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3・日露蜜月

 日本はチャイナゲート事件をきっかけとして総理に就任した小田沢一郎の唱える離米政策のもと、米国とは距離を取る方針を明確化し、ロシアとの関係改善に腐心した。


 その過程で行われた異次元の円借款によってシベリア鉄道はウラジオストク・イルクーツク間における強化事業を開始し、ウラジオストクやナホトカへの日本企業進出も盛んになる。


 ウラジオストク・ハバロフスク間の鉄道強化が完了した平成十(1998)年にはさらにアムール川開発にも着手し、ハバロフスク・ニコライエフスク=ナ=アムーレ間の航路近代化により、船舶によってより安全にハバロフスクまで到れる様になると、日本企業のハバロフスク進出も加速した。


 さらにサハリンにおける石油・ガス開発も行われ、北海道まで達するパイプライン計画も動き出す。

 さらに木材事業にも日本企業が進出していく事になる。


 自由渡航が許された国後、択捉の開発も進み、観光地としての地位を得るに至ったのも円借款あってのことと言えるだろう。


 こうした日露の親密な関係の中で古い話が掘り起こされ、日露戦争以前はロシア艦艇が佐世保で点検整備を受けていた故事にならって日本から非武装、軽武装の警備、哨戒艦艇輸出まで始められる事になった。


 さらにモックアップを終えて詳細設計に入った段階でちゃぶ台返しされた支援戦闘機開発の後釜となるミグ29をベースとした日露共同開発も平成十(1998)年には初飛行を迎える事となった。


 この戦闘機は機体をミグ社と共同開発し、計器や電子機器は西側規格に従って三菱を中心とする日本企業連合によって開発が行われている。


 さらに無制限というエリテンの言葉通り、西側向けに改修されたミグ29の販売権が日本側へと譲渡される事にも繋がっている。


 この日露共同開発は米国との開発よりも退化したとの評価を受ける事もある。

 輸出規制に関わる最先端技術の開示が難しい事もあって炭素繊維技術の利用範囲が大幅に狭まり、アクティブフェイズドアレイレーダーの搭載も共同開発を終えた後へと持ち越される結果となったからである。


 しかし、それは機体開発においては枯れた技術の集大成とあってスピードは速く、ほぼ躓きもなく完成、初飛行に至ることに繋がっている。


 さらに販売権を得た事も重なり、メリットが上回ったと言って良いだろう。


 これはちょうど初飛行が行われた平成十(1998)年、台湾に対してF-2の輸出が決まった事も大きく作用している。


 李透輝総統の訪日が平成八(1996)年には叶わなかったものの、翌年には来日を果たし各地で歓迎される事になった。


 小田沢総理との会談が実現したのは翌年の事になるが、その席上で日台の関係が確固たるものであると確認され、日本側からF-2輸出を申し出ている。


 こうした流れが出来上がった背景には米国の変化があった。


 チャイナゲート事件をきっかけとして日米には溝が生まれ、日本パッシング政策を取るクリントフ政権とは、まさに冷えた関係に終始している。


 この間、日米構造協議はもはや再開不能となり、小田沢は尽く条約などで明確化された約束以外は無視し続けた。


 そして平成九(1997)年、ドールが帰って来ても基本的な政策に変更はない。


 在日米軍撤退は平成七(1995)年に沖縄で起きた婦女暴行事件により加速し、平成十(1998)年から海兵隊の完全撤退が始まり、平成二十(2008)年には嘉手納返還も決まっていた。


 この状況にドール政権は小田沢に対して独自の台湾支援要求を突きつける。

 湾岸戦争以来、米軍が欧州から中東にかけて展開している中、アジアに展開する戦力が削減されるのだから、当然の要求である。


 さらにドールは踏み込んでアジアにおけるプレゼンスを日本が担う事を付け加え、削減される在日米軍の代わりを日本がやれるのか?と、問いかけた。


 これに対して小田沢は持論を展開し、ドール政権の要求を呑んで自衛隊のアジア展開を可能とするか、それとも米国に泣き付いて撤退計画を白紙化するかを問うために解散総選挙に打って出た。


 左派勢力にとっては非常に苦しい選挙戦となり、今さら憲法や外交努力を盾に米軍撤退推進、自衛隊派遣反対などと非現実的な主張は世論に受け入れられる事はなく、小田沢は二度目の勝利を手にする事となる。


 こうして大幅な法改正や自衛隊の海外展開に必要な法整備が開始され、すでに例外的に行われているロシアへの警備、哨戒艦艇の輸出も武器輸出法整備によって明確化が行われ他国への武器輸出も可能となった。李透輝との会談の際には小田沢から戦闘機輸出を提案出来るまでになっていた。


 こうしてドール政権は軸足を完全に中東や欧州へと向け、アジアの事を日本に一任する体制を整える事に成功する。


 これはその後にドール政権が何を行ったかを見れば明白だが、その意味では小田沢は見事に嵌められたと見る事も出来る。


 日本がドール政権による策謀に真正面から立ち向かっていた頃、アジアでは危機がヒタヒタと忍び寄っていた。

 平成九(1997)年5月に発生したタイの通貨バーツの暴落に端を発し、東南アジア、台湾、韓国の通貨が次々と暴落を起こしていった、アジア通貨危機の始まりであった。


 小田沢はこの難局を乗り切るためにアジア支援を打ち出し、ドールに対して日本が米国にとって替わるという姿勢を明確に見せ付ける。


 しかし、そんな日本の態度に反発した国がふたつある。

 ひとつは天皇訪中を先送りされた事によりメンツを丸潰れにされ、さらにクリントフ政権から裏切られた中華人民共和国。


 もうひとつは、勝手に米軍縮小を叫び、半島情勢を顧みない日本に警戒心を抱き、風下に立つ事を良しとしなかった大韓民国であった。


 


 


 

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