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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

当て馬令嬢の婿取り

どうせ没落しますので。……と思っていたら、不審者がやってきました。

作者: 紫嶋桜花

以前書いた話、「どうも、当て馬令嬢です。お恥ずかしながら、人に言えない特技があります」の別視点です。


 ギッ、と車輪のきしむ音がした。

 フローレンスは、屋根裏の窓から外をうかがう。

 我が家──ファロン伯爵家の門を、見覚えのある馬車が出て行くところだった。


 ──ジェラルド様。

 声に出さずに、胸のうちだけでつぶやく。婚約者、いや、今頃は『かつての婚約者』になっているであろう人の名だ。

 彼や、その家の人の前に姿を見せなくなってから、一年以上が経っていた。とんだ不義理もあったものだ。


 窓ガラスには、ドレスと言うにもみすぼらしい布をまとった娘が映っている。伯爵家に生まれた令嬢として、客の前に出て行けと言われても行ける身なりではない。

 そもそも、来客がある間は決して階下に姿を見せてはいけないと、父からの言いつけだ。

 まるでこの屋敷が我が物であるかのように振る舞っている。

 ああ、おかしい。

 ふふ、と笑いかけて慌てて引っ込める。楽しげにしているところをあの人達に見とがめられたら大変だ。折檻されるのが自分ならいいが……。


「…………」

 もういいかしら。

 さあ、さっさと今日の仕事を終えてしまわないと。遅れでもしたら、それも折檻の口実にされる。

 屋根裏部屋を出て、二階の執務室に向かう。


 と、会いたくない人物の一人に出くわした。継母の連れ子である。

 当家とは縁もゆかりもないはずなのに、フローレンスが本来でもしないようなきらびやかな姿だ。ドレスは光沢のある赤い生地でたっぷりとひだをとり、金色の髪は丁寧にこてで巻かれて結い上げられている。

 彼女はこちらを認めると、にいっと口の両端をつり上げた。


「ああら、お姉さま。お見送りにいらしたの? 残念ね、フィンドレイの方々は出来の悪いお姉さまの顔なんて、見たくもないのですって!」

 フィンドレイは婚約者だった人の家の名である。やはりあの家の誰かが来ていたのだろう。

 フローレンスは小さく反論した。

「……仕事をしに来ただけよ」

 義妹は取り合わない。

「まっ、強がらなくてもいいのに! でもそうね、お姉さまにはお仕事しかありませんものね? あちらの方々も、器量の悪いお姉さまと縁者になるのは願い下げなんですって」

 意地悪く小首をかしげると、いかにも楽しそうにきゃははっと笑い声を上げる。

「婚約破棄、おめでとうございます?」


 やはり、そうだったのだ。

 ということは、あの馬車も見納めだったのだろう。

「…………」

 フローレンスが無言でいると、義妹はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「ふん、出来が悪いなりに仕事とやらに励んでらっしゃるといいわ。せいぜいお父さまに追い出されないようにね! お父さまは今日も、わたくしとお買い物ですけどね!」

 そんなことを一方的に喋り倒すと、高笑いしながら廊下の角へ去っていく。さしずめそちらに父がいるのだろう。

 その姿を見送ってから、フローレンスは大きくため息をついた。


 父は、義妹ばかりをかわいがって、フローレンスを目の敵にしていた。母が亡くなるずっと前から。

 両親は政略結婚だったのだ、と聞いている。伯爵家の一人娘だった母の元に父が婿入りした。

 そして、祖父亡き後、実務に携わらせてもらえなかったことを恨みに思って、母や伯爵家の血筋の者を憎むようになった。乳母からそう聞いている。

 その乳母を含め、親しかった使用人達は今は一人も残っていない。

 母が亡くなって、父が別宅から乗り込んできたときに一掃されてしまったのだ。


 今残っているのは、領地で家令として働いている、母の執事だった男と、料理人達、あとは下働きでやっと使用人の半分ぐらいだ。料理人については、父と共にやってきた義妹が、「この者達の料理が気になった」とおねだりをしたからだった。

 フローレンスがこうして仕事をしているのも、義妹のおねだりのせいである。父に、「お仕事なんてお姉さまに任せて、私との時間を作ってくださいな」とかなんとか甘えていたことがきっかけだ。


