第八回 寄人篱下不耐煩 南下徐州討黄巾
劉備から下された曹操一家護衛の任務。それは単なる護衛ではなかった。徐州と豫州の地勢、民の暮らし、黄巾残党の動き、そして何より曹操という男の「裏」を探る、劉備の新たな「シノギ」の一環だった。五千の別働隊を率いた田豫は、その重責を胸に平原を出立した。
部隊はまず、比較的平穏な冀州の南部を南下した。しかし、黄巾の乱の余波はそこかしこに残っていた。廃墟となった村々、耕されずに荒れた田畑が点在し、盗賊団が跋扈する様は、田豫の目に焼き付いた。
「兵を分散させ、斥候を広げろ。黄巾の残党は、飢えれば何をするかわからん。民に危害が及ばぬよう、最大限に警戒しろ!」
田豫は厳しく号令した。彼の指揮は冷静かつ的確で、経験の浅い若き兵士たちも、彼の指示に従い規律を守った。
豫州との境に差し掛かった頃、彼らは小規模な盗賊団に襲われた。かつての山賊のように組織的ではないが、飢えに狂った彼らは凶暴だった。
「構わん、包囲しろ!降伏すれば命は助けるが、逆らう者には容赦するな!」
田豫は即座に指示を飛ばし、部隊は流れるような連携で盗賊たちをあっという間に制圧した。
捕らえた盗賊の頭目を前に、田豫は冷徹な目を向けた。
「お前たち、なぜ民を襲う?この辺りの食糧や物資の状況はどうなっている?」
田豫は、劉備から叩き込まれた「ヤクザ式」の尋問術を実践した。拷問ではなく、相手の背景、現状、そして何が欲しいのかを見極め、情報を引き出すのだ。
頭目は最初は怯えて何も話さなかったが、田豫が「お前たちが襲った村の民は、劉備様が守っている。無駄なことはするな。正直に話せば、助かる道もある」と告げると、徐々に口を開き始めた。
彼らは、黄巾の乱で故郷を失い、飢えから盗賊に身をやつしたこと。この一帯には役人の目も届かず、食糧も行き渡らないこと。そして、周辺の有力豪族が、この混乱に乗じて民から略奪を働いていることなどを吐露した。
田豫は、盗賊たちから得た情報を詳細に記録し、すぐに劉備へと早馬で送った。
数日後、田豫は曹操一家が滞在する村に到着した。曹操の家族は、董卓の暴虐から逃れるため、各地を転々としていた。彼らは疲弊しきっており、劉備の別働隊が到着した時、その表情には安堵の色が浮かんだ。
「貴殿が劉玄徳殿の部将、田豫か。遠路はるばる、感謝いたします」
曹操の従兄弟にあたる人物が、疲れた顔で田豫を出迎えた。
田豫は毅然とした態度で応じた。
「お任せください。この田豫、劉備様の命を受け、皆様を必ずや無事に目的地へお送りいたします。道中の安全は、この部隊が責任を持って保障いたします」
護衛の道中、田豫は兵士たちに厳しく規律を守らせた。略奪はもちろんのこと、民から不当な対価を要求することも一切許さなかった。休憩時には、曹操一家の者たちに水や食料を分け与え、体調を気遣った。また、道中、曹操一家の者から各地の豪族や彼らの縁戚に関する話を聞き出し、今後の「人間関係のシノギ」に役立つ情報を密かに収集した。
一度、野盗の大集団に襲われた時も、田豫は冷静に部隊を指揮し、巧みな戦術でこれを撃退した。曹操一家の者たちは、劉備の兵の練度と田豫の指揮能力に心底驚き、彼らへの信頼を深めていった。
「田豫殿、貴殿らの忠義と武勇には、頭が下がります。劉玄徳殿は、まことに良き部将をお持ちだ」
曹操一家の代表者は、何度も感謝の言葉を述べた。
目的の地へ曹操一家を無事に送り届けた田豫は、任務完了の報告を終え、再び劉備のもとへと戻った。この道中、彼は単に任務をこなしただけでなく、広範囲にわたる情報収集と、実際に異なる勢力との間で「貸し」を作るという外交的な経験を積んだ。
「兄者、今回の任務で、各地の現状がよくわかりました。特に徐州の地は、黄巾の残党がまだ多く、これを平定すれば、民の信頼を得て、さらに勢力を拡大できると確信いたしました」
田豫の報告は、劉備の未来の戦略をより具体化させるものだった。彼の経験は、劉備軍全体の視野を広げ、次の大きな一歩を踏み出すための確かな土台となったのだ。
沛国での兵集めを終え、徐州・豫州の境界を越えて自らの本拠地へと戻った曹操は、安堵と共に、ある疑問に深く囚われていた。
なぜ…劉玄徳は、私の家族を護衛してくれたのだ?
