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【問題編・2】

 ミラが記憶喪失になった、という話を聞いた。

 ミラベル・ティート、月光色の髪に秋の青空色した僕の幼馴染。母親同士が従姉妹だったから、双子を産んだばかりで手一杯だったミラベルの母親が、僕の母親を頼ってミラたち兄妹を我が家に預けたのが腐れ縁の始まりだった。

 ミラの兄グランドは昔から嫌な奴で、跡取りの自分ばっかりが勉強も習い事も大変でそれだけ偉い、嫁いで子どもを産み育てるだけの妹は愛嬌さえよければいい気楽な立場だ、なんてことを初対面の僕に言ってきた。僕もリード家の跡取りだから、同意してもらえるだろうと信じて疑わない目をしていた。

「君はずいぶん程度の低い考え方をするんだな」

「なんだって?」

 そこからは、とっくみあいの大喧嘩。もちろん今でもアイツのことは大嫌いだし軽蔑してる。僕のことを頭でっかちの魔術狂い、なんて陰口をたたくようなやつと仲良くなんてできるもんか。

 初対面がそんなだったから、実はその時ミラが何をしていたのか記憶にない。僕とグランドの相性が最悪だってわかった両家は、次からミラだけを我が家に預けるようになった。だから、僕の幼馴染はミラだけだ。

 最初の頃、ミラは無口で人見知りなおとなしい女の子だった。僕も別に社交的なタイプじゃないから、一緒の子ども部屋で同じ子守りに面倒を見てもらっても、それぞれ好きな本を黙って読むだけ。ああ、ひょっとしたらミラは僕が本を読んでるのを邪魔しないようにしていてくれたのかもしれない。初日にお兄様と喧嘩していたから、てっきり怖い子だと思ってたの、なんて後で教えてくれたから、ミラが無口だっていうのは結局僕の勘違いだったわけだけど。

 ティート家がミラだけでも我が家に預けたがったのは、あの家でミラだけが魔術士の素養があったからだ。

 本来、魔術の才能がある子どもはとても手がかかる。赤ん坊の頃は泣くたびに、ある程度大きくなった後は癇癪を起こすたびに魔力が暴走して近くにあるものを壊したり傷つけたりしてしまうからだ。

 リード家は代々魔術士を多く輩出してきた家だから、そういう子どもを育てるためのノウハウがある。でも、ティート家は魔術士家系じゃない。ミラはかなりおとなしい子どもだったけど、さすがに乳飲み子と産褥婦のそばにいるのは不安だと、そういう理由でリード家が預かることになったのだ。

 一緒の時間を過ごす内、僕らはポツポツと話すようになっていった。うん、僕が乱暴者じゃなさそうだ、ってわかったからだって言ってたな。そりゃ、それまでミラが知っていた同年代の男なんてあのグランドくらいだ、僕のことを喧嘩っ早い乱暴者だって誤解してたのも仕方ない。

 そして、ああ、何の話のついでだったか。グランドの話になって、よくもまああんな好き勝手言わせておくもんだと呆れる僕に、ミラはこんなことを言っていた。

「お兄様とは普段あまり交流がないから……ああいう風に思われてるなんて、知らなかったわ」

 今にして思えば、このミラの言葉はかなり婉曲的で、本当のことを言っているんだけどかなり説明が不足していた。

 でも当時の僕はそんなこと知らないから、兄妹なんてそんなものなのかと納得するだけ。世の中仲が良い家族ばかりじゃないってこと、幼くてわからなかったんだ。

 ミラはかなりの勤勉家だった。ティート家初の魔術士になれと、我が家に来る前からかなり勉強を詰め込まれていたしそれが苦にならない子だった。僕とはそういう意味でも気が合って、気の置けない関係になるまで時間はかからなかった。

 楽しかった。僕もミラも貴族の生まれで、基本的に同年代との交流がない。僕はひとりっ子だったから一緒に遊ぶような相手はいなかったし、兄と交流がないと言うミラもそれは同じだった。

 幼馴染で、初めての友だち。攻撃魔術の得意な僕がミラより正確に的を撃ちぬいて「こんなこともできないの?」と挑発してみせると、今度は補助魔術の得意なミラが自分の身体能力を上げて勝手に駆けっこ競争を始めて、「なんてのろまなのかしら」と高笑い。そうやって切磋琢磨して腕を磨いていった。ずっとそうやって、一緒に大人になるんだと思っていた。忘れていたのだ、ミラはあくまでティート家から預かってるだけのご令嬢だってことを。