 当てつけでもしているつもりなのかしら。

 正直、自分にあの子がうらやむ要素なんて、これっぽっちもないと思う。

 いいものを食べていいものを着、いい部屋で眠って、母親と、義理とは言え父親に愛されている──。

 対してこちらは、使用人のまかないを食べさせられているし、部屋は取り上げられて屋根裏に追いやられ、父親の顔はもう何ヶ月も見ていない。


 いや、仕事のことを考えよう。正直、母は体調を崩すようになってからフローレンスに仕事を手伝わせていたので、そのままやらせてもらえるのは願ったり叶ったりだった。

 別宅にこもりきりで、母の死に目にも来なかった父には、何もわからないだろうから。

 ……こんなことが、長く続くわけはないのだけど。

 だからこそ、領民にはなるべく影響が出ないように終わらせたいな、と思っている。




 手元の字が読みづらくなって、すっかり真っ暗になっていたことに気がついた。

 今日はここまでね、と帳面を閉じる。

 廊下に出ると──

 ついてない日だ。


「まだこんなところをうろついていたのですか」

 冷たい声に背筋がひやりとする。継母である。今日も見たことのあるドレスを着ていた。

「すみません。お客様がいらしたので、仕事にとりかかるのが遅くなって……」

「口答えはするなと言ったでしょう。また食事を抜かれたいのですか。今すぐ屋根裏に戻りなさい」

 声色だけでなく、いつも通り表情も氷のようだ。取り付く島もない。

「……はい」


 派手に着飾っている義妹ほどではないが、この人にもなるべく遭遇したくなかった。

 実母の遺したドレスに身を包み、我が物顔で屋敷を歩き回っている。フローレンスが粗相をすると、使用人に折檻をするのもこの人である。

 特に何かした覚えはないのだが、父に愛されているくらいだから、やはりこちらのことを憎んでいるのだろう。

 上等だ。

 それなら、一緒に沈んでもらおう。



     *



 その数日後、フローレンスは深夜の使用人階段を降りていた。

 義妹から大量の刺繍を命じられ、こんな時間になってしまった。数年前まで令嬢教育を受けていなかった彼女は、たまにこうやって刺繍や手紙の代筆を押しつけてくる。

 終わるまで食事はなしね、とにやにやしながら言い渡されたので、家中が寝静まった夜中に厨房を目指している。夕食に顔を出せなかった日は、料理人が鍋や戸棚にこっそり残り物を隠してくれているのだ。


 あったわ。

 今日のメニューは、焼いた魚と豆のスープ、それとパンのようだ。

 いただきます、と息のような声だけでつぶやいて、カトラリーをとる。しばらく無言で食べていたら、壁際に置いたランタンの灯りがサッと翳った。


「? ……!?」

「ごきげんよう」

 顔だけ出した黒装束という、珍妙な格好の少女が忽然と目の前に現れていた。



 明らかに不審者である。

「お食事のさなかに失礼。そのままお続けになって」

「……い、いえ……」

 フローレンスは首を横に振った。そう言われても。

 というかこの手に持ったパン、置いた方がいいのだろうか? などと変なことを考えているうちに、不審者はさっさと話を進めていた。

「そりゃそうか。えっと、お初にお目にかかりますわ、フルーセル侯爵家の者ですの。ご存知でいらっしゃる?」

「……ええ、ご家名を聞いたことなら……」

 とりあえず頷く。謎の不審者は、フルーセル侯爵家の不審者に格上げである。

「まあ、話が早くて助かりますわ。それで、あなたは……フローレンス様、ね?」


 手が滑ってパンが落ちた。

「なぜそれを」

 ここは確かに伯爵家だが、自分の姿は櫛も通していない髪に、ぼろのワンピース一枚。しかもこんな時間にこそこそと厨房で食事をしている。どう逆立ちしても貴族の生まれには見えないだろう。

 突然現れたことといい、一体何者なのだ。心拍数が上がる。

 フローレンスの緊張をよそに、不審者の少女は、うーん、と小首をかしげた。そうすると幼げに見える。フローレンスよりは二つ三つ年下だろうか。

「話せば長いんですけど、長いので端折ってもよろしくて?」

 ……この不審者、だいぶマイペースだ。

「え、ええ」


「ではありがたく。フィンドレイ伯爵家のジェラルド様、ご存知ですわね? フローレンス様のこと、大層心配されておいででしたわよ」

「えっ……」

 縁の切れたとばかり思っていた、元婚約者だ。

 瞬間、様々な思いがよぎった。


 本当に、ジェラルド様が?

