第五回 討賊招安養兵卒 威逼恐喝戦広宗
涿郡の訓練場には、劉備の号令が響き渡っていた。三千の義勇兵が、彼の指揮の下、汗を流している。
「おい、もっと腰を落とせ! その槍じゃ、的も貫けねえぞ!」
劉備の隣には、彼が最初に声をかけた若者の一人、簡雍が立っていた。簡雍は元々、涿郡の町の顔役のような存在で、口は悪いが面倒見が良く、劉備のシノギを広げる上で右腕となってきた。彼もまた、劉備の筋の通し方と仁義に惚れ込み、その忠誠を誓っていた。
そして、その奥では、二人の巨漢が互いに木剣を打ち合わせていた。一方は、長身痩躯だが恐ろしいほどの膂力を秘めた関羽。もう一方は、小柄ながらも全身が筋肉の塊のような張飛だ。彼らは元々、劉備が涿郡で開いた賭場で見出した。その圧倒的な武力と、一度交わした義理は決して違えないという信念が、劉備の琴線に触れたのだ。劉備は彼らに最高の賭場と酒を用意し、そして最高の兄弟の契りを交わした。彼らの傍らには、控えめな顔つきの青年、田豫がいた。田豫は元々、涿郡の郷で真面目に農業を営んでいたが、劉備の「民を守る」という姿勢に共感し、その才覚を見込まれて軍の統率を任されていた。
「兄貴ぃ、あんたのやり方は、斬新すぎてついていけねぇ…だが、それが妙にこの連中には響くんだな」
簡雍がニヤリと笑う。
「当たり前だろ。盃交わした兄弟は、家族以上の絆で結ばれてんだ。それを教え込んでるだけだ」
劉備はそう言って、訓練を見守る。
彼らの訓練は、一般的な兵のそれとは一線を画していた。劉備がヤクザ時代に培った集団戦術や、不意打ち、裏切りへの対処法などが盛り込まれていた。それは、まるで現代の特殊部隊の訓練のようでもあった。兵士たちは、単なる命令に従うだけでなく、互いの命を預け合う義理と信頼を学んでいった。
そんなある日、劉備のもとに一通の書状が届いた。差出人は、現地の県令、公孫瓚。劉備とは、学舎で共に学んだ旧知の仲である。
書状には、こう記されていた。
劉玄徳殿。お変わりなくお過ごしのことと存じます。先日来、当県の周辺にて山賊の活動が活発化しており、民は苦しんでおります。つきましては、貴殿の義勇兵の武勇をお借りし、この山賊らを討伐していただきたく、ここに依頼申し上げます。謝礼は十分に用意いたしますゆえ、何卒、ご検討のほどお願い申し上げます。
劉備は書状を読み終えると、フッと口元を緩めた。
「ったく、公孫瓚の野郎、困った時にだけ俺を頼りやがって。だが、これも『シノギ』の一つだ。山賊退治で名を上げりゃ、もっとでけえ仕事が転がり込んでくる」
劉備は簡雍、関羽、張飛、田豫に顔を向けた。
「お前ら、準備はいいか? 初仕事だぜ」
彼らの顔には、獲物を前にした飢えた獣のような光が宿っていた。
劉備は、公孫瓚からの依頼を受け、部隊を三つに分けることを決めた。
「いいか、お前ら。これが俺たちの初陣だ。絶対にしくじるんじゃねえぞ」
劉備は、関羽、張飛、そして選りすぐりの精鋭たちを率いて、山賊の根城へと向かう部隊を編成した。彼らの任務は、山賊の討伐と、捕らえられた民の解放だ。
「兄者、任せてくだせえ! この関羽、必ずや山賊の首級を挙げ、兄者の名に泥を塗るような真似はいたしません!」
関羽が力強く言い放つ。
「へへっ、俺の槍が火を噴くぜ! 山賊ども、覚悟しやがれ!」
張飛もまた、血気盛んに吼えた。
一方、別の任務を任されたのは、田豫と簡雍だった。彼らには、蘇双らの商隊の護衛が命じられた。蘇双は、劉備が涿郡で築き上げた「シノギ」を通じて、最も信頼を置く商人だった。
「田豫、簡雍。お前らには、大事な『金脈』を守ってもらう。山賊討伐も重要だが、こっちも同じくらい重要だ。商隊を無事に送り届け、今後の取引を盤石にするんだ」
劉備はそう言って、二人の肩を叩いた。
「承知いたしました、劉備様。必ずや、商隊を無事に護衛し、今後の商売の礎を築いてまいります」
田豫は真面目な顔で頷いた。
「へへっ、宗兄ぃの金儲けのためなら、この簡憲和、命を張りますぜ!」
簡雍は軽口を叩きながらも、その目には真剣な光が宿っていた。
劉備は、山賊討伐の部隊を率いて、険しい山道を進んでいた。ヤクザ時代、抗争の度に練り上げた奇襲戦術や、相手の裏をかく駆け引きが、この古代中国の戦場でも活かされる。
「山賊どもは、必ず油断している。俺たちが仕掛けるのは、奴らが一番考えねえ手だ」
山賊の根城に近づくと、劉備は部下たちに指示を出した。