 ミラが十二歳になった年、つまり我が家に来て七年目に、ようやくティート家は彼女のことを思い出した。いつまでも娘を迎えに来ない従姉妹にしびれを切らした僕の母親が、ミラをこのまま僕の嫁にもらうと宣言したから、慌てて取り戻しに来たのだ。娘はハーグ家の嫡男、ウォルター・ハーグと婚約することになっているのだと言って。

 大人たちはそりゃあもう大騒動。だってそうだろう? 魔術の才能がある子どもは育てられないからと、言い方は悪いけど我が家に押し付けておいて、魔力暴走の心配もないくらい育ったところで自分の家に利益のある家に嫁がせて利益だけかすめ取ろうって言うんだ、厚顔無恥も甚だしい。

 でも結局、ミラはティート家に戻ることになった。ティート家はミラの養育費を我が家にきちんと支払っていたから、倫理的にはともかく法的には問題ない、生家が引き取りたいと言うのなら引き取る権利があると、そういう理屈だったらしい。

 僕は納得できなかった。別に何か約束を交わしていたわけじゃないけど、ミラは僕とずっと一緒に暮らすんだと思ってた。一緒にいるために結婚する必要があるんなら喜んでする。ミラが僕のお嫁さん、すごくいい、大歓迎だ。狩猟狂いの戦闘狂、ハーグ家の嫡男なんかに取られるなんて絶対嫌だ。

「ミラ、僕と結婚しよう」

「馬鹿なこと言わないの、オーウェン。ティート家はともかく、ハーグ家の顔を潰すなんて正気の沙汰じゃないわ」

「そんなの知るか。ミラだって僕が好きだろ、なら僕のお嫁さんになればいいじゃないか。変な意地はらないでさ」

「なっ……ば、バカ! オーウェンのバカ!」

「なんだと! 馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ馬鹿ミラ!」

 初めての喧嘩だった。え? グランドとは喧嘩してただろって? アイツとは別に仲直りしたいだなんて思わなかったからいいんだ。ミラとは仲直りしたかった。でも、仲直りの仕方がわからなかった。

 仲直りできないまま、ミラはティート家に帰ってしまった。僕はへそを曲げてしまって、見送りすらしなかった。

 ミラがウォルター・ハーグと正式に婚約したって聞いて、僕は荒れた。荒れついでに、魔術の修行にもっとのめりこんでいった。

 要はミラとウォルター・ハーグの噂を聞く勇気がなかったってこと! 意気地なしと呼ぶなら呼べ。仲違いしてようやく、僕はミラのことが本当に心底好きなんだって思い知ってたとこなんだ。

 魔術士っていうのはさ、どうにも恋愛ごとに不器用な連中が多くて、それは我が家も同じだったから父親が理解してくれたのが拍車をかけた。僕はあっという間に一人前の魔術士として認められて、日々魔術の研究に没頭するようになった。ま、才能がある人間が寝食削って修練してたんだ、これくらいは当然だしそれこそ魔術士としては珍しくない。

 社交界デビューなんてどこ吹く風、引きこもりの息子を何か月ぶりかで日の下に引っ張り出してきた母親が、世間話のついでのように――実際はこれが本題だった――「ミラが記憶喪失になったらしいわ」なんて言うものだから、僕の優秀なはずの脳はしばらく真っ白になった。

 それでも彼女に直接会いに行く勇気が出なかったのは、あの苦い別れからもう五年も経っていたからだ。

 もちろん僕は今でもミラのことが好きで、未練がましくふたりで読んだ初級魔術の教本なんかを読み返していた。そうだよ、ヘタレだよ! でも正式な婚約者のいるミラに、婚約者以外に親しい異性がいるなんて彼女の醜聞にしかならないんだから、仲直りするために会いに行くことすらできなかったんだよ! 僕だって貴族の嫡男だ、そういう常識くらいはある!

 医者では原因がわからなかった、いっこうに記憶が戻らない――そう聞いたのに、ティート家はミラを魔術士に診せていないようだった。馬鹿馬鹿しい、これだから愚鈍な非魔術士は嫌いなんだ! 医療的観点からのアプローチがうまくいかなかったのなら、魔術的観点から調べるしかない。ミラは魔術士の称号こそ与えられていないけど――認定試験をティート家に受けさせてもらえないからだ――能力的にはほとんど魔術士なのだ。魔力暴走、魔術の失敗、あるいは何者かによる魔術攻撃の後遺症。考え得る限り、記憶の忘却を引き起こす要因はこれだけある。彼女に会えさえすれば、僕が彼女を診れば、きっと彼女の助けになれるのに!