 不義理をしたのに、心配してくれるの? ──そう、そんな優しい人だった。

 だから、頭はいいけど機微に疎いと言われた私には、ちょうどよくて。

 ──心配はおかけして当然だろう。たとえ、特別な気持ちがなかったとしても、突然彼の前から姿を消してしまったのだから。

 ……ジェラルド様は、そういう人だ。


 そこまで考えると、すっと気持ちが落ち着いてきた。

 懐かしい人を思い出して……母様が亡くなってから、ずっと凝り固まっていた気持ちのどこかがほぐれたような気がした。


 取り落としたパンを拾い、皿に戻す。目の前の彼女に返事をしていなかった。

「────ええ。以前、大変懇意にさせていただいてましたわ」

 居ずまいを正しながらそう応えると、何故かにっこり笑われた。

「伊達にファロン女伯ではおられませんわね」

「そんなことまで……」

 いや、今の流れのどこに伯爵らしさがあったんだ、と内心突っ込む。──そう。

 今のファロン伯爵位は、自動的にフローレンスに継承されていた。


 もともと母が伯爵であり、その実子はフローレンスだけ。

 母が亡くなったときは十四歳、その時点で親族から異議申し立てがあれば別だが、そんな者はいなかったので(この場合、父や継母は親族にカウントされないのである)、十六歳になった時点で自動的にフローレンスが継承したとみなされる。王国法の定めの通りだ。

「貴族年鑑に目を通していれば、誰にでも分かることですわよ」

 目の前の不審者もそんなことを言っている。


「そうそう、食べながらでいいのでお聞きくださいね」

 そう言われたので、お言葉に甘えて食事の続きをいただく。

 少女が言うことには、父や継母はジェラルドの婚約者をフローレンスから義妹にすげ替えようとしていたらしい。そこでフィンドレイ伯爵家が不審がって、とりあえず婚約は破談にし、フルーセル侯爵家に相談したようだ。

「フローレンス様がどう過ごされているかだけでもお知りになりたいと。王国貴族多々あれど、このような隠密を動かせる家は限られておりますれば」

 少女はくすくすと笑っているが、隠密が自分で隠密と言ってしまっていいのだろうか。


 ともあれ、フィンドレイとフルーセルに繋がりがあったとは初耳だが、筋は通っているように思える。

「そうでしたのね」

 フローレンスは最後のスープと一緒に事情を飲み込んだ。

「ええ。フローレンス様は……使用人部屋から下りてこられたようにお見受けしましたけど、御身に危害などは加えられていませんか?」

 これにも苦笑して返答する。

「まあ多少は。ただ、使用人が陰から助けてくれますし、立ち回りを工夫したりして何とかやりすごしております」


 継母達が家に来た最初のうちは、何をしても叱責され、使用人ともども折檻されていたが、何にでもコツはあるもので、だんだんと継母(とら)の尾を踏まないような立ち回りができるようになっていた。

 屋敷の表となる場にはなるべく出ない、父や客の目に触れない、領地の仕事はちゃんとする。

 ジェラルドと会えなくなったのは悲しかったが、父の顔は別に見たいとも思わなかったし、領地の仕事はむしろありがたい。

 ──それでも先日のように、ふと遭遇して嫌味を言われることはあったけれど。


 義妹の方はといえば、気まぐれにやってきて持ち物を奪ったり、これまた仕事を押しつけたり、あるいはフローレンスにとっては何の意味もない自慢──父と出かけただとか、何々を買ってもらっただとか──をしてくるくらいなので、幸い、身体への害はない。


 それに。

「これだけは守れと、母の教えですの」

 と、服の下から、首にかけていたものを出してみせた。

 公文書にはサインと共に必ず捺すことになっている、当主印である。

「取り上げられそうにもなりましたが、領地運営に関わる雑用をすべてやるからと言いくるめて手元に残すことができました。……それ以外は、彼らの言うとおりに捺しているのもあって、まだ手元に守れています。使用人も半分は母の頃からの者で、陰ながら味方になってくれていますし」