彼の脳裏には、道中での田豫の冷静かつ的確な指揮、そして劉備の部隊が見せた規律正しい行動が鮮明に蘇っていた。黄巾残党や野盗を容赦なく撃退し、自らの家族を安全な場所まで送り届けた劉備軍。その武勇は疑いようがなかったが、曹操を悩ませたのは、劉備のその「義侠心」の裏に何があるのか、ということだった。
「劉玄徳は、義に篤い男…それだけなのか?」
曹操は自室で、腕を組みながら何度も自問自答した。彼はこれまで、多くの人間と渡り合ってきた。誰もが己の利益のために動き、時に「義」を口にする者もいたが、その根底には必ず「計算」があった。劉備もまた、表向きは義のために動く義勇兵の頭だ。だが、督郵を鞭打ち官職を捨てたという豪胆さ、そして平原で着実に勢力を広げているという噂は、彼の単なる「義」だけではない、何か得体の知れないものを感じさせていた。
「もしや…私に貸しを作ったつもりか?」
曹操はそう推測したが、それにしては劉備の行動は潔すぎた。見返りを求めるそぶりもなく、ただ任務を遂行し、去っていった。まるで、それが当然の「筋」であるかのように。
彼は、劉備が董卓討伐の連合に加わらなかった理由も理解しかねていた。義を重んじるならば、まさに天下の義士が一同に会する場に馳せ参じるはずではないか。にもかかわらず、劉備は「平原の民を守る」という理由で断った。そして今、自らの家族を護衛した。
劉玄徳…あの男の『仁義』は、一体どこまでが本物で、どこからが『計算』なのだ?
曹操は、劉備の行動の全てが読めなかった。彼の持つ「義」があまりにも自然すぎて、それが純粋なものなのか、それとも底知れぬ野心に基づく巧みな戦略なのか、判断に迷うほどだった。それは、曹操がこれまでに出会ってきたどの武将、どの策士とも異なる、掴みどころのない存在だった。
この劉備への困惑は、曹操の心に深く刻み込まれることとなる。それは、後の天下を三分する二人の宿命的な関係の、静かな始まりだった。
曹操が劉備の真意に困惑する中、天下の情勢は再び大きく揺れ動いた。本来、曹操が接収するはずであった青州黄巾軍が、なぜかその矛先を南に向け、突如として徐州へと乱入したのだ。さらに悪いことに、中原を荒らしていた白波賊が、その混乱に乗じて青州を新たな拠点とし始め、北海国の孔融は再び窮地に陥った。
この予期せぬ事態に、孔融はすぐさま劉備のもとへ使者を送り、援軍を求めた。ほぼ時を同じくして、徐州の牧である陶謙からも、青州黄巾軍の侵攻を受けての救援要請が届いた。
劉備は、二つの救援要請を前に、冷静に状況を判断した。孔融の救援も重要だが、黄巾軍が徐州に侵攻したことは、彼にとって未来の「シノギ」、すなわち徐州を継承する上で、見過ごせない事態だった。
「兄者、どうなさいますか?孔融殿も陶謙殿も、一刻を争う状況かと」
簡雍が焦れたように尋ねた。
劉備は即座に指示を出した。
「簡雍、お前は孔融殿のもとへ使いを出し、我らが必ず救援に向かう旨を伝えろ。そして、太史慈を孔融殿の援軍として派遣する。奴の武勇があれば、孔融殿も持ちこたえられるはずだ」
「太史慈殿をですかい?彼が兄者の誘いを断ったのは、孔融殿への義理ゆえでは?」