 イライラ悩んでいる内に、母親が奇妙な話を聞いてきた。あのティート家が、どうやら夫婦仲、兄弟姉妹仲、つまり家族仲良好になったというのだ。

 いや、正確じゃないな。あそこの家は元々そんなに家族仲が悪いわけじゃなかった、()()()()()()()()()()()()()()()()()、だけど。

 本当に愚かしいけれど、ヒトという生き物はある程度群れると、特定の個体を虐げることで集団の平和を保とうとする。もちろん、全部の集団がじゃない。そういう集団もいるという話だ。

 ティート家の場合、七年もの間他家にいたミラは完全に異物だった。僕から彼女を取り上げておいて大事にもしないなんて反吐が出る。彼女の弟妹たちなんか、七歳になって初めて見たミラのことを父親がよそで作った子どもだなんて言いやがってふたりでいじめて追い出そうとしたらしい。とんだクソガキどもだ、ミラにあっさり魔術で拘束され天井から吊るされたって聞いた時は腹を抱えて笑ったとも。

 でもまあ、ミラにとっては母親も敵だった。姉なのに弟妹たちの悪戯に目くじらを立てすぎる、女なのに兄を立てずでしゃばりたがる、ああ、あとなんだったかな。リード家に預けて放っておいたのはあのババアの癖に、ミラのやることなすこと文句ばかり、しまいには僕の母親のしつけが悪かっただなんて言いやがって、これには僕の母親も怒髪天。同席した茶会だか夜会だかで徹底的にやりこめたらしい。それ以来ミラにはあんまり関わらないようになったらしいけど、どうせ彼女を傷つけるようなことしか言わないんだ、前みたいに無関心でいる方がミラのためだろう。

 それじゃあミラの父親はどうかって、コイツもコイツでどうしようもない。ミラは父方祖母、つまりティート家の先代奥方そっくりなんだけど、ひとりだけ魔術の才能なんて持って生まれたものだから、彼女の父親は妻の不貞を疑った。ああ、彼女の母親がミラに特別当たりがキツいのも、彼女が生まれた時の夫婦喧嘩が原因なのかもしれないな。どの道ミラ自身にはなんの責任もないことだけど。

 そうやって、ミラは放置されるべくして放っておかれていた。そういう主家の方針を、使用人たちは敏感に察知する。せめてずっとあの家で育っていれば親しい使用人のひとりやふたりいたのかもしれないけど、なにせ七年もリード家に預けられていたのだ。ティート家に戻った時にはミラはもうかなりしっかり精神的に自立していて、いまさら使用人に甘えるようなことはない。そうなれば、彼らも仕事を淡々とこなすだけ。

 ミラは、五年前のあの日からずっとひとりぼっちだった。僕は自分が勝手に拗ねて見ないようにしていた彼女の状況を改めて調べて、自分自身の情けなさに吐き気すら覚えた。

 こういう時、ロマンス小説なんかだとお優しい婚約者さまが精神的な救いになるんだろうけど、ウォルター・ハーグは僕に負けず劣らず最低の男だった。愛犬家なのは構わない、個人の自由だ。犬にだって罪はないだろう。ただし、きちんとしつけをして道理をわきまえさせるならの話だ。

 ミラが動物嫌いなんてなんの冗談かと思ったね。少なくともリード家にいる時はそんなことはなかった。すごく好きではないけれど嫌いでもない、いわゆる普通。特にペットを飼いたいという願望もないけれど、家族の誰かが飼いたいなら好きにすればいいんじゃないか、そういうスタンスだ。

 ところがウォルター・ハーグはやらかした。ミラとの顔合わせ、初対面の時、どういうわけだか自分の愛犬、狩猟用の大型犬を連れて行って、ミラに飛びつかせたのだ。

 え? 別にけしかけたわけじゃないだろう、って? 同じことだよ。いくら鍛えていたって十二、三歳のガキが、ろくにしつけも終わっていない大型犬の子犬のリードを持つなんて狂気の沙汰だ。案の定抑えきれずに興奮した犬はミラに飛びついて、押し倒した挙句顔中をなめまわしやがった。ミラがどんなに怖かったことか!