 とはいえ、残っているのはほとんど下働きで、フローレンスが守ってやらねばならないような者ばかりだ。

 外部に訴え出るにも、半分軟禁されているような現状では難しかった。

 しかし、手をこまねいてばかりいたわけではない。

「このようなこと、いつまでも続けられるはずがありません」

 もう、覚悟は出来ているのだ。

「いずれ王家の方にでも怪しまれれば、それでおしまいです」

 にっこり笑ってみせたら、黒装束の少女は、深呼吸して言った。


「わかりました。今のお話を、書面にしていただくことは可能ですか? ああ、多少の証拠書類もあると、なおよろしいわ。……わたくし、王族の方々とはちょっとした顔見知りで。特別に『おじさま』と呼ぶことを許されておりますの」


 なんですって。



     *



 王族と顔見知りの不審者。いや、いつまでも不審者扱いはどうかと思うが、ここへ来ての爆弾発言に、悪いけれど不審度は増量である。

「え……ええと──」

「証拠書類と書面、ですわ」

 うろたえるフローレンスにしれっと少女は被せてくる。……ええい。

 フローレンスは腹をくくった。どうせ、今より悪くなることなどないのだ。

 目の前の相手がどれだけ不審であろうと、賭けてみてもいいかもしれない。


「で、では書類の方を先に。書斎が二階にございます」

「なるほど。できるだけ静かに案内していただけますか」

 と、言われてフローレンスなりに息を潜めて仕事場に向かったのだが──この子、すごい。足音一つしないのだ。伊達に隠密と自称していない。

 書斎には鍵がかかっている。いつも持ち歩いているそれを出して開き、中に入る。

 そっとドアを閉めて息をつくと、隣から一言。


「わたくしの鍵開け技術が必要なかったようで何よりです。準備がいいんですね」

 ……あ、それなら。

「──これまでお話ししたこととは少々離れるのですけど……開けてほしい引き出しがあるんです」

「あら。お安いご用ですよ」


 それは、本棚の一部に据え付けてある。

「私が押印させられた書類の写しがあるはずです。ここの鍵は、父が管理していて私は開けられないのですが」

「わかりました、拝見しましょう」

 黒装束のどこかから、小さな道具をいくつか出すと、ランタンが照らす中で手際よく操った。


──しばらくして。


「手こずりましたが、何とか開きました」

 手こずったんですか、素人にはわかりませんでした。フローレンスは促す。

「どうぞ、中のものをご覧ください」

 失礼、と少女はランタンを近づけて目を通す。


 そして息を呑んだ。

「これは……」

「はい。外患誘致罪に当たるでしょうか」


 そこにあるのは、フローレンスの父が、とある要注意国と通じていることを示す書類だった。しかも、自己顕示欲のたまものか、父の肩書きはすべて伯爵家当主となっている。詐称罪も上乗せだ。

「フローレンス様……、こちら、出す場所と出し方によっては」

「はい、覚悟しております」

 これが、フローレンスの切り札だった。


 いつか、正当な伯爵を軟禁していることや、当主を詐称していることが明るみに出て捜査が入るとき、フローレンスはこの引き出しの中身を捜査員の手に委ねるつもりだった。

 当然、家は取りつぶしになり、当主である自分も重い罰を受けるだろう。

 だが自分のことなど、もはやどうでもいい。

 あの父が、完膚なきまでに罰せられて、後は領民への影響が最小限なら、それでよかった。


「あなたにはご迷惑を掛けてしまいますが……」

 これを持ち出してほしい、と頼むと、少女は慌てた。

「えっ、私のことなんていいんですよ、それより、ご自分のことを考えてください。ジェラルド様だって心配なさってるんですって」

「……そうですね。それは本当に申し訳ないと思っています。でも、この書類には私が判を捺したんです。当主として、責任はとりませんと」

「その決意はご立派ですが! 何か道があるかもしれないでしょう? 偉い人に、相談してみましょうよ」


 フローレンスはくすっと笑った。この少女、こんなに素直で、お人好しで──密偵としてやっていけるのか、他人事ながら心配になる。

「もう、くすっじゃないんですよ──」

 彼女は困ったように周囲を見回し、……あれ、と傍らのものに目をとめた。


「これ、オルゴールですか? 妙に大きいですね」

 上に回る人形がついている、陶器のオルゴールだ。

「あ、ええ、お母様の形見です。高く売れそうなものは父に処分されてしまったのですけれど、それは残されました」

「触っても? 失礼しますね。……これ、上げ底ですね。ここをこうすると……開いたっ」


 そして──そこに入っていたものが、フローレンスと、そして幾人かの運命を大きく変えたのだった。



     *



 数週間後。

 フローレンスは、新伯爵としてお披露目を受けていた。

 エスコートは()()()()()()婚約者ことジェラルド、会場は王族主催の夜会という肝煎りである。

 王家からは非公式に、正統な伯爵が虐げられていたことに気づけず、苦労を掛けたと謝罪を受けた。


 非公式とはいえ、王家の謝罪と言ったら一大事である。その証として、伯爵家の存続と領地の安堵、また、フローレンスをデビューもしていない未成年であったからとして罪に問わないことも明言された。

