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6・アメリカ狂騒

 ドールがイラクに目を付けたのは、湾岸戦争以後、南部シーア派弾圧をはじめとする人権侵害が継続され、国連制裁に対する違反行為が目についたからだった。


 さらにタイミングよく、米艦攻撃の成果を発表したオサマ・ビン・アラディンは各地のイスラム勢力に対して結集を呼び掛け、キリスト教勢力並びに中華の無宗教集団(回教軍閥や人民政府)に対するテロを奨励した。


 この声明の中でイラクのサッダラム・アル・フサンイ大統領を名指しで共闘を呼び掛けるという、ドールにとって千載一遇のチャンスが転がり込むこととなる。


 この声明を手に米国連邦議会においてイラクとアルカーイダのつながりを説いて「悪の巣窟を討滅すべし」とイラク攻撃計画の承認を迫る。


 折しも平成十四(2002)年は大統領選挙の年であり、ドールには時間がなかった。


 議会を急かすドール政権に対し、フランスやドイツは当初の結束から一転、イラク攻撃に対する反対表明を行い、ロシアもこれに続いた。


 ロシアはエリテンからウラジミール・プチャーニンへと大統領が替わり、これが重要な外交デビューであった。


 この頃のロシアは日本による異次元の円借款によって極東を中心に経済再建が進み、それを見たフランス、ドイツがこぞってロシア市場への参入を行っている所であった。


 この状況を見たドール政権はフランス、ドイツを指して「古い欧州」との名言を残す。


 プチャーニンも偉大なロシアの再興を掲げており、フランス、ドイツと組んでドール政権に対抗する姿勢を強調していた。


 そんな中でドール政権はイラクに対して国連による無条件査察を受け入れるように迫るが、フサンイ大統領はこれを拒否し、テロ組織への大量破壊兵器提供にすら言及した。


 この事が決定打となりドール政権はアフガニスタン攻略のために準備していた部隊を加えて30万からなる陸軍によるイラク討滅を決断し、議会も計画を承認する。


 この時、国防長官を務めるドナルド・ラムシュフェルスはより少数精鋭の快速部隊による電撃戦を主張したが、ドールは陸軍参謀長エリック・シンタクの唱える従来戦法を採用し、イラクをド派手に力でねじ伏せる事を選んだ。


 この時参加した兵力には、本来であれば持ち場を離れるはずが無い在韓米軍の姿もあった。


 ドール政権はアジアを日本に任せる事を決めると在日米軍だけでなく、在韓米軍にも手をつける。

 朝鮮戦争以来、韓国軍と米軍は一体であり、徐々に韓国に対して軍事権限の移管を行っていたが、日本にアジアを一任した小田沢・ドール会談後、唐突に戦時作戦統制権移管を表明、この権限移管によって金大准は北朝鮮騒乱の折に米国への一切の相談なく韓国軍を北進させる事が出来ていた。

 金大准の行動に対し、ドール政権は一切の関与、干渉をせず、在韓米軍も動くことはなかった。


 米韓相互防衛条約は朝鮮戦争の再開を念頭に結ばれており、その対象である北朝鮮が崩壊した今、従来の意味は失われ、米国には介入する根拠が存在しなかったのである。


 こうしてアジア、欧州から集められた軍勢に、足りない部分は州兵を駆り出す事で補った。


 この戦争はドールの威信を掛けたものであり、政権を共和党後継大統領に恙無く渡せるよう、失敗は許されず、しかも選挙までに完全な勝利を挙げなければならなかった。


 こうして平成十四(2002)年1月20日に始まった戦争を桜の咲く頃には終えていた。


 バグダッドに在ったフサンイ大統領は逃げ出す間もなく米軍の虜囚となり、州兵を駆り出した追加の治安維持部隊によってイラクは星条旗で埋め尽くされてしまった。


 こうして迎えた大統領選挙は共和党有利に選挙戦を進める事が出来たのだが、そこはやはりドールである。


 どうしても最後の詰めが甘かった。


 フサンイを拘束し、州兵まで駆り出してのイラク占領によって大々的な捜索が行われたのだが、投票日までに攻撃の根拠とした証拠を何一つ見つけ出すには至らず、イラク戦争批判を繰り返し、早期撤退を主張する民主党候補、パラディン・オバハンへと天秤が傾いてしまった。


 こうしてドールの大統領生命は失意のうちに終わりを迎えてしまい、政権を民主党へと奪い取られる結果を招いてしまう。


 チャイナゲートやイラク戦争の様なドールの選挙工作が如何に無益なものであるかを世界はまざまざと見せつけられた。


 結局それが20世紀を締めくくる世界情勢を代表する事象となってしまったのは、ドールにも、アメリカ合衆国にも、そして世界にとっても負債でしかなかった。


 ドールの引退を向こうに見る小田沢にも人気の陰りが見えていた。


 エリテンの頬を札束で叩いて得た莫大な成果を原動力に離米宣言を行い日本の改革を進め、剛腕を振るい新たな世紀の幕を開けた手腕は、中華動乱によって転機を迎え、防衛大綱の実現に向け消費税20%導入を表明した時に終わりが始まった。


 これまでは小田沢人気によって常に単独過半数を手にしていた自民党であったが、流石に一気に消費税を13%も引き上げると言われて従うはずも無く、10年ぶりの議席減少を招いてしまう。


 折しも小田沢自身、無理やり周りに担ぎ上げられて総理の座に着いた頃から心臓を悪くしていたのが10年の激務でもはや耐えられなくなっていた。


 ドールの敗北を横目に見ながら、小田沢も総裁の座を降り、若手のホープと期待する安野辺晋三へと禅譲し、表舞台から身を引くのであった。


 こうして21世紀を牽引するスターが表舞台へ揃う事となった。


 

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