 顔を舐めるのが愛情表現だなんてこと、知識としては理解していても、いきなり押し倒されて急所である喉元近くに牙持つ獣が迫ってきたら恐怖でしかないだろう、トラウマものだよ。実際、ミラはトラウマになって動物全般がダメになった。苦手、なんて控えめなもんじゃない。視界に入るだけで恐怖で立ちすくむほどだったのに、ウォルター・ハーグは勝手にミラに失望した。ハーグ家に嫁ぐのに動物嫌いなんて、領地に連れ帰ることもできないだろう、領地を預ける第二夫人を探すべきだろうかなんて()()()()()っていうんだから、本当に、心底、いけすかない最低のやつだ。

 これはもう無理だ、意地を張っている場合じゃないと、ようやく腹をくくった。なのに今度は、その婚約者との仲も改善されてきていると聞いて耳を疑った。

「ミラベル・ティートはとてもしあわせに暮らしているそうよ」

 それでも行くのかと、母親が問う。僕はもちろんだと頷いた。

 僕の訪問を、いや、正確に言えばリード家の要請を、ティート家は拒めない。いったいいくら貸しにしてやってるのかわからないくらいだからね、これで門前払いするようなら無理矢理にでも押し入ってやろうと思っていたけれど、運よく――あるいは運悪く、これから家族揃ってお出かけだというところに鉢合わせた。

「あなた、だれ?」

 月光色の髪に秋の青空色した僕の幼馴染。僕が知っている誰よりきれいで可愛い、大切な女の子。

 皮肉げな笑みが得意で、なにかというと僕と張り合って、素直になるのが苦手な僕のミラ。

 吐き気がした。ああ、人間って怒り狂うと逆に冷静になるんだな、って頭の片隅で思う。先ぶれなしの訪問にグランドが嫌味を言い、ティート家当主が苦言を呈し、クソガキどもがこそこそ聞えよがしに言っているけれど、そんなの視界にも入らない。

「お前、誰だ」

「何を言うのオーウェン。娘のミラベルよ。ベル、こちらはオーウェン・リード。私の従姉妹の子どもで、貴女の幼馴染の男の子よ。久しぶりに会うから、見違えちゃったのかしら」

「オーウェン?」

 ぞわりと肌が粟だった。あまりの嫌悪感に、反射的に怒鳴りつけそうになったのを自制する。

「ちがう」

 記憶喪失? 馬鹿なことを! どうしてティート家はさっさとコレを魔術士に診せなかった!

「お前はミラじゃない」

「……()()()のこと、知ってるの? ごめんなさい、私、わからなくて。記憶がないの、だから、今の私のことはベルって呼んで、」

「彼女を侮辱するな!」

 腹が立つ、腹が立つ、腹が立つ!

 ミラはこんな顔をしなかった、こんな声を出さなかった、こんな仕草をしなかった。なにもかも、なにもかも違う! コレはミラじゃない、器はそうでも、それ以外のすべてが違う!

 僕のせいだ、僕の罪だ、僕の咎だ。彼女をひとりにした、くだらない意地を張った、意味のない距離を取った。ぐらぐらと、怒りと憎悪で思考が煮立つ。その一方で、頭のどこか冷静な部分が瞬く間に魔術を構築しミラの姿をしたモノを拘束した。

「お前はミラじゃない」

 くり返す。それでも諦めの悪いソレは「記憶ソーシツなの! 昔の私と今の私が違うのはそのせいで」と擬態を止めない。

 落ち着け、と自分に言い聞かせるのは骨だった。ミラの顔を、体を、声を勝手に使って、彼女の尊厳を踏みにじるソレを今すぐくびり殺してやりたい。けどダメだ、コレのガワは、器だけは、確かに僕のミラなのだ。

「お前が本当にミラなら」

 ティート家の連中がソレを助けようと、僕の邪魔をしようとする。ソレが彼らに助けを求めて泣き叫ぶ。なんて醜悪な光景だろうか。

「僕の魔術拘束くらい、簡単に解けるはずだ」

「知らないわ! 魔術なんて使えない! 記憶がないって、言ってるじゃない!」

「魔術の知識は魂に刻まれる」

 ピタリと、それが口を閉じる。

「記憶喪失ごときで使えなくなるものじゃない。見誤ったな、化け物め」

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