「だからこそだ。今、孔融殿のために動くことで、太史慈にも『貸し』を作れる。それに、奴は孔融殿の元で力を蓄えている。いずれ、その力が俺に必要になる時が来るだろう」
劉備の言葉には、深謀遠慮があった。太史慈は以前、劉備の誘いを断ったが、その際の劉備の「仁義」に感銘を受けていた。今回の派遣は、その義理を刺激し、将来の伏線となる。
「では、兄者は徐州へ向かわれると?」
関羽が劉備の意図を察して問いかけた。
「ああ。徐州だ。黄巾の残党が入り込んだのは、偶然じゃねえ。この機に乗じて、俺が徐州の『縄張り』を固める。関羽、張飛、田豫、お前たちも全軍を率いて出立だ。そして、今回はもう一つ、重要な仕事がある」
劉備は、徐州へと進軍しながら、同時に人材の収集にも力を入れ始めた。彼は事前に得ていた情報から、徐州には乱世の混乱に乗じて勢力を拡大している豪傑たちがいることを知っていた。その中には、後に重要な役割を果たすことになる者たちも含まれていた。
「この徐州で、新たな『衆』を集める。特に、臧覇、昌豨、蕭建、孫観…こいつらだ」
劉備は、彼らの名を聞くと、どこか懐かしむような、しかし鋭い眼差しを向けた。彼らは、徐州一帯で独自の勢力を築いている賊の頭目や武人たちだった。
「兄者、賊の頭と手を組むというのですか?」
張飛が驚いて問いかけた。
「彼らが賊であろうと、力と『筋』があれば関係ない。この乱世、生き残るには、あらゆる力を取り込む必要がある。それに、彼らにも『義』がある。それを引き出すのが、俺の役目だ」
劉備は、ヤクザの親分がかつての敵対勢力を吸収するように、彼らと「話をまとめる」ために動き出した。彼は、武力による制圧だけでなく、彼らの「利」と「義」を刺激し、自らの配下として取り込もうとしていたのだ。
徐州への道中、劉備は田豫に、これらの豪傑たちの詳細な情報を改めて確認させた。彼らの性格、勢力範囲、弱点、そして最も重視するものは何か。それらを徹底的に分析し、彼らをどう説得し、どう「盃」を交わさせるかを練っていた。
徐州への進軍中、劉備は臧覇、昌豨、蕭建、孫観といった豪傑たちとの交渉に臨んだ。彼らはそれぞれ独自の勢力を築き、乱世を生き抜いてきた猛者たちだ。劉備は、彼らを武力で屈服させるのではなく、自らの「仁義」と「筋」、そして「利」をもって取り込もうとした。
「皆の者、この乱世、いつまで互いに潰し合っているつもりだ?黄巾の残党は徐州になだれ込み、白波賊は青州を荒らしている。こんな時こそ、力を合わせるべきではないか?」
劉備は、開口一番そう切り出した。
臧覇が不敵な笑みを浮かべた。「劉玄徳殿、貴殿が何を言いたいのかは分かる。だが、なぜ我らが貴殿の傘下に入らねばならぬ?我らにも、この徐州での『縄張り』がある」
劉備は頷いた。
「その『縄張り』を、より盤石にするための話だ。お前たちがそれぞれバラバラに戦っていては、いずれ大軍に飲み込まれる。だが、俺と共に力を合わせれば、この徐州を真に『守り』、そして『治める』ことができる。俺は、お前たちの『利権』を侵害するつもりはない。むしろ、『共同経営』という形で、お前たちの力を最大限に活かしたいと考えている」
