃいましたか」
「そうだねぇ……揚げた芋が美味しいと言って、夜中も食べてたな」
「揚げた芋……」
果実水しか受け付けなくなっている妻とは全く違う状態だったらしい。
とすると、妻は何らかの病にかかっていると考えた方がいいのだろうか?
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「そうだとしても、甘えているのです」
バイエルが一人、母后を訪ねて相談した時。
母后は厳しい顔でそう言いきった。
「誰しもそんな時期はあります。ひと月もすれば元通りですよ。寝込むなど大袈裟な。三人の母の私が言うのですから間違いありません。そんなことより再来月の建国記念の式典の準備はできていて?」
母后の声は刺々しかった。
バイエルは、居なくなった兄ソリストを思った。
自分の機嫌を取ってくれていたソリストが居なくなってから、母は周りに攻撃的になった。
鬱憤を晴らすように言い放つ言葉。
本当に周囲に甘えているのは誰なのか。
「貴方達皇太子夫妻が式典をしっかりこなさなければ、皇帝陛下と私が恥をかくのですよ。私はその時期でも仕事をこなしていたのですから、些細な不調を言い訳にせずきちんと仕事をしなさいと貴方の妃に伝えなさい」
長い間ろくに物が食べられず、骨と皮のようにやつれた今のシルキーを近くで見ても、母后は同じ事を言うだろうか。
(言いかねない母だ)とバイエルは諦めに似た気持ちになる。
「母上は」バイエルは言った。
「気分が悪い時期、どんな物を召し上がっていらっしゃいましたか?」
これに母后は眉を上げた。そしてどこか誇らしげに話し始める。
「自分のためではありませんからね、私は勿論普段と変わらない物を食べましたよ。でも……そうね、酸っぱいものが欲しくなった気はするわね」
「酸っぱいもの……」
「レモンをそのまま齧るくらいはできたわ」
母后のこの発言はバイエルに衝撃を与えた。