「関羽、張飛、お前らは正面から派手に攻めろ。奴らの注意を引きつけろ。俺は、少数精鋭で裏から回る。奴らの退路を断ち、一網打尽にする」
関羽と張飛は、劉備の指示通り、大声を上げながら山賊の根城へと突撃していった。その圧倒的な武力に、山賊たちは混乱に陥る。その隙を突き、劉備は裏から静かに侵入した。
「てめえら、観念しやがれ! 俺たちは、劉備の義勇兵だ!」
劉備の部隊は、あっという間に山賊の退路を塞ぎ、彼らを追い詰めていった。山賊たちは、前後から挟み撃ちにされ、為す術もなく降伏していった。
捕らえられた民は解放され、山賊の根城からは、略奪された財宝が大量に見つかった。劉備は、その財宝を全て民に返し、残りは義勇兵の軍資金とした。
一方、田豫と簡雍が護衛する商隊もまた、無事に目的地に到着していた。道中、小規模な盗賊団に襲われたが、田豫の冷静な指揮と簡雍の機転により、被害を最小限に抑えることに成功した。蘇双は、劉備の義勇兵の護衛能力に深く感銘を受け、今後の取引をさらに拡大することを約束した。
公孫瓚は、劉備の迅速かつ完璧な山賊討伐に驚きを隠せなかった。
「まさか、これほどの速さで山賊を討伐するとは…劉玄徳、恐るべし」
劉備は、公孫瓚からの謝礼を受け取ると、ニヤリと笑った。
「公孫瓚の野郎も、これで俺の力を思い知っただろうよ。これで、また一つ『シノギ』の幅が広がったぜ」
山賊討伐と商隊護衛という二つの任務を成功させた劉備の義勇兵は、その名を周辺地域に轟かせた。劉備の仁義と筋の通し方は、民衆の信頼を勝ち取り、彼の勢力は着実に拡大していくのだった。
劉備の勢力は、表向きこそ三千の義勇兵であったが、その実、既に一万五千もの兵力を擁していた。公孫瓚からの依頼を利用した山賊討伐の裏で、残存勢力を次々と吸収し、自らの手足のように動く「隠し部隊」として鍛え上げていたのだ。それは、かつて民国時代に満州の匪賊から成り上がり、東北王として君臨した張作霖の姿を彷彿とさせた。宗一郎は、張作霖の「土着の力」を巧みに利用し、裏社会の掟で天下を取るそのやり口を、この乱世で再現しようとしていた。
そんな折、歴史の歯車が大きく動き出す。各地で民衆が蜂起し、やがて黄巾の乱として天下を揺るがす大動乱へと発展したのだ。劉備は、この機を逃すまいと、いち早く黄巾討伐の義勇軍として参加を表明した。
当時の幽州刺史は、陶謙ではなく郭勳であった。そして、広陽の地に黄巾軍が押し寄せると、広陽太守の劉衛と郭勳は、その猛攻の前に徐々に防衛線を押し破られ、支えきれなくなっていた。
「ここだ…ここが、俺たちが名を上げる場所だ」
劉備は好機とばかりに動いた。表向きの三千の義勇兵を率い、黄巾軍と激戦を繰り広げる郭勳と劉衛の陣営へと駆けつけたのだ。彼の部隊は、規律に裏打ちされた練度と、ヤクザ仕込みの獰猛さで黄巾軍を押し返した。劉備自身も先陣に立って指揮を執り、郭勳の眼前で黄巾軍を次々と討ち取っていった。
郭勳は、これまで単なる一介の義勇兵の頭としか見ていなかった劉備の、その戦ぶりと圧倒的な統率力に目を見張った。彼は、まるで飢えた狼の群れを率いるかのような劉備の姿に、畏敬の念さえ抱き始めた。劉備は、郭勳を守り抜き、その信頼を確固たるものにしたのである。
広陽での黄巾討伐の功績が認められ、劉備(劉宗一郎)は別部司馬として推挙された。これは、特定の任務のために特別に任命される将軍職であり、彼の存在感が朝廷にも認められ始めた証だった。副将には、校尉鄒靖が任命された。鄒靖は、劉備の「隠された力」には気づいていないものの、その実力は認めざるを得なかった。
劉備は鄒靖を伴い、各地を転戦した。黄巾軍との戦いは苛烈を極めたが、劉備の部隊は、その練度とヤクザ仕込みの戦術で次々と勝利を収めていった。表向きは三千の義勇兵、しかし裏では一万五千の精鋭を巧みに操り、敵を翻弄した。
やがて、彼らは黄巾の乱の総本山、広宗に到着した。そこでは、大将軍盧植が黄巾の首魁、張角を追い詰めていた。しかし、戦況は膠着状態にあり、朝廷から派遣された監察官、左豊が、盧植に賄賂を要求しているという醜聞が飛び交っていた。
「盧植将軍、この左豊様への献上を怠るとは、いかがなものか。これでは、兵糧も届かぬぞ」
左豊の傲慢な言葉に、盧植は怒りに震えていた。本来の劉備であれば、この不義を許さず、即座に左豊を糾弾しただろう。しかし、劉備は違った。
「チッ…クソ役人が」