「あなたは保護すべき通報者でもありますからね」

 一連の事件の後始末がどうなるかを教えてくれた、フルーセル侯爵がそう言った。

 例の不審な少女とどこか似た面差しを感じさせるおじさまである。


 そんな幕引きになったのは、その後の調査で、父の内通が大した被害にならないことが判明したからでもある。最後まで残念な男であった。

 しかし大罪は大罪、華やかなお披露目の裏で、あの男はきっちりと毒杯を賜った。

 牢では見苦しく騒いだという。その労力がもったいないから足を向けなかったが、もし会いに行ったとしても、この言葉しか言うことはなかったと思う──「ざまあみろ」。



     *



「お継母(かあ)さんと義妹(いもうと)さんのこと、聞いたよ」

 ジェラルドが静かに言ったのは、お披露目から帰る馬車の中でだった。

「ああ──。もう母でも妹でもない、と言われているんですけどね」

 フローレンスは苦笑した。



 あの書類を密偵の少女に渡した翌日、朝早くから騎士団が踏み込んできた。

 騒ぐ父と悪事の手伝いをしていた使用人は、騎士達に手際よく縄を掛けられて連行される。それに、継母と義妹は粛々とついていこうとした。

 ……やっぱり、彼女らも覚悟していたのだ。


「その必要はありません」

 フローレンスと騎士達の長が止めると、二人ともきょとんとしていた。

 フローレンスは、あるものを取り出して見せた。

 書斎のオルゴールの中から出てきた──かつて、愛人であった頃の継母から、実母へと宛てて出された手紙の束を。

「すべて知っています。私のことを助けてくださっていたのでしょう?」



 ──かつて、伯爵家に婿に来た男は、逆恨みの末出奔した。

 当てつけのように、夫を亡くした男爵家の女と、その娘を囲ったが──

 そこは他ならぬ伯爵家の持ち家。使用人も伯爵家の者なら、当然予算も伯爵家のそれだった。とことん残念な男である。


 女は賢かった。男にはもったいないほどに。

 すぐに己と娘の生殺与奪を握っているのが誰なのか察し、主に忠実な使用人の手を借りて、当主である男の妻に丁寧な詫び状を送った。

 妻はそれを感心に、またおかしく思い、通常とは少し異なる形ではあるが、愛人の管理も妻のつとめ。気にすることはない、と返事を届けさせた。

 心を尽くした礼状がそれに返され……、奇妙な文通となって、それは片方が亡くなるまで続いた。


「『あの方が貴女様とお嬢様に悪しき念を抱いていること、私も朧気に承知しております。もし貴女様に万一のことあれば、お嬢様は私が命に代えてもお守りいたします。どうかご安心ください』」

