4・アジア激震
平成十一(1999)年、アジア通貨危機は峠を越え、何とか再起へ向けた歩みを始める。
しかし、その波に乗れなかった国が中華人民共和国であった。
天安門事件をきっかけとする経済制裁によって欧米からの技術、資本の投下が無くなり、その改善となるはずであった天皇訪中は先送りされたままとなり、制裁緩和は遅々として進んでいなかった。平成七(1995)年においては部分的な緩和しか行われていない状況であり、そんな中で台湾海峡事件を引き起こしたことで制裁緩和はストップし、経済成長を続ける東南アジアに散らばる華僑を通しての迂回経済によって命脈を繋いでいた。
しかしそれが通貨危機によってやせ細った事から国内経済の活気も停滞し、平成九(1997)年に返還された香港へと渡ろうとする若者が射殺される事件が起きる。
後に香港事件と呼ばれることになる一連の越境射殺事件は知られるだけで16件18人に上り、一説にはその十倍の銃撃事件と犠牲者がいるものと囁かれているが、実態は闇の中である。
この事件は香港に在したカメラマンによって目撃され世界へと配信されることとなり、再び人権問題として取りざたされる。
この事件に対して江沢明主席は過激新興宗教「法輪功」による違法な越境があったためだと説明し、その犯罪性と過激性を世界に訴える事となった。
しかし、国外から発信される法輪功側の情報は江沢明の説明とは正反対のものだった。
この時すでに天皇訪中失敗やクリントフ政権の裏切りによって政治基盤が揺らいでいた江沢明は法輪功摘発という口実の下、対立派閥の幹部たちの摘発や粛清を開始する。
しかし対立派閥は法輪功を利用して暴力闘争を仕掛け、白昼北京や南京といった都市部で警察と衝突を繰り返すようになっていき、平成十二(2000)年には全土に渡る戒厳令を敷く事態にまで騒乱が拡大、6月4日には天安門広場が封鎖されているにもかかわらず、多くの人々で溢れかえり、江沢明の退陣を求めるデモが繰り広げられることとなった。
さすがに在外公館やメディア拠点が多く集まる北京の中心地である天安門広場に軍を突入させるようなことは行わなかったが、武装警察によって放水や催涙弾を使った鎮圧が行われ、暴徒化したデモ隊に対する発砲によって67名の犠牲者を出す事件へと発展してしまう。
この第二次天安門事件をきっかけに反江沢明を掲げて政府に反旗を翻す地方政府や軍部隊が出現した事で、7月3日には中華人民共和国という国は事実上崩壊を迎えることになった。
しかし北京に在する江沢明が権力の座を退いたわけではなく、それ以後も権力を維持し、華北を中心に一大勢力を誇る事になる。
さらに10月16日には江沢明率いる人民政府が南京に居を構えた解放政府の占拠する上海を急襲し、上海事件が勃発した。
さらに11月に入ると後ろ盾を失った北朝鮮においても騒乱が発生し、多くの住民がDMZへ強引に侵入して鉄条網や地雷によって被害を受け、一部では北朝鮮軍による銃撃が行われ、韓国軍が応射する事態にまで発展する。
さらに12月には事態は内乱と難民流出によって混迷を深め、韓国大統領金大准は治安維持を名目とした軍事行動を開始した。
こうした混乱が巻き起こる中で当初日本は事態を静観。
台湾においては李透輝総統が「我々はもはや中華ではない。大陸に対しての干渉は行わない」と宣言を行った平成十三(2001)年2月、解放政府はその声明を台湾独立の策謀であると非難し、台湾を攻撃する事態に至った。この事態に台湾は日本に対して支援を要請し、小田沢は地域のリーダーとして支援を快諾。速やかに自衛隊を台湾へと派遣する。
この日本の行動に対し、解放政府だけでなく人民政府も非難声明を出し、抗日合作を呼びかけ台湾海峡戦争が勃発する事となった。
日露共同開発によってミグ29をベースとして開発されたF‐2戦闘機は平成十(1998)年の初飛行から僅か3年で部隊配備を始めることが出来るまでに完成されていた。
F-2A型は従来型のレーダーを搭載し、対艦ミサイル2発をはじめ、レーザー誘導装置なども搭載して誘導爆弾や画像誘導ミサイルなどの運用も出来るマルチロール機として完成していた。
その機体はミグ29譲りの設計を日本側エンジニアが魔改造した機体であり、そこに西側規格の計器、日米共同開発で開発途上だった電子装置類を装備して完成され、初飛行自体がロシア式に実用機の状態で行われ、西側標準に比べて短い間隔での部隊配備を可能としていた。
そして、その機体設計はミグ社にも提供され、ミグ29より大きくなった主翼、増大した燃料タンクなどをそのままに、ミグ社独自の電子機器を搭載してミグ35としてロシア軍や輸出商品向けとして平成十三(2001)年に初飛行を行っている。
さらに日本での開発が継続され、現在ではアクティブフェイズドアレイレーダーを備え、対艦ミサイル4発搭載可能となった真打F-2Cが主力の座を占める。
平成十三(2001)年6月12日、自衛隊は戦後初となる実戦参加を行い、F-2によって金門島を砲撃する解放政府軍陣地へと攻撃を加える。
この攻撃実施を左派系野党から厳しく問われた小田沢は「地域集団安全保障としての行動であり憲法9条に反する事は一切行っていない」と答弁している。