劉備は、内心舌打ちをした。ヤクザの世界では、こういう「筋の通らねえ」輩は即座に排除の対象だった。だが、今は違う。この乱世で成り上がるためには、時には不義理な相手にも頭を下げ、利用できるものは全て利用する。それが、「シノギ」の鉄則だった。
劉備は、左豊の要求を一旦は呑み込んだ。盧植は、劉備のその行動に失望の表情を浮かべた。
「劉玄徳…お前も、所詮は…」
盧植の言葉を遮るように、劉備は毅然とした態度で訴えた。
「先生、今は黄巾の賊軍を打ち破るのが先決にございます! この左豊の件は、戦が終わった後、必ずや私が『筋を通します』。どうか、今は黄巾討伐に全力を尽くしていただきたい!」
劉備の言葉には、ただならぬ迫力があった。盧植は、劉備の目に宿る強い決意を感じ取り、その言葉を受け入れた。
そして、劉備の部隊が加わったことで、戦況は一変した。劉備は、ヤクザ時代に培った冷徹な判断力と、敵の心理を読み解く洞察力で、黄巾軍の弱点を突き、猛攻を仕掛けた。関羽と張飛は獅子奮迅の活躍を見せ、田豫と簡雍が率いる部隊も的確に連携した。
力戦の末、ついに黄巾の首魁、張角を捕らえることに成功した。
「左豊、約束通りだ。こいつの首は、俺が獲る」
劉備は、張角を捕らえると、即座にその場で処刑した。盧植や鄒靖、そして左豊が驚愕の表情を浮かべる中、劉備は冷徹な目で張角の首を見下ろした。
「約束は守る。だが、『筋』は通させてもらうぜ」
劉備の言葉には、ヤクザとしての冷酷さと、この乱世を生き抜く覚悟が滲み出ていた。黄巾の乱の最大の脅威である張角を討ち取ったことで、劉備の名声は一気に高まった。そして、左豊は、劉備のその後の「筋の通し方」に震え上がることになるのだった。
張角の処刑後、広宗の陣営には緊張が走っていた。劉備は、動揺する左豊を前に、冷徹な目を向けた。
「左豊殿、貴殿が朝廷に届けた書簡には、黄巾の首魁、張角を私が討ち取ったこと、そしてその首級を朝廷に献上する旨、正確に記していただく」
劉備は、左豊の顔色一つ変えずに告げた。左豊は恐怖に顔を引きつらせた。賄賂を要求した挙句、一介の義勇兵に過ぎないはずの男にここまで堂々と脅されるとは夢にも思わなかったのだ。
「し、しかし…盧植将軍の…」
「盧植将軍の功績は当然記す。だが、張角を討ち取ったのが誰なのか、その事実を歪曲すれば、貴殿の命はないと思え」
劉備の言葉には、有無を言わせぬ圧があった。ヤクザの世界で培った「命の重み」を理解させるその眼光に、左豊は完全に気圧された。彼は震える手で、劉備の指示通りに書簡を書き上げた。そして、その書簡を携え、半ば強制的に朝廷へと送り返された。それは、左豊にとって屈辱以外の何物でもなかったが、劉備の目の前では逆らうことなどできなかった。
表面上、盧植は劉備の行動を厳しく叱責した。
「玄徳! いくらなんでも乱暴に過ぎる! 朝廷の監察官を脅し、勝手に張角の首級を挙げるとは!」
その言葉は、周囲の兵士たちにも聞こえるように、わざと大きな声で発せられた。しかし、その夜。盧植はひっそりと劉備を自らの陣幕に招き入れた。
「玄徳…あの時は、見事であった」
盧植の顔には、昼間の怒りの表情は微塵もなかった。代わりにあったのは、深い理解と、そして大いなる期待だった。
「左豊のような輩がのさばり、朝廷は腐敗しきっている。貴殿のあの行動は、確かに乱暴ではあったが、腐った膿を出し切るためには必要なことだったかもしれぬ。私が為し得なかったことを、貴殿はやってのけた」
盧植は、劉備のただならぬ器量を感じ取っていた。その行動には、単なる武力だけでなく、乱世を生き抜くための「仁義」と「筋の通し方」が確かに存在していると悟ったのだ。
「私は、お前に大いなる期待を寄せている。この乱れた世を正すには、貴殿のような『力』と『覚悟』を持った者が必要だ。朝廷には、私がうまく取り計らっておこう。貴殿は、これからも自らの信じる道を突き進むがよい」
盧植は、劉備の背中を押した。それは、表向きの叱責とは裏腹に、劉備にさらなる飛躍を促す、暗黙の了解だった。劉備は、盧植の真意を理解し、静かに頭を下げた。
「盧植将軍のご期待に沿えるよう、この劉備、命を賭して戦い抜きます」
劉備の言葉には、彼の「義」と、この乱世を自らの手で切り開いていくという、強い決意が込められていた。左豊の一件は、劉備が朝廷内部にもその名を轟かせ、同時に一部の清廉な官僚からの評価をも得る、新たな一歩となったのだ。