劉備は、ヤクザ時代の「組の拡大」と「利権の再配分」の経験を活かし、彼らに具体的な「旨味」を提示した。黄巾残党討伐の功績、朱儁や盧植からの評価、そして何より劉備自身が持つ「隠し部隊」の存在を示唆し、その強大な武力を背景に、彼らが単独では得られない「安定」と「発展」を約束した。
「それに、お前たちにも守りたいものがあるだろう。家族や、信じてついてきた者たちをな。俺は、お前たちの『仁義』にも報いるつもりだ」
劉備の言葉は、彼らの心に響いた。単なる武力による恫喝ではない、彼らの「義」を理解し、尊重しようとする姿勢がそこにはあった。
交渉の末、臧覇、昌豨、蕭建、孫観らは劉備の配下となることを承諾した。彼らは形式上は劉備の指揮下に入るが、実質的にはそれぞれの独立性を保ちつつ、劉備の「組」の一員として共同で徐州の安定化にあたることになった。
劉備は、彼らが配下に入ったことを確認すると、すぐに田豫に命を下した。
「田豫、お前は直ちに、この者たちの家族を護衛しつつ、陶謙殿の元へ向かえ。彼らが安心して戦えるよう、家族の安全を確保するのは、我らの『仁義』だ。そして、陶謙殿には、我らが救援に駆けつけた旨を伝えろ」
田豫は、劉備の指示を完璧に理解し、別働隊を率いて出発した。この行動は、彼らが劉備に完全に帰属した証となり、劉備軍の結束をさらに強固なものにした。
この時、劉備が経営する軍隊は、すでに総勢三万に達していた。これは決して小さな数字ではない。天下の情勢が混沌とする中、これだけの兵力を秘密裏に、そして効率的に運用できる者は稀だった。
一方、平原を後にした劉備の行動を、かつて彼を推挙した公孫瓚配下の刺史田楷は、まるで「所払い」されたと解釈し、密かに喜んでいた。彼は劉備が去ったことで、白波賊との戦いに集中できると考えたのだ。しかし、それは劉備の真の意図を見誤っていた。
この頃、天下の諸侯は董卓連合の瓦解後、互いに領土を争っていた。特に青州は、袁紹と公孫瓚の間で激しい争奪戦が繰り広げられていた。多くの諸侯は、黄巾の乱や白波賊の脅威に対し、援軍を求める際、その見返りとして徐州を譲るという条件に集中していた。だが、劉備はそれを逆手に取った。
(人口=生産財=国力だ。この乱世で生き残るには、『人』こそが最大の資産だ)
劉備は、すでに袁紹に押され、劣勢に立たされている公孫瓚を見限っていた。彼にとって、公孫瓚はもはや利用価値のない「看板」に過ぎなかった。劉備が平原から徐州へと向かったのは、単に陶謙の救援要請に応じただけではない。彼は、タダで逃げ出すようなヤクザではなかった。
劉備は、平原を去る際に、巧妙な手口で公孫瓚の「人民を盗み」、自らの「資産」として連れて行った。黄巾の残党掃討や民の保護を名目に、平原で得た民衆の信頼を利用し、自らを慕う多くの民を、徐州へと移住させたのだ。公孫瓚は、劉備が自ら去ったことに安堵し、その背後で自らの人民がごっそり抜け落ちていくことに、全く気づいていなかった。
もし、この状況を盧植が知れば、かつての同窓である公孫瓚に対して、劉備の「酷さ」が際立つように見えたかもしれない。だが、劉備にとって、それは乱世を生き抜くための当然の「シノギ」であり、「筋」の通し方だった。