 フローレンスは手紙の一つを読み上げた。

「これが、お母様の受け取った最後のお手紙だったのですね」


 父が乗り込んできた頃、何度も殺意のこもった視線を向けられた。

 それを感じなくなったのは、いつからだろう。

 父の前に出ると継母に叱責されるようになったからだ。


 そんなふうに、二人は全力で父に、フローレンスを虐げるさまを見せていたのだ。

 あなたの代わりにやってあげていますよ、と言わんばかりに。

 それだけではない。


 ……まだ四人で食事をとっていた頃、自分だけ料理の味がおかしいことがあった。

 異常を訴えると、継母が「文句を言うなら食べなくてよろしい」と取り上げて、次の日から食事は使用人と一緒の鍋のまかないになった。が、あの時の食事は、もしかして……


 義妹もよく言っていたではないか。「仕事をしてお父さまに追い出されないように」と。

 ……価値を示していれば、便利に使われてやれば、生かされるから。


 継母は、静かにその場にひざまずき、頭を下げた。

「申し訳ございません。奥様にお約束したようなことは、何一つ果たせませんでした」

 今日もその身にまとっているのは、母のドレスのお下がりだ。

 自分のための無駄遣いなど一切しなかったことがうかがえる。


 義妹もその横に並ぶ。

「お姉さま……いえ、お嬢様。今までの非礼をお詫びします。どんな償いでもいたします」

 今日も華やかなイエローのドレスをまとっていたが、それは父の気を惹くためだ。


 フローレンスは首を横に振った。

「二人とも、立ってください。謝るのはこちらのほうだわ、本当のことに一切気がつかなくて……。命の恩人を罰したりなどしたら、天国の母に叱られてしまいます」

 そう言うが、二人は動かない。……フローレンスは続けた。

「本当はね、あなたたちと一緒に、私も罪に問われるつもりだったの」


 継母が血相を変える。

「そんな! お嬢様は何も悪いことはされていません」

「何もということはないわ。いけないと知りながら印を捺していたのだもの……。でもね」

 フローレンスは継母の元にしゃがみ込むと、その手に手紙を握らせた。

「これを読んだから……。軽々しく命を扱うのは、母やあなたへの裏切りのような、そんな気がしてしまったの」


「お嬢様……」

「だから、ね。あなたたちは私の命の恩人なのよ。二重の意味でね」

 フローレンスは二人の手を取り、強く握った。

「これからどうなるかはわからないわ。でも、どんなことがあっても助け合って、立ち向かっていきましょう。三人ならそれができると思うの。──おかあさま、エリザ」



     *



「エリザは旅に出たって?」

 ジェラルドの問いにフローレンスは頷く。

「ええ。領地を回って、私の目となり耳となりたいんですって。もともと身軽な平民のような育ちだったから、その方が性に合っているみたい」

「うん、向いてるんじゃないかな。……以前、ちょっと話しただけだけど、目端が利いて頭の回転が速いのは伝わってきたよ」

 だからこそ、なぜフローレンスを虐げるようなことをしていたのか不思議だったのだけど、とジェラルドは思い返す。

「母君の言いつけをよく守っていたんだね……。彼女の方はどうされるんだい?」


「とりあえずは、私の侍女として屋敷に残ってくれることになりました。相談役のような形でいい、とも言ったんですけど、首を縦に振ってくれなくて……」

 屋敷の使用人は、父の息のかかっていた者を解雇したので、人手が足りなくなっている。

 乳母など昔いた者を呼び戻してはいるが、新しい職場に馴染んでいる者もいるだろうし、無理は言えない。

 侍女になってくれるという申し出は、それはそれでありがたいものだった。

 折檻の件も、実は彼女と使用人の狂言であったと知らされたので、なおさらである。


「そうか。……君のお母上と懇意だったんだろう? 今度ぼくも話をしてみたいな」

「ええ、私も落ち着いたら母の話を聞かせて頂戴、と言っているの。楽しみね」

 フローレンスにはこれから、正式な伯爵としての実務や社交、ジェラルドとの結婚式など、山のように仕事が控えている。

 でも、信頼できる家族と一緒なら、何でも乗り越えていけそうに思えるのだ。



 あのかわいらしい不審者に感謝ね。

 結局、フルーセル侯爵家の縁者の女の子、ということしかわからなかったが……どこかすぐそばにいる気がしている彼女にも、幸せが来ますように、とフローレンスは静かに祈るのだった。




お読みいただきありがとうございました。よろしければ評価、ご感想などいただければ幸いです。


また、お時間があれば、この話の別視点や謎の少女の正体について語った長編、「どうも、当て馬令嬢です。過保護な従者が邪魔するせいで、お見合いの相手だけが幸せになっていくのですが。」のほうもよろしくお願いいたします。

(シリーズやページ下リンクで繋げてあります)

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シリーズ本編「どうも、当て馬令嬢です。過保護な従者が邪魔するせいで、お見合いの相手だけが幸せになっていくのですが。」
このお話の裏に当たるのは第三章、「お恥ずかしながら、人に言えない特技があります」の部分です!
― 新着の感想 ―
母親死亡後に父親継母義姉妹に虐げられての婚約破棄というよく見かけるテンプレ設定から、実は継母と義妹は2人とも味方で命を守るために演技をしてくれていた、更に元婚約者も誠実な相手だったという展開は初